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間章 アンノウン
間話4.空気が変わる
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空気が変わる。
それがよろめくように歩くのに合わせて、その周囲の空気が如実に変わっていく。まるでその者の周囲だけが温度を変えて、ヒンヤリと冷たく凍りついていくように。そして、その者の周囲だけが、音もなく異世界に塗り替えられていくように。それに周囲が気がつき眉を潜めてヒソヒソと噂話を始め、その者を肩越しに眺めてから胡散臭そうに顔を背けている。
「…………ぅだ、…………。」
それは何かを発していた。だが実はまだ自分に、何が起きたのかも分からないままなのだ。そしてあてもなく一人で、ウロウロと街並みの中を留まることもせずに、さ迷い歩いている。
自分が何者なのかも、何故ここにいるかも分からずに。
ブツブツと一人で何かを呟きながら歩く姿に、周囲にいる人間はうすら寒いものを感じてソッと傍を離れて遠巻きにその者を胡散臭そうに眺めているのだった。時にその者が一人で呟く声が、意図せず空気に紛れて耳に届くことがある。
「そうだ…………、…………だ、そうなんだ…………。」
それはまるで誰かと会話を交わしているように、抑揚をつけて一部だけが漏れ聞こえてくるのだ。その奇妙な状況に街の中は人に溢れている筈なのだが、その人物の半径数メートルはまるで空白の虚無の空間になり変わっている。そんな風に一人で呟きながらフラフラと歩き続ける姿は人に不安感を与えるものなので、誰一人としてその人物に何かあったのかとも困っているのかとも声をかけようとはしていないのだった。だがその現実にすらその者は気がつくこともなく、一人延々と何事かを呟きながら歩き続けていく。
「そう………………、そうだ、うん…………。」
そうしてやがてその者は誰に声をかけられることもなく、ヨロヨロと街角を曲がり歩き続けていく。やがて人混みの向こうに紛れ、いつの間にか人混みからも姿を消してしまったのだった。
※※※
戸惑うのは当然なのか、何を今さらと言うべきなのか。
その答えは宏太には想像もつかなくて、何を言いたいかは分かっていてもどう行動すべきか一瞬思考が鈍る。それでも相手が自分の事を戸惑いの瞳で見上げているのは肌で感じていたし、躊躇いがちに自分に向かって口を開くのもわかってしまう。
「あの…………他に……。」
そう戸惑いながら口にした了に、思わず溜め息混じりに宏太はベットの端に腰かけたままソッと手を伸ばす。その頬に触れれば怯えたように戦く了の様子は予期していても、実際に触れてそれを感じると宏太自身大きく心が軋むのが分かる。そんなに触れられるのに戸惑うのは、この醜い傷痕のせいなのか、それとも男同士の恋慕に不快感を感じるからなのか。一体何処までの記憶を失って自分の顔を見上げているのか、少なくとも宏太と了は十年近い関係性なのにと苦い思いで考える。
「…………えと、あの…………。」
宏太の指に頬を滑るように撫でられ、更に戸惑いを深めて了が身を縮こまらせた。
言うまでもなくここは二人の主寝室で、普段は二人が当然のように縺れ合うようにして共に眠るベットの上に了は押し込まれていて。今の了はここにベットが一つしかないことに戸惑うのだし、宏太がそれをどうにかしようにも方法はそれほど多くはない。以前の了なら他にはベットがないからここで寝ろと言えば一緒に寝る位平気でも、今の了にはそれは通用しないのだろうと宏太は顔をあげて見えない視線を向ける。
「気にせず、ここで寝ろ。」
その言葉に素直にうんと答えられないのは、その続きに宏太がどこで寝るかということが気にかかるのだ。お前は触れられるのにすら怯えるのに、どうして俺が一緒に寝れると思う?と問いかけてみたくなるが、普段の了が困った顔で自分を見ている気がして宏太は苦い後悔の味が口の中に広がるのを感じてしまう。今までしてきたように自分を基準に考えても、今は決して正しい答えにならない事が分かっていて、しかもそんなことが余りにも多すぎる。
「で、でも。」
「…………俺は別なところで休む。だから気にせずここを使え。」
