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間章 アンノウン
間話33.カレラのいる街
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「全く何で勝手にそんなことしてるわけ?彼と会ったなんて聞いてないよ?!」
そんな風に口火を切ってお説教を始めた夫・久保田惣一に、妻・松理は平然とした顔をして何も悪いことしてないものと答える。そんな妻は今そろそろ妊娠五ヶ月にもなろうとしていて、元々華奢なせいか次第に腹が膨らみ目立ち始めてきているところ。
姪が心配して松理の様子を日々見にきてくれているのは、つい先月までは松理が悪阻が酷くて録に飲み食いができなかったからだ。華奢な松理がさらに痩せてしまったのに慌てた惣一は過去の伝をフル活用して、悪阻に詳しくて対処法を知っている人間を探し回ったのはここだけの秘密である。というのも久保田惣一には両親どころか親戚もいないし、この年でまさか我が子を身籠る存在が出来るなんて思いもしなかったからだ。
おそぉ?なんすかそれ?え?つわりぃ?あ、妊婦さんのなるやつっすか?
そう昔の部下達の宮に唖然とされたが、大概惣一の関係者は惣一と同じような身の上が多くて、しかも年下で未婚も多いわけで。お陰で中々上手く対処ができないのにヤキモキしたが、土志田悌順の従兄弟・宇佐川義人とその知人の女性・菊池遥、そして『茶樹』の厨房スタッフの鈴徳良二が松理が食べれそうなものやら何やらと手を貸してくれたのだ。
早く言えばいいのに、マスターも。
食については誰にも負けない鈴徳に二人目を産んだばかりの宇佐川の知人の菊池が、助けになってくれてやっと悪阻の期間を越えたのはつい先日。そんな松理が何と三浦和希と接近遭遇して、しかも話までしていたのを知った惣一は激怒してお説教を始めたわけなのだが。そんな愛妻は久保田惣一がいうのもなんだが、誰よりも破天荒きわまりない女なのだった。
「悪いの!君一人の体じゃないんだよ?!松理!」
「でも悪いことしてないもん。」
「あのね、三浦は殺人犯なんだよ?悪い人でしょ?!」
「でもなにもしないって言ったわよ?」
「言ったからって守るとは限らないだろ?!」
「それを言ったら惣一くんだって、約束してたのに最近裏家業してたでしょ?!」
ぐっ!それを今ここで言われるとと惣一の顔が歪む。というのも先日矢根尾俊一が駅前を彷徨いたのを知人からの連絡で聞いた惣一が、それを捕獲するのに手を貸したのは事実なのだった。何しろ矢根尾俊一が探し歩いている倉橋亜希子は背丈は随分と小柄だが、黒髪で華奢な女性。後ろ姿が我妻と実はよく似ているのを、惣一は以前から知っているのだ。倉橋がここいらにいないのは充分承知しているが、矢根尾はそれを知らないわけで、ここでもし妊娠中の我妻に矢根尾が接近したらと思うと気が気ではない。それを鈴徳や土志田に漏らしたのはここだけの話。
過保護だね、マスター
いや、妊婦なんだから当然だろ?
