鮮明な月

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第十四章 蒼い灯火

146.

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人が溢れる学食の片隅で向かい合って、それぞれ日替わりメニューの食事をしながら何気なくあの視線の話を翔悟にしていた。仁聖の方はオムライスのA定食で翔悟の方は唐揚げのタルタルソース添えのB定食、学食だけあって安価なわりに美味しいと翔悟が揚げたてを頬張り悶絶している。
藤咲には視線の件は口止めされているわけでもないし、仁聖は時々翔悟と同じ電車で来ることもあるから、話しておいても別段損はない。もしかして一緒にいる時に翔悟がその視線の主を見つけてくれれば、それはそれで安心できる気がする。

「…………それってさぁ?恋する視線ってやつ?」

翔悟にそう言われても実際に相手を見たわけではないから、正直まだ分からないとしか仁聖にも答えられない。項に刺さるような視線で見られるのが、誰かの恋する視線だとしたらそれはそれで嫌だなと思う。
今日もヤッパリ電車の中に乗って扉が閉じて暫くしたら、チクチクと視線が刺さり始めていた。しかも前よりも更に近く、鋭くチクチクとした感じが項にあって。気になって振り返ってみるが誰とも視線はあわないし、誰も仁聖を見ている気配ではなかった。勿論直ぐ横の会社員風の御姉様がチラチラと仁聖を盗み見ていたのはわかっているし、目の前の席に座った御姉様が見上げるようにしてマジマジと仁聖の顔を穴の開くほど観察しているのは分かっている。でもそれと項の気配は、まるで別物のような気がするのだ。だからと言ってそれに対して、左手で吊革を掴んで右手はバックのストラップを握る姿勢の仁聖が何かする訳でもない。それでもいつまでも感じるチクチクと毛が逆立つような、項への刺激に思わず首元を手で撫でてしまうのは仕方がない。

これって、何時からだろ

ふともしかして四月からずっとこの感覚はあったのかもと思ったのは、今になって首元を出すような服装の時期だから余計に肌に感じるようになったのかとも思ったりする。そんなわけで短い二駅の間にずっと視線なのか気配なのかを気にしながらという状況には、流石に少し仁聖にもストレスを感じつつあるのだ。それに翔悟は気にする風でもなく暢気にモテる男は辛いねぇと笑う有り様だ。

「別に…………モテなくていい。」
「そう言うのがモテる男の特徴だよね、モテてる奴ほどいらないっていう。」
「そういうつもりじゃない……。」

そう言われてしまうと、正直なところ少し胸が痛い。今更ながら去年迄の自分は一体あれほど彼女をとっかえひっかえしていて、どうやって日々を暮らしていたんだろうと染々と考えてしまうのだ。
恭平があの時の仁聖を受け入れてくれなかったら、今頃自分はどうなっていたのだろうとも思う。まるで水に流される木葉みたいに相変わらず流されるままに、更に日々入れ替わりの彼女と適当に付き合っているだろうか。希望もなく願いもなく、恭平の身代わりを探して過ごしていくたんだろうかと考えてしまうと不快で仕方がない。

「うちの実家の周りだと、良く見たら狐が睨んでたとかってオチがつくけどなぁ。」

相変わらずの例えだが、誰もいないところで視線を感じて振り返ったら野性動物ならある意味スッキリだと仁聖がいうのにだよなと翔悟は笑う。

「でもさ、電車の中だけなんだろ?」
「まあね。」

そうなのだ。今のところ他の場所なんかでそれを感じたことはなくて、電車の中だけ。しかも結局は誰かが分からないし、同時に仁聖が乗る時間帯を把握して時間をあわせているとも言えてしまう。なるほどねーと呟きながら翔悟は唐揚げを頬張る。ここ二ヶ月で仁聖は大概同じ時間帯の電車に乗るようになって来ているから、大体時間をあわせることも可能なのだ。

「で、ハニーさんには、それ話したの?」

翔悟には既に恭平と仁聖の関係は全て話してあって、何でか翔悟は恭平のことを話題にすると名前でなくこう呼ぶ。まあhoneyは男女共に恋人に使える呼び方だから別にいいのだが、なんでまたそれに『さん』がつくのか少々疑問ではある。とは言えそう問いかけられてそういえば、まだ恭平には視線の事は何も話していないと気がつく。

