鮮明な月

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第十五章 FlashBack

171.

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金子美乃利は不機嫌に不貞腐れた顔で普段と代わり映えのない取り巻きの顔を眺めて頬杖つくと、あからさまな溜め息をついた。金子美乃利は端的に言えば良いとこのお嬢様で常々周囲からかしづかれて、蝶よ花よと育てられてきた典型的な我が儘なお嬢様といえる。見た目はまあ人よりは確かに整っていて美人といえるが夜遊びばかりの肌は少し荒れていて、それを指摘されたのは実はかなり心に刺さった。

「………………美乃利さん?」

今日もそれほどの人数でもないのに自分達だけで占拠したコジャレたワインバーで、散々騒いで次々と高いワインを空けながら、結局は同じ面子に何時もと同じ内容でチヤホヤされているのだ。あからさまな溜め息に取り巻きの一人が戸惑うように、顔色を伺う声をかけるのすら煩わしい。

「あーぁ、つまんなぁい!」
「ええ?!なに?何かする?店変える?!」
「…………何で靡かないのかなぁ?!あの子!」

取り巻き1号のご機嫌とりを完全に無視して、不満顔で金子美乃利はそう言う。
靡かない相手は言うまでもなく今年の新入生の一番のイケメンなのに、全く浮いた噂一つないあの源川仁聖だ。既に入学してから半年、大概の学生は源川仁聖のことは知っている筈だ。特別抗議があるとはいえ建築科なのに、大学内でも難物で変人で有名な文学部の勅使河原教授のお気に入りになる事の出来た一年生。しかも実はかなり語学も堪能らしく、勅使河原と流暢な英語で会話していたとかいないとか。

源川仁聖は初っぱなから、学内での密かな噂の的。

しかも破格のイケメンにはそっくりの従兄弟がいて、そちらは有名モデルをしているのだ。実は当人とも双子ともいう噂も一応はあるが、ポスターを見た限り瞳の色が全く違うから恐らくは従兄弟の線だと思うという話だ。
兎も角頭も良くて運動もできてスタイルもいい、それなのに女性の誘いには全く靡かず、意図的に左の薬指に飾り気のないシンプルな指輪を嵌めて歩く源川仁聖。男友達とは楽しそうに笑っているのも見るし、同じ講義の女子とも普通に話すと言う。ちなみに同じ高校の卒業生達の話では、去年までは女の子なんて入れ食い状態だったと話していた。

つまり、女の子に興味がない訳じゃなくて、飽きた?

そこら辺の女には飽きたから勉強の方に集中しているのでは?というのが、多くの同級生としての意見らしい。それには金子美乃利としても一応は納得はするが、そんな大したことのないレベルの女と自分を同率で見られるのは現在の文学部の華・金子美乃利としては面白くない事態だった。

この美乃利程の美人に見向きもしないなんて。

五年ほど前に栄利彩花という在学中からモデルとして活躍した女性と、恐らく自分は同レベルと考えてもいい筈の珠なのだ。実際にその栄利という女には出会ったことはないけれど、栄利彩花は今も化粧品のポスターで見るから金子美乃利だって顔は知っている。
涼やかな切れ長の色っぽい瞳が印象的な妖艶な笑みを敷く女性で、二つ上の年代にはとっくに卒業しているのに栄利のファンが未だに存在してもいるのだ。その栄利彩花は金子美乃利と同じ文学部卒業で、当時は文学部の華だったらしいけれど。でも彼女は苦学生で奨学金迄もらっていたそうだから、その点では金子美乃利の方が財力としては確実にランクは上回る。
そんな金子美乃利の誘いを数ヵ月にわたって源川仁聖は尽く無視して、しかもわりとイケてると人気の友人・佐久間翔悟まで金子美乃利の誘いはまるでどこ吹く風。そんな男は金子美乃利の周りには今までそう居なかった上に、大学に入って高校時代と違うチヤホヤに慣れてしまった金子美乃利には尚更腹立たしい。結果としてなおのこと、金子美乃利は源川仁聖を振り向かせようと躍起になっているのだ。

誰も彼も、家すら全然わかんないって言うし、なんなの?

