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間章 アンノウン
間話20.狂気の欠片
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結局その夜、夜半過ぎに雨が降り始めた。雨足はいつまでも音をたてて続き、秋の雨は地表を濡らしただけでなく夏の熱を散らして白く煙らせていく。結果的に四人係で矢根尾俊一は竹林で取り押さえられて矢根尾は今度は都立総合病院ではなく、西側に向かある警察病院に搬送されていくことになった。
そして矢根尾が必死に掘り返していた場所からは、何故かその場所にはそぐわない熊の縫いぐるみが掘り起こされてしまったのだ。よくある有名なフィギアスケート選手がティッシュケースにしている黄色の愛嬌のある熊のキャラクター、しかも土から掘り起こされたのはもう何年も前にゲームセンター等で景品として大量生産された別に特別でもない物だった。何故ここに深々とこれが埋めてあるのかは誰にも分からないし、過去に矢根尾がそれを埋めたのかどうかも、これを知っていて掘り起こしたのどうかも結局は分からない。
…………でも見せると、完全なパニックになる
それは後日風間が密かに宏太と惣一に教えてくれたのだが、矢根尾にその縫いぐるみを見せられると何故かパニックになり金切り声あげて部屋中を逃げ回るのだという。なんの変哲もないゲームの景品にすぎない熊の縫いぐるみ。それが矢根尾のパニックスイッチになっている。何故なのかも分からないし、同じキャラクターでも他の縫いぐるみには反応しない。しかも掘り出された薄汚れたそれには絶叫して逃げ出すのに、同じ型の同じ製品でも反応しないのだ。つまりあの竹林に埋められていた一個だけが特別な恐怖スイッチのようだという。
それに関しては実は八幡万智の夫の塾で働く過去の矢根尾の友人の一人で小早川圭という人物が、偶々八幡経由ではあるが誰とは言わない友人の熊の縫いぐるみの話をしていたというのだった。
俺の昔の友人には、可愛くて優しくて一生懸命尽くしてくれた看護師の奥さんがいたんだ。でも俺の友人の方は本当に屑でロクデナシでさ。仕事は辞めてヒモになった上に、奥さんには散々暴力振るっててさ。しかも奥さんの金で遊び回って、浮気もしてて…………。
その小早川圭という青年は、過去矢根尾俊一と一緒の大学に在学していて、しかも一緒に塾の講師としてアルバイトをしていた。そしてそのまま彼は八幡の部下として働き続け今は地区の責任者である八幡の直属の部下として別な駅前の塾の室長をしているというが、ほぼ同時期に矢根尾俊一も彼と一緒に塾の社員として就職していたのだ。矢根尾はその後暫くして多賀亜希子を嫁にしたが、仕事を何年かで一人辞めてその後数年間な無職のままで過ごしている。その間家計を支えたのは妻である亜希子一人で、やがて亜希子は心労から心療内科にかかるようになったのだ。
酷いヤツだったんだ。本当はさ、奥さんを助けてやりたかったけど、あの人は一人で堪えてて健気な人だったんだよ…………それでさ、別れたんだけど多分死んじゃったんだとずっと思ってたんだ。だってさ、一人になった途端、そのロクデナシの友人がおかしくなりはじめてさ…………。
