鮮明な月

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第十六章 FlashBack2

187.

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別段自分が特別な立場にいるとはそれまで一度も考えたことはなかったのだが、その言葉に端と我に返ったのはゆったり寛ぐ筈の学食の片隅で甲高い金切り声に唐突に詰め寄られたからだ。

「なんで、こんなに気を使ってあげてるのに!」

そうあからさまになじる口調で言われて思わず気を使ってくれなんて頼んでないし放っておいて構わないと、素直に口にしそうになってしまったのはここだけの話。高校時代にはこんな風に誰かにあからさまな好意を寄せられたことがなかったし、そう言うことは全て物語の世界だと思っていたわけだし。勿論高校生までに全く好意を寄せられたことがなかった訳ではなくてラブレター何かは何度かは貰ったけど、それらは『好きです。お友だちでいいので……』の類い。しかもド田舎の高校生なんかに、関東圏の高校生みたいな広域の活動なんかあり得る筈もない。

大体さぁ?高校生でセックスなんてほぼあり得ない訳よ?だってそんなのしてたら、嫁認定だし。

そういう意味では大学デビューの自分と、妙に気の合う新たな友人は真逆でとんでもない経験の持ち主とも言える。何せ聞けば初体験は中学一年とか言うし、しかも今は永遠を誓う相手がいて、その相手は綺麗な顔立ちはしていても同性ときているのだ。

「ちょっと!聞いてるの?!」

あ、半分聞いてなかった。まだ一人で怒鳴り続けてたんだと内心思うが都会の人間はキャンキャンと五月蝿く叫ぶもので、最近の佐久間翔悟はそれを聞き流すと言う技を覚えてみたのだ。五月蝿いのは話し声だけではないから、この技はとっても役に立つ。ただし盛りのついた雌鳥か盛ってる最中の猫みたいなこの声は、なかなか聞き流すのが難しいものだったりする。

「聞いてなかった、ヒステリックに叫んでる女ってちっとも可愛くないから。」

不機嫌な声でスパッと一刀両断に切り捨てた新たな親友の言葉に、周囲を気にもかけていない金子美乃利は真っ赤になってプルプルと震え始めているが正直翔悟も同感だ。この取り巻きを引き連れて歩く一昔前のお嬢様みたいな女性は、友人である源川仁聖と翔悟を取り巻きに加えたいらしくて再三絡んでくる。しかも全く二人が興味を示さないし、特に気になる仁聖なんか塩どころか氷河期みたいな対応を続けて、時には毒舌を通り越して喧嘩を売ってるんじゃないかと思うような口を利く有り様。

「あ、翔悟、あのさ?今日の帰りさ?」

しかも仁聖は今もそのまま完全に彼女の存在をスルーして翔悟にだけ笑顔を向けて話すのだ。相変わらず左の薬指には指輪をして、一応は可愛い部類の先輩でもある金子を無視する仁聖に周囲はヒソヒソと話ながら笑ってもいる。
一応は金子美乃利は去年のミス・キャンパスとからしいのだけど、そこら辺から取り巻きを引き連れて歩くように変わってきたらしい。つまりはちょっと可愛いのに天狗になっているわけだ。しかも金持ちの娘だから、金目当てでついて歩く取り巻きも多い。

「なんなの?!なんで美乃利に全然興味ないの?!源川君ってもしかしてゲイ?!」

何度声をかけても冷ややかな視線を向けた仁聖に金子は皮肉を投げつけたつもりなのだろうけど、ある意味でそれは間違ってはいないと翔悟は思う。何しろ言いはしないけど仁聖の大切な恋人は男性で、仁聖はその人にベタ惚れなわけだし。とは言えあえて金子の皮肉を否定しなくても過去の仁聖を知っている人達が口を揃えて源川仁聖は高校三年の春まで彼女を取っ替え引っ替えしていたと力を込めて証言するし、仁聖がこんな風に氷河期対応してるのは実のところ金子が殆どを占めているのだ。

「ゲイだろうとバイだろうとさ?先輩に関係ないし。俺、何度も興味ないって断ってるんだから、アイコンありきなら他の男探しなよ。」

こんな風にあからさまに仁聖が不機嫌なのは彼女が仁聖を取り巻きにいれたい理由が、密かにバイトでしているモデルとしての顔が好みで、その従兄弟だという仁聖を取り巻きに欲しいと知っているからだ。仁聖の綺麗な整った日本人場馴れした顔立ちは、伊達とは言え眼鏡をかけていても十分目立つ。それを取り巻きにしてチヤホヤされたいのだと金子が口にしたのを偶々とは言え聞いてしまってから、俄然仁聖の対応は温度を零下に下げたのだ。