彼女が酷い目に遇わされている土志田の方は一も二もなく惣一に賛同してくれて、矢根尾俊一の捕獲に迷うことなくあのメンバーを召集したわけなのだが。それに絡んでもう一人のモンスターの三浦和希が出没したせいで、危なく大事な友人でもある宏太を怪我させられるところだったのも事実。それに関して激怒している松理に、痛烈な電気ショックというお仕置きをされたのだ。
「だけどね!君は大事な体なんだよ?!それなのに、三浦なんて危険な男とね?」
「だって、リエのこと聞きたいっていってきたんだもの。」
そうなのだ、ここでもやはり出てくるのは倉橋亜希子の話。旧姓多賀亜希子は過去にリエというハンドルネームで、松理とも惣一とも、外崎宏太とも交流があった。そして彼らは矢根尾俊一のことも知っていて、過去に何度か彼女を救うこともできた可能性が僅かだかあったのだ。惣一は兎も角あの外崎宏太ですら手を差しのべていたらと思うほど、その時実はここいら近郊で苦しみながら生きていた彼女の事を松理も知っていて、同じ女性である松理は彼女への共感が強い。
男に虐げられ、傷つけられ、自分のような人から外れた存在にまで堕ちてしまった倉橋が、やがて闇の世界にいた進藤隆平や三浦と関わることになったのは運命の悪戯の一言では語れないだろう。
「それに、あの子前のような化け物じゃないわよ?ちゃんと理解していたもの。」
三浦和希を倉橋のようにあの子と呼び何を話したか聞かせる松理に、惣一は思わず溜め息をついてしまう。いや、実際何よりも問題なのは松理がこういう不測の事態に慣れ親しみ過ぎていて、自身の危機管理への意識が弱いことなのだ。既に裏家業からは足を洗ってハッカーも辞めて我妻として表の暮らしだけになる筈なのに、松理ときたら生来の習性なのか体質なのか裏側の存在を受け入れる癖が抜けない。
…………だから、俺のことも平気なのは事実だけども。
マトモな人間とは違う自分のような異質の男に、何十年も付き合って何ともない松理は特殊な存在なのは承知している。だけど惣一だって普通に幸せになれるならそうしたいし、今こそ何とか松理との暮らしを普通の人間と同じにしようと必死なのだ。これで松理に何か起きたら、惣一は自分が何を仕出かすか想像もできないしする気もない。思わず頭を抱えてしまう惣一に、松理は少しだけ悪いことをしたと思った様子で上目遣いにこれからはちゃんと事前に相談するわと素直に呟く。
「約束してよ?松理、俺は松理だけが大事なんだからね。」
「あら、やだ、惣一くんたら。松理と我が子にしてくれる?」
仰る通りですと素直に折れるのは、彼女のいう通りだから。それを認めてほんの少しでも帯電しないように気を付けながら、惣一は宝物のようにそっと手を伸ばして松理を抱き締める。これが惣一の体質とはいえ松理にほんの少しでも怪我をさせるわけにもいかないし、血縁の薄い久保田惣一にとっては松理と腹の子供だけが唯一の身内でもあるのだ。それは外崎宏太が了を抱き締めるのにもにていて、惣一が宏太を気に入っていて弟のように感じている理由でもある。
宏太は俺に似ていて、人の感情を知らなかった…………。
自分が松理を得て知ったような感情を、唯一の番を見つけてやっと知り始めた宏太。それに同じように大事な存在を得て、家族を作ろうとしている同類達もこの街には山のようにいる。だからこの街にはそんな存在が惣一の知らぬ間に、こんなにも集まってきてしまうのかもしれない。
「あ。」
不意に腕の中の松理の上げた声に惣一が不思議そうに見下ろすと、松理はキラキラした瞳で惣一の腕の中から見上げてくる。何かしたの?と問いかける声に松理は興奮したように、惣一の手をとって腹に近づけていく。
「わわ!松理!待って!突然は!!」
「馬鹿ね!惣一くんたら!パパなんだから、大丈夫!さわって!ほら!!」
自分の帯電が大概手に集中しているのを知っているのに、松理が大興奮で手を引いて腹に当ててしまう。父親だから大丈夫何て松理は言うけれど、実際のところ自分との子供がどんな形で産まれてくるか自信がないのだ。
パチッ
そんな不安に飲まれているのなんかお構いなしに、触れた腹の中で何かが弾けるような感触がして惣一は目を丸くする。手に響く振動がそこにいる生命の存在を、こうして明らかにアピールしているのだ。