そう告げる言葉にふっと無意識に安堵の吐息を溢されて、やはり自分と一緒に寝るのに不安だったのだと宏太は気が重くなってしまう。宏太がその気なら無理矢理組み敷き犯すくらい、息をするのと同じくらいわけないことの筈なのに。
…………最初にしたように、躾直して、快楽で溺れさせるくらい簡単だ
記憶がなくとも、了の体は自分が与えるものを忘れきっているとは思えない。それに宏太は了の何処が快楽に繋がっているかも、隅々まで知り尽くしてもいるのだ。そこを丁寧に一ヶ所ずつ責め立ててやれば、数分もせずにあっという間に了を泣かせる事が出来るのは分かっている。それに拘束の道具だってまだあるし、それを使いこなすなんて空気を吸うみたいに容易い。そう考える過去の自分を皮肉に感じながら、同時にそんなことはもう二度とできない自分と了の関係を考えてしまう。
…………了を傷つけて泣かれたくはないし、何よりも傷つけて嫌われるのが嫌だ。
結局編み出された宏太の中の結論はそればかりで、何よりも優先したいのは了の気持ちに塗り変わってしまった。だから不安げに自分を見つめる視線を感じながら、無理を通すわけでもなく宏太は言葉少なに了の頬を軽く撫でて素直に立ち上がる。もしかしたら引き留めてくれたらと心の底では考えながらドアに手をかけて滑るように廊下に出るが、躊躇いがちな深い吐息を溢すのが聞こえるだけで結局は引き留める言葉もないのだ。
了だけど、了じゃない…………。
触れる肌も体温も了の筈なのに、今の了はまるで別人のように感じてしまう。そんなことが現実に起こることになるなんて思っても見なかった自分に気がついてしまいながら、宏太は迷うことなく階下の仕事部屋に足を向ける。別な場所で休むなんて建前に過ぎなくて、ゲストルームだろうと何処だろうと宏太も一人で眠れるなんて思ってもいない。
早く原因を突き止める……そして元に、戻す…………
望ましい状況に戻さないことには、まるで未知の相手のような了と一緒にいるのすら辛くなりそうな気がしてしまうのが本当は一番怖いのだ。元通りの了が取り戻せなかったとしたら、自分はその時何を選択して何を考えるのか。それを思うと宏太は酷く不安でしかたがなかった。
カチカチと機器を操作して、同時にパソコンを起動しながら音声認識で確認作業を始める。電話で日中依頼しておいたから惣一は早々に活動してくれたらしく、幾つか報告が来ていてそれを一つずつ確かめていく。自宅の周辺にはそれほど外部を撮す監視カメラは少ないが、それでも了の行動域は理解しているしその時の足取りを掴むのも案外容易い。何しろ了が見つかった《random face》が最終地点なのだから、あの店舗周辺の監視カメラや防犯設備は宏太も惣一も嫌というほどに知り尽くしているのだ。
※※※
記憶が曖昧な上に自分が養子縁組をしたということは、恐らく成田の家とは自分は絶縁したのかもしれないと気がついてもいた。入院中に秘かに成田に電話を掛けてみたが、記憶にある電話番号は何一つ繋がらなかったのは了も確認済みだ。自宅のみならず、個人用携帯も何もかもが現在使われておりませんのアナウンスに繋がるのに、了は何故か納得すらしながら受話器を置く。
…………血が繋がっていても、元々親子ですらなかったしな…………。
可能な限りで調べてみたが、政界から父親は姿を消して、何と驚いたことに拘置所いりしていた。方や母親の方は自宅にもいないし、現在は何処にいるかまるで調べようもないときている。自分が小学生になる前の幼い頃から既に夫婦として成立してもいなかったから現状は当然のような気もするが、こんな状況の自分が頼れないのは内心心細いものだった。そして反するように自分を守るように、常に傍に寄り添う外崎の様子。丁寧に優しく、了が何一つ不安にならないようにと配慮してくれる外崎は、噛んで含めるように了の周囲が今どんな環境にあるのかを教えてくれる。
外崎と養子縁組をして、二人でこの大きな家に暮らしていると言うこと。仕事は自営業の経営コンサルタントで他にも一人従業員がいて、ここ数日は仕事の方は休みにしているということ。了と従業員の結城晴は以前は別な会社に勤める同僚で、了と外崎の関係は全部知っているとも言う。