矢根尾とは亜希子と離婚して早々に連絡を経ったのに、それでも時々メールが来て、それを着信拒否にしたらある時実家に手紙が届いたのだという。消印も切手も張られていなかったが、矢根尾は小早川の実家の直ぐ傍のアパートに住んでいたことがあるから直接投函したに違いない。その手紙には闇の中で何かの哭き声がするって言うのと、暗闇の中に亜希子にプレゼントしてやった縫いぐるみが勝手に動くなんて妄想めいた内容が延々と書き記されていて。
小早川は読む内に、気持ち悪くなって手紙は捨てたのだという。その縫いぐるみこそが、件の黄色の熊の縫いぐるみ。それが妻が東北に帰ってしまってから、再三勝手に家の中を動き回ると言っていたと言うのだった。
縫いぐるみって可愛いもんだろ?でも、暮明ですりガラス越しにそれがズリズリ動いてるのが見えたとかさ…………確かにちょっと不気味だよな、そんな話を再三するようになってさ。そしたら最近になって、その元奥さんを殺したってさ…………
生きていた妻は何故か再びこの街で暮らしていて、何故か矢根尾に殺されたのだとニュースになった。小早川は正直に彼女が戻ってきた理由は分からないが、もしかしたら彼女の方がPTSDとかで苦しんでいて矢根尾に仕返ししようと戻ってきたのではないかと思ったという。
殴られて青アザ作ってたり……あの頃のあの人は本当に可哀想で、なんであの時助けなかったのかって今でも後悔するよ…………。泣いてたのに話を聞いてあげて、助けてれば……さ。子供好きな人だったのに、子供も下ろさせたりしてて…………あぁこれは後から屑がバラした話でさ…………。
DVの被害者であった彼女が、結局はまたも矢根尾の暴力に曝されて。この話題は結局矢根尾が殺人犯として逮捕された時に、八幡と小早川が酒の肴に何気ない思い出話としてしていたのだというのだ。勿論会話には名前は出していないが、二人の関係性から矢根尾の話だというのは言うまでもない。
アイツが最低の変人だったのは元々だけどな…………あの奥さんは可哀想だった…………
二人の共通見解は矢根尾は何時かはこんなことを引き起こす可能性が高い潜在的な精神障害を有していたが、それに巻き込まれた多賀亜希子は可哀想だったという意見で一致していた。何しろ過去には矢根尾と付き合う彼女が端から矢根尾に暴力を振るわれたと、矢根尾の友人である小早川に相談していたのだという。つまり矢根尾は常習的にずっと暴力的人間で、そう言われると多賀亜希子が『リエ』と名乗りネット上でフィという男に従って狂い落ちていったのを外崎宏太も久保田惣一も松理も可哀想な女性だと思ってもいる。
運が悪い女なんだな、悉く…………リエは……。
そして多賀亜希子は最後に倉橋の一族の確執にも巻き込まれて倉橋の息子の嫁になり、進藤隆平と出逢い、最後には三浦和希と深く関わる人間になってしまったのだった。
※※※
ガチンッと峰を振り抜かれ三浦の体が仰け反って、思わず数メートルたたらを踏む。太刀を振り抜かれて遂に口が裂けたかと思いきや、口の中を僅かに傷つけはしたようだが三浦は平然と視線を戻して宏太を見据えた。
「何が…………望み、なんだ?ん?」
その口調にどことなく聞き覚えがあるのを感じながらも、それがどこで何時のことなのかは三浦には全く思い出せないでいる。この確かな太刀捌きは少なくとも初心者のものではないし、有りがちな剣道とは違って実戦的過ぎて避けるにも難しくて三浦もほんの少しだけ苛立つ。相手にするにはかなり面倒だが、こんな人間がゴロゴロしてる街は奇妙で、自分みたいな存在が居てもおかしくないと思ってしまうのだ。それにしても望みとは……と思う。望みを言ったら叶えてくれるとでも?
