鮮明な月

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第十五章 FlashBack

169.

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それは、了への電話からは暫く前の話。
相変わらず仕事がソロソロ終わりそうだなと言う辺りになると、既に明良が当然のごとく外崎邸にお迎えに来ていて晴は呆れたようにリビングで了とお茶している明良を眺める。あの時に高橋至の顔を街中で見たと話してからというものの、明良は過保護過ぎるほど過保護になっていて晴のことを決して独りにしようとしないのだ。

「あのさぁ?明良。」

通例で確保されて一応帰途について、家だと話している内にベットに連れ込まれてしまうので居酒屋伊呂波に陣取って。何時ものごとく呑み始めてから明良に改めて晴は詰め寄ってみたが、明良の方は明良の方で何が悪いのの一点張り。

「悪いってんじゃなくてぇ!俺も男だよって言ってるの!」
「分かってる。晴もちゃんと男だって。」
「だったらさぁ?」
「でも、それとこれとは別。」

この繰り返しで結局晴は首を傾げるばかり。中年の高橋が晴に一体何が出来ると言いたいのかと晴は明良に詰め寄るが、明良はそういう問題じゃないと言うばかりなのだ。

「だって、あいつ、別に何も空手とかしてないじゃん。」
「追い詰められた人間はね、何するかわからないの。」
「だって、チラッと顔見ただけだし。向こうだって気がついたかどうだか分かんないんだよ?」

確かに街中で顔を会わせただけで声を掛けたわけでも掛けられたわけでもなく、向こうも気がついてなくて何もない可能性がない訳じゃない。だけど明良に言わせれば、相手は少なくとも仕事どころか課長の立場を失うような状況に落ちた。その原因を作っていたのに、狭山明良と外崎了と藤咲信夫が何らかの関係性があって裏で動いたのには気がついた筈だ。それとあの自分の携帯を襲った異常なスマホ画像加工の何かが、全く繋がりがないなんて思える訳がない。となると元部下でパソコンにとみに詳しかった結城晴が、明良達と仲良く一緒にいたのを見たら晴が何かしたと考えるのは(本当は晴は画像のダウンロードとウィルスをインストールしただけだが)当然の流れだ。

「でも、あれは自業自得じゃん。」
「晴、世の中にはね、自業自得って言葉が通用しない人間もいるの。」

それは言われれば分からなくもないが、そのために晴が藤咲に届けた事前に高橋至のあの画像で予防線を張ってるから問題ないことでしょ?というと、明良はそれは違うでしょと更に諭すように言うのだ。あれは何かあった時の対抗策であって、あの書類が存在しているのはまだ高橋至は知らない。ということは事前に動きを察知して予防線を使うことの出来る外崎宏太や藤咲信夫には十分有効策でも、一般的な生活をしている明良達には事前に使いようがないというのだ。

「逆恨みで襲われてから、使うんじゃ意味がないんだよ?」
「う……でもさ?襲うような根性あるかなぁ?高橋だよ?明良。」

中年の典型のような高橋至。以前の会社勤めで家庭もある時の高橋なら、恐らくは襲っては来ない。でも今の高橋は仕事どころか家庭すら失っていて、何も持ってない人間は追い詰められたら何をするか分からないのだとお気楽な晴と違って真面目な明良は考えている。どんなに根性がないと思っていても、何もかも失うような事態に追い込まれた人間がその相手にどう行動するかは予想出来ないのだ。
そして何より心配なのはその中で一番襲いやすいと判断されていそうなのが、晴だと晴自身が気がついていない。何故なら明良は既に高橋に空手でしっぺ返しを食らわせているし、了は常時外崎宏太が傍にいるようなもの。しかも晴の居場所を全く知らないなら兎も角、日常の中で独りでいるのを見られたら、下手すれば生活範囲を限定する事だって出来なくはない。

「…………考えすぎでしょ?しゃちょーじゃあるまいし。」
「少なくとも暫くは、俺はこの生活は変えない。安心できるまで。」
「過保護過ぎない?」
「過ぎない。」
「だって、明良仕事大変でしょ?」
「晴といられるから別に構わない。」

能天気。思わずそう言いたくなるけど、そこが晴の自分とは違ういい一面でもあるから、仕方がないから明良が過保護に守るしかない。全く暢気なんだからと呆れられながら、普段と同じに酔って甘えたになり始めている晴には微笑んでしまう明良なのだった。