つまり自分がいられるのは、外崎の言うとおり…………ここだけなのだろう。
顔に残る怪我の痕は酷いが、接していれば悪い人間ではない。それは傍にいればよく分かるし、了が不快に感じないように必死に全てを整えてもくれる。男同士だというハードルが無ければ、外崎に了は溺愛されていたのだと思わずには居られない。それに抱き締められたりキスをされたりには驚きはしたけれど、外崎に触れられることが嫌なわけではない。本音をいうと外崎の腕の力強さや体温に包まれるのは、酷く心地好くて安堵すら感じてしまっているのはわかっていた。記憶が戻ってもいないのに体は相手を受け入れているのが本能的に分かっていて、でも了にはそれを認めるのは怖くて仕方がない。
なんか、こんなのおかしいだろ…………。
心地好く何もかも整えられ安堵する場所を与えてくれる相手の好意に付け入っているような気がして、求められても答えられないのに了の中の罪悪感は増すばかりだ。この大きなベットだって一人で使うには余りにも広すぎて、それでも外崎に一緒に寝ないからと言わせてしまっている。それを言わせた時の外崎の悲しげに歪んで見える顔が、了の心に刺さる。
で、でも男、同士で、結婚…………って
そんなのはおかしいと理性では考えていても、何故かそう心の底から言い切れていない。確実に自分以外の匂いのする寝具にくるまりながら、そんなことを思うのは外崎の悲しげな表情は見たくなかったと感じてしまうからかも知れなかった。
広すぎる
ベットの広さに寝具の他人の香り。なのにそこに一人で埋まる自分が心底安堵している矛盾に、了は思わず寝具の中に手を滑らせて広さを確かめるようにシーツを探る。自分が本当にあの男とここで睦みあい共に眠るのかと考え込むが、それがどんな状況なのか想像も出来ない。いや、本当はどこかで理解できていて、実際には外崎が無理矢理有無言わさず好きなようにするのではと思ってもいる。そして同時にその方がよかったのにと考えている自分も、確かに心の中にいるのに気がついてしまう。
外崎…………名前……………………。
そういえば恐らくは聞いた筈なのに、何故か外崎の下の名前が記憶から抜け落ちてしまっていて名前が呼べないでいる。それを呼べたら少しは気持ちが収まるような気がするけれど、何故かあの男はそれを聞いたとしても教えてくれないとも分かっているのだ。
強情……だもんな………………、……は…………。
夢に落ちる瞬間、自分の中で自分の声がそう呆れたように呟くのを、了は夢現に聞いたような気がしていた。
※※※
『……だね。宏太。』
惣一の電話越しの声に言葉をなくした宏太が、僅かに青ざめているだろう自身の手を拳に握る。ギシリと軋む音がするほどに握りしめた拳を何処に振り下ろすべきなのかは自分でもわからないし、結局は無意味だからそうしないことも分かっていた。分かっていても苛立ちにその手は痛いほどに握りしめられて、肉感的な唇もきつく結ばれたまま。
『どうする?』
了が意識を失って発見された日の足取りは、恐らく八割がた確信をもって道のりを追うことができていた。駅の南側で銀行や何やと用達をした後、外崎了は『茶樹』によるつもりだったのだろう道のりで駅前に向かっていく。その後駅前で本来なら真っ直ぐ西に進み南側に折れて通りに入るべきなのに、何故か途中で駅ビルの構内に入る。そこから人混みの中を駅ビルを越え、北側に抜けて一端八幡万智の住む花街方面に向かっていた。一瞬、その外れの藤咲の事務所にでも寄るのかと考えたが、書類等は全て渡し終わっていたし、藤咲に会うような用件は何もない。それに了自身も藤咲の事務所による様ではなく、そのまままた道を周り駅前に戻っているのだった。
「誰を追ってるかは分からないんだな?」
幾つかの防犯設備と監視カメラに映った了は、誰かを追いかけている風に人混みの中を一定の視線を向けて一定の速度で歩いていると言う。その追いかけている相手を特定しようにも、何故かその姿はカメラでは上手く確認できない。
『上手いことカメラから外れてる。ずっとね。風間くんに連絡をとるかい?』
その言葉に苦い顔になるのは、宏太も惣一も以前同じようにカメラに映り込まず街中を彷徨く人間を追いかけたことがあるのだ。その人間を一緒に追いかけることになったのが、近郊の警察署で刑事をしていた宏太の幼馴染みで故人・遠坂喜一とその相棒だった風間祥太なのだった。
