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第十五章 FlashBack
178.
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「晴。」
かけられた声に我に返った晴は、心配気に自分を覗き込む了の表情に気がついて目を瞬かせた。外崎宏太は何か用があるとかで朝から留守にしていて、自宅の仕事場で仕事をしていたのは了と晴の二人だけだ。以前なら二人きりは禁止と宏太から宣言されていたのたが、今はそれは容認の範囲らしく宏太は二人きりになっても何も言ってこない。それは兎も角心配そうに眺めている了に、晴は何が起こったのかと言いたげな視線を向けた。
「え………と、何?」
僅かに作りつけた微笑みを貼り付けながら返した言葉に、目の前の了が明らかに顔色を変えて溜め息をつくとちょっと来いと仕事場から腕を引かれてリビングに連れ出された。どうやらかなり何度も声をかけられたのに、晴はボォッとしてまるで返事もしなかったらしい。大人しくリビングのソファーに座らされて、改めていれ直された何時もより一際甘く牛乳多目のミルクティーを差し出され晴はそれを素直に受け取る。
「それで?」
「え?」
了が憮然としたような表情で隣に座ると、いつになく厳しい声音で目を細め組んだ足の膝の上に手をおきながら口を開く。こんな風に厳しい声で話す了を殆ど見たことがなくて、晴は驚いたようにその顔を見つめた。元の職場の先輩として出会ってから今まで確かに指導されたり叱責されたこともあるが、こんな厳しい声で問いかけられたことはない。
「明良とちゃんと話したか?お前。」
外崎宅に間借り中とはいえ、部屋では一緒にいるし明良と話しはしている。しているけれど、了が指摘したいのはそこではないような気がして晴は思わず口をつぐんだ。その様子に了は目を細めて一つ深い溜め息をつく。
「お前をこっち側に引き込んだのは俺だから、ずっと責任は感じてたんだ。」
こっち側に?と問い返すと、それは仕事や何かと言うだけのことではなく、言うなれば現状の晴の性的な面を含めてという意味らしいのに気がつく。
「お前は元々俺と関わらなきゃ、あのままあの会社で働いてたろうし、あの時の彼女と普通に結婚して普通の家庭を持ってたはずなのはわかってる。」
「それは……了のせいじゃなくて、俺が選んだことだよ………?」
「結果としてはな?でも切っ掛けを作ったのは俺だし、そうなるように仕向けもした。」
選択は晴自身がしてきたことだけれど、その発端や道筋は了が仕向けたと言われ晴は戸惑いながら視線を向ける。確かにヘテロセクシャルだった晴が今のようなバイセクシャルになったのは、了と関係を持ったからだった。以前は結婚まで考えた女性もいたにはいたのだが、晴は結局は自分でその女性と別れることを選んだのだ。それに確かに先輩として出会った了が好きで強く惹かれていたけど、晴はここに来るようになってからの了の方が実はずっと好きだと思う。そう改めて了に向かって口にしたことはないが、晴自身が了の事も外崎宏太の事も嫌いではない。ただ晴がこんなにも変わったのは明良に出会ってからというものの、明良が誰よりも一番に変わって飛び抜けて惹かれあってしまっただけなのだ。
「お前が明良が好きだっていうのは、正直言えば嬉しい。」
「うれし………?」
「お前が本気で好きだって思える相手が出来たのが、俺は嬉しい。」
思ってもみなかった言葉に目を丸くしている晴の頭を宏太がするように了も優しい手つきで撫で、そういえば二人きりでも宏太が何も言わなくなったのは明良と交際が始まってからだと今更のように気がつく。宏太が晴を危険と判断しなくなったのは、晴自身が惹かれる別な人間がいることを宏太が理解しているからなのだ。そして了はまるで弟にでも話しているみたいに穏やかな表情で、それでもまだ厳しい声音のままに更に言葉を繋ぐ。
「だからじゃないけど、お前がそんな顔し続けてるのは見てられない。」
「そんな………?」
「ここんとこお前一つも笑わないし、沈んだままの顔して。話しかけても上の空で。」
