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第十五章 FlashBack
172.
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個人情報の保護に関する法律は、個人情報の取扱いに関連する日本の法律で、大概は個人情報保護法と呼ばれている。2003年(平成15年)5月23日に成立し、一般企業に直接関わり罰則を含む第4~6章以外の規定は即日施行され、2年後の2005年(平成17年)4月1日に全面施行した。 個人情報保護法および同施行令によって、取扱件数に関係なく個人情報を個人情報データベース等として所持し事業に用いている事業者は個人情報取扱事業者とされることとなっていて、個人情報取扱事業者が主務大臣への報告やそれに伴う改善措置に従わない等の適切な対処を行わなかった場合は事業者に対して刑事罰が科される。
実際には、法律上主務官庁の個人情報取扱事業者に対する監督がなされるだけ。実は一般国民に対する直接の規制はないし、事業者による個人情報漏洩それ自体に対する直接の罰則はないのは余り知られてはいない。個人情報取扱事業者の主務官庁による中止・是正措置の勧告がなされ、従わない場合または要求された報告をしない場合には勿論罰則が課されるし、個人情報漏洩を原因とした損害が発生した場合は民事上の責任を問われる場合がある。
また良くある話だが災害や大規模な事故などが発生した際の安否情報も、実は規制外なのだ。第23条第1項第2号の「人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき」に該当するので法律の規制は及ばないと解釈される。つまり、とかくこの法律については常に誤解や過剰反応に基づいた問題が発生しているもので、 国家による警察的な取締りをおそれ法律の基本理念を逸脱した拡大解釈がなされてしまっているわけだ。
そんなわけで実際には落としたスマホを、個人的に拾ったくらいでは実際には個人情報には触れない。その後にどんな行動をするかが問題であって、拾っただけでは落とし物をただ拾得物として拾っただけの人である。そんなことは良く理解していて宮内慶周は手元のスマホを見下ろした。
……どうしたものか………これを………。
目の前で真見塚家の後継ぎ息子に引き摺られていく榊恭平のポケットから滑り落ちたスマホを、そのままにもしておけず手に取ったのは流石に目の前で落としたのを知っていて放置するほど宮内慶周とて人が悪いわけではないからだ。その後も何度も電話がかかってくる仁聖という名前の表示を見下ろして、受話したものなのか戸惑うのはこれを何処で何故拾ったのか説明に困るからである。
確かに……真見塚の子息のいう通りなのだ…………。
不浄なんてことはナンセンスなのは事実だ。実際には自分だってそう考えていた筈なのに、あの顔を見るとどうしても憎まれ口を叩くしかできなくなる。密かに榊恭平という人物は、実は宮内慶周にとっては多大なコンプレックスの対象だった。何故ならこの宮内慶周の初恋の相手は榊美弥子という、そう過去には従兄弟の許嫁であり、後には榊恭平の母親になった淑やかでたおやかな美しい女性だったのだ。従兄弟の家に時折合気道の合宿のように預けられた幼い宮内慶周は、一回りも年上の従兄弟の許嫁と出会って一目惚れしたのだった。
※※※
まだ宮内慶周が十代前半で一回り年の違う従兄弟の許嫁である榊美弥子に出会ったのは、鳥飼道場の出稽古から帰ってきた夕暮れ時の事。まだ未成年であと数年したら宮内慶恭と結婚するという話を聞いていた榊美弥子は色の白い透けてしまうように儚い繊細な人で、夕暮れの中で日本庭園に佇む姿は天女のようだ。
「お帰りなさい、出稽古ですか?お疲れさま。」