「亜希子に会いたい……だけ、亜希子は俺の、大事な……。」
太刀に弾き飛ばされた三浦が口元を手で拭いながら血を吐き呟いたのに、肩で息をする宏太は驚きを隠せないでいた。死ぬ前に進藤が言ったのは三浦和希は真名かおるを探し続けているという話だったのに、三浦は真名かおるの名前に反応はしたのに、それでも今は倉橋亜希子を探していると言うのだ。
「真名かおるは……?」
またその名前。三浦は確かにその名前には胸にざわめきを感じるのだけれど、それで呼び起こされる顔は自分には浮かばないと答えたら、この太刀を構えた相手はどう思うのだろうか。だが、同時にいっても何も変わらないとも思えてしまうのは、恐らく以前の自分が少なくとも真名かおるを探していた時期があったのだろうと思うからだ。でも、今は三浦の中にその人物はいなくて、今必要なのは亜希子だった。
怪我しないで帰ってきたと報告しないと亜希子が悲しむ。
亜希子は唯一三浦和希を一人の人間として心配してくれる相手で、金髪に染めた頭がおかしいとか、本当に普通の人間みたいに接してくれる。それにご飯を食べさせたり、悪いことをしたらダメとか、そんな当然のことをお説教もするから、怪我をして帰ったら怒られてしまう。まぁ、この相手にそんな内心の言葉を教えるつもりもないが。
「…………それより、亜希子が大事…………あんた、達も大事な奴がいんだろ?」
三浦の想定外の言葉に、宏太は返す言葉を失う。三浦の言う通り宏太にも了がいるし、やっとのことでイヤーホンの衝撃から立ち直りイヤーホンをかなぐり捨てて間に立った信哉にも梨央がいる。それと同じように三浦にも大事な存在がいて、それが倉橋亜希子だと彼は言いたいのだ。だが三浦が放浪する目的は真名かおるを探し出して、真名かおるに自分を殺して貰うことだった筈だと。
でも、なんだ?以前の三浦と…………
確かに歩く足音や身のこなしは進藤が教え込んだだけあって進藤と同じ三浦和希なのに、こうして話し始めると今までとまるで印象が違う。そんな矢先ポツリとその時雨粒が地面に落ちて足元に水蒸気を立ち上らせ始めたのに、宏太も信哉も言葉を失って立ち尽くしたまま。
「……探すの…………邪魔しなきゃ、なにもしない…………。」
その呟きは雨の音に紛れてしまいそうな程に弱いが、ハッキリしていて。
「じゃなんでここらを徘徊してるんだ。」
「ここらじゃないと、亜希子にあえない。」
三浦和希の発言は矛盾していると言いたいが、ある意味では筋が通ってもいた。
多賀亜希子は東北の生まれたが矢根尾と関わってからの多くはここ近郊に出没しているし、実際に何ヵ月前迄はここいらで暮らしてもいる。ただし矢根尾が殺人容疑で逮捕されてからは行方が掴めず、二ヶ月も経ち関係者の多くは矢根尾が殺して埋めたのだと考えているのだ。それをアンダーグラウンドで活動していたせいなのか三浦は知らないでいる様子。もしくはニュース自体を信じていないのかも知れない。
そして三浦の方も捜索して三浦を邪魔したり三浦を性的な行為の相手にした人間を排除する行動にでてはいるのだが、進藤が死んで呪縛から溶けた後は表だった事件は起こしていないとも言う。最後に街中で襲いかかった宇野智雪は重傷ではあったが生き残り、それ以降は性的な暴行犯とおぼしき男の遺体が見つかったことはあるが三浦の犯行だと認定されていないのだ。
それでここいらを徘徊している理由が倉橋亜希子なら、同じ倉橋亜希子を探しているだろう矢根尾俊一と行動が似てもおかしくはない。何しろ倉橋亜希子の活動域はそれほど大きくないし、記録に残る倉橋と最後にあった人間は矢根尾なのだ。
思わず視線を足元に落とした信哉の中には、正直にいえば表沙汰にならない真実も含まれていた。
三浦は覚えていないかもしれないが、倉橋亜希子の最後に三浦自身も関わった。
ただし倉橋亜希子の遺体はどこにも残されていないし、正直にいえばここに何故三浦が戻ってこれたのかも疑問なのだ。何しろ三浦も戻ってこれない筈だったが奇妙なことに三浦はここに確かにいて、信哉の想定が正しければ三浦が倉橋に会いたいと願う理由も理解できなくはない。
少なくとも以前の三浦と今の三浦は別人なんだろう…………
三浦なのに三浦ではない。とはいえ自由にさせておくには危険な存在。それに信哉が視線を向けた瞬間、勢いを増した白い靄に紛れて三浦が一瞬で闇に溶け込んだのに気がつく。
「三浦!」
咄嗟に信哉は三浦を追いかけようとしたが背後でガクンと宏太の膝が折れたのに気がついて振り返り、限界に意識を失った宏太に手を伸ばしていた。久々に全力で体を動かした上に相手が三浦というモンスターでは宏太の方がもう限界で、その場で倒れた宏太を信哉が介抱している最中に三浦和希の方はまんまと逃走してしまったのだった。それでも何とか矢根尾俊一の方は確保したわけで、病院から逃走の問題は看護師の問題もあるが一先ず事件としては終演を迎えそうだ。
※※※
視界の先でフワフワとした足取りで歩いていたのは言うまでもなく三浦和希で、その金髪の髪の毛に見覚えがあったのは《random face》で一時期そんな頭で居たのを見たことがあるからだった。宏太を今の体に変えてしまった三浦に怨みがないわけではないが、同時に宏太が三浦にしたことも現実にはかなり酷い事なのだ。それでも今もこんな風にフワフワと街中を徘徊している殺人鬼に、周囲の誰も気がつかないのには驚いてしまう。
この道…………店に向かってるのか?