「ちゃーっす、ロキねぇさん、夕飯作りに来たよー。」
「フッタチ!!お腹の中動いた!!」
「まじっ!すげーっ!ねぇさん、はやくね!!?」
そこにタイミングよくなのか悪くなのか、その異質な存在の一人でもある鈴徳良二が呑気な声でおさんどんをしに現れて、松理の別名を呼びながら当然みたいに上がり込んでくる。フッタチは鈴徳の別名だし、自分にだって久保田惣一以外の名前が幾つかあるのだが、それは表立っては口にされない秘密。何しろこの街には自分を初めとして少し外れた人間が山のように暮らしていて、当然のように集団に紛れ込んで生きている。そしてそんな自分でもこうして妻と子を得て、家族を作ろうとしているのだ。
※※※
「梨央、大丈夫か?」
そう心配して問いかける夫の声に、ソファーの上で少し横になっていた鳥飼梨央は視線をあげて微笑む。お腹の中の双子はスクスクと成長して既に六ヶ月を越したところだが、何分高齢出産に双子のリスクは大きいのは看護師の梨央なら十分理解していること。普通なら帝王切開での出産で早期に出産してしまうところだろうが、二月頭まで上手く腹の中で育て上げたいのは梨央の希望だ。とは言え双子の育つ腹は流石に重くて、こうして何から何まで大事にしてくれている夫には感謝するしかない。独り暮らしが長いとは言え殆どの家事を一手に引き受けて、しかも仕事も手を抜かない上に家まで建てる算段中の我が夫には頭が下がる。
「大丈夫。信哉、仕事は?」
「今夜はまだ大丈夫だ、それよりお前の方が俺は心配なんだが。」
文筆業以外に密かに別な仕事を持っている我が夫。聞かされた話はにわかには信じがたいことばかりだが、包み隠さず全てを話して目の前で見せられた事実に案外素直に納得したのは梨央が梨央だからだ。そう信哉は穏やかな顔で言うし、同じような活動をしているという槙山忠志も目を丸くして普通なら信じないよなと笑った。
それでも、腹の子は奇跡みたいに順調なのは澪と仁のお陰かな……。
母である鳥飼澪も生前は信哉と同じ事をしていたのだと聞かされて素直に受け入れてしまった梨央を、信哉は命懸けで守るし大切にしますと面と向かって母親似なのに男前な顔で約束した。それに何よりもこの腹の中の子供の存在は、互いにとって大きくて。
子供の名前、仁と澪にするつもりだ、いいか?
そう既に名前どころか子供に合気道を教えたいと親バカを発揮し始めた信哉に、梨央は穏やかに笑うしかない。親友なのに助けることもできないまま先に逝ってしまった鳥飼澪の息子と、こうして今や梨央は一緒に暮らして家族になろうとしている。
喜一が聞いたら卒倒するな
そう幼友達でもある藤咲信夫と外崎宏太はいうけれど、こんな運命だったのだと梨央は元気に動く双子を育んでいる腹を撫でる。何しろ双子の名前はどうしてもそれがいいと信哉が願う理由も知っているし、梨央もそれでいいよと答えたから既に呼び掛ける言葉もその名前で。
「あー、仁が蹴る。信哉、少し落ち着けって言って。いたた。」
「痛むのか?大丈夫か?さすろうか?」
「んー、澪と喧嘩になる前に止めて、ほら早く。」
手をとってポコンポコンと腹壁を内部から押してくる元気な感触を信哉の手に押し当てると、信哉の顔にこそばゆいような幸せそうな微笑みが浮かび上がる。
「こら、仁。お母さんがいたいからそんなに蹴るな。」
触れながらかけられるその言葉に胎動は少し穏やかに変わり、父の手の下を微かにポコポコと振動が続く。何にでも興味を示しているみたいな振動が穏やかになって、おかしなくらい信哉の言うことを聞いている胎児達に梨央はクスクスと笑う。
「なんだ?梨央、何かおかしいか?」
「いや、まだ二人とも腹の中なのに、信哉は凄くいいお父さんだな。」
「茶化すなよ……。」
恥ずかしそうに頬を染める信哉に手を伸ばして引き寄せて口付けると、腹の中で片割れもポコポコと動く。両親がこうして仲良くしているのに双子が喜んでいるみたいに胎動が響くのに、信哉は幸せそうに微笑みながら梨央に改めて口付ける。
「ありがとう、梨央。」
「うん、わかってるから礼を言うくらいならドンと長生きしろ?分かってんな?先に死んだら許さねぇぞ?あたしの方が先に逝くんだからな?」
