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第十六章 FlashBack2
188.
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時には魘されるような過去の記憶は、まだ確かに自分の中にある。
それを今更否定するつもりもないし、時にはまだそれに苦悩の涙を流すことだって無いわけではない。それに鮮明な映像のように過去の記憶が時折脳裏を掠めるのに、記憶は自分の生きる足取りを鈍らせ立ち止まらせてしまいもする。
自分は前に進むことも出来ないのだとずっと恭平自身が思ってきた。
そしてそれに深く闇の底に沈んだように飲まれていたから、恭平は自分はそれから逃れられないのだと抗うことも忘れてひっそりと過ごし続けてきたのだ。まるで座敷牢のような土蔵の中で出ることも叶わず、何かに封じ込められたようにジットリと湿り気を帯びた世界に閉じ込められたまま。永遠に自分の周囲ではそれが続くのだと、心のどこかでは信じきってもいたのだ。
恭平
それでもその戸惑い立ち止まる恭平の足を進めようと、そっと腕をとり名前を呼んで一緒に歩き出そうとしてくれる存在が隣にいるのに気がついた時から少しずつ自分の時も動き始めていく。そうして視野が広がり始めると自分が闇の中にいたのではなく、勝手に闇だと思い込んでいたのだと気がつき始めている。
月と太陽に例えて自分のことを話す鳥飼信哉や自分を月のようだと言った仁聖の言葉に、ふと自分だけでなく誰しも同じように闇の中にいると思うことがあるのかもしれないとも考えるようになっていた。誰しも同じように迷い、悩み、そして誰かに支えられて前に進むのかもしれない。そんな風に少しずつ視野が広がり自分がずっと考えていたように闇の中に一人きりなのではないと気がつくと、世界は色を変えて穏やかな光の中にあるのに気がつくのだ。
「まったく、それにしたってお前も困った弟を持ったもんだな?かなりのブラコンだろ?宮内のは。」
同じような境遇で同じように闇の中にいたのだと思い続け生きてきたと話した鳥飼信哉が、こうしてまるで昔からの友人か、はたまた年の近い兄のように自分に向かって話すのが信じられなくもある。しかも互いに自分を日陰者だとどこかで思って過ごしてきた筈で、避けていた筈の父親や異母弟のことを笑いながらこうして話しているのにも実は互いに驚いてしまう有り様。
「そんなこと言って、真見塚さんのとこの…………信哉さんの弟さんだって…………。」
「ふぅ………………孝はなぁ。」
古風な道場の跡取り息子として産まれて、しかも古武術を含めた合気道の師範でもある父親と日々鍛練する暮らし。母親はどちらも茶道や華道、もしくは日舞のか一応薙刀なんてものを身に付けた純和風の大和撫子。それなのにどちらも異母から産まれた兄が存在していて妙にその異母兄を崇拝までしてきて、そんな境遇まで似てなくてもいいのにのとは改めて思う。
「俺と違って頭が固くてなぁ…………。」
信哉に言わせると、基本的には宮内慶太郎と真見塚孝は互いに似たような思考回路なのだという。ところが環境的には同じでも慶太郎よりも真見塚孝の方が、より一層古風な思考過程をもって成長したようで。何しろ今時お付き合いは須く結婚前提と来たもんだと呆れた声で言うのだが、一体何時の時代だよと血の繋がった兄としては痛く心配しているらしい。
「信じられるか?付き合う相手は須らく両親に紹介だぞ?しかも必ず結婚を念頭だ、それを俺にもしろと来た時には流石に弟とは言え戦国時代の頭なのかと心配したんだからな。」
そんな真見塚孝にとって敬愛する兄が、事前の挨拶もなしで歳上の女性を妊娠させて嫁にしますと顔を出したわけで。暫く真見塚孝は兄にも義理の姉にも険呑な態度を隠しもしない状況だったと聞いて、思わず恭平は吹き出してしまう。いや、今時そんな思考過程で暮らす高校生というのも確かにかなり珍しいが、何にも動じないように見えている信哉の苦り切った顔が珍しいのもある。
「凄いですね、それは。」
「だろ?何せ俺にだって前にも恋人位いたと言ったら、自分は聞いてない!だぞ?」
古風な考えたで育ったからだとは言え、孝がそう言ってきた時には流石に今時それはないだろと信哉も諭したのだというのだが、孝の方が諭されたことに唖然としたのだと言うから笑ってしまう。
それでも先日の抜刀術の後に道場に足を踏み入れるのには相応しくないと慶周に絡まれていた恭平を、そんなことは時代錯誤だと慶周に忠告して助け船を出してくれたのは実は真見塚孝だった。助け船を出すように孝を迎えに寄越して仕向けてくれたのはやはり信哉だったようではあるが、それでもあの時助け船を出してくれなかったら恭平は暫くは家に籠ってへこんでいたかもしれない。