それがよろめくように歩くのに合わせて、その周囲の空気が如実に変わっていく。まるでその者の周囲だけが温度を変えて、ヒンヤリと冷たく凍りついていくように。そして、その者の周囲だけが、音もなく異世界に塗り替えられていくように。それに周囲が気がつき眉を潜めてヒソヒソと噂話を始め、その者を肩越しに眺めてから胡散臭そうに顔を背けている。
「…………ぅだ、…………。」
それは何かを発していた。だが実はまだ自分に、何が起きたのかも分からないままなのだ。そしてあてもなく一人で、ウロウロと街並みの中を留まることもせずに、さ迷い歩いている。
自分が何者なのかも、何故ここにいるかも分からずに。
ブツブツと一人で何かを呟きながら歩く姿に、周囲にいる人間はうすら寒いものを感じてソッと傍を離れて遠巻きにその者を胡散臭そうに眺めているのだった。時にその者が一人で呟く声が、意図せず空気に紛れて耳に届くことがある。
「そうだ…………、…………だ、そうなんだ…………。」
それはまるで誰かと会話を交わしているように、抑揚をつけて一部だけが漏れ聞こえてくるのだ。その奇妙な状況に街の中は人に溢れている筈なのだが、その人物の半径数メートルはまるで空白の虚無の空間になり変わっている。そんな風に一人で呟きながらフラフラと歩き続ける姿は人に不安感を与えるものなので、誰一人としてその人物に何かあったのかとも困っているのかとも声をかけようとはしていないのだった。だがその現実にすらその者は気がつくこともなく、一人延々と何事かを呟きながら歩き続けていく。
「そう………………、そうだ、うん…………。」
そうしてやがてその者は誰に声をかけられることもなく、ヨロヨロと街角を曲がり歩き続けていく。やがて人混みの向こうに紛れ、いつの間にか人混みからも姿を消してしまったのだった。
※※※
戸惑うのは当然なのか、何を今さらと言うべきなのか。
その答えは宏太には想像もつかなくて、何を言いたいかは分かっていてもどう行動すべきか一瞬思考が鈍る。それでも相手が自分の事を戸惑いの瞳で見上げているのは肌で感じていたし、躊躇いがちに自分に向かって口を開くのもわかってしまう。
「あの…………他に……。」
そう戸惑いながら口にした了に、思わず溜め息混じりに宏太はベットの端に腰かけたままソッと手を伸ばす。その頬に触れれば怯えたように戦く了の様子は予期していても、実際に触れてそれを感じると宏太自身大きく心が軋むのが分かる。そんなに触れられるのに戸惑うのは、この醜い傷痕のせいなのか、それとも男同士の恋慕に不快感を感じるからなのか。一体何処までの記憶を失って自分の顔を見上げているのか、少なくとも宏太と了は十年近い関係性なのにと苦い思いで考える。
「…………えと、あの…………。」
宏太の指に頬を滑るように撫でられ、更に戸惑いを深めて了が身を縮こまらせた。
言うまでもなくここは二人の主寝室で、普段は二人が当然のように縺れ合うようにして共に眠るベットの上に了は押し込まれていて。今の了はここにベットが一つしかないことに戸惑うのだし、宏太がそれをどうにかしようにも方法はそれほど多くはない。以前の了なら他にはベットがないからここで寝ろと言えば一緒に寝る位平気でも、今の了にはそれは通用しないのだろうと宏太は顔をあげて見えない視線を向ける。
「気にせず、ここで寝ろ。」
その言葉に素直にうんと答えられないのは、その続きに宏太がどこで寝るかということが気にかかるのだ。お前は触れられるのにすら怯えるのに、どうして俺が一緒に寝れると思う?と問いかけてみたくなるが、普段の了が困った顔で自分を見ている気がして宏太は苦い後悔の味が口の中に広がるのを感じてしまう。今までしてきたように自分を基準に考えても、今は決して正しい答えにならない事が分かっていて、しかもそんなことが余りにも多すぎる。
「で、でも。」
「…………俺は別なところで休む。だから気にせずここを使え。」
そう告げる言葉にふっと無意識に安堵の吐息を溢されて、やはり自分と一緒に寝るのに不安だったのだと宏太は気が重くなってしまう。宏太がその気なら無理矢理組み敷き犯すくらい、息をするのと同じくらいわけないことの筈なのに。