男勝りの梨央の口調に思わず苦笑いしながら信哉は、双子分の体重も込みだというのに梨央を軽々と抱き上げて宝物のようにソッと抱き締める。梨央の方が十八際も年上で、実際には世の中の常識なら信哉の方が長生きするのが当然。なのに自分が短命で死ぬ可能性があるなんて事前に信哉自身からも聞いているが梨央はそれを認めるつもりはないし、子供も双子二人で終わらせる気もないからなと耳元に甘く囁く。
「は?お前腹に双子入れてて、次の子供の話かよ?」
「当たり前だ、あたしゃ五十までは出来たら産むからな?頑張れよ?お父さん。」
「本気か?」
「冗談でこんなこというかよ、仁と澪に弟とか妹がほしくないのか?」
そんなことを抱きかかえられたままに艶然と微笑みながらいう梨央に、敵わないなと信哉は心底満ち足りた笑顔を浮かべて笑うのだった。
※※※
街の中にはその存在か幾つもあって、でも普段はそれほどの問題も起こさずに穏やかに過ごしている。それがここで生きていくためのルールだし、目立つ行動がいいわけでもないのは分かりきっているからだ。それでも生きていくために必要な芯はそれぞれにあって、それを守るために時には牙を剥くこともある。
「あの、すみません。私……人を探していて…………。」
そう問いかけてきた黒髪の女性の赤い縁の眼鏡越しの瞳に、声をかけられた男は吸い寄せられるように捕らえられていた。妖艶で純粋そうな大きな瞳が誘いかけるように真っ直ぐに見つめていて、体内で何か欲望が渦を巻き蛇のように腹の底を這い回る感覚。それに飲まれそうになりながら、それがなんなのか怯えもする。
「あの…………。聞いても………………いい?」
そっと囁きかけ脳髄を犯すような彼女の声に、目の前の男は一瞬で意識を飲まれ始めていた。
そんな風に口火を切ってお説教を始めた夫・久保田惣一に、妻・松理は平然とした顔をして何も悪いことしてないものと答える。そんな妻は今そろそろ妊娠五ヶ月にもなろうとしていて、元々華奢なせいか次第に腹が膨らみ目立ち始めてきているところ。
姪が心配して松理の様子を日々見にきてくれているのは、つい先月までは松理が悪阻が酷くて録に飲み食いができなかったからだ。華奢な松理がさらに痩せてしまったのに慌てた惣一は過去の伝をフル活用して、悪阻に詳しくて対処法を知っている人間を探し回ったのはここだけの秘密である。というのも久保田惣一には両親どころか親戚もいないし、この年でまさか我が子を身籠る存在が出来るなんて思いもしなかったからだ。
おそぉ?なんすかそれ?え?つわりぃ?あ、妊婦さんのなるやつっすか?
そう昔の部下達の宮に唖然とされたが、大概惣一の関係者は惣一と同じような身の上が多くて、しかも年下で未婚も多いわけで。お陰で中々上手く対処ができないのにヤキモキしたが、土志田悌順の従兄弟・宇佐川義人とその知人の女性・菊池遥、そして『茶樹』の厨房スタッフの鈴徳良二が松理が食べれそうなものやら何やらと手を貸してくれたのだ。
早く言えばいいのに、マスターも。
食については誰にも負けない鈴徳に二人目を産んだばかりの宇佐川の知人の菊池が、助けになってくれてやっと悪阻の期間を越えたのはつい先日。そんな松理が何と三浦和希と接近遭遇して、しかも話までしていたのを知った惣一は激怒してお説教を始めたわけなのだが。そんな愛妻は久保田惣一がいうのもなんだが、誰よりも破天荒きわまりない女なのだった。
「悪いの!君一人の体じゃないんだよ?!松理!」
「でも悪いことしてないもん。」
「あのね、三浦は殺人犯なんだよ?悪い人でしょ?!」
「でもなにもしないって言ったわよ?」
「言ったからって守るとは限らないだろ?!」
「それを言ったら惣一くんだって、約束してたのに最近裏家業してたでしょ?!」
ぐっ!それを今ここで言われるとと惣一の顔が歪む。というのも先日矢根尾俊一が駅前を彷徨いたのを知人からの連絡で聞いた惣一が、それを捕獲するのに手を貸したのは事実なのだった。何しろ矢根尾俊一が探し歩いている倉橋亜希子は背丈は随分と小柄だが、黒髪で華奢な女性。後ろ姿が我妻と実はよく似ているのを、惣一は以前から知っているのだ。倉橋がここいらにいないのは充分承知しているが、矢根尾はそれを知らないわけで、ここでもし妊娠中の我妻に矢根尾が接近したらと思うと気が気ではない。それを鈴徳や土志田に漏らしたのはここだけの話。
過保護だね、マスター
いや、妊婦なんだから当然だろ?