そう了に指摘されて、初めて自分がそんな顔でここ数日を過ごしていたのに気がつく。
周囲で宏太や明良が高橋の包囲網が狭まっていくのを話題にしても、普段だったら一番に話に乗ってきそうな晴がまるで反応もせずに俯き加減に目を伏せている。悲しげに物思いに耽り伏せられた睫毛が瞬く度に、まるで涙の粒が今にもこぼれ落ちてきそうなほど晴の瞳は弱々しく常に揺れていた。だけど了にそんな風に指摘されるまで、晴当人ですら自分がそんな顔でいることに気がつかずにいたのだ。
「ちゃんと………明良と話したか?晴。」
「はなし………してるよ?普通に………。」
「違う、お前明良の怪我のことどう思ってるのか全部言ったか?」
明良の怪我の事。その言葉に晴の体が強張ったのに了がやっぱりと言いたげに溜め息をつきながら、晴のことを改めて見つめる。
「お前………明良の怪我、自分のせいだと思ってるだろ?」
了の言葉に晴は息を詰める。
晴自身はそんなこと起こるはずもないとたかを括っていて、しかも明良のする心配をまるで理解してもいなかった。そのせいで明良は無防備な晴のことを庇って怪我をしたのだ。そして明良が怪我をしたと知った瞬間恐怖で気絶しそうになったのは、明良が居なくなるかもと考えた自分が明良のいないこれからを考えることが出来ないのを晴が知ったからだった。
「お………おれ、明良が……怪我したの………みて、怖くて……。」
明良の怪我が軽かったのは幸いだった、でもこのまま自分と付き合い続けると同じことが起こるかもしれない。明良がいない日々を前のように過ごせるかと問われると、yesとは絶対に言えない自分の利己的な感情が晴は怖かった。
「俺………こんな、風に………考えたことない………。」
誰かを必要としていて、その誰かを失うことが怖い。そんなのは物語の中だけの事だとずっと笑い飛ばしてきたのに、初めて知ったその感情が晴を絡めとって明良の傍を離れるのが怖い。明良の傍から離れたくないし、明良に離れて欲しくない。そんな感情を初めて感じたら、酷く自分が弱くなって涙脆く崩れてしまう。そんな晴の様子に躊躇いがちに了が口を開く。
「………晴、……ここの仕事辞めるか?そうすれば………。」
同じようなことは了と宏太の間でも話し合われはしたが、外崎二人の答えは言うまでもなく忌の際まで共に歩むことで、宏太が危険なことをしたら了は隣にたつことを選んだ。同じく榊恭平と源川仁聖は危険な目に会ったとしたら、共に危険から逃げる道を選ぶと決めている。そして、同じ問いかけに狭山明良と結城晴は、新たに直面しまだ答えを導き出せないでいるのだ。了の問いかけに晴の瞳から堪えきれずに大粒の涙がこぼれ落ちるのに、了は深い溜め息をつき晴の顔を覗き込む。
「それも、やだ……俺、ここで働くの好きだもん………了も社長も好きだもん……。」
性にあっている仕事場での仕事、それと何よりも大事な人。世の中でも大概の人間に同じ問いかけをしても、天秤にかけるには難しい。大事な人と答えるのが正解かどうかなんて、綺麗事では済まないのが現実だ。そして外崎との仕事は表だってのコンサルティング業だけなら兎も角、裏の面があって晴はそのどちらも性にあっていると思う。だけど、その仕事柄危険性がないわけではないのが、今の晴には痛いほどに解る。解るからこそその問いかけは晴自身もしたが結局は答えが出せないで、結局はこうやって泣くしか出来なくなってしまっているのだった。
「晴………。」
正直なところ了が宏太と二人で話していて、晴が望むなら辞めさせるというのが了の結論だった。が同時に宏太の方は、晴は辞めるのは望まないだろうなと何故か予測してもいた。両立できるのが一番だが両立出来ない時にどちらを選ぶかは、人によりけりなのだ。そしてこの点では宏太の方が晴のことを的確に判断していると言えて、だからこそ尚更に二人の障害になりそうな高橋を手も足も出ないようにしたいのだ。最終的に警察に任せるのは本来は当然なのだが、下手に復讐心を持ったまま戻ってこられては困る。藤咲の事務所の害になるような復讐心も困る。だからこそこんな回りくどく計画を練って、高橋に恩を売って手も足も出ないようにするつもりだった。