…………最初にしたように、躾直して、快楽で溺れさせるくらい簡単だ
記憶がなくとも、了の体は自分が与えるものを忘れきっているとは思えない。それに宏太は了の何処が快楽に繋がっているかも、隅々まで知り尽くしてもいるのだ。そこを丁寧に一ヶ所ずつ責め立ててやれば、数分もせずにあっという間に了を泣かせる事が出来るのは分かっている。それに拘束の道具だってまだあるし、それを使いこなすなんて空気を吸うみたいに容易い。そう考える過去の自分を皮肉に感じながら、同時にそんなことはもう二度とできない自分と了の関係を考えてしまう。
…………了を傷つけて泣かれたくはないし、何よりも傷つけて嫌われるのが嫌だ。
結局編み出された宏太の中の結論はそればかりで、何よりも優先したいのは了の気持ちに塗り変わってしまった。だから不安げに自分を見つめる視線を感じながら、無理を通すわけでもなく宏太は言葉少なに了の頬を軽く撫でて素直に立ち上がる。もしかしたら引き留めてくれたらと心の底では考えながらドアに手をかけて滑るように廊下に出るが、躊躇いがちな深い吐息を溢すのが聞こえるだけで結局は引き留める言葉もないのだ。
了だけど、了じゃない…………。
触れる肌も体温も了の筈なのに、今の了はまるで別人のように感じてしまう。そんなことが現実に起こることになるなんて思っても見なかった自分に気がついてしまいながら、宏太は迷うことなく階下の仕事部屋に足を向ける。別な場所で休むなんて建前に過ぎなくて、ゲストルームだろうと何処だろうと宏太も一人で眠れるなんて思ってもいない。
早く原因を突き止める……そして元に、戻す…………
望ましい状況に戻さないことには、まるで未知の相手のような了と一緒にいるのすら辛くなりそうな気がしてしまうのが本当は一番怖いのだ。元通りの了が取り戻せなかったとしたら、自分はその時何を選択して何を考えるのか。それを思うと宏太は酷く不安でしかたがなかった。
カチカチと機器を操作して、同時にパソコンを起動しながら音声認識で確認作業を始める。電話で日中依頼しておいたから惣一は早々に活動してくれたらしく、幾つか報告が来ていてそれを一つずつ確かめていく。自宅の周辺にはそれほど外部を撮す監視カメラは少ないが、それでも了の行動域は理解しているしその時の足取りを掴むのも案外容易い。何しろ了が見つかった《random face》が最終地点なのだから、あの店舗周辺の監視カメラや防犯設備は宏太も惣一も嫌というほどに知り尽くしているのだ。
※※※
記憶が曖昧な上に自分が養子縁組をしたということは、恐らく成田の家とは自分は絶縁したのかもしれないと気がついてもいた。入院中に秘かに成田に電話を掛けてみたが、記憶にある電話番号は何一つ繋がらなかったのは了も確認済みだ。自宅のみならず、個人用携帯も何もかもが現在使われておりませんのアナウンスに繋がるのに、了は何故か納得すらしながら受話器を置く。
…………血が繋がっていても、元々親子ですらなかったしな…………。
可能な限りで調べてみたが、政界から父親は姿を消して、何と驚いたことに拘置所いりしていた。方や母親の方は自宅にもいないし、現在は何処にいるかまるで調べようもないときている。自分が小学生になる前の幼い頃から既に夫婦として成立してもいなかったから現状は当然のような気もするが、こんな状況の自分が頼れないのは内心心細いものだった。そして反するように自分を守るように、常に傍に寄り添う外崎の様子。丁寧に優しく、了が何一つ不安にならないようにと配慮してくれる外崎は、噛んで含めるように了の周囲が今どんな環境にあるのかを教えてくれる。
外崎と養子縁組をして、二人でこの大きな家に暮らしていると言うこと。仕事は自営業の経営コンサルタントで他にも一人従業員がいて、ここ数日は仕事の方は休みにしているということ。了と従業員の結城晴は以前は別な会社に勤める同僚で、了と外崎の関係は全部知っているとも言う。
つまり自分がいられるのは、外崎の言うとおり…………ここだけなのだろう。