彼女が酷い目に遇わされている土志田の方は一も二もなく惣一に賛同してくれて、矢根尾俊一の捕獲に迷うことなくあのメンバーを召集したわけなのだが。それに絡んでもう一人のモンスターの三浦和希が出没したせいで、危なく大事な友人でもある宏太を怪我させられるところだったのも事実。それに関して激怒している松理に、痛烈な電気ショックというお仕置きをされたのだ。
「だけどね!君は大事な体なんだよ?!それなのに、三浦なんて危険な男とね?」
「だって、リエのこと聞きたいっていってきたんだもの。」
そうなのだ、ここでもやはり出てくるのは倉橋亜希子の話。旧姓多賀亜希子は過去にリエというハンドルネームで、松理とも惣一とも、外崎宏太とも交流があった。そして彼らは矢根尾俊一のことも知っていて、過去に何度か彼女を救うこともできた可能性が僅かだかあったのだ。惣一は兎も角あの外崎宏太ですら手を差しのべていたらと思うほど、その時実はここいら近郊で苦しみながら生きていた彼女の事を松理も知っていて、同じ女性である松理は彼女への共感が強い。
男に虐げられ、傷つけられ、自分のような人から外れた存在にまで堕ちてしまった倉橋が、やがて闇の世界にいた進藤隆平や三浦と関わることになったのは運命の悪戯の一言では語れないだろう。
「それに、あの子前のような化け物じゃないわよ?ちゃんと理解していたもの。」
三浦和希を倉橋のようにあの子と呼び何を話したか聞かせる松理に、惣一は思わず溜め息をついてしまう。いや、実際何よりも問題なのは松理がこういう不測の事態に慣れ親しみ過ぎていて、自身の危機管理への意識が弱いことなのだ。既に裏家業からは足を洗ってハッカーも辞めて我妻として表の暮らしだけになる筈なのに、松理ときたら生来の習性なのか体質なのか裏側の存在を受け入れる癖が抜けない。
…………だから、俺のことも平気なのは事実だけども。
マトモな人間とは違う自分のような異質の男に、何十年も付き合って何ともない松理は特殊な存在なのは承知している。だけど惣一だって普通に幸せになれるならそうしたいし、今こそ何とか松理との暮らしを普通の人間と同じにしようと必死なのだ。これで松理に何か起きたら、惣一は自分が何を仕出かすか想像もできないしする気もない。思わず頭を抱えてしまう惣一に、松理は少しだけ悪いことをしたと思った様子で上目遣いにこれからはちゃんと事前に相談するわと素直に呟く。
「約束してよ?松理、俺は松理だけが大事なんだからね。」
「あら、やだ、惣一くんたら。松理と我が子にしてくれる?」
仰る通りですと素直に折れるのは、彼女のいう通りだから。それを認めてほんの少しでも帯電しないように気を付けながら、惣一は宝物のようにそっと手を伸ばして松理を抱き締める。これが惣一の体質とはいえ松理にほんの少しでも怪我をさせるわけにもいかないし、血縁の薄い久保田惣一にとっては松理と腹の子供だけが唯一の身内でもあるのだ。それは外崎宏太が了を抱き締めるのにもにていて、惣一が宏太を気に入っていて弟のように感じている理由でもある。
宏太は俺に似ていて、人の感情を知らなかった…………。
自分が松理を得て知ったような感情を、唯一の番を見つけてやっと知り始めた宏太。それに同じように大事な存在を得て、家族を作ろうとしている同類達もこの街には山のようにいる。だからこの街にはそんな存在が惣一の知らぬ間に、こんなにも集まってきてしまうのかもしれない。