記憶はないと聞いていたが、道のりはどう考えても《random face》に向かっている気がした。だが既に店は存在していないのを結城晴と出くわした三浦は知っている筈だが、もしかするとそれすら記憶にないかもしれない。流石にこれ以上店に近付くと人気はかなりなくなるから危険性も高いと踏んで、連絡をしようとした了はふっと自分の手元に影が射したのに気がつく。
………………え?
振り返った瞬間、目の前にどす黒い闇の底のような暗い目をした男が腐敗臭を漂わせて立ち尽くしていて、了は思わず凍りつき息をつめていた。街中で見覚えのある三浦の背中に気がついて追いかけていたが、全く違う方の男に背後から迫られていたのには気がつかなかったのだ。男の目が自分の目の中を覗き込むようにして、何故か奥歯を噛みながら歯を剥き出してまるで何かのアニメのキャラクターのように笑うのに全身から血の気がひく。
「…………おまえ、知ってるぞ…………。」
何をと問い返そうにも、青ざめ血の気のない頭では言葉が出ない。そして男が口にしたのは…………
そして矢根尾が必死に掘り返していた場所からは、何故かその場所にはそぐわない熊の縫いぐるみが掘り起こされてしまったのだ。よくある有名なフィギアスケート選手がティッシュケースにしている黄色の愛嬌のある熊のキャラクター、しかも土から掘り起こされたのはもう何年も前にゲームセンター等で景品として大量生産された別に特別でもない物だった。何故ここに深々とこれが埋めてあるのかは誰にも分からないし、過去に矢根尾がそれを埋めたのかどうかも、これを知っていて掘り起こしたのどうかも結局は分からない。
…………でも見せると、完全なパニックになる
それは後日風間が密かに宏太と惣一に教えてくれたのだが、矢根尾にその縫いぐるみを見せられると何故かパニックになり金切り声あげて部屋中を逃げ回るのだという。なんの変哲もないゲームの景品にすぎない熊の縫いぐるみ。それが矢根尾のパニックスイッチになっている。何故なのかも分からないし、同じキャラクターでも他の縫いぐるみには反応しない。しかも掘り出された薄汚れたそれには絶叫して逃げ出すのに、同じ型の同じ製品でも反応しないのだ。つまりあの竹林に埋められていた一個だけが特別な恐怖スイッチのようだという。
それに関しては実は八幡万智の夫の塾で働く過去の矢根尾の友人の一人で小早川圭という人物が、偶々八幡経由ではあるが誰とは言わない友人の熊の縫いぐるみの話をしていたというのだった。
俺の昔の友人には、可愛くて優しくて一生懸命尽くしてくれた看護師の奥さんがいたんだ。でも俺の友人の方は本当に屑でロクデナシでさ。仕事は辞めてヒモになった上に、奥さんには散々暴力振るっててさ。しかも奥さんの金で遊び回って、浮気もしてて…………。
その小早川圭という青年は、過去矢根尾俊一と一緒の大学に在学していて、しかも一緒に塾の講師としてアルバイトをしていた。そしてそのまま彼は八幡の部下として働き続け今は地区の責任者である八幡の直属の部下として別な駅前の塾の室長をしているというが、ほぼ同時期に矢根尾俊一も彼と一緒に塾の社員として就職していたのだ。矢根尾はその後暫くして多賀亜希子を嫁にしたが、仕事を何年かで一人辞めてその後数年間な無職のままで過ごしている。その間家計を支えたのは妻である亜希子一人で、やがて亜希子は心労から心療内科にかかるようになったのだ。
酷いヤツだったんだ。本当はさ、奥さんを助けてやりたかったけど、あの人は一人で堪えてて健気な人だったんだよ…………それでさ、別れたんだけど多分死んじゃったんだとずっと思ってたんだ。だってさ、一人になった途端、そのロクデナシの友人がおかしくなりはじめてさ…………。