そう多くのことを警察沙汰にしない対価としての、今後の安全の確保。
この計画の本懐を知らないのは、実のところ源川仁聖をはじめとした八人の中では結城晴と榊恭平の二人だけだ。榊恭平は根が真面目すぎるので警察に引き渡す訳でもないこの策には絶対に乗らないというのが、了と源川仁聖の共通した返答だったからあえて恭平には説明はしなかった。そして晴にも計画を説明しなかったのは、結局はこの様子で晴が明良を傷つけた男を無罪にする計画に賛同するとは思えなかったからだ。
「おれ………、明良がいなくなるのもやだけど、ここにこれなくなるのもやだ……でも……。」
だけどここまで説明しないことで明良の晴の心に対する対応が遅れているのに了は気がついていて、それは見ている前で次第に晴を蝕んでいく。晴が弱く脆く崩れかけているのに、それに明良はまだ気がつかないでいる。思わず頭を撫でる手が泣き出した晴を引き寄せて腕に抱き締めた途端、晴は声を殺すようにして了の腕の中で更に泣き出し始めていた。
※※※
蛍光灯の光の下の味気ない長椅子が並ぶ通路を青ざめた顔で駆けつけた恭平の視界に、救急室の前の長椅子に座っている栗色の髪が見えた。その電話がかかってきたのは真見塚道場から鳥飼信哉と恭平の二人が出ようとしたのと殆ど同時で、恭平は電話の話を聞いてその足でここまで急いで駆けつけてきたのだ。足音に気がついた仁聖が、ふと顔をあげて恭平の姿を見て止める。
「…………恭平。」
駆けつけた恭平の足音に気がついた仁聖が少し戸惑うような声で名前を呼びながら、右目の斜め上に大きなガーゼを当てた姿で視線を向けるのに青ざめた恭平の顔は苦痛そうに歪んだ。
仁聖が怪我をした。
そう藤咲から連絡がきて、足元から一気に血の気が引いていた。絶対に怪我はさせないとあれほど約束した筈と電話口に恭平は怒鳴り付けたくなったが、仁聖自身が計画にない行動をして相手が逆上するようなことをしてしまったと受話器を受け取った仁聖自身が口にしたから恭平は怒りを現そうにも言葉を失ってしまう。目の前には少し晴れ上がった目元と治療して大きなガーゼを当てた姿の仁聖が、シュンとした顔で駆け寄った恭平を見上げる。
「…………ごめん、恭平。」
その横には警察官でもある鳥飼信哉の同級生の風間祥太と外崎宏太、そして困惑顔の藤咲信夫がいる。
最初の予定では高橋に自白をさせて録音音声を確保した時点で藤咲がわってはいり、そのまま高橋を仁聖から離してしまうはずだった。実際には仁聖がスマホに高橋の自白を録音している予定ではなかったし、あの場で録音の音声を聞かせるつもりもなく、更にあの時点ではまだ警察に音声は渡っていない。あの時の言葉は仁聖の放ったはったりで、しかもタイミングとしては最悪だったのだ。
勿論音声はスマホを経由してではなく、仁聖が持っていた別の機器でも鮮明に録音はされている。でも想定外の仁聖の行動に藤咲が反応ができず、高橋の手がすり抜けてしまったのだった。その結果目の前にいた仁聖のスマホを奪おうと襲いかかった高橋に殴られ仁聖は怪我をしてしまって、尚且つ仁聖のスマホも無惨にも粉砕されてしまったという。仁聖の右額は殴られた時に少し裂傷になった結果、治療を受けてガーゼが当てられているのだった。
「な…………んで………。」
怪我は絶対にさせないという約束だったが、仁聖が自分から勝手なことをしたら想定外の事態が起きても対処のしようがない。そうわかるからこそ誰にこの怒りをぶつければいいのか、恭平は強ばった表情で見上げてくる仁聖の顔を見つめた。
高橋は暴行したということでそのまま即逮捕されたという。と言うのもスタジオのバックヤードに実は最初から外崎と風間が待機していたからであって。そこで高橋の自白音声は録音されていたし、情報は粗方風間祥太には伝わっていた。風間は信哉の同級生でもあるが、外崎宏太とも以前から交流があるし、同時に恭平のことも仁聖のこともあの街中での騒動のこともあって知っている。
「全く………裏工作する前に、話が聞けてて良かったが………。」
そして実際には大事にしないで終わらせるのを交換条件にして、高橋の復讐心をへし折ろうと言うのが本当の計画だったと知らされた恭平の顔が明らかに曇ったのに仁聖は気がついていた。