「でも、真見塚君のお陰で助かったんですよ、それに合気道またしたくなったんですしね。」
それを聞いて信哉もニヤリと笑いながら、それが狙いだからなと言いたげに当然みたいに言う。
「だいぶ孝も梨央に既に丸め込まれてるからな。」
そんな妻の鳥飼梨央も高校時代には任侠一家の娘として縁談が決められていたとか言うのだが、それを直談判で破棄したのは誰あろう鳥飼信哉の母であり梨央や外崎宏太の幼馴染み・澪なのだ。そんな話を昔話として暢気に出来るようになったのと世間の狭さに改めてお互いに笑うしかないが、こうして身近な関係の話題を楽しめる程度に自分達の世界が変わっているのに気がつかされもしている。
「あ、信哉!いたいた!」
カランと軽やかな音をたてて深緑のドアが開かれる音がした後。不意にかけられたその声に気がつき店の入り口に視線を向けた信哉が、当然みたいにしてその声の相手を手招く。信哉のその仕草につられて振り返った恭平の視界に姿を見せたのは、目の覚めるような鮮やかな金髪に少しキツい目元をした青年。どこかですれ違ったのか顔を見たような気もするけれど、名前も知らなければ会話を交わしたこともない筈。何しろ少しヤンチャそうな青年で、家に引きこもりがちな恭平には改めて交流までというと、あまり接する機会がなさそうなタイプの相手でもあるのだった。
※※※
学食の賑わいが少しだけ質を変えたのは勅使河原叡教授のことを血相を変えて探しに来た躑躅森雪が大声で目立ったからと言うよりも、その背後についてきた人影が異彩を放っていたからだった。
躑躅森の背後からヒョッコリと姿を見せたのは、生粋のアッシュブロンドの長い髪に濃いブルーの瞳。背はスラリとしていて手足は長く、その体は人形のように華奢でしなやかな線の細さを見せる人物。日本人とは質の違う乳白色の滑らかな肌に、まだ僅かに残るソバカスがチャーミングで何処から見ても一際その姿を目立たせてしまう。
仁聖達とテーブルについているのを見つけ勅使河原に歩みよる躑躅森の後をついて歩くその姿は、周囲の好奇の視線を一身に集めてしまっている。いや、外人が珍しいわけではないし、キャンパスの中には海外の留学生もいるのだ。それでもその人物は全身から一瞬独特の光を放っているみたいに人の眼を惹く。真っ赤な花のように閃く柔らかな赤いスカーフを首もとに巻いて、促されるまま辺りの様子を気にするでもない姿は何処と無く人間離れしていて文学部的に言えば真夏の世の夢に出てくる妖精のように際立っているのだ。
「いやぁまさか今日だったとはなぁ。すまん、すまん。」
「すまんじゃすみませんよ!もう!!何やってるんですか、センセ!!」
そうなのだ。躑躅森が血相を変えて学食に駆け込んで来たのは、つい今し方に勅使河原が仁聖達に話題に上げたばかりの客人当人が正に今此処に姿を見せたから。間の抜けたことに来日の日付が今日であると言うことを勅使河原が失念していて、しかも事前に連絡してあったのにそれすら失念したときた。
あの教授室の何処かには連絡が届いているに違いない。
内心では躑躅森を初めとして、その場の教授室の中を知る人間は殆どそう考えてもいるのだが。それを聞いても海を越えた遠方からの客人は気を悪くした様子でもなく、にこやかに微笑んでから妖精のような容姿とそぐわない流暢な日本語で頭を下げて挨拶をした。
「リリアーヌ・オフェリア・フラウンフォーファーといいます。リリアと呼んでクダサイ。」
そうして勅使河原叡の教授室にそのまま連れてこられ、雪崩を起こしそうな惨状を呈した書籍の谷間に、ニコニコと笑いながらリリアは平然と腰を下ろしているわけなのだ。この状況は普段となんら変わらないのだが流石に外部からの客人に躑躅森雪が申し訳なさそうに汚なくてと謝罪すると、彼女は大丈夫ですと朗らかに答えた。
「ワタシの知人の部屋、いつもこんな風にLots of documentsです。だから、慣れテます。」
彼女は知人の似たような部屋を見慣れているので平気だというのだが、それはつまりは勅使河原のような書籍の山の中に暮らしている人間が彼女の傍にもいると言うことになるのだろう。
説話を含む都市伝説の研究をしている勅使河原と似たような環境ということは、その人物も説話収集や調べたりしているのだろうかと仁聖と翔悟は何となく考えながら異彩を放つ彼女を眺める。それにしてもまさか接待を頼まれた時には、既に当人が学部までやってきているなんて間の抜けた話でいいものなのか。しかも彼女は勅使河原の研究に必要な話を知識として持っていて、その目的もあってここにやってきたと言うのだが、年齢としてはまだそれほど仁聖達と変わりなく見える。
でもさ?外国人って年取って見えるから、凄い年下だったりして?飛び級とか?
