鮮明な月

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第十五章 FlashBack

184.

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久々にかかってきた電話に呼び出されて、指定された喫茶店に足を向けたのが間違いだ。そう内心で恭平は溜め息をつきながら、目の前の異母弟と一緒に現れた男の事を見つめるしかないでいた。この間は久々に顔を会わせたから恭平も気がつかなかったが、確かにこうしてみると目の前の男は宮内の血縁で宮内慶周でしかなくて、出来ることならもう二度と顔を合わせたくなかったと考えている自分に気がつく。あの時慶周の前にスマホを落としていたのは恭平の不覚だが、慶周もワザワザ嫌いな相手の落とし物なんか拾わずに無視すればよかったのにと正直思ってしまう。それにこうして恭平に連絡を取るのに慶太郎を使わなくても、フリーライターでもある慶周なら出版社やなにか経由で連絡は取りようがあった筈だった。それなのにワザワザこうして慶太郎に伴われて姿を見せた宮内慶周に、拾ったとスマホを差し出されて恭平は言いたくもないのに礼を口にする。

「…………ありがとう…ございました。」

そう淡々と話を済ませて立ち上がろうとした恭平を引き留めたのは、慶周ではなく慶太郎の方で、しかも話題はこの二人の前では絶対に触れたくない合気道の関係の話だった。しかも鳥飼信哉の道場の再興の件は業界内ではあっという間に広がっていたらしく、抜刀術を見学に行った中に榊恭平が呼び出されて行ったことも噂になってしまっていたのだ。

東の鳥飼、西の榊

間の悪いことに未だにその呼び名を使う人間が、真見塚道場に集まったあの中には何人かいたらしい。そしてその人物達が、恭平がまた合気道を習うのではと噂に上げたということなのだった。実際のところ抜刀術の件は、丁度大学に行っている慶太郎にも地方に行っている慶恭にもタイミングが合わず、それで慶周に話が回ったのだという事は薄々気がついてはいたのだ。それでもここに来て慶周が、慶太郎にコンタクトをとるとは恭平の方も微塵も思わなかった。何故なら跡を継ぐ筈だった人間と後から産まれた後継ぎ息子は、以前から張り合うことが多くて実は余り仲が良くなかったからだ。その予想外の組み合わせに合気道の件で詰め寄られることになるとは、予期しないことにもほどがある。

「………兄さん、もしかして………真見塚道場に通う気なんていいませんよね?!」

今まで何度も宮内の籍に入るようにと宮内道場で合気道を再開して欲しいと、慶太郎から嘆願され続けてきたのは事実なのだ。それでもそれを断り続けていた恭平が、当然のように信哉に誘われて抜刀術の指南を見に行ったのは、興味があったのもあるが場所が宮内ではなく真見塚道場だったからだった。
既に手合わせした鳥飼信哉の能力もさることながら、過去に宮内で名前を聞いた事のある外崎宏太がまだ現役張りに抜刀術を扱えるなんて、そんな話を聞かされたら見てみたくなるのは当然の事なのに。

「なんでそうなるんだ……。」

宮内を逃げるようにして辞めた恭平が姿を見せたから、真見塚に通うのではと真っ先に言い出したのは恐らくは目の前にいる慶周なのだと思う。何しろ慶周が恭平に言いがかりをつけている最中に、恭平を助けにきたのは真見塚道場の跡継ぎである真見塚孝だったのだ。しかも恭平を兄と呼んだ慶太郎の言葉に、横に座っていた慶周の顔つきが渋く歪んだのも見逃さない。そんなに嫌なら自分の事は部外者と放置しておけばいいのにと内心皮肉めいた言葉を呟きながら、恭平は思わず無意識に溜め息を溢してしまっていた。そしてその恭平の態度が、尚更に目の前の慶周には勘に障るものだったらしい。

「穢れた子供の癖に………。」

苦々しく何度も繰り返され吐き捨てられる言葉に、目の前に慶太郎がいるのも忘れて強い眩暈が襲う。祖母である女から不義の子供だと怒鳴り付けられ穢れていると吐き捨てられて湯呑みを投げつけられたあの時が、目の前で再び起こっているのような不快感に思わず口の中が苦く鉄錆び臭く感じる。それが無意識に噛み締めていた唇から滲んだ血の味だと気がつくこともなく、恭平は思わず真っ直ぐな憎悪の視線で慶周を見据えていた。

「穢れ………?」

戸惑いに満ちた声が溢れたのはそんな最中で、その声が異母弟の声なのだと気がつくのに少し間があいていた。宮内家にとって恭平の存在を説明する話は、実は婚前交渉で出来た府設楽な子供であるとするものと、血の繋がりがあやふやなのに子供だと財産目当てで潜り込もうとしたというものとがある。生前の宮内の女傑であった祖母はその話のどちらが真実かと確定するようなことは口にしなかったが、慶太郎が自分の存在を知ったのは父親である慶恭から直に話を聞いた筈だった。つまり婚前交渉で出来てしまった子供だと言うことは慶太郎は既に知っていて