「あ。」
不意に腕の中の松理の上げた声に惣一が不思議そうに見下ろすと、松理はキラキラした瞳で惣一の腕の中から見上げてくる。何かしたの?と問いかける声に松理は興奮したように、惣一の手をとって腹に近づけていく。
「わわ!松理!待って!突然は!!」
「馬鹿ね!惣一くんたら!パパなんだから、大丈夫!さわって!ほら!!」
自分の帯電が大概手に集中しているのを知っているのに、松理が大興奮で手を引いて腹に当ててしまう。父親だから大丈夫何て松理は言うけれど、実際のところ自分との子供がどんな形で産まれてくるか自信がないのだ。
パチッ
そんな不安に飲まれているのなんかお構いなしに、触れた腹の中で何かが弾けるような感触がして惣一は目を丸くする。手に響く振動がそこにいる生命の存在を、こうして明らかにアピールしているのだ。
「ちゃーっす、ロキねぇさん、夕飯作りに来たよー。」
「フッタチ!!お腹の中動いた!!」
「まじっ!すげーっ!ねぇさん、はやくね!!?」
そこにタイミングよくなのか悪くなのか、その異質な存在の一人でもある鈴徳良二が呑気な声でおさんどんをしに現れて、松理の別名を呼びながら当然みたいに上がり込んでくる。フッタチは鈴徳の別名だし、自分にだって久保田惣一以外の名前が幾つかあるのだが、それは表立っては口にされない秘密。何しろこの街には自分を初めとして少し外れた人間が山のように暮らしていて、当然のように集団に紛れ込んで生きている。そしてそんな自分でもこうして妻と子を得て、家族を作ろうとしているのだ。
※※※
「梨央、大丈夫か?」
そう心配して問いかける夫の声に、ソファーの上で少し横になっていた鳥飼梨央は視線をあげて微笑む。お腹の中の双子はスクスクと成長して既に六ヶ月を越したところだが、何分高齢出産に双子のリスクは大きいのは看護師の梨央なら十分理解していること。普通なら帝王切開での出産で早期に出産してしまうところだろうが、二月頭まで上手く腹の中で育て上げたいのは梨央の希望だ。とは言え双子の育つ腹は流石に重くて、こうして何から何まで大事にしてくれている夫には感謝するしかない。独り暮らしが長いとは言え殆どの家事を一手に引き受けて、しかも仕事も手を抜かない上に家まで建てる算段中の我が夫には頭が下がる。
「大丈夫。信哉、仕事は?」
「今夜はまだ大丈夫だ、それよりお前の方が俺は心配なんだが。」
文筆業以外に密かに別な仕事を持っている我が夫。聞かされた話はにわかには信じがたいことばかりだが、包み隠さず全てを話して目の前で見せられた事実に案外素直に納得したのは梨央が梨央だからだ。そう信哉は穏やかな顔で言うし、同じような活動をしているという槙山忠志も目を丸くして普通なら信じないよなと笑った。
それでも、腹の子は奇跡みたいに順調なのは澪と仁のお陰かな……。
母である鳥飼澪も生前は信哉と同じ事をしていたのだと聞かされて素直に受け入れてしまった梨央を、信哉は命懸けで守るし大切にしますと面と向かって母親似なのに男前な顔で約束した。それに何よりもこの腹の中の子供の存在は、互いにとって大きくて。
子供の名前、仁と澪にするつもりだ、いいか?