そう必ず声をかけてくれる、柔らかな微笑みと鈴のように軽やかな声。当時まだ結婚までは月日も時間もあるというのに嫁入りの修行だと宮内の伯母にこうして時折呼びつけられ、美弥子は学校帰りに家の仕来たりや華道や茶道を初めとして様々な指導をされていた。どちらかと言えば美弥子には自分の方が年が近いし、その彼女は弟のように慶周の気持ちも知らずに声をかけてくる。
子供の頃からの許嫁だというけれど、実は美弥子の母親が早逝したのが叔母にはどうも気に入らないらしいのは慶周も知っていた。宮内本家筋の伯父が早逝して一人息子しかいない伯母には、どうしても健康体で沢山子供を産める嫁を希望していて、それには美弥子は華奢で繊細すぎて弱く見えるらしい。それに実際美弥子は体が余り強くはなくて、良く体調を崩してもいた。
「美弥子さんは?またお稽古休憩?」
慶周にそう声をかけられてはにかむように微笑む彼女は、恐らく伯母に酷く叱責されて独り庭園で気分転換をしていたに違いない。それが分かっているが本家の血筋を守らないといけないという伯母の強い願いも分からないでもないから、慶周には何も口出しはできないし彼女は慶恭の許嫁だ。伯母の美弥子への稽古は高校生にはかなり厳しすぎて意地悪に見えると思っても、それが本家の嫁になるのに必要だと言われると何も言えない。
「ええ、私が覚えが悪いから頑張らないとね。」
そう微笑んだ彼女に運命が酷い仕打ちをするのは、それからほんの数年後の話だ。
鳥飼道場の道場主である鳥飼千羽哉が妻と共に事故で急逝し、鳥飼道場が閉じられて四年程が経つかたたないかの辺り。昔から兄弟のように過ごしていたから仲のいい慶周に慶恭から唐突に電話がかかってきて、呼び出され聞かされたのは榊美弥子と慶恭の破談という突然の話だった。
「何で?たか兄、美弥子さんと破談って。」
「美弥子さんから申し出があったそうだ……。」
その頃父親も病気で早逝した榊美弥子が、慶恭が不在の内に伯母に電話で破談を申し出たのだという。理由は彼女が病弱で子供が出来ない体と分かったせいで、暫く慶恭が海外に合気道の大会で遠征していて留守にしている内に彼女は実家を売却して姿を消してしまったという。縁側で呆然としている慶恭を見つめながら、慶周はヒソリと実は慶恭は数回彼女と婚前交渉があったと聞いたのを思い出していた。
婚前交渉するほどの仲で…………子供が出来ないからって姿を消す……?
本当は伯母にあんなに虐められるのが辛くて言い訳にそれを使ったのではないかとも考えたが、美弥子の人柄を考えるとそうとは思えない。真面目で真っ直ぐで大人しい人柄の美弥子と慶恭の二人は似た者同士で似合いの夫婦になるとずっと慶周は諦めてきたのに、こんな形で終焉がくるなんてと運命の儚さを感じもした。そして失意のままの慶恭は伯母のお茶の弟子である女性を勧められるままに妻として娶ったのに、正直いうと慶周は不満でもあったのだ。
慶恭は大人しすぎる
本当に美弥子の事が好きなら伯母のいうことなんか聞かずに美弥子を探して娶ればいいし、病弱なんて別に気にすることでもないと思う。だけど穏和な慶恭は、本家を守るという伯母の強権に勝てないのだ。確かに本家を守るために伯母がどれだけ苦労したかは聞いているが、それと自分の人生とは別問題な筈だ。結局その後も慶恭には何年も子供は出来ず、伯母は最終手段として慶周を養子にして後を継がせると言い出したのだのには流石に慶周も驚いた。
そんな辺りだ、榊恭平という子供が道場に通い始めたのは。
童女のように儚げで綺麗な顔立ちの幼い子供が、自分より遥かに才能があるのは暫くしない内に慶周も気がついた。あっという間に合気道の形を覚えてしまい、下手すると一度見たことは忘れないのかという吸収力で、小学生になる頃には古武術を教えてもいいほどの成長を見せる少年。
「鳥飼ばりだな、恭平は。」
何も気がつかないのか慶恭は笑いながら、そう慶周に言った。その頃丁度真見塚道場に鳥飼千羽哉の一人娘澪の子供が合気道を初めていて、とんでもない破格の天武の才能をもった少年が齢九歳で大会で演武をして見せたばかり。
気がつかないのか?慶恭は。