そう翔悟の目が言っているのに、確かに日本人は年齢より若く見られるが逆に言うと海外の人は年より年嵩に見えることが多いと仁聖も思う。バタバタしている躑躅森と書籍の山に相変わらず埋もれる勅使河原をニコニコしながら興味深そうに眺めている彼女は、ふと部屋の隅で自分のことを眺めている仁聖達に視線を向けた。
濃いブルー…………だな……
仁聖の母親のアニエスは、もう少し薄い空色の青色の瞳と見事なプラチナブロンドだった。そんなことを考えた瞬間、心の声をまるで聞き付けたみたいにリリアの濃い青の瞳が真っ直ぐに自分を見つめてくる。その瞳は何も言わないのに何かを見透かすみたいに暫く真っ直ぐに二人を見つめて、やがて彼女は不意にニッコリと笑いかけてみせた。どうやら彼女も何か問いかけたかった様子で少し考えたが
「Are you students?」
挨拶のような流暢な日本語には変換して表現できなかったのだろう。彼女からの唐突な英語での問いかけに、英会話に慣れない翔悟がアワアワと驚いている。とは言え隣にいるのは仁聖。最近では普段からバイトでも英語を話し慣れてきていて元々英語を使える仁聖の方は、別段驚くでもないままに当然のように自分達が学生で建築科の専攻なのだと答えていた。
「Yes.My major is architecture course.」
「architecture course?」
最初から二人が学生だとは思っていたのだろう。ただ勅使川原の生徒だろうから文学部の学生だと思っていたらしく、想定外の建築科にリリアは驚いて目を丸くして面白そうに仁聖達を眺めている。そして当然みたいに英語で答えた仁聖に、直ぐ隣にいた翔悟も驚いて目を丸くする有り様。そういえば以前からハーフだとは翔悟には教えていたけど、仁聖が実際に英語で話すところは確かに見せたことがなかったのだ。リリアの方も英語圏の会話が安心して出来るのだと気がついて、少し気を緩めた様子を浮かばせたのに仁聖も気がついていた。
「What's your ethnicity?Are you German?」
フラウンフォーファーという苗字自体だいぶ珍しいし確かドイツ系の苗字だからと、リリアはドイツ系なのかと仁聖が問いかけていた。そんなことに気がつく仁聖に少し驚いた風だが、リリアは両親がそうだと答えてきて少しだけ違和感を感じる。
実際のところドイツ系の人種には、金髪の青い瞳は割りと多いのだ。そこから考えれば別段違和感を感じることもない筈なのだが、彼女があえて両親はねと答えたのが少しだけ仁聖には気にかかったのだ。
「Are You different from the others?」
冗談めかしたわけでもなく問いかけると、彼女は穏やかにYesとだけ答えて先は口にしない。恐らく話したくないのだと気がついて仁聖は、リリアの興味のあることはと話を変える。その後は割合穏やかに和んだ会話が続き、明日の午後の空き時間に彼女は神社仏閣なんてものを見て回りたいという話のようだ。
「I like visiting temples and shrines.」
リリアのように神社仏閣巡りが好きと言う海外からの渡航者は割りと多い。日本古来の建築様式や日本の風土固有の空気感が独特の世界観を持っているから、それが珍しいのだろう。神社仏閣巡りなら別に特に難しいことではないしと二人が請け負うと、その様子を見ていた勅使河原は何故か助かったと安堵の息を溢していた。
それを今更否定するつもりもないし、時にはまだそれに苦悩の涙を流すことだって無いわけではない。それに鮮明な映像のように過去の記憶が時折脳裏を掠めるのに、記憶は自分の生きる足取りを鈍らせ立ち止まらせてしまいもする。
自分は前に進むことも出来ないのだとずっと恭平自身が思ってきた。
そしてそれに深く闇の底に沈んだように飲まれていたから、恭平は自分はそれから逃れられないのだと抗うことも忘れてひっそりと過ごし続けてきたのだ。まるで座敷牢のような土蔵の中で出ることも叶わず、何かに封じ込められたようにジットリと湿り気を帯びた世界に閉じ込められたまま。永遠に自分の周囲ではそれが続くのだと、心のどこかでは信じきってもいたのだ。
恭平