顔に残る怪我の痕は酷いが、接していれば悪い人間ではない。それは傍にいればよく分かるし、了が不快に感じないように必死に全てを整えてもくれる。男同士だというハードルが無ければ、外崎に了は溺愛されていたのだと思わずには居られない。それに抱き締められたりキスをされたりには驚きはしたけれど、外崎に触れられることが嫌なわけではない。本音をいうと外崎の腕の力強さや体温に包まれるのは、酷く心地好くて安堵すら感じてしまっているのはわかっていた。記憶が戻ってもいないのに体は相手を受け入れているのが本能的に分かっていて、でも了にはそれを認めるのは怖くて仕方がない。
なんか、こんなのおかしいだろ…………。
心地好く何もかも整えられ安堵する場所を与えてくれる相手の好意に付け入っているような気がして、求められても答えられないのに了の中の罪悪感は増すばかりだ。この大きなベットだって一人で使うには余りにも広すぎて、それでも外崎に一緒に寝ないからと言わせてしまっている。それを言わせた時の外崎の悲しげに歪んで見える顔が、了の心に刺さる。
で、でも男、同士で、結婚…………って
そんなのはおかしいと理性では考えていても、何故かそう心の底から言い切れていない。確実に自分以外の匂いのする寝具にくるまりながら、そんなことを思うのは外崎の悲しげな表情は見たくなかったと感じてしまうからかも知れなかった。
広すぎる
ベットの広さに寝具の他人の香り。なのにそこに一人で埋まる自分が心底安堵している矛盾に、了は思わず寝具の中に手を滑らせて広さを確かめるようにシーツを探る。自分が本当にあの男とここで睦みあい共に眠るのかと考え込むが、それがどんな状況なのか想像も出来ない。いや、本当はどこかで理解できていて、実際には外崎が無理矢理有無言わさず好きなようにするのではと思ってもいる。そして同時にその方がよかったのにと考えている自分も、確かに心の中にいるのに気がついてしまう。
外崎…………名前……………………。
そういえば恐らくは聞いた筈なのに、何故か外崎の下の名前が記憶から抜け落ちてしまっていて名前が呼べないでいる。それを呼べたら少しは気持ちが収まるような気がするけれど、何故かあの男はそれを聞いたとしても教えてくれないとも分かっているのだ。
強情……だもんな………………、……は…………。
夢に落ちる瞬間、自分の中で自分の声がそう呆れたように呟くのを、了は夢現に聞いたような気がしていた。
※※※
『……だね。宏太。』
惣一の電話越しの声に言葉をなくした宏太が、僅かに青ざめているだろう自身の手を拳に握る。ギシリと軋む音がするほどに握りしめた拳を何処に振り下ろすべきなのかは自分でもわからないし、結局は無意味だからそうしないことも分かっていた。分かっていても苛立ちにその手は痛いほどに握りしめられて、肉感的な唇もきつく結ばれたまま。
『どうする?』
了が意識を失って発見された日の足取りは、恐らく八割がた確信をもって道のりを追うことができていた。駅の南側で銀行や何やと用達をした後、外崎了は『茶樹』によるつもりだったのだろう道のりで駅前に向かっていく。その後駅前で本来なら真っ直ぐ西に進み南側に折れて通りに入るべきなのに、何故か途中で駅ビルの構内に入る。そこから人混みの中を駅ビルを越え、北側に抜けて一端八幡万智の住む花街方面に向かっていた。一瞬、その外れの藤咲の事務所にでも寄るのかと考えたが、書類等は全て渡し終わっていたし、藤咲に会うような用件は何もない。それに了自身も藤咲の事務所による様ではなく、そのまままた道を周り駅前に戻っているのだった。
「誰を追ってるかは分からないんだな?」
幾つかの防犯設備と監視カメラに映った了は、誰かを追いかけている風に人混みの中を一定の視線を向けて一定の速度で歩いていると言う。その追いかけている相手を特定しようにも、何故かその姿はカメラでは上手く確認できない。
『上手いことカメラから外れてる。ずっとね。風間くんに連絡をとるかい?』
その言葉に苦い顔になるのは、宏太も惣一も以前同じようにカメラに映り込まず街中を彷徨く人間を追いかけたことがあるのだ。その人間を一緒に追いかけることになったのが、近郊の警察署で刑事をしていた宏太の幼馴染みで故人・遠坂喜一とその相棒だった風間祥太なのだった。
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