そう慶周は直ぐにその事実に気がついてしまった。儚げで触れると散り落ちてしまいそうな美貌、特に目を伏せるとその顔立ちはてきめんに彼女と瓜二つで、しかも名前だって珍し過ぎて簡単に分かってしまう。ただ慶周にも、問題なのは恭平の歳だった。破談になって七年、七歳になるというこの少年は美弥子の子供なのは一目瞭然だが、父親は誰なのだろうか。
というよりも、もし自分が何かのタイミングで彼女と再会したら
そうなのだった。正直に言えば自分の方が実はダメージが大きい気がするのは、破談になった美弥子が誰かと結ばれて子供を作ったと考えるのが慶周には出来ないでいるからだ。恭平が榊という苗字ということは美弥子は婿を取ったということなのだろうが、榊家の一人娘で親戚も少ないから当然と言えば当然の話。とはいえ慶恭以外の男と寄り添ってい暮らす美弥子を考えると、辛くて胸が痛いのは本当は自分の失恋も癒えていないということなのだ。
そうしてその恭平の父親という答えは予想だにしない相手から聞かさることになった。宮内の伯母の口からだ。
「あれは榊の娘が見ず知らずの男と作った子供です。後から慶恭の子供だと図々しく言いに来ましたけど、私の目は騙されませんよ。」
伯母がそれを口にして暫くして、榊恭平はパッタリと道場から姿を消してしまった。何が起こっていたのかは分からないし、伯母が何かしたかどうかも知らない。ただ来なくなったということが榊恭平が宮内慶恭の子供ではないという証拠のような気がして、尚且つそんな不義理をしたから別れを決意したのかと納得もした。恭平が合気道をやめたのは既に組討を習得して次の古武術をと黙されていた辺りのことで、慶恭は落胆したようだったが自分は何故かそれがいいような気がしていた。丁度その時には慶恭に慶太郎という子供が産まれていたのもあって慶周の道場の跡取りの話しは立ち消えになっていたし、何時か恭平が榊美弥子の子供と気がついたら自分の子供ではない恭平に穏和な慶恭が冷静に合気道を教えられるとは思えなかったのだ。
子供が出来ないからと破談になった筈なのに、結局他の男と子供を作ったのは、伯母の虐めが辛かったというのが本当の理由だったのだろう。それなら、やっぱり破談になった後に彼女を探して話をすればよかったと、今更に悔やみ続けている自分。これではまるで慶恭と何も変わらないし、優柔不断で家系に弱い慶恭や、家を守り続ける伯母と何も変わりがない気がしてしまう。
そんな頼りない人間では破談も仕方がないし、俺も何も変わらない
※※※
そんな苦い初恋の物思いに耽っている場合ではないが、久しぶりに顔を会わせた榊恭平は尚更美弥子に良く似ていた。伏し目がちの視線のせいか長く影を落とすような睫毛が瞬きに合わせて揺れる様は、日本庭園で俯き花を見つめていた美弥子とそっくりだ。背は高いが華奢で線が細いところも美弥子そっくりで、何故か男親に似ているという面が目につかないから尚更美弥子に似て見える。艶やかな黒髪も黒曜石のような瞳も、男性とは思えないほど儚い月明かりの下の花のようだ。花というよりは何処か月明かりを思わせるのは、美弥子もヒッソリと余り活気のある女性ではなかったからだろう。
美弥子は今どうしているんだろうか…………
社会人になって全く合気道と関係のない旅行ライターなんてものになって世界中を飛び回るようになったのは、勿論合気道で世界各国に旅行したせいもあるが古めかしい宮内の家系から離れるつもりもあった。道場を継いで本家の血筋を守るのは確かに大事なことだろうけれど、そのために好きな人と添い遂げられないのも本家のために我慢をするのも慶周には出来ない。
あれから慶恭ともかなり疎遠になっていたし、慶太郎なんか十年も会わない内に大学生になっていて。そして榊恭平は更に美弥子に良く似た顔に育ち…………
ちょっとまて、真見塚の息子が何かいっていた気がする…………
不浄なんて血筋で卑下するのはナンセンスだと、それ以外に宮内先輩だって同じようにいうと。そうか、真見塚の息子と慶太郎はそれほど年が違わないから、互いに交流があるのだろうと気がつく。だが交流があるのと榊の生まれは関係があるのか?と首を捻ってしまう。