かけられた声に我に返った晴は、心配気に自分を覗き込む了の表情に気がついて目を瞬かせた。外崎宏太は何か用があるとかで朝から留守にしていて、自宅の仕事場で仕事をしていたのは了と晴の二人だけだ。以前なら二人きりは禁止と宏太から宣言されていたのたが、今はそれは容認の範囲らしく宏太は二人きりになっても何も言ってこない。それは兎も角心配そうに眺めている了に、晴は何が起こったのかと言いたげな視線を向けた。
「え………と、何?」
僅かに作りつけた微笑みを貼り付けながら返した言葉に、目の前の了が明らかに顔色を変えて溜め息をつくとちょっと来いと仕事場から腕を引かれてリビングに連れ出された。どうやらかなり何度も声をかけられたのに、晴はボォッとしてまるで返事もしなかったらしい。大人しくリビングのソファーに座らされて、改めていれ直された何時もより一際甘く牛乳多目のミルクティーを差し出され晴はそれを素直に受け取る。
「それで?」
「え?」
了が憮然としたような表情で隣に座ると、いつになく厳しい声音で目を細め組んだ足の膝の上に手をおきながら口を開く。こんな風に厳しい声で話す了を殆ど見たことがなくて、晴は驚いたようにその顔を見つめた。元の職場の先輩として出会ってから今まで確かに指導されたり叱責されたこともあるが、こんな厳しい声で問いかけられたことはない。
「明良とちゃんと話したか?お前。」
外崎宅に間借り中とはいえ、部屋では一緒にいるし明良と話しはしている。しているけれど、了が指摘したいのはそこではないような気がして晴は思わず口をつぐんだ。その様子に了は目を細めて一つ深い溜め息をつく。
「お前をこっち側に引き込んだのは俺だから、ずっと責任は感じてたんだ。」
こっち側に?と問い返すと、それは仕事や何かと言うだけのことではなく、言うなれば現状の晴の性的な面を含めてという意味らしいのに気がつく。
「お前は元々俺と関わらなきゃ、あのままあの会社で働いてたろうし、あの時の彼女と普通に結婚して普通の家庭を持ってたはずなのはわかってる。」
「それは……了のせいじゃなくて、俺が選んだことだよ………?」
「結果としてはな?でも切っ掛けを作ったのは俺だし、そうなるように仕向けもした。」
選択は晴自身がしてきたことだけれど、その発端や道筋は了が仕向けたと言われ晴は戸惑いながら視線を向ける。確かにヘテロセクシャルだった晴が今のようなバイセクシャルになったのは、了と関係を持ったからだった。以前は結婚まで考えた女性もいたにはいたのだが、晴は結局は自分でその女性と別れることを選んだのだ。それに確かに先輩として出会った了が好きで強く惹かれていたけど、晴はここに来るようになってからの了の方が実はずっと好きだと思う。そう改めて了に向かって口にしたことはないが、晴自身が了の事も外崎宏太の事も嫌いではない。ただ晴がこんなにも変わったのは明良に出会ってからというものの、明良が誰よりも一番に変わって飛び抜けて惹かれあってしまっただけなのだ。
「お前が明良が好きだっていうのは、正直言えば嬉しい。」
「うれし………?」
「お前が本気で好きだって思える相手が出来たのが、俺は嬉しい。」
思ってもみなかった言葉に目を丸くしている晴の頭を宏太がするように了も優しい手つきで撫で、そういえば二人きりでも宏太が何も言わなくなったのは明良と交際が始まってからだと今更のように気がつく。宏太が晴を危険と判断しなくなったのは、晴自身が惹かれる別な人間がいることを宏太が理解しているからなのだ。そして了はまるで弟にでも話しているみたいに穏やかな表情で、それでもまだ厳しい声音のままに更に言葉を繋ぐ。
「だからじゃないけど、お前がそんな顔し続けてるのは見てられない。」
「そんな………?」
「ここんとこお前一つも笑わないし、沈んだままの顔して。話しかけても上の空で。」
そう了に指摘されて、初めて自分がそんな顔でここ数日を過ごしていたのに気がつく。