そう既に名前どころか子供に合気道を教えたいと親バカを発揮し始めた信哉に、梨央は穏やかに笑うしかない。親友なのに助けることもできないまま先に逝ってしまった鳥飼澪の息子と、こうして今や梨央は一緒に暮らして家族になろうとしている。
喜一が聞いたら卒倒するな
そう幼友達でもある藤咲信夫と外崎宏太はいうけれど、こんな運命だったのだと梨央は元気に動く双子を育んでいる腹を撫でる。何しろ双子の名前はどうしてもそれがいいと信哉が願う理由も知っているし、梨央もそれでいいよと答えたから既に呼び掛ける言葉もその名前で。
「あー、仁が蹴る。信哉、少し落ち着けって言って。いたた。」
「痛むのか?大丈夫か?さすろうか?」
「んー、澪と喧嘩になる前に止めて、ほら早く。」
手をとってポコンポコンと腹壁を内部から押してくる元気な感触を信哉の手に押し当てると、信哉の顔にこそばゆいような幸せそうな微笑みが浮かび上がる。
「こら、仁。お母さんがいたいからそんなに蹴るな。」
触れながらかけられるその言葉に胎動は少し穏やかに変わり、父の手の下を微かにポコポコと振動が続く。何にでも興味を示しているみたいな振動が穏やかになって、おかしなくらい信哉の言うことを聞いている胎児達に梨央はクスクスと笑う。
「なんだ?梨央、何かおかしいか?」
「いや、まだ二人とも腹の中なのに、信哉は凄くいいお父さんだな。」
「茶化すなよ……。」
恥ずかしそうに頬を染める信哉に手を伸ばして引き寄せて口付けると、腹の中で片割れもポコポコと動く。両親がこうして仲良くしているのに双子が喜んでいるみたいに胎動が響くのに、信哉は幸せそうに微笑みながら梨央に改めて口付ける。
「ありがとう、梨央。」
「うん、わかってるから礼を言うくらいならドンと長生きしろ?分かってんな?先に死んだら許さねぇぞ?あたしの方が先に逝くんだからな?」
男勝りの梨央の口調に思わず苦笑いしながら信哉は、双子分の体重も込みだというのに梨央を軽々と抱き上げて宝物のようにソッと抱き締める。梨央の方が十八際も年上で、実際には世の中の常識なら信哉の方が長生きするのが当然。なのに自分が短命で死ぬ可能性があるなんて事前に信哉自身からも聞いているが梨央はそれを認めるつもりはないし、子供も双子二人で終わらせる気もないからなと耳元に甘く囁く。
「は?お前腹に双子入れてて、次の子供の話かよ?」
「当たり前だ、あたしゃ五十までは出来たら産むからな?頑張れよ?お父さん。」
「本気か?」
「冗談でこんなこというかよ、仁と澪に弟とか妹がほしくないのか?」
そんなことを抱きかかえられたままに艶然と微笑みながらいう梨央に、敵わないなと信哉は心底満ち足りた笑顔を浮かべて笑うのだった。
※※※
街の中にはその存在か幾つもあって、でも普段はそれほどの問題も起こさずに穏やかに過ごしている。それがここで生きていくためのルールだし、目立つ行動がいいわけでもないのは分かりきっているからだ。それでも生きていくために必要な芯はそれぞれにあって、それを守るために時には牙を剥くこともある。
「あの、すみません。私……人を探していて…………。」
そう問いかけてきた黒髪の女性の赤い縁の眼鏡越しの瞳に、声をかけられた男は吸い寄せられるように捕らえられていた。妖艶で純粋そうな大きな瞳が誘いかけるように真っ直ぐに見つめていて、体内で何か欲望が渦を巻き蛇のように腹の底を這い回る感覚。それに飲まれそうになりながら、それがなんなのか怯えもする。
「あの…………。聞いても………………いい?」
そっと囁きかけ脳髄を犯すような彼女の声に、目の前の男は一瞬で意識を飲まれ始めていた。
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