それに話しは戻るがこのスマホを一体どうするべきか答えがでないでいる。宮内に連絡を取ってもらう訳にもいかないだろうし、それは真見塚でも同じことのような気もするわけで。最悪仕事はわかっているから出版社経由という事も可能と言えば可能かもしれないと、密かに悶々と悩みながら宮内慶周は歩き始めていた。
実際には、法律上主務官庁の個人情報取扱事業者に対する監督がなされるだけ。実は一般国民に対する直接の規制はないし、事業者による個人情報漏洩それ自体に対する直接の罰則はないのは余り知られてはいない。個人情報取扱事業者の主務官庁による中止・是正措置の勧告がなされ、従わない場合または要求された報告をしない場合には勿論罰則が課されるし、個人情報漏洩を原因とした損害が発生した場合は民事上の責任を問われる場合がある。
また良くある話だが災害や大規模な事故などが発生した際の安否情報も、実は規制外なのだ。第23条第1項第2号の「人の生命、身体又は財産の保護のために必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき」に該当するので法律の規制は及ばないと解釈される。つまり、とかくこの法律については常に誤解や過剰反応に基づいた問題が発生しているもので、 国家による警察的な取締りをおそれ法律の基本理念を逸脱した拡大解釈がなされてしまっているわけだ。
そんなわけで実際には落としたスマホを、個人的に拾ったくらいでは実際には個人情報には触れない。その後にどんな行動をするかが問題であって、拾っただけでは落とし物をただ拾得物として拾っただけの人である。そんなことは良く理解していて宮内慶周は手元のスマホを見下ろした。
……どうしたものか………これを………。
目の前で真見塚家の後継ぎ息子に引き摺られていく榊恭平のポケットから滑り落ちたスマホを、そのままにもしておけず手に取ったのは流石に目の前で落としたのを知っていて放置するほど宮内慶周とて人が悪いわけではないからだ。その後も何度も電話がかかってくる仁聖という名前の表示を見下ろして、受話したものなのか戸惑うのはこれを何処で何故拾ったのか説明に困るからである。
確かに……真見塚の子息のいう通りなのだ…………。
不浄なんてことはナンセンスなのは事実だ。実際には自分だってそう考えていた筈なのに、あの顔を見るとどうしても憎まれ口を叩くしかできなくなる。密かに榊恭平という人物は、実は宮内慶周にとっては多大なコンプレックスの対象だった。何故ならこの宮内慶周の初恋の相手は榊美弥子という、そう過去には従兄弟の許嫁であり、後には榊恭平の母親になった淑やかでたおやかな美しい女性だったのだ。従兄弟の家に時折合気道の合宿のように預けられた幼い宮内慶周は、一回りも年上の従兄弟の許嫁と出会って一目惚れしたのだった。
※※※
まだ宮内慶周が十代前半で一回り年の違う従兄弟の許嫁である榊美弥子に出会ったのは、鳥飼道場の出稽古から帰ってきた夕暮れ時の事。まだ未成年であと数年したら宮内慶恭と結婚するという話を聞いていた榊美弥子は色の白い透けてしまうように儚い繊細な人で、夕暮れの中で日本庭園に佇む姿は天女のようだ。
「お帰りなさい、出稽古ですか?お疲れさま。」
そう必ず声をかけてくれる、柔らかな微笑みと鈴のように軽やかな声。当時まだ結婚までは月日も時間もあるというのに嫁入りの修行だと宮内の伯母にこうして時折呼びつけられ、美弥子は学校帰りに家の仕来たりや華道や茶道を初めとして様々な指導をされていた。どちらかと言えば美弥子には自分の方が年が近いし、その彼女は弟のように慶周の気持ちも知らずに声をかけてくる。
子供の頃からの許嫁だというけれど、実は美弥子の母親が早逝したのが叔母にはどうも気に入らないらしいのは慶周も知っていた。宮内本家筋の伯父が早逝して一人息子しかいない伯母には、どうしても健康体で沢山子供を産める嫁を希望していて、それには美弥子は華奢で繊細すぎて弱く見えるらしい。それに実際美弥子は体が余り強くはなくて、良く体調を崩してもいた。