「あーきら、かえって、おふろーはいるぅ。」
「はいはい、洗ってあげるから歩いて帰ろうね。」
「はぁーい!」

それから何時ものように甘えたになった晴を半分抱きかかえるようにして道を歩き始めたら、シトシトと霧のように細かな雨が降り始めている。すっかり甘えたの晴はキャッキャッと濡れるのも気にもかけてない風で、明良の手をとってズンズンと雨の中を歩き出していて。ほんと飲むと可愛くて甘えたで仕方がないけれど、最近飲んでいてこの甘えたが自分には一際強いのに気がついてしまった。気を許すと甘える質なのは元々のようだが、明良にだけは段違いで甘える晴が自分にぞっこんなのだと分かって嬉しくなる。

「ほら、晴、濡れちゃうよ?傘さそう?」
「いいよーぉ、お家帰っておふろはいるもーん。」

まあ、そういわれればそうなのだけど、本当に呑気と言うかなんと言うか。流石に伊呂波の店長には二人の仲は地道にバレつつあって、強面なのに人情に溢れる伊呂波の店長は気を使って声が響かない個室を準備してくれている気がする。まぁ、外崎宏太とも知り合いのようだから伊呂波の店長の方も、性的マイノリティに対する理解があるのかもしれない。

「晴、転んじゃうよ?」
「はぁーい。気をつけるー。」

苦笑いしている明良と手を繋いでニコニコしている晴の目の前に、よれた服の中年が俯き加減に薄暗がりから出てきたのはその時だった。ベッタリと張り付いた黒髪は俯き雨を避けようとしている風にも見えなくもないが、咄嗟に強い違和感を明良が感じたのは中年男がその手に確りと立派な傘の柄を握っていることだ。そしてその動きは奇妙なほどハッキリと先を歩く晴に向けて、その傘を掲げようとしている。

「晴っ!」

咄嗟に晴の手を引き寄せて驚いた晴のことを抱き寄せる明良は、咄嗟過ぎて自分の体勢が相手に無防備に曝されることになったと分かっていて晴の体を庇うのを最優先していた。中年男のよれた服の腕が持ち上がり真っ直ぐに突き出されて、尖った傘の先端が脇腹に勢いよくめり込むのが分かる。中年とは分かるが顔は暗がりで見えないけれど、湿った雨の中には嗅いだ覚えのあるコロンの臭いが微かに漂っていた。そして無理矢理引き抜こうとした傘が、強張った筋肉と咄嗟に掴んだ明良の手でグンッと遮られる。

「あきらぁ?」

訳がわからず抱き締められポカンとしている腕の中の晴に、明良は苦く笑いながらだから言ったでしょと教えてやりたくなる。でも逆に晴がこんな目に遭っていたら、絶対自分はこの男を生きて返すつもりもないのも事実で。

「くそ、馬鹿にしやがって…………ホモの癖に……。」

掠れたダミ声が薄闇の中の顔から放たれて傘の柄をグイグイと引き抜こうと動かし、明良の脇腹に鈍く熱が痛みになって弾けていく。確かに男同士の恋人同士だからこんな風に世の中の一部では蔑まれるのは分かってもいるけれど、晴のことを明良が死んでもいいほど心底好きなのは変えられない。だから明良は晴のためになんでもするし、晴を守ろうとしてるのだと舌打ち混じりに明良は痛みを無視して蹴り足を回した。

「あ、きら?」
「晴、大人しくね?大丈夫だから。」

中年男が弾き飛ばされて無理やり傘から手を離す衝撃すら痛みに変わるが、男が泡を食って傘の柄から手を離したのは何よりだった。これを引き抜いて男に再び獲物を与えてやることはしないし、撥ね飛ばされて地面に一端転がった男は自分の手に何もないのに呻き声をあげる。

「これって傷害ですよ、通報しますからね?俺は。」
「おおお、おまえが、おまえたちが…………わ、悪いんだ、俺は。」
「誰が悪いかの問題は終わりです、あんたがやったことは犯罪です。」

明良の声に相手が低く呻きながら再び飛び掛かってこようと身構えたのに、明良は抱き締めた晴を庇うようにして脇腹を抑え込む。ジワリと手が熱いモノに濡れたのに出血してるのは分かるが、だからと言って無防備に晴をさらすつもりもない。