矢根尾とは亜希子と離婚して早々に連絡を経ったのに、それでも時々メールが来て、それを着信拒否にしたらある時実家に手紙が届いたのだという。消印も切手も張られていなかったが、矢根尾は小早川の実家の直ぐ傍のアパートに住んでいたことがあるから直接投函したに違いない。その手紙には闇の中で何かの哭き声がするって言うのと、暗闇の中に亜希子にプレゼントしてやった縫いぐるみが勝手に動くなんて妄想めいた内容が延々と書き記されていて。
小早川は読む内に、気持ち悪くなって手紙は捨てたのだという。その縫いぐるみこそが、件の黄色の熊の縫いぐるみ。それが妻が東北に帰ってしまってから、再三勝手に家の中を動き回ると言っていたと言うのだった。
縫いぐるみって可愛いもんだろ?でも、暮明ですりガラス越しにそれがズリズリ動いてるのが見えたとかさ…………確かにちょっと不気味だよな、そんな話を再三するようになってさ。そしたら最近になって、その元奥さんを殺したってさ…………
生きていた妻は何故か再びこの街で暮らしていて、何故か矢根尾に殺されたのだとニュースになった。小早川は正直に彼女が戻ってきた理由は分からないが、もしかしたら彼女の方がPTSDとかで苦しんでいて矢根尾に仕返ししようと戻ってきたのではないかと思ったという。
殴られて青アザ作ってたり……あの頃のあの人は本当に可哀想で、なんであの時助けなかったのかって今でも後悔するよ…………。泣いてたのに話を聞いてあげて、助けてれば……さ。子供好きな人だったのに、子供も下ろさせたりしてて…………あぁこれは後から屑がバラした話でさ…………。
DVの被害者であった彼女が、結局はまたも矢根尾の暴力に曝されて。この話題は結局矢根尾が殺人犯として逮捕された時に、八幡と小早川が酒の肴に何気ない思い出話としてしていたのだというのだ。勿論会話には名前は出していないが、二人の関係性から矢根尾の話だというのは言うまでもない。
アイツが最低の変人だったのは元々だけどな…………あの奥さんは可哀想だった…………
二人の共通見解は矢根尾は何時かはこんなことを引き起こす可能性が高い潜在的な精神障害を有していたが、それに巻き込まれた多賀亜希子は可哀想だったという意見で一致していた。何しろ過去には矢根尾と付き合う彼女が端から矢根尾に暴力を振るわれたと、矢根尾の友人である小早川に相談していたのだという。つまり矢根尾は常習的にずっと暴力的人間で、そう言われると多賀亜希子が『リエ』と名乗りネット上でフィという男に従って狂い落ちていったのを外崎宏太も久保田惣一も松理も可哀想な女性だと思ってもいる。
運が悪い女なんだな、悉く…………リエは……。
そして多賀亜希子は最後に倉橋の一族の確執にも巻き込まれて倉橋の息子の嫁になり、進藤隆平と出逢い、最後には三浦和希と深く関わる人間になってしまったのだった。
※※※
ガチンッと峰を振り抜かれ三浦の体が仰け反って、思わず数メートルたたらを踏む。太刀を振り抜かれて遂に口が裂けたかと思いきや、口の中を僅かに傷つけはしたようだが三浦は平然と視線を戻して宏太を見据えた。
「何が…………望み、なんだ?ん?」
その口調にどことなく聞き覚えがあるのを感じながらも、それがどこで何時のことなのかは三浦には全く思い出せないでいる。この確かな太刀捌きは少なくとも初心者のものではないし、有りがちな剣道とは違って実戦的過ぎて避けるにも難しくて三浦もほんの少しだけ苛立つ。相手にするにはかなり面倒だが、こんな人間がゴロゴロしてる街は奇妙で、自分みたいな存在が居てもおかしくないと思ってしまうのだ。それにしても望みとは……と思う。望みを言ったら叶えてくれるとでも?