周囲で宏太や明良が高橋の包囲網が狭まっていくのを話題にしても、普段だったら一番に話に乗ってきそうな晴がまるで反応もせずに俯き加減に目を伏せている。悲しげに物思いに耽り伏せられた睫毛が瞬く度に、まるで涙の粒が今にもこぼれ落ちてきそうなほど晴の瞳は弱々しく常に揺れていた。だけど了にそんな風に指摘されるまで、晴当人ですら自分がそんな顔でいることに気がつかずにいたのだ。
「ちゃんと………明良と話したか?晴。」
「はなし………してるよ?普通に………。」
「違う、お前明良の怪我のことどう思ってるのか全部言ったか?」
明良の怪我の事。その言葉に晴の体が強張ったのに了がやっぱりと言いたげに溜め息をつきながら、晴のことを改めて見つめる。
「お前………明良の怪我、自分のせいだと思ってるだろ?」
了の言葉に晴は息を詰める。
晴自身はそんなこと起こるはずもないとたかを括っていて、しかも明良のする心配をまるで理解してもいなかった。そのせいで明良は無防備な晴のことを庇って怪我をしたのだ。そして明良が怪我をしたと知った瞬間恐怖で気絶しそうになったのは、明良が居なくなるかもと考えた自分が明良のいないこれからを考えることが出来ないのを晴が知ったからだった。
「お………おれ、明良が……怪我したの………みて、怖くて……。」
明良の怪我が軽かったのは幸いだった、でもこのまま自分と付き合い続けると同じことが起こるかもしれない。明良がいない日々を前のように過ごせるかと問われると、yesとは絶対に言えない自分の利己的な感情が晴は怖かった。
「俺………こんな、風に………考えたことない………。」
誰かを必要としていて、その誰かを失うことが怖い。そんなのは物語の中だけの事だとずっと笑い飛ばしてきたのに、初めて知ったその感情が晴を絡めとって明良の傍を離れるのが怖い。明良の傍から離れたくないし、明良に離れて欲しくない。そんな感情を初めて感じたら、酷く自分が弱くなって涙脆く崩れてしまう。そんな晴の様子に躊躇いがちに了が口を開く。
「………晴、……ここの仕事辞めるか?そうすれば………。」
同じようなことは了と宏太の間でも話し合われはしたが、外崎二人の答えは言うまでもなく忌の際まで共に歩むことで、宏太が危険なことをしたら了は隣にたつことを選んだ。同じく榊恭平と源川仁聖は危険な目に会ったとしたら、共に危険から逃げる道を選ぶと決めている。そして、同じ問いかけに狭山明良と結城晴は、新たに直面しまだ答えを導き出せないでいるのだ。了の問いかけに晴の瞳から堪えきれずに大粒の涙がこぼれ落ちるのに、了は深い溜め息をつき晴の顔を覗き込む。
「それも、やだ……俺、ここで働くの好きだもん………了も社長も好きだもん……。」
性にあっている仕事場での仕事、それと何よりも大事な人。世の中でも大概の人間に同じ問いかけをしても、天秤にかけるには難しい。大事な人と答えるのが正解かどうかなんて、綺麗事では済まないのが現実だ。そして外崎との仕事は表だってのコンサルティング業だけなら兎も角、裏の面があって晴はそのどちらも性にあっていると思う。だけど、その仕事柄危険性がないわけではないのが、今の晴には痛いほどに解る。解るからこそその問いかけは晴自身もしたが結局は答えが出せないで、結局はこうやって泣くしか出来なくなってしまっているのだった。
「晴………。」
正直なところ了が宏太と二人で話していて、晴が望むなら辞めさせるというのが了の結論だった。が同時に宏太の方は、晴は辞めるのは望まないだろうなと何故か予測してもいた。両立できるのが一番だが両立出来ない時にどちらを選ぶかは、人によりけりなのだ。そしてこの点では宏太の方が晴のことを的確に判断していると言えて、だからこそ尚更に二人の障害になりそうな高橋を手も足も出ないようにしたいのだ。最終的に警察に任せるのは本来は当然なのだが、下手に復讐心を持ったまま戻ってこられては困る。藤咲の事務所の害になるような復讐心も困る。だからこそこんな回りくどく計画を練って、高橋に恩を売って手も足も出ないようにするつもりだった。
そう多くのことを警察沙汰にしない対価としての、今後の安全の確保。