それでもその戸惑い立ち止まる恭平の足を進めようと、そっと腕をとり名前を呼んで一緒に歩き出そうとしてくれる存在が隣にいるのに気がついた時から少しずつ自分の時も動き始めていく。そうして視野が広がり始めると自分が闇の中にいたのではなく、勝手に闇だと思い込んでいたのだと気がつき始めている。
月と太陽に例えて自分のことを話す鳥飼信哉や自分を月のようだと言った仁聖の言葉に、ふと自分だけでなく誰しも同じように闇の中にいると思うことがあるのかもしれないとも考えるようになっていた。誰しも同じように迷い、悩み、そして誰かに支えられて前に進むのかもしれない。そんな風に少しずつ視野が広がり自分がずっと考えていたように闇の中に一人きりなのではないと気がつくと、世界は色を変えて穏やかな光の中にあるのに気がつくのだ。
「まったく、それにしたってお前も困った弟を持ったもんだな?かなりのブラコンだろ?宮内のは。」
同じような境遇で同じように闇の中にいたのだと思い続け生きてきたと話した鳥飼信哉が、こうしてまるで昔からの友人か、はたまた年の近い兄のように自分に向かって話すのが信じられなくもある。しかも互いに自分を日陰者だとどこかで思って過ごしてきた筈で、避けていた筈の父親や異母弟のことを笑いながらこうして話しているのにも実は互いに驚いてしまう有り様。
「そんなこと言って、真見塚さんのとこの…………信哉さんの弟さんだって…………。」
「ふぅ………………孝はなぁ。」
古風な道場の跡取り息子として産まれて、しかも古武術を含めた合気道の師範でもある父親と日々鍛練する暮らし。母親はどちらも茶道や華道、もしくは日舞のか一応薙刀なんてものを身に付けた純和風の大和撫子。それなのにどちらも異母から産まれた兄が存在していて妙にその異母兄を崇拝までしてきて、そんな境遇まで似てなくてもいいのにのとは改めて思う。
「俺と違って頭が固くてなぁ…………。」
信哉に言わせると、基本的には宮内慶太郎と真見塚孝は互いに似たような思考回路なのだという。ところが環境的には同じでも慶太郎よりも真見塚孝の方が、より一層古風な思考過程をもって成長したようで。何しろ今時お付き合いは須く結婚前提と来たもんだと呆れた声で言うのだが、一体何時の時代だよと血の繋がった兄としては痛く心配しているらしい。
「信じられるか?付き合う相手は須らく両親に紹介だぞ?しかも必ず結婚を念頭だ、それを俺にもしろと来た時には流石に弟とは言え戦国時代の頭なのかと心配したんだからな。」
そんな真見塚孝にとって敬愛する兄が、事前の挨拶もなしで歳上の女性を妊娠させて嫁にしますと顔を出したわけで。暫く真見塚孝は兄にも義理の姉にも険呑な態度を隠しもしない状況だったと聞いて、思わず恭平は吹き出してしまう。いや、今時そんな思考過程で暮らす高校生というのも確かにかなり珍しいが、何にも動じないように見えている信哉の苦り切った顔が珍しいのもある。
「凄いですね、それは。」
「だろ?何せ俺にだって前にも恋人位いたと言ったら、自分は聞いてない!だぞ?」
古風な考えたで育ったからだとは言え、孝がそう言ってきた時には流石に今時それはないだろと信哉も諭したのだというのだが、孝の方が諭されたことに唖然としたのだと言うから笑ってしまう。
それでも先日の抜刀術の後に道場に足を踏み入れるのには相応しくないと慶周に絡まれていた恭平を、そんなことは時代錯誤だと慶周に忠告して助け船を出してくれたのは実は真見塚孝だった。助け船を出すように孝を迎えに寄越して仕向けてくれたのはやはり信哉だったようではあるが、それでもあの時助け船を出してくれなかったら恭平は暫くは家に籠ってへこんでいたかもしれない。
「でも、真見塚君のお陰で助かったんですよ、それに合気道またしたくなったんですしね。」
それを聞いて信哉もニヤリと笑いながら、それが狙いだからなと言いたげに当然みたいに言う。
「だいぶ孝も梨央に既に丸め込まれてるからな。」
そんな妻の鳥飼梨央も高校時代には任侠一家の娘として縁談が決められていたとか言うのだが、それを直談判で破棄したのは誰あろう鳥飼信哉の母であり梨央や外崎宏太の幼馴染み・澪なのだ。そんな話を昔話として暢気に出来るようになったのと世間の狭さに改めてお互いに笑うしかないが、こうして身近な関係の話題を楽しめる程度に自分達の世界が変わっているのに気がつかされもしている。