「亜希子に会いたい……だけ、亜希子は俺の、大事な……。」
太刀に弾き飛ばされた三浦が口元を手で拭いながら血を吐き呟いたのに、肩で息をする宏太は驚きを隠せないでいた。死ぬ前に進藤が言ったのは三浦和希は真名かおるを探し続けているという話だったのに、三浦は真名かおるの名前に反応はしたのに、それでも今は倉橋亜希子を探していると言うのだ。
「真名かおるは……?」
またその名前。三浦は確かにその名前には胸にざわめきを感じるのだけれど、それで呼び起こされる顔は自分には浮かばないと答えたら、この太刀を構えた相手はどう思うのだろうか。だが、同時にいっても何も変わらないとも思えてしまうのは、恐らく以前の自分が少なくとも真名かおるを探していた時期があったのだろうと思うからだ。でも、今は三浦の中にその人物はいなくて、今必要なのは亜希子だった。
怪我しないで帰ってきたと報告しないと亜希子が悲しむ。
亜希子は唯一三浦和希を一人の人間として心配してくれる相手で、金髪に染めた頭がおかしいとか、本当に普通の人間みたいに接してくれる。それにご飯を食べさせたり、悪いことをしたらダメとか、そんな当然のことをお説教もするから、怪我をして帰ったら怒られてしまう。まぁ、この相手にそんな内心の言葉を教えるつもりもないが。
「…………それより、亜希子が大事…………あんた、達も大事な奴がいんだろ?」
三浦の想定外の言葉に、宏太は返す言葉を失う。三浦の言う通り宏太にも了がいるし、やっとのことでイヤーホンの衝撃から立ち直りイヤーホンをかなぐり捨てて間に立った信哉にも梨央がいる。それと同じように三浦にも大事な存在がいて、それが倉橋亜希子だと彼は言いたいのだ。だが三浦が放浪する目的は真名かおるを探し出して、真名かおるに自分を殺して貰うことだった筈だと。
でも、なんだ?以前の三浦と…………
確かに歩く足音や身のこなしは進藤が教え込んだだけあって進藤と同じ三浦和希なのに、こうして話し始めると今までとまるで印象が違う。そんな矢先ポツリとその時雨粒が地面に落ちて足元に水蒸気を立ち上らせ始めたのに、宏太も信哉も言葉を失って立ち尽くしたまま。
「……探すの…………邪魔しなきゃ、なにもしない…………。」
その呟きは雨の音に紛れてしまいそうな程に弱いが、ハッキリしていて。
「じゃなんでここらを徘徊してるんだ。」
「ここらじゃないと、亜希子にあえない。」
三浦和希の発言は矛盾していると言いたいが、ある意味では筋が通ってもいた。
多賀亜希子は東北の生まれたが矢根尾と関わってからの多くはここ近郊に出没しているし、実際に何ヵ月前迄はここいらで暮らしてもいる。ただし矢根尾が殺人容疑で逮捕されてからは行方が掴めず、二ヶ月も経ち関係者の多くは矢根尾が殺して埋めたのだと考えているのだ。それをアンダーグラウンドで活動していたせいなのか三浦は知らないでいる様子。もしくはニュース自体を信じていないのかも知れない。
そして三浦の方も捜索して三浦を邪魔したり三浦を性的な行為の相手にした人間を排除する行動にでてはいるのだが、進藤が死んで呪縛から溶けた後は表だった事件は起こしていないとも言う。最後に街中で襲いかかった宇野智雪は重傷ではあったが生き残り、それ以降は性的な暴行犯とおぼしき男の遺体が見つかったことはあるが三浦の犯行だと認定されていないのだ。