「何でまた?話しておいた方がよくない?」

確かに得体の知れない視線ではあるから、恭平にはこんなことが起きていると話しておくのは必要なのかもしれない。

「うーん、でも、こういうのって話すの難しくないか?」
「あー、そうかもな。」

恋人に通学の時に、何だか後ろから視線を感じるんだよねと話す。こう言うと凄く簡単なことのような気はするのだが、自意識過剰と思われるのも恥ずかしいし、本当に見られているとしても何かが起こった訳じゃない。何しろ実際誰が見ているのかも全く分からないから、気のせいといわれるとその可能性もなくはないと思うのだ。その状態で恭平に話すのは、仁聖にも少しハードルが高い。

「翔悟だったら、なんて言う?」
「俺ー?誰かのあつーい視線を項に 感じるんだよねー!俺も遂にモテ期が到来かも?!って、自分に力一杯言うね。」

自分で自分に言うのかよと、思わず笑いながら仁聖が突っ込む。そういう翔悟自身の方は、今のところまだ彼女はいらないなぁと日々駅前塾のバイト講師に勤しんでいる。翔悟はそれほど容姿も悪くないし女子高生にはモテそうだと仁聖は思うのだが、当の翔悟には女子高生には全く興味がないらしい。

「だってさぁ、妹と変わんない女子高生と何するっての。」
「そんなもん?」

そういえば去年の今頃、下の学年で塾の中年講師と出来てるなんて噂話があったなぁなんて仁聖がいうと、翔悟は呆れたようにそんなの絶対有り得ないと叫ぶ。そういえば翔悟の妹は年子だと聞いているから、妹と同じ年の高校生と付き合う事自体が翔悟には考えられないようだ。ということは彼女には年上かと仁聖がいうと、年上は姉貴を思い出すから年上は絶対にないと言う。そうなると翔悟が二十一歳になって年下も成人でもしてないと、翔悟には彼女は出来ないということになる。

「それにしたって生徒は駄目でしょ!倫理的にアウト!それは駄目だよ!仁聖!」
「俺じゃないって、後輩と塾の講師の話だってば。」

そう言えば下の学年のその生徒がどうなったかまでは流石に仁聖も知らないが、母校の生徒指導はあの土志田悌順。だからもしかして後輩と塾講師が本気で愛し合ってるなら兎も角、もし遊び程度のお付き合いならその中年は鉄拳制裁で一掃されていそうな気がする。それにしても塾もそうだが、人に教えるという職業は色々と大変な立場だよなと仁聖は食事を口に運びながら言う。

「それにしても、何教科教えてんの?翔悟。」
「今ねー、理数系二教科。数学と物理。」
「頭よさそ。」
「まあねー。」
「他にもいるの?大学生講師。」
「あー、だらけだよ。文学部の小松川さんとか、教養学部の下浦さんとか、いーっぱいいるよ。」

バイトとはいえ人に教えるにはそれなりに学力も必要だし、何かを教えるにはそれなりの語学スキルもコミュニケーション能力も必要だ。それを大学に入って二ヶ月で既に二教科ということは、翔悟はかなり優秀な講師ということだろう。それにその他にそんなにいるとは正直驚きだ。実のところ仁聖のバイト選択肢には、最初から塾講師は含まれてなかった。自分には誰かに教えるというのは、絶対に向いてないと仁聖は思っている。能力としては問題ないかもしれないが、教えるというのが向いていない。

「確かに仁聖が先生じゃ教室が大騒ぎだよ。」
「なにそれ?」
「この間塾の前で別れたじゃん?」

一度帰り道で話が切れなくて、塾の前で別れたことがあったのだが、あの後授業でさっきの人は誰だと生徒から質問攻めにあったのだと言う。案外世の中見てないようで、人は確りと見ていると言うことだ。そう言われれば講師らしき塾に入る人にも、数人胡散臭そうに見られていたから噂は仕方がないのかもしれない。