イケメンなのに、顔しか見てないってのが気に入らないんだろうなぁ

以前はそんなことなかったと仁聖は自分でも話しているが、今の仁聖は特にそう言うことが許容できないらしいのは半年の付き合いで理解した。自分があの顔だったらとか考えてみたりもするが、生まれつきの顔が仁聖の顔なら同じことを感じるのかもしれない。兎も角仁聖としては金子美乃利のちょっかいは不快なもので、出来ることなら自分には関わらず放っておいて欲しいものなのだ。

「あ、仁聖。」

しかも取り巻きにしたい理由のもう一つである文学部教授・勅使河原叡が暢気に手を振って珍しく学食なんかに顔を出したのに、翔悟は正直タイミングいいのか悪いのかと思うしかなかったのだった。
勅使河原叡教授はマニアックな秘密基地フリークだけど、文学部では勅使河原に気に入られた人間は文筆業や出版関係で大成するなんて真しやかに囁かれている人物。その教え子には言う迄もないが、最近人気があるという作家の鳥飼澪こと鳥飼信哉や、密かに仁聖の恋人・榊恭平なんかもいたりする。因みに大学生としては教え子ではないが、聴講生には作家の奈落という人物も含まれるとか。
勿論建築科の仁聖と翔悟には直には関係ないことなのだが、建築科でも何故か講義を持つ勅使河原が他科の人間を気に入るのはもっと珍しい。お陰で二人は尚更目立つようになって、文学部の金子に追いかけ回される羽目に陥っているのだ。講義がないからボサボサ頭で現れた勅使河原は、立ち尽くしている金子を気にする風でもなく仁聖達のトレイをのっそりと覗き込む。

「叡センセも昼飯?躑躅森さんは?」
「今日のランチはどっちがおすすめかね?躑躅森君は自分の研究データとにらめっこしとるよ。」
「Bの方がボリュームあるかな、叡センセ。」

因みにAランチはハッシュドビーフのプレートで、Bランチはミックスフライの定食。仁聖が前者で翔悟は後者、それを眺めて勅使河原は少し迷った様子だったが、結局はどちらでもなくて五目餡掛け蕎麦なんて想定外のものをトレイにのせて戻ってくる有り様。流石に勅使河原教授の前では金切り声で詰め寄るわけにいかない金子が不満げに立ち去ったのは何よりだけど、なんで五目餡掛けで、しかも蕎麦?

「何のために俺らのトレイ眺めていったの?叡センセ。」
「ホントだよ、それ全然関係ないし!しかも蕎麦?!」
「ええ?そうかなぁ、餡がかかってるってのはルーっぽいだろ?それにこんな風に具が色々はミックスフライっぽいだろう。折衷案だな。」
「でも米じゃないし!なにその折衷案。」

こんな訳の分からない暢気な話を周囲を気にもせずにしているのだが、列記とした文学部のトップである教授。ただし勅使河原叡が仁聖の父親の幼馴染みでもあるのは、知る人ぞ知る事実ということだったりもするのはここだけの話。お陰で秘密基地の同好の志として勅使河原に、仁聖と翔悟は声をかけられ某所の秘密の扉を捜索していたりする。

「カウンターの下ではなかったかぁ…………。」
「だから、センセ、外側の壁の位置がさぁ?」

盛り上がっているのはその某所の秘密の扉の位置に関してで、勅使河原はカウンターの下説を推したのだけど仁聖が直接その店主である久保田惣一からそこは違うからと宣言されてしまった。それでも見ないことにはとごねた結果、久保田が店内に居ない時に厨房の鈴徳良二が笑いながらカウンターの下を覗かせてくれたのはつい最近のこと。結果、久保田の言う通りそこには全くもって秘密基地への扉はなかったのだった。

教えてくれたらいいのに

そう良二に思わず仁聖が不貞腐れて言うと、良二は簡単に答えを教えてもらったらつまんないでしょの一言。それに勅使河原がもう年単位で長年かけて探してるのを、答えを知ってる人にさっさ教えて貰うのも確かに狡い気もする。そんな話を暢気にしている最中、勅使河原が不意に思い出したように仁聖の顔を眺めた。

「そうだ、仁聖。一つ頼みがあるんだが。」
「ん?何?叡センセ。」
「実はだな?」

何気なく食事中に思い出したように口にしたが、実際のところ勅使河原はこれを頼むために仁聖達を探していて、しかもそれは学部の違う仁聖と翔悟を選んで頼むには些か突飛な頼みだったりするのだった。