「あ、きら、なに……?」

タイミングよく通りかかったらしい女性の悲鳴が上がったのが、雨の中でサイレンのように甲高く聞こえた。相手は怯えたように暗がりに向かって後退りジリジリと逃げ出そうとしていて、明良は正直その姿に早く逃げ出してくれればいいと思ってもいる。自分の感じている痛みは兎も角、何が起きてるか気がつき始めた晴が怯えてパニックになり掛けているのが腕の中で感じ取れるからだ。女性が慌てて警察をよんでくれて、男は闇の中を脱兎のごとく逃げ出していく。

「あ、きら、何?あれ、あきら?」

腕の中で怯えて子供のように震える晴の声。泣き出しそうに震えていて明良が大丈夫だよと呟いても、それが明良の取り繕った言葉なのは酔った晴でも理解してしまっている。あんなに自分でそんなのあるわけないと言ったのに、まんまとこんな風に目の前で襲いかかられて、明良が言う通り気を付けていたら。



※※※



都立総合病院の救急に運び込まれて明良が処置をされている間、半分パニックになったまま晴は了に電話を掛けてきたのだ。スリルとサスペンスは好きなんて言っていても、実際にその状況に自分が落ちるのは初めての晴には電話をするのが精一杯だった。自分がされるのは兎も角、大事な人が怪我をさせられ救急車に乗せられ運ばれて、処置をまんじりともせずに待つのは余りにも辛すぎる。

「おれ……こんなのあり得ないって…………なめてて、おれ、」

グシャグシャに泣きながら事の次第を話している晴を見下ろしながら、話を聞いていた了と宏太は思わず眉をしかめていた。こんなことが起こりうると察知したから高橋至の予防線を張り始めてはいたが、まさか結城晴と狭山明良の方に来るとは考えていなかったのだ。実際のところ直接的に何かを仕掛けてくるのは退職の切っ掛けを作った了が加担した藤咲信夫の周辺だと考えていた。何しろ芸能関係の会社へのアプローチと出版社へのアプローチは藤咲狙いだとしか思えないし、枕営業の話は藤咲側にもかなりのダメージなのだ。
救急の処置室の前の長椅子で今も泣きじゃくっている晴は仁聖と了が眺めていた救急車に明良と一緒に乗っていた訳で、明良が言うには襲ってきたのは暮明で顔は見えなかったがコロンは高橋至の身に付けていたものだと言う。

「ごめ、……おれ、ほんと、こんな…………ごめんなさい。」
「大丈夫だよ?晴、本当にちょっと刺さっただけなんだから、ね?」

そう、目下長椅子の横に腰かけて晴の頭を撫でて一心に宥めているのは、傘を刺された筈の当の狭山明良だったりする。確かに傘の先端が刺さりはしたものの、鍛え上げられている明良の体と中年の度胸のない襲撃はほんの先端が筋肉に刺さっただけだったという幸か不孝かという話。お陰でほんのちょっと消毒して縫い合わせただけの怪我なのだが、怪我は怪我だ。

「で、相手の顔は見てねぇんだな?ん?」
「暗かったんで。声も落としてて確実にとは。」

警察には何か起こったかとか相手の様相については説明したが、唯一の目撃者の女性も中年だったとは言うものの顔までは見ていないのだという。誰か逃げ出した男の顔を見ていてくれれば話は早かったのだが、流石に雨天の中では時刻と場所が悪かった。それにしても宏太の表情が明らかに面白くないと言っていて、了はほろ苦い笑みでこれは身内を傷つけられて面白くないと思ってるなと内心考える。

「でも俺と晴が一緒に住んでて付き合ってるのは知ってるようです。」

そうでなければ相手の口から、あんな風に同性愛志向を卑下する言葉は出てこない。ただ一緒に住んでいるのではなく性的な関係にあると判断できるからあんな風に蔑んで言われたのであって、そうでなければあの状況であんな風に吐き捨てられる筈もないのだ。

「うっ、く、ごめ、おれが、のうてんきに、」
「晴、泣かなくていいよ?ほんとたいしたことないんだよ?ね?」

よしよしと慰められている晴を見えない目で見下ろしていた宏太が、どうやら考えがまとまったように腕を組んだまま低い声で口を開く。

「…………了。」
「ん?」
「暫くゲストルームに泊まらせろ。」

その言葉におやおやと言いたげに了は了解と告げ泣き止まない晴と明良の頭をポンポンと撫でるようにして、じゃ帰ろうと長閑に告げた。明良が戸惑うように視線を上げると気にしなくていいから一先ず家に来いと了が促す背後で、宏太が何気なく無表情で電話を掛け始めている。


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