「そういえば製図のさぁ……。」

翔悟が別な話を始めたのに意識を向けると、窓から射し込む陽射しが目に眩しく夏の気配がする。まだ梅雨も開けていないのに、陽射しと湿度だけが夏めいていて周囲の服装も軽快になっていく。気密性がとかいう話をしていると、何とはなしに勅使河原教授の秘密基地論に話が横滑りしていくのが分かる。

「でさぁ?秘密基地作るとなると、出入り口の構造がさ。」

何だか秘密基地に毒されつつある翔悟に苦笑いしながら、仁聖は自分の父親が秘密基地マニアの設計士だったと何時話そうかと考える。勅使河原にもだが、公立図書館にも父親が隠し部屋を作った可能性があるなんて話したら大喜びしそうだ。



※※※



「恭平、ご飯できたよー。」

そんな元気な声を背後からかけられて、端と恭平は夕方を過ぎているのに気がついた。仁聖が帰っていたのにも全く気がつかないで黙々と仕事をしていたのに気がついた恭平は、その声に慌てて振り返る。

「悪い!今晩俺の当番だった!」

食事の支度は夕食は週四日が仁聖で、残りが恭平。朝食は平日は仁聖の担当・土日は相談で、昼は各自だが仁聖が家にいる時は仁聖が作る。
随分な割り振りだと思うだろうが、交互と言う案は勿論一番最初に恭平から出したのだ。それに何故か仁聖がどうしても折れてくれず、実はこの配分でも仁聖はかなり不満そうだった。というのも恐らく元々お互いに自炊には問題がないが、恭平が以前は余り食に意欲がなくて食べないことも割合多かったからだ。それで恭平は一度倒れたこともあるから、仁聖は出来たら全部食事管理したかったらしい。勿論一緒に住んでからは仁聖がその点には厳しいので恭平だってキチンと食事はするようになったし、仁聖は仁聖で恭平を何とか少しでも肥らせようとしている。そして今晩は恭平の当番だったのに、午後から仕事が上手く進んでつい没頭してしまったのだ。

「いいって、今日は俺が料理したい気分だったの。」

そんなことを言って仁聖は笑うが、恭平に気を使ってそう言ってくれているのは分かっている。どうしても仕事に没頭すると時間を忘れてしまう恭平に、家事の分担は確実に仁聖の比重が多いのは事実なのだ。高校生の時もそうだったが大学生になってから通学に電車も使うようになっているのだから時間が必要になっているのに、家事の負担まで増やしてどうすると恭平が溜め息をつく。勿論料理以外の家事はちゃんと分担していて基本的には洗濯と掃除は恭平がするし、買い物とゴミ捨ては仁聖で……

「やだなぁ、ホントに料理したかったんだってば。それとも俺のご飯じゃやだ?」
「そんなことない、でも、気を使わせて悪い……。」
「もー。じゃ、恭平が気にしないように後で、ベットでご褒美ねー。」

暢気そうにそんなことを言う仁聖に手を引かれて食卓に連れ出されながら、ふと恭平は何気なく仁聖の項を眺める。大人びて逞しくなった広い背中、髪を短くしてからは
項から襟元迄の滑らかな肌が際立つ。何でかグンと身長が伸びた仁聖の項が丁度目の前にあって思わず恭平がジッと見つめると、仁聖が視線に気がついたようにクルリと振り返った。

「今、見てた?」
「ん?ああ、見てたけど……どうかしたか?」

鋭い感覚に驚いた様子の恭平に、何気なく左の手で項を撫でながら仁聖が少し考え込む。手を繋がれたままの恭平は不思議そうにその様子を見つめていたが、んーと考え込んだ仁聖が躊躇い勝ちに口を開く。

「やっぱ、違うんだよなぁ。」
「何が?」
「あのさぁ、最近なんだけど。」

そうして仁聖がオズオズと話した電車の視線の話に、恭平は戸惑うように仁聖のことを見つめる。気のせいかもとは言うが、恭平が背後から項を眺める視線も何となく感じたと仁聖は言う。ただ恭平が見てるなと肌には感じるが、突き刺さるようなチクチクとした感覚ではない。だから、あれはやっぱり好意じゃない気がするんだよねと、仁聖は戸惑うように口にする。