「愛し合って………出来た子供が、なんで、穢れなんですか……?」
「は?こいつの母親は、血の繋がりもない子供を宮内の財産目当てに……。」

そして恭平と榊美弥子の存在を忌々しく感じていた祖母の言葉しか聞いたことのない慶周は、まごうことなき後者なのだった。うんざりするほど繰り返されて巻き込まれ続けてきた面倒な話のすれ違いに、恭平は思わずその場にへたりこみたくなる。長年恭平の存在をシャットアウトしてきたのは事実なのに、ここ数年で突然こんな風に手のひらを返され、唐突に子供になれとか何とか騒がれてきた恭平の気持ちは相変わらず置き去りのままなのだ。訂正しようにも宮内の人間はある部分では頑固で、人の話をそう聞かないように感じるのも事実なのだった。

「もう………頼むから………俺の事は放っておいてくれないか……?慶太郎も、慶周さんも。」

思わず額をおおって恭平が口にした言葉に視線を向けた慶太郎は、その姿に何故今まで頑なに恭平が自分の申し入れを受け入れなかったのか改めて理解できた気がした。
榊恭平が異母兄だと知ってから互いの距離を狭め、いつかは兄弟として一緒に合気道をしたかった。それは確かに恭平に憧れた慶太郎の理想の未来だったが、現実の榊恭平は宮内の家の中にいる何人もにこんな風に虐げられてうんざりする程の苦悩を何度も一人きりで味わい続けてきたのだ。

「兄さん、父さんは………。」

父・慶恭は祖母の死後、祖母の日記を読んで多くの事実を知った。宮内慶恭は確かに榊美弥子のことを愛していて婚前交渉をしたのを認めたし、恭平のことを改めて認知しようとしたのだ。しかし何年も前に祖母が、それを伝えにきていた美弥子を追い立てたのは知らなかったし、恭平が美弥子の死を告げに訪れていることも知らなかった。美弥子の死すら実は祖母の死後まで知らずにいた慶恭と榊恭平の関係は改めて構築するには遅すぎて、それを今慶太郎が口にしても言い訳にすらならない。
慶恭は愛した人を探す努力をしなかったし、祖母に言われるがまま慶太郎の母を娶ったのは現実だし、長く子供が出来なくて祖母が慶周を後継ぎにしようとしていたのも事実だ。それを今更否定することはできないし、それにずっと巻き込まれて一人きりで苦しんできた恭平が、こうして宮内を嫌うのは仕方がないことだと言えた。

「もう、この話は終わったことなんだ………おふくろはとうに死んでるし、おふくろは宮内の許嫁ではあったけど榊で俺を産んだ。」

疲労の滲む声でそう告げた恭平に思わず言葉を失った慶太郎の横で、何故か慶太郎以上の戸惑いに満ちた顔つきで慶周の口から不意に問いかける言葉が溢れ落ちていた。

「………美弥子さんは、何で慶恭と結婚しなかったんだ?」

その言葉にまたこうして嫌な記憶をほじくりかえして説明を繰り返すのかと、恭平は堪えきれずに苦悩に深い溜め息をつきながら自分の母親が病弱で子供が出来ないと思われたからと真実をありのままに慶周に向かって苦い声で呟く。

後継ぎがどうしてもほしかった老女の願いを叶えられない産まず女の嫁。

心臓の病で短命の可能性が高く、子供が作れないだろうとされた許嫁の榊美弥子は嫁にはいらない。だから既に婚前交渉で腹には恭平がいることも知らずに、一人で宮内を立ち去った榊美弥子。そして恭平を命がけで密かに産み落とした。そう聞いた瞬間何故か一番苦悩に満ちた顔をしたのは、恭平でも慶太郎でもなく、嘲笑うかと思われていた宮内慶周だったのだ。



※※※



「源川。」

背後からかけられた言葉に不快感を隠しもしない顔で振り返った仁聖の顔に、追いかけてきた様子の鳥飼信哉は目を細めて歩み寄った。『茶樹』での話を終えて翔悟と別れさっさと帰途についた仁聖を何故か一番仁聖が今は関わりたくない信哉が追いかけてきて、こうして話しかけてまできたのにさっきのモヤモヤが再び頭をもたげる。街中の喧騒とは真逆の静まり返った冷ややかさで、仁聖は口を開く。