大学生になってからの源川仁聖の住居は、何故か今一つハッキリしていない。届け出に出されている住所は当に取り巻き連中を事務局に忍び込ませて、学生名簿でコッソリと調べてもらっていた。けれど、仁聖はそこには住んでいない様子で、近くに住む元同級生ですら最近は時々しか姿を見ないともいう。でも大学の通学には最寄り駅を使っているし近くに住んでいるようだとは聞いたのに、自宅は何処なのかまるでわからない。駅前を男友達とは割合出歩いてもいる様子なのに、それ以上の情報はどうやっても霞のように掴もうにも掴めないのだ。やっと密かに駅前の喫茶店に行きつけがあるようだと噂を聞き付けて、その店にどんなに通っても金子美乃利はまだ一度も仁聖と出くわしたことすらない。

なんなのよ!ほんと面白くない!

まるで意図して彼との接触をシャットアウトされてるような気がするし、こうなったらと金子美乃利はとあるの伝で従兄弟なんだか双子なんだかのモデルから会ってみようと手を打ったのに。

悪い、美乃利さん、今回は無理だ。

理由を問いただしても、相手は何でか無理だったとしか言わないのだ。以前に強請った芸能人には直ぐに会わせてくれたのに一介のモデルが駄目なのは何でよ?と金子美乃利がそれにくってかかっても、相手はどうしても関係を取り持つのは無理だったの一点張り。結局は従兄弟なんだか双子なんだかのそっくりさん経由も駄目で、学食での直接アプローチもまるで暖簾に腕押し・糠に釘、ここまでしているのになんなのよと怒鳴りたくなるのはやむを得ない。

「美乃利さんの魅力に気がつかないなんて、バカだよなぁ?」
「でしょ?そうでしょ?美乃利がこんなに気にかけてあげてるのに!」

そうして今もこうして取り巻きにチヤホヤされながら浴びるように飲んだワインで呂律が回らない声を甲高く張り上げて、金子美乃利は店の閉店時間を知らんふりで引き延ばしながら不貞腐れ続けているのだ。ワインバーの店主のあからさまな困惑顔には既に取り巻きは気がつきながら、金子美乃利がちゃんと支払いはするんだからと一緒になって気にもしない様子でのさばっている。



※※※



最近の鳥飼信哉は色々なことが変わった。そう真見塚孝は染々と考えながら、帰途につこうとしているその背中を眺める。勿論結婚して妻がいるのも子供ができたのもその一つではあるが、一番はこうして真見塚家に訪れる頻度が増えたことだ。
鳥飼信哉の母親・鳥飼澪と自分の父親・真見塚成孝の関係は実は孝には良くわからない。何しろ孝は鳥飼澪という人には殆ど接したことがなくて、鳥飼信哉が腹違いの兄であると知った頃には既に故人だった。ずっと鳥飼信哉は真見塚杜幾子に遠慮しているのか余り真見塚には寄らなかったが、ここに来てなにか踏ん切りがついたのか。

「何だ?人の背中をじっと見て。」

にこやかに微笑みかけられて自分が随分その背中をマジマジと見ていたのに、孝は慌てて頬を染めながら兄の笑顔を見つめる。

「さっき、何で榊さんを連れてきてと言ったんですか?兄さん。」

そう、先ほど孝があの場に居合わせたのは偶然ではなく、鳥飼信哉が榊恭平を連れ戻せと頼まれたからだ。勿論信哉が行くのも可能だったが、あえて信哉は孝に後を追いかけさせていた。信哉は苦笑いしながら少しだけ声を潜める。

「宮内は真見塚とは少し違うからな。」
「…………不浄な…………と言われてました、榊さん。」

その言葉は予想していたのか、信哉は微かに溜め息をつく。本妻ではなく婚前の交渉で出来てしまった子供、そしてその母親はどちらも早逝し残されてしまった息子。殆ど信哉と恭平の立場は変わらないが、大きく違うのはその父親になる家の認知や対応だ。
真見塚成孝は信哉の存在に自分から気がつき、信哉が真実を知って困惑して合気道を辞めようとしたのに少しでも関係を保つ事を選んでくれた。母親・澪だけでなく杜幾子も母として信哉を受け入れてもくれたから、結果として割合良好な関係を続けてきたのだ。
でも、榊恭平の方は違う。密かに宮内慶恭から聞いたことがあるが宮内家で榊恭平が血縁であると認識されたのは、実はかなり後のことで家の実権が祖母から宮内慶恭に変わって以降の事なのだ。しかも宮内の祖母は厳格で古風な思考の女傑で、榊美弥子と恭平のことを誰にもほぼ話さないままだったらしい。何度かコンタクトをとろうとしていた榊親子を、冷淡に追い返し続けてきた祖母の存在で宮内と榊の関係は信哉達とは真逆の様相になってしまったのだ。