「敵意だ……ってことか?」
「んー、よく分かんないんだけど、恭平が見てるのは羽根で撫でられてるみたいな感じだけどさ?あの視線って刺さる感じなんだよね。」

言いたいことは何となくだが理解できる。恭平が見とれているような視線は肌を撫でるように感じるけど、その電車の視線は肌に刺さると言うのだ。今までそんな風に見られた記憶がないのかと思いきや、高校の時に一度あったと言う。

「バスケ部でちょっと虐められてた時と似てるかなぁ……ってさ。」
「虐め?!」
「あ、大したことないのだよ?直ぐ終わったし。」

何でかこれまた至極アッサリと仁聖は話しているが、高校時代そんなことは一度も言わなかったと恭平が唖然としている。ケロッとしているがバッシュを盗まれたり、部活用のウェアをカッターで切られたりしていたというのだ。

「お、まえ、そういうのなんで言わない?」
「え?だって、直ぐ終わったし、その後友達になったし。」

しかもその虐めの当人とそこから友人になって今は親友だしという仁聖に、恭平は思わず脱力してしまう。どうすると虐めていた相手と親友になれるのか恭平には全く理解できないが、本人がそういうのだからそれが事実なのだろう。それにしても、それに似た視線だという電車の中の視線に関しては、恭平だって少し気になる。

「何か思い当たることあるか?」
「ない。」

即答で答えられてしまうが虐めだって大概は相手の感覚が引き起こす訳だから、仁聖に思い当たることがなくても怨みをかう可能性はある。それに大学生になって、しかもモデルもしているしと言うと、仁聖はそんなにバレてないという始末だ。

「あのなぁ……、バレない訳ないと思うぞ?」
「えー?でも誰にも何にも言われてないよ?」

暢気に言う仁聖の頭にポンと手を乗せた恭平が、突然クシャと栗色の前髪を指ですく。それにまるで仔犬のように心地良さそうに目を細める仁聖に、苦笑いしながら恭平が更に生え際を撫でる。その指先こ意図がわからず、仁聖は不思議そうに首を傾げた。

「ここ。」
「なに?生え際?」

囁くように恭平がそう言いクイと手で仁聖の頭を引き寄せると、こめかみより少し上の生え際の辺りに軽くチュッと口付ける。

「え?なに?きょうへ?」

予想もしない唐突な行動に思わず頬を染めた仁聖に、恭平は笑いながらなんだ気がついてないのかと言う。実は仁聖の生え際には小さな黒子があって、水に濡れた顔を正面から捉えたポスターでは、かきあげた濡れ髪の中にハッキリ写っているのだ。以前髪がまだ少し長目だった時には見えにくかったかもしれないが、それでも間近で見ればそれは容易く見分けられる。それに下から見上げるようにすれば、栗色の髪の中の黒子は尚更分かりやすい。つまりは同じものがあるんだから見れば分かるし、周りも言わないだけでバレているも同然なのだ。

「ええ?!マジで?!」
「なんだ、本気で気がついてなかったのか?」
「ええー……やっぱりバイト辞めた方がいいのかなぁ……でもなぁ。」
「悩むってことは、続けたいと思ってるんだろ?」

クシャクシャと笑いながら頭を撫でられて、仁聖はそう言われてしまうとと思わず口ごもる。確かに顔だけのアイコン扱いは嫌だしファンレターなんかも全く意図が分からないから好きにはなれないが、藤咲と接するのもカメラマンと接するのも嫌いじゃない。あの年代の知り合いが叔父と外崎達くらいだけだからなのか父親と大差がない年頃だからなのか、実はかなり藤咲のことは気に入っているのだ。それに叔父と同じ職業の人達と接するのにもまだ興味がある。

「バレてても続けていい?」
「嫉妬しないようお前が配慮さえしてくれるなら、な?」

大体にしてバレないと思うところが凄いと恭平に言われて、思わず恥ずかしくなってその体を抱き締めると恭平が可笑しそうに声をたてて笑い始めていた。
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