「あ、信哉!いたいた!」
カランと軽やかな音をたてて深緑のドアが開かれる音がした後。不意にかけられたその声に気がつき店の入り口に視線を向けた信哉が、当然みたいにしてその声の相手を手招く。信哉のその仕草につられて振り返った恭平の視界に姿を見せたのは、目の覚めるような鮮やかな金髪に少しキツい目元をした青年。どこかですれ違ったのか顔を見たような気もするけれど、名前も知らなければ会話を交わしたこともない筈。何しろ少しヤンチャそうな青年で、家に引きこもりがちな恭平には改めて交流までというと、あまり接する機会がなさそうなタイプの相手でもあるのだった。
※※※
学食の賑わいが少しだけ質を変えたのは勅使河原叡教授のことを血相を変えて探しに来た躑躅森雪が大声で目立ったからと言うよりも、その背後についてきた人影が異彩を放っていたからだった。
躑躅森の背後からヒョッコリと姿を見せたのは、生粋のアッシュブロンドの長い髪に濃いブルーの瞳。背はスラリとしていて手足は長く、その体は人形のように華奢でしなやかな線の細さを見せる人物。日本人とは質の違う乳白色の滑らかな肌に、まだ僅かに残るソバカスがチャーミングで何処から見ても一際その姿を目立たせてしまう。
仁聖達とテーブルについているのを見つけ勅使河原に歩みよる躑躅森の後をついて歩くその姿は、周囲の好奇の視線を一身に集めてしまっている。いや、外人が珍しいわけではないし、キャンパスの中には海外の留学生もいるのだ。それでもその人物は全身から一瞬独特の光を放っているみたいに人の眼を惹く。真っ赤な花のように閃く柔らかな赤いスカーフを首もとに巻いて、促されるまま辺りの様子を気にするでもない姿は何処と無く人間離れしていて文学部的に言えば真夏の世の夢に出てくる妖精のように際立っているのだ。
「いやぁまさか今日だったとはなぁ。すまん、すまん。」
「すまんじゃすみませんよ!もう!!何やってるんですか、センセ!!」
そうなのだ。躑躅森が血相を変えて学食に駆け込んで来たのは、つい今し方に勅使河原が仁聖達に話題に上げたばかりの客人当人が正に今此処に姿を見せたから。間の抜けたことに来日の日付が今日であると言うことを勅使河原が失念していて、しかも事前に連絡してあったのにそれすら失念したときた。
あの教授室の何処かには連絡が届いているに違いない。
内心では躑躅森を初めとして、その場の教授室の中を知る人間は殆どそう考えてもいるのだが。それを聞いても海を越えた遠方からの客人は気を悪くした様子でもなく、にこやかに微笑んでから妖精のような容姿とそぐわない流暢な日本語で頭を下げて挨拶をした。
「リリアーヌ・オフェリア・フラウンフォーファーといいます。リリアと呼んでクダサイ。」
そうして勅使河原叡の教授室にそのまま連れてこられ、雪崩を起こしそうな惨状を呈した書籍の谷間に、ニコニコと笑いながらリリアは平然と腰を下ろしているわけなのだ。この状況は普段となんら変わらないのだが流石に外部からの客人に躑躅森雪が申し訳なさそうに汚なくてと謝罪すると、彼女は大丈夫ですと朗らかに答えた。
「ワタシの知人の部屋、いつもこんな風にLots of documentsです。だから、慣れテます。」
彼女は知人の似たような部屋を見慣れているので平気だというのだが、それはつまりは勅使河原のような書籍の山の中に暮らしている人間が彼女の傍にもいると言うことになるのだろう。
説話を含む都市伝説の研究をしている勅使河原と似たような環境ということは、その人物も説話収集や調べたりしているのだろうかと仁聖と翔悟は何となく考えながら異彩を放つ彼女を眺める。それにしてもまさか接待を頼まれた時には、既に当人が学部までやってきているなんて間の抜けた話でいいものなのか。しかも彼女は勅使河原の研究に必要な話を知識として持っていて、その目的もあってここにやってきたと言うのだが、年齢としてはまだそれほど仁聖達と変わりなく見える。
でもさ?外国人って年取って見えるから、凄い年下だったりして?飛び級とか?