「何なんですか?」

こんな風にあからさまに嫌そうな返答を、仁聖は誰かに返したことなんてない。それは分かっていても目の前の男の存在が何故か酷く勘に障って、普段とは違って仁聖の言葉にあからさまな棘を産み出している。それに気がついている筈の信哉は、平然とした顔で仁聖を眺めた。身長だけでいえば仁聖の方が少し高いし体格も仁聖の方が勝っている筈なのに、目の前の男の方が遥かにしなやかで鋭い気配をしていて大人の余裕まで身につけていて。それが分かるからこそ、何故か苛立ちが増す。噛みつかんばかりといいたげな仁聖の視線に、信哉は平然としたまま微笑みを浮かべる。

「全く……そんなに警戒しなくても、なにもしない。」

そう穏やかに微笑まれ言われても何をするかしないかではなく存在が勘に障っているのだ、と答えそうになってしまって仁聖は思わず唇を噛んで黙り込む。こんな風に誰かを露骨に疎ましく感じたことが初めてだから、そんなことに気がついた心の中の戸惑いもあった。

「あらぁ!源川君じゃない。」

前言撤回。仁聖にしてみると、この女も存在事態が好きじゃない。思わずなんでこうもかけられたくない時に限って、こんなに疎ましい人間にばかり声をかけられる羽目になるのかと内心考える。甲高い猫なで声でこちらの都合も構わず二人の間にわって入ったのは言うまでもなく金子美乃利で、実はこの女がここら辺近辺を最近執拗に彷徨いているのは知っていた。勿論目的が自分と偶然を装い出会うの事なのは知っていたけれど、間抜けなことに常に何人か取り巻きを引き連れている金子は避けるのも容易いからうまく避けて来たのだ。それなのにこんな事態の時に警戒を忘れた途端この事態で。面倒だから話に首を突っ込まなくてもと思った途端、何故か取り巻きの一人が一瞬空に浮かぶように仁聖の目の前に倒れこむ。

「へ?」
「なに?」
「やだ!なに?」

突然のその動きに金子だけでなく取り巻きの誰もがポカーンと道路に倒れこんだその青年を見下ろすが、倒れた方も何か起こったか分からない様子で地べたにひれ伏している。とはいえそれを真っ直ぐに見ていた筈の仁聖の方も半分しか何か起こったか分からないのだった。

「悪いな、咄嗟だったから。」

酷く穏やかににこやかな笑顔でそう告げたのは、その地べたに倒れこんだ男を見下ろし手を差し伸べた鳥飼信哉で。仁聖の見ていた半分というのは、その倒れこんだ男が信哉を背後から突き飛ばして会話に割り込もうと手を伸ばした次の瞬間何故か男は倒れこみ信哉は何事もなかったように笑う。

「突き飛ばされるのを避けたが、まさか受け身もとれないとはね。」

にこやかな顔だがどう聞いても言葉には嫌味が含まれていて、倒れ込んでいた男は顔を真っ赤にした。金子だけが間に入り込んだから自分がその位置に立ちたくて突き飛ばそうとしたのに、結果として自分がつんのめって転んだ訳なのだが。どう見ていても鳥飼信哉が何をどうしたのか見えなかったのに、仁聖は思わず信哉の顔を不思議なものでも見るように見つめていた。

「な、にしたんだよ、お前っ。」
「お前…………ねぇ?ガキの癖に粋がるなよ?避けただけでスッ転んだのはそっちだろ?」

サラリと口にした言葉に呆気に取られたのは転んだ男だけでなく、金子美乃利もだった。何しろ顔も見ないで間に入り込んだのに、振り替えったら美形の長身の青年がにこやかに微笑みながら毒舌を吐いているのだ。しかも優男に見えるがその言葉にはかなり威圧感があって、それに気がつかないのは金子の取り巻きの男だけと来ている。

「こら、往来で何やってんだ!信哉!」

それに唐突に声を挟んだのは、ユッタリとした服でも既に腹の存在感が分かる見覚えのある美女で。青年が見つかったかと言わんばかりの顔で振り返り、桁違いに麗しく優しい微笑みを浮かべて見せたのに辺りが思わず息を飲むほどだ。

「仕方ないだろ、こっちが源川に話しかけてるのに邪魔されてだな…………。梨央こそ、帰りには電話する予定だったろ?」
「茶樹に行ったら、たった今出てったって言うから。」

呑気な会話をしている場合かと聞きたくなるが、あまりの変わり身の早さに絡もうとしていた取り巻きすらポカーンとしている。言うまでもなく信哉が態度を変えて話しかけているのは、信哉の妻の鳥飼梨央で五ヶ月になろうと言う身重。呆れるほどの仲の良さを見せつけて一体何が言いたかったのかと仁聖が思った瞬間、馬鹿なことに取り巻きの一人が妊婦が傍にいるというのに掴みかかったのだった。
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