「美弥子さんは?またお稽古休憩?」
慶周にそう声をかけられてはにかむように微笑む彼女は、恐らく伯母に酷く叱責されて独り庭園で気分転換をしていたに違いない。それが分かっているが本家の血筋を守らないといけないという伯母の強い願いも分からないでもないから、慶周には何も口出しはできないし彼女は慶恭の許嫁だ。伯母の美弥子への稽古は高校生にはかなり厳しすぎて意地悪に見えると思っても、それが本家の嫁になるのに必要だと言われると何も言えない。
「ええ、私が覚えが悪いから頑張らないとね。」
そう微笑んだ彼女に運命が酷い仕打ちをするのは、それからほんの数年後の話だ。
鳥飼道場の道場主である鳥飼千羽哉が妻と共に事故で急逝し、鳥飼道場が閉じられて四年程が経つかたたないかの辺り。昔から兄弟のように過ごしていたから仲のいい慶周に慶恭から唐突に電話がかかってきて、呼び出され聞かされたのは榊美弥子と慶恭の破談という突然の話だった。
「何で?たか兄、美弥子さんと破談って。」
「美弥子さんから申し出があったそうだ……。」
その頃父親も病気で早逝した榊美弥子が、慶恭が不在の内に伯母に電話で破談を申し出たのだという。理由は彼女が病弱で子供が出来ない体と分かったせいで、暫く慶恭が海外に合気道の大会で遠征していて留守にしている内に彼女は実家を売却して姿を消してしまったという。縁側で呆然としている慶恭を見つめながら、慶周はヒソリと実は慶恭は数回彼女と婚前交渉があったと聞いたのを思い出していた。
婚前交渉するほどの仲で…………子供が出来ないからって姿を消す……?
本当は伯母にあんなに虐められるのが辛くて言い訳にそれを使ったのではないかとも考えたが、美弥子の人柄を考えるとそうとは思えない。真面目で真っ直ぐで大人しい人柄の美弥子と慶恭の二人は似た者同士で似合いの夫婦になるとずっと慶周は諦めてきたのに、こんな形で終焉がくるなんてと運命の儚さを感じもした。そして失意のままの慶恭は伯母のお茶の弟子である女性を勧められるままに妻として娶ったのに、正直いうと慶周は不満でもあったのだ。
慶恭は大人しすぎる
本当に美弥子の事が好きなら伯母のいうことなんか聞かずに美弥子を探して娶ればいいし、病弱なんて別に気にすることでもないと思う。だけど穏和な慶恭は、本家を守るという伯母の強権に勝てないのだ。確かに本家を守るために伯母がどれだけ苦労したかは聞いているが、それと自分の人生とは別問題な筈だ。結局その後も慶恭には何年も子供は出来ず、伯母は最終手段として慶周を養子にして後を継がせると言い出したのだのには流石に慶周も驚いた。
そんな辺りだ、榊恭平という子供が道場に通い始めたのは。
童女のように儚げで綺麗な顔立ちの幼い子供が、自分より遥かに才能があるのは暫くしない内に慶周も気がついた。あっという間に合気道の形を覚えてしまい、下手すると一度見たことは忘れないのかという吸収力で、小学生になる頃には古武術を教えてもいいほどの成長を見せる少年。
「鳥飼ばりだな、恭平は。」
何も気がつかないのか慶恭は笑いながら、そう慶周に言った。その頃丁度真見塚道場に鳥飼千羽哉の一人娘澪の子供が合気道を初めていて、とんでもない破格の天武の才能をもった少年が齢九歳で大会で演武をして見せたばかり。
気がつかないのか?慶恭は。
そう慶周は直ぐにその事実に気がついてしまった。儚げで触れると散り落ちてしまいそうな美貌、特に目を伏せるとその顔立ちはてきめんに彼女と瓜二つで、しかも名前だって珍し過ぎて簡単に分かってしまう。ただ慶周にも、問題なのは恭平の歳だった。破談になって七年、七歳になるというこの少年は美弥子の子供なのは一目瞭然だが、父親は誰なのだろうか。
というよりも、もし自分が何かのタイミングで彼女と再会したら