「不浄……か、俺と何にも変わんないんだがな。」
「…………腹が立ちました。」

珍しく弟が他人のために憤慨している様子に、信哉は柔らかに微笑む。最近の異母弟はいい友人が増えて、こんな風に素直に感情表現ができるようになった。お陰で弟の行く末を少し心配していた兄としては穏やかに微笑むことができるし、安心して真見塚は弟に任せられると思う。

「だから、僕に呼びにいかせたんですか?」

宮内慶周の視線には当然気がついていたし、恭平が帰途についたのを追いかけたのにも気がついていた。以前まだ宮内慶恭に子供が出来なかった辺りには宮内慶周が道場を継ぐとされていて、何度か出稽古もしていたらしいし宮内慶周は宮内祖母のお気に入りにだったそうだ。何気なく成孝に宮内慶周の人となりを問いかけたら

戦国時代よりもっと古い

等と成孝に宮内慶周を評された信哉は咄嗟に孝を手招いて榊恭平を連れ戻させたのだが、それは正解だったようだ。榊恭平も合気道を学んでいる最中はその才能に、自分と同じく将来を期待されてもいた。自分のように少しずつでもずっと続けていれば、今頃には古武術の指南も多数受けていたに違いない。自分が道場を開けば真見塚にも宮内にも関係なく恭平も合気道ができる可能性が少しはあるので、信哉としては手習い程度でも再開したらどうかと内心考えてもいるのだ。だが、今の状況で既存の道場に顔を出せば宮内の人間とは顔を会わせる可能性はあったのに、そこまで考えが至らなかったのは信哉が抜刀術に気をとられ過ぎたせいでもある。

宮内に何かするとか、おかしなことを考えていなければいいが…………

古風なのと前時代的なのでは話しは違う。恭平は今まで榊のままで一度も宮内に果変わろうとしてこなかったのだから、好きなことは好きなようにしてもいいはずなのだ。そう信哉は思うけれど、そう思わない人間がいるのも現実的には事実なのだった。



※※※



「やっぱり……落としたのか…………。」

溜め息混じりに恭平は腕を組んで、今日のことを再び考え込む。そんなつもりはなかったが抜刀術を見たり、まあその後の事もあって心ここに非ずで大分過ごしていたらしく、どこで最後にスマホを弄ったかまるで記憶に残っていなくて。家に帰って仁聖を風呂に押し込んでから、独りで家中探してみたがやはり何処にもスマホは存在していないのだ。目を閉じて順に今日の出来事を追ってみるが、本当にまるで記憶にないし、可能性としては人混みといっても過言ではなかった真見塚道場で座っていた時かと考えもする。

「道場なら…………真見塚さんに聞けばわかるけど…………。」

残念ながら自宅の電話からかけてみても、誰もとらないところを見ると道場にはないのかもしれない。もしくは既に道場が閉められていて誰も気がつかないか、もしくはボーッとしていて道で落としたのか。流石にそんなことは今まで経験したことがないので、そんなことはないとも言えないし、少なからず困りはしている。兎も角ないものはないので夜が明けたら携帯会社と連絡を取って…………

「やっぱりないの?」

ホコホコと湯気を上げながら顔を見せた仁聖の心配そうな声に、ないと答えては見たものの、それほど直ぐに困るようなものはスマホにはない恭平は余りあせる様子でもない。電話番号はバックアップがあるし見られて困るものもないということなのだろうと気がついて、そこは恭平らしいなぁと仁聖は苦笑いしてしまう。

「俺だったら血眼で探すなぁ~。」
「なんで?」
「だって、大事な画像とかあるもん。」

仁聖のスマホには密かに大事な恭平の寝顔画像コレクションがあるから早々なくせるものではないのだが、それを何気なく勢いで口にしてからしまったと仁聖の顔色がかわる。恭平はそれを眺めていたが、なんの画像?と当然のように仁聖に問いかけてきて慌ててしまう。

「大事な画像ってなに?仁聖。」
「あー、お腹すいたっ!」
「ちょっと待て、何で話をそらす!?」
「そらしてないもん、お腹へった!」

その反応に何か異変を感じ取ったのか、恭平が目を細めて柔らかい声で仁聖のことを呼ぶ。しかし何と言われようと仁聖はそれを見せる気はないし、見せたが最後確実に携帯が粉砕されてお説教されるのも重々承知しているのだった。
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