それでここいらを徘徊している理由が倉橋亜希子なら、同じ倉橋亜希子を探しているだろう矢根尾俊一と行動が似てもおかしくはない。何しろ倉橋亜希子の活動域はそれほど大きくないし、記録に残る倉橋と最後にあった人間は矢根尾なのだ。
思わず視線を足元に落とした信哉の中には、正直にいえば表沙汰にならない真実も含まれていた。
三浦は覚えていないかもしれないが、倉橋亜希子の最後に三浦自身も関わった。
ただし倉橋亜希子の遺体はどこにも残されていないし、正直にいえばここに何故三浦が戻ってこれたのかも疑問なのだ。何しろ三浦も戻ってこれない筈だったが奇妙なことに三浦はここに確かにいて、信哉の想定が正しければ三浦が倉橋に会いたいと願う理由も理解できなくはない。
少なくとも以前の三浦と今の三浦は別人なんだろう…………
三浦なのに三浦ではない。とはいえ自由にさせておくには危険な存在。それに信哉が視線を向けた瞬間、勢いを増した白い靄に紛れて三浦が一瞬で闇に溶け込んだのに気がつく。
「三浦!」
咄嗟に信哉は三浦を追いかけようとしたが背後でガクンと宏太の膝が折れたのに気がついて振り返り、限界に意識を失った宏太に手を伸ばしていた。久々に全力で体を動かした上に相手が三浦というモンスターでは宏太の方がもう限界で、その場で倒れた宏太を信哉が介抱している最中に三浦和希の方はまんまと逃走してしまったのだった。それでも何とか矢根尾俊一の方は確保したわけで、病院から逃走の問題は看護師の問題もあるが一先ず事件としては終演を迎えそうだ。
※※※
視界の先でフワフワとした足取りで歩いていたのは言うまでもなく三浦和希で、その金髪の髪の毛に見覚えがあったのは《random face》で一時期そんな頭で居たのを見たことがあるからだった。宏太を今の体に変えてしまった三浦に怨みがないわけではないが、同時に宏太が三浦にしたことも現実にはかなり酷い事なのだ。それでも今もこんな風にフワフワと街中を徘徊している殺人鬼に、周囲の誰も気がつかないのには驚いてしまう。
この道…………店に向かってるのか?
記憶はないと聞いていたが、道のりはどう考えても《random face》に向かっている気がした。だが既に店は存在していないのを結城晴と出くわした三浦は知っている筈だが、もしかするとそれすら記憶にないかもしれない。流石にこれ以上店に近付くと人気はかなりなくなるから危険性も高いと踏んで、連絡をしようとした了はふっと自分の手元に影が射したのに気がつく。
………………え?
振り返った瞬間、目の前にどす黒い闇の底のような暗い目をした男が腐敗臭を漂わせて立ち尽くしていて、了は思わず凍りつき息をつめていた。街中で見覚えのある三浦の背中に気がついて追いかけていたが、全く違う方の男に背後から迫られていたのには気がつかなかったのだ。男の目が自分の目の中を覗き込むようにして、何故か奥歯を噛みながら歯を剥き出してまるで何かのアニメのキャラクターのように笑うのに全身から血の気がひく。
「…………おまえ、知ってるぞ…………。」
何をと問い返そうにも、青ざめ血の気のない頭では言葉が出ない。そして男が口にしたのは…………
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