そうなのだった。正直に言えば自分の方が実はダメージが大きい気がするのは、破談になった美弥子が誰かと結ばれて子供を作ったと考えるのが慶周には出来ないでいるからだ。恭平が榊という苗字ということは美弥子は婿を取ったということなのだろうが、榊家の一人娘で親戚も少ないから当然と言えば当然の話。とはいえ慶恭以外の男と寄り添ってい暮らす美弥子を考えると、辛くて胸が痛いのは本当は自分の失恋も癒えていないということなのだ。
そうしてその恭平の父親という答えは予想だにしない相手から聞かさることになった。宮内の伯母の口からだ。
「あれは榊の娘が見ず知らずの男と作った子供です。後から慶恭の子供だと図々しく言いに来ましたけど、私の目は騙されませんよ。」
伯母がそれを口にして暫くして、榊恭平はパッタリと道場から姿を消してしまった。何が起こっていたのかは分からないし、伯母が何かしたかどうかも知らない。ただ来なくなったということが榊恭平が宮内慶恭の子供ではないという証拠のような気がして、尚且つそんな不義理をしたから別れを決意したのかと納得もした。恭平が合気道をやめたのは既に組討を習得して次の古武術をと黙されていた辺りのことで、慶恭は落胆したようだったが自分は何故かそれがいいような気がしていた。丁度その時には慶恭に慶太郎という子供が産まれていたのもあって慶周の道場の跡取りの話しは立ち消えになっていたし、何時か恭平が榊美弥子の子供と気がついたら自分の子供ではない恭平に穏和な慶恭が冷静に合気道を教えられるとは思えなかったのだ。
子供が出来ないからと破談になった筈なのに、結局他の男と子供を作ったのは、伯母の虐めが辛かったというのが本当の理由だったのだろう。それなら、やっぱり破談になった後に彼女を探して話をすればよかったと、今更に悔やみ続けている自分。これではまるで慶恭と何も変わらないし、優柔不断で家系に弱い慶恭や、家を守り続ける伯母と何も変わりがない気がしてしまう。
そんな頼りない人間では破談も仕方がないし、俺も何も変わらない
※※※
そんな苦い初恋の物思いに耽っている場合ではないが、久しぶりに顔を会わせた榊恭平は尚更美弥子に良く似ていた。伏し目がちの視線のせいか長く影を落とすような睫毛が瞬きに合わせて揺れる様は、日本庭園で俯き花を見つめていた美弥子とそっくりだ。背は高いが華奢で線が細いところも美弥子そっくりで、何故か男親に似ているという面が目につかないから尚更美弥子に似て見える。艶やかな黒髪も黒曜石のような瞳も、男性とは思えないほど儚い月明かりの下の花のようだ。花というよりは何処か月明かりを思わせるのは、美弥子もヒッソリと余り活気のある女性ではなかったからだろう。
美弥子は今どうしているんだろうか…………
社会人になって全く合気道と関係のない旅行ライターなんてものになって世界中を飛び回るようになったのは、勿論合気道で世界各国に旅行したせいもあるが古めかしい宮内の家系から離れるつもりもあった。道場を継いで本家の血筋を守るのは確かに大事なことだろうけれど、そのために好きな人と添い遂げられないのも本家のために我慢をするのも慶周には出来ない。
あれから慶恭ともかなり疎遠になっていたし、慶太郎なんか十年も会わない内に大学生になっていて。そして榊恭平は更に美弥子に良く似た顔に育ち…………
ちょっとまて、真見塚の息子が何かいっていた気がする…………
不浄なんて血筋で卑下するのはナンセンスだと、それ以外に宮内先輩だって同じようにいうと。そうか、真見塚の息子と慶太郎はそれほど年が違わないから、互いに交流があるのだろうと気がつく。だが交流があるのと榊の生まれは関係があるのか?と首を捻ってしまう。
それに話しは戻るがこのスマホを一体どうするべきか答えがでないでいる。宮内に連絡を取ってもらう訳にもいかないだろうし、それは真見塚でも同じことのような気もするわけで。最悪仕事はわかっているから出版社経由という事も可能と言えば可能かもしれないと、密かに悶々と悩みながら宮内慶周は歩き始めていた。
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