「は?勅使河原教授の?」

それは勅使河原叡のフィールドワークである民間説話に関する研究で、海外から来日した人物のこと。
因みに説話は近代に造語された言葉で、明瞭な概念規定なしに国文学・民俗学・民族学・神話学などの領域で使用されている。広義には古くより伝承されて来た話・物語一般を意味しているのだが、狭義には、民話(昔話)、伝説を指している。都市伝説なんて言葉も最近なら耳にしたことがあるだろうが、それについて研究している勅使河原の客としてやって来た人物の観光に付き合って欲しいというのだ。

「なんで俺達?」
「躑躅森さんは?それに俺達建築科だよ?叡センセ。」
「ん~、躑躅森君は論文作成で怖いしさ、文学部の学生じゃつまらんでしょ。」

つまるつまらないで選んでいいものなの?と呆れてしまうけれど、どうやら日本建築に興味のある人物らしくて同時に英語圏の人間の方が望ましい。勿論英語なら出来る人物は大勢学部にはいるが、建築に興味があって年が近そうなと考えてみたら、仁聖達が浮かんだのだと言う。

「それに君らなら利害得失ないし。」
「それ、ただでやれってこと?叡センセ。」

同じ学部の人間だと勅使河原の持つ権力で見返りを求めるだろうが、仁聖達なら直に見返りになるものがないと言いたいらしい。しかもタダ働き?と問いかけた二人に、客は秘密基地に絡んだ都市伝説に詳しくてなー等と誘い込みにかかってくる有り様。

「まぁいいけど、何時くるの?そのお客さん。」
「ん?何時?えっとなぁ…………。」

その辺りが適当なのが誠にもって勅使河原らしいのだが、そう考え込んだ勅使河原の背後にデータとにらめっこをしている筈の躑躅森雪が学食の入り口で仁王立ちしているのが見える。それに二人が気がついたのと殆ど同時に躑躅森が勅使河原に向かって、声を張り上げていた。



※※※



もう一度合気道の鍛練に通いたいと思うと鳥飼信哉に恭平が返事をしたのは、つい先日のこと。その後偶々顔を合わせた流れで『茶樹』の一角に腰を据えた恭平と信哉は、芳しい珈琲の香りに包まれながら今後の展望なんてものについて話していたりする。客足は少な目、マスターの久保田惣一は妻の昼食のために席を外していて不在。ソファー越しの信哉の背後の蓄音機の向こうの壁が先日秘密基地への隠し扉だと知ってしまった恭平は、昼間に見た限り全く扉に見えない壁を何気なく眺める。

「どうした?」
「あ、いえ、それで土地とかはどうする予定なんですか?」
「ああ、それなら。」

道場の建設予定地は既に検討をつけてあるなんて話していたのは聞いたが、事実既に土地は確保してあって契約も済ませてあるのだと平然と話す信哉に思わず恭平は目を丸くしてしまう。ただし資材等の問題で自宅は兎も角、道場の方は着工には少しかかるからそれまではやむを得ず真見塚道場に間借りする形になるのだ。それに過去に鳥飼道場とさて掲げていた看板も実は真見塚家に保管してあったと聞くと、最初からこうなる予定だったんじゃないかと思ってしまう。

「通いにくかったら、俺と待ち合わせるか?」
「あ、えっと少し体力つけるのに、自分でも動かないとならないので……。」

流石に真見塚家に通うにはと遠慮しようにも、信哉は宮内が気になるなら自分が説得に乗り込んでやろうか等と平然と言う始末。それはやめてくださいと必死に恭平は懇願したが、恭平が再びやる気になったのが嬉しい様子で信哉はにこやかに別に気にしなくてもいいんじゃないかなんて言う有り様だ。

「この間、宮内の分家とは話をつけたんだろ?」
「…………なんで知ってるんですか?」

信哉の言う宮内の分家とは言うまでもなく宮内慶周のことで、あの時面と向かって話したのは慶周と慶太郎だけだったのだが。何故かその話が耳に入っているのに眉をしかめると、自分は何も言ってないけど慶太郎が鳥飼信哉の名前で誘われて真見塚に時々顔を出すようになって自分から話してきたのだというのだ。なんでそんなことまでと一瞬思ったが、慶太郎はあの時の出来事の全てを話したわけではなくて、恭平が望む場所で好きなように鍛練できないかと信哉に相談をもちかけたようだ。

「少しは成長したんじゃないか?お前の弟。」

そうニヤリと笑いながら言う信哉に恭平も思わず苦笑いしてしまう。宮内の人間になって欲しがってぶつかることの多かった慶太郎が、宮内に拘るのを止めて自分の好きなようにと話してくれたのは確かに大きな変化なのだ。
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