そう翔悟の目が言っているのに、確かに日本人は年齢より若く見られるが逆に言うと海外の人は年より年嵩に見えることが多いと仁聖も思う。バタバタしている躑躅森と書籍の山に相変わらず埋もれる勅使河原をニコニコしながら興味深そうに眺めている彼女は、ふと部屋の隅で自分のことを眺めている仁聖達に視線を向けた。
濃いブルー…………だな……
仁聖の母親のアニエスは、もう少し薄い空色の青色の瞳と見事なプラチナブロンドだった。そんなことを考えた瞬間、心の声をまるで聞き付けたみたいにリリアの濃い青の瞳が真っ直ぐに自分を見つめてくる。その瞳は何も言わないのに何かを見透かすみたいに暫く真っ直ぐに二人を見つめて、やがて彼女は不意にニッコリと笑いかけてみせた。どうやら彼女も何か問いかけたかった様子で少し考えたが
「Are you students?」
挨拶のような流暢な日本語には変換して表現できなかったのだろう。彼女からの唐突な英語での問いかけに、英会話に慣れない翔悟がアワアワと驚いている。とは言え隣にいるのは仁聖。最近では普段からバイトでも英語を話し慣れてきていて元々英語を使える仁聖の方は、別段驚くでもないままに当然のように自分達が学生で建築科の専攻なのだと答えていた。
「Yes.My major is architecture course.」
「architecture course?」
最初から二人が学生だとは思っていたのだろう。ただ勅使川原の生徒だろうから文学部の学生だと思っていたらしく、想定外の建築科にリリアは驚いて目を丸くして面白そうに仁聖達を眺めている。そして当然みたいに英語で答えた仁聖に、直ぐ隣にいた翔悟も驚いて目を丸くする有り様。そういえば以前からハーフだとは翔悟には教えていたけど、仁聖が実際に英語で話すところは確かに見せたことがなかったのだ。リリアの方も英語圏の会話が安心して出来るのだと気がついて、少し気を緩めた様子を浮かばせたのに仁聖も気がついていた。
「What's your ethnicity?Are you German?」
フラウンフォーファーという苗字自体だいぶ珍しいし確かドイツ系の苗字だからと、リリアはドイツ系なのかと仁聖が問いかけていた。そんなことに気がつく仁聖に少し驚いた風だが、リリアは両親がそうだと答えてきて少しだけ違和感を感じる。
実際のところドイツ系の人種には、金髪の青い瞳は割りと多いのだ。そこから考えれば別段違和感を感じることもない筈なのだが、彼女があえて両親はねと答えたのが少しだけ仁聖には気にかかったのだ。
「Are You different from the others?」
冗談めかしたわけでもなく問いかけると、彼女は穏やかにYesとだけ答えて先は口にしない。恐らく話したくないのだと気がついて仁聖は、リリアの興味のあることはと話を変える。その後は割合穏やかに和んだ会話が続き、明日の午後の空き時間に彼女は神社仏閣なんてものを見て回りたいという話のようだ。
「I like visiting temples and shrines.」
リリアのように神社仏閣巡りが好きと言う海外からの渡航者は割りと多い。日本古来の建築様式や日本の風土固有の空気感が独特の世界観を持っているから、それが珍しいのだろう。神社仏閣巡りなら別に特に難しいことではないしと二人が請け負うと、その様子を見ていた勅使河原は何故か助かったと安堵の息を溢していた。
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