この計画の本懐を知らないのは、実のところ源川仁聖をはじめとした八人の中では結城晴と榊恭平の二人だけだ。榊恭平は根が真面目すぎるので警察に引き渡す訳でもないこの策には絶対に乗らないというのが、了と源川仁聖の共通した返答だったからあえて恭平には説明はしなかった。そして晴にも計画を説明しなかったのは、結局はこの様子で晴が明良を傷つけた男を無罪にする計画に賛同するとは思えなかったからだ。
「おれ………、明良がいなくなるのもやだけど、ここにこれなくなるのもやだ……でも……。」
だけどここまで説明しないことで明良の晴の心に対する対応が遅れているのに了は気がついていて、それは見ている前で次第に晴を蝕んでいく。晴が弱く脆く崩れかけているのに、それに明良はまだ気がつかないでいる。思わず頭を撫でる手が泣き出した晴を引き寄せて腕に抱き締めた途端、晴は声を殺すようにして了の腕の中で更に泣き出し始めていた。
※※※
蛍光灯の光の下の味気ない長椅子が並ぶ通路を青ざめた顔で駆けつけた恭平の視界に、救急室の前の長椅子に座っている栗色の髪が見えた。その電話がかかってきたのは真見塚道場から鳥飼信哉と恭平の二人が出ようとしたのと殆ど同時で、恭平は電話の話を聞いてその足でここまで急いで駆けつけてきたのだ。足音に気がついた仁聖が、ふと顔をあげて恭平の姿を見て止める。
「…………恭平。」
駆けつけた恭平の足音に気がついた仁聖が少し戸惑うような声で名前を呼びながら、右目の斜め上に大きなガーゼを当てた姿で視線を向けるのに青ざめた恭平の顔は苦痛そうに歪んだ。
仁聖が怪我をした。
そう藤咲から連絡がきて、足元から一気に血の気が引いていた。絶対に怪我はさせないとあれほど約束した筈と電話口に恭平は怒鳴り付けたくなったが、仁聖自身が計画にない行動をして相手が逆上するようなことをしてしまったと受話器を受け取った仁聖自身が口にしたから恭平は怒りを現そうにも言葉を失ってしまう。目の前には少し晴れ上がった目元と治療して大きなガーゼを当てた姿の仁聖が、シュンとした顔で駆け寄った恭平を見上げる。
「…………ごめん、恭平。」
その横には警察官でもある鳥飼信哉の同級生の風間祥太と外崎宏太、そして困惑顔の藤咲信夫がいる。
最初の予定では高橋に自白をさせて録音音声を確保した時点で藤咲がわってはいり、そのまま高橋を仁聖から離してしまうはずだった。実際には仁聖がスマホに高橋の自白を録音している予定ではなかったし、あの場で録音の音声を聞かせるつもりもなく、更にあの時点ではまだ警察に音声は渡っていない。あの時の言葉は仁聖の放ったはったりで、しかもタイミングとしては最悪だったのだ。
勿論音声はスマホを経由してではなく、仁聖が持っていた別の機器でも鮮明に録音はされている。でも想定外の仁聖の行動に藤咲が反応ができず、高橋の手がすり抜けてしまったのだった。その結果目の前にいた仁聖のスマホを奪おうと襲いかかった高橋に殴られ仁聖は怪我をしてしまって、尚且つ仁聖のスマホも無惨にも粉砕されてしまったという。仁聖の右額は殴られた時に少し裂傷になった結果、治療を受けてガーゼが当てられているのだった。
「な…………んで………。」
怪我は絶対にさせないという約束だったが、仁聖が自分から勝手なことをしたら想定外の事態が起きても対処のしようがない。そうわかるからこそ誰にこの怒りをぶつければいいのか、恭平は強ばった表情で見上げてくる仁聖の顔を見つめた。
高橋は暴行したということでそのまま即逮捕されたという。と言うのもスタジオのバックヤードに実は最初から外崎と風間が待機していたからであって。そこで高橋の自白音声は録音されていたし、情報は粗方風間祥太には伝わっていた。風間は信哉の同級生でもあるが、外崎宏太とも以前から交流があるし、同時に恭平のことも仁聖のこともあの街中での騒動のこともあって知っている。
「全く………裏工作する前に、話が聞けてて良かったが………。」
そして実際には大事にしないで終わらせるのを交換条件にして、高橋の復讐心をへし折ろうと言うのが本当の計画だったと知らされた恭平の顔が明らかに曇ったのに仁聖は気がついていた。
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