鮮明な月

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第十四章 蒼い灯火

145.

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満員電車……というものに、乗るようになって約二ヶ月ちょっと。
結構経つ。というのもここにきて大学に通うのに公共交通機関が必要になったわけなんだけれど、これが案外地味にキツい。何しろ仁聖は幼稚園から高校まで通学は全て徒歩圏内で暮らしてきて、大概の事は住んでいる街で済んでしまう。それに今までは稀に電車に乗るとしても通勤通学とは別の時間で、満員電車というものにはそうそう経験がなかった。例えたかが二駅とは言え初体験。

いやならバスって思う?ところがさぁ……

実際には電車でも高々二駅しかない程度なので、勿論バスでも通学は可能。だが通学を事前にOBの恭平に相談したら、ここからはバスの満員の方がキツいぞ?と言われてしまった。なんで?って思ったのは当然で一度試してみればいいと言われ、仁聖が試してみたら本当に驚くほどそっちの方がキツかったのだ。

普通なら電車の方がキツいと思うだろ?

ところが仁聖の家から大学までのバスのルートには、間に一つ大きなエスカレーター式のミッション校があるのだ。小中高から女子大まで、一貫の女子校。お陰で通学時間帯には、バスの中が女子校生と女子大生、その教師らしい女性のオンパレードになる区間が存在する。そこに男が一人乗り込むのは、この年代としては確かにキツい。世の中には女性専用車輌なんてものもあるし、バスの数区間だろ?女性に囲まれていいじゃないかなんて甘い話じゃない。一応佐久間翔悟も試しに乗ってみたというが、翔悟は乗ってから両手で吊革を握っていたのに不審者を見る目で女子高生から睨まれて、しかも盛大に聞こえるように舌打ちまでされたらしい。

いや?両手で吊革を握ってますけど?!って言うか舌打ちって何?!俺何かした?!

と翔悟は思ったらしいが、一応はそれ以上の騒ぎは起こらず、それだけで済んだそうだ。他の友人に聞いたら、それは女子高生にしてみたら翔悟が好みの男じゃないから「ちっ!イケメンじゃねえのか、つまんねえの」か、翔悟が両手で吊革を掴んでいたから「ちっ!カモに出来ねぇか、つまんねぇの」のどちらかだと言われたそうだ。それは流石に如何なものだろう?本当にそうだとしたら……怖いの一言しかない。しかもそれでもし前者で、翔悟が好みの男だったら何が起こるのか余計に怖い。
因みに過去に同じ大学に通った恭平は何気なく数日使っていたら、隣に立つ女性が何だか寄りかかりだしたのに気がついたのだと言う。しかもよく見ていたら何時も同じ女性で、次第に全身で寄りかかってくるのに恐怖したらしい。見ず知らずの女性が次第に近づいて来て全力で寄りかかる…………考えたら確かにそれは結構怖い。しかも相手は先に乗っているらしく恭平が何処から乗るか見ていて分かるわけで、これで家の周りに来たらなんて考えたら恐怖感は倍増だ。
実は仁聖の方は試しにとバスを使ったら、突然見知らぬ女性から手を握られギョッとした。そう初回だというのに、見知らぬ女性に唐突に手を強く握られたのはかなり衝撃。

ええ?!誰?何で手?!

という顔でその手を見下ろしたら、何故かその女性はニィーッと不気味に微笑んで暫くその手を離してくれなかった。振りほどこうにも周囲は満員な訳で下手な動きをすると、周囲の女子高生から何か言われそうだし。結局暫くの間相手が仁聖の無反応に諦めて手を離してくれるまで、必死で我慢したのだ。長年女性専用区間が生じるバスの中は所謂女性の園と言うわけで、ある意味では無法地帯と化しているのが分かった。

知らない男の手を握るってどういう気持ちなの?!怖い!ほぼ女性だけのバスって逆に怖い!

と言うわけで少し遠回りでも電車の満員の方が、意図がない分恐怖しなくてすむし気が楽ということ。とは言え慣れてきても、満員電車の押し潰されそうな感じは地味にキツい。それにこちらでも女性に触ると痴漢だと思われるからなと翔悟に言われて、仁聖はえー?と思ったが周りで時々確かにこの人・痴漢です!なんて声も聞こえるし。それにしても男の方は必死に手が両手とも見えるようにしておかないと直ぐ様痴漢扱いなのに、女の人は向こうから手を握ってきても容認なんて狡い。

それにしても…………顔を覗き込むのは止めてほしいなぁ…………

何しろ人より頭ひとつ以上大きい仁聖が目立つのは十分にわかってるし、お陰で人混みでも顔が埋まらない。それは一応背の低くて人波に埋もれて呼吸もできないような人からすれば、かなり得はしてると思う。何せこうして立って眺めて見える範囲に、自分と同じくらいの身長なんてほんの数人しかいない。だがその弊害でどうしたって仁聖は目立つのだ。お陰で隣に立つ女性が高確率で下から顔を覗き込むのは兎も角、何でか時には男性にまで顔を覗き込まれている。

だて眼鏡と帽子はいえ顔を見れば駅張りポスターに気がつくのかなぁ?

男女問わずこうしてマジマジと顔を覗き込まれるのには、どうしても慣れない。勿論愛想笑いするわけでもないし視線にも気がつかないふりだけど、時々覗き込んでるのをアピールするタイプがいるのだ。アピールされても困る、無視するしかないからと思うが、そういうタイプに限って結構しつこかったりする。たまに覗きこむ程度じゃなくて顔を近づけてくる人間もいて、逃げるに逃げられないこともあるのだ。それには流石に困惑を顔に浮かべて見せるようにしていたが、高校生の時にはこんなことはなかったのになぁと染々考えてしまう。
そんなわけなのだが、実は顔を覗きこまれているわけではなく、最近は肩越しに背後から視線を感じる訳で、顔を向けはしないけどどう考えても顔を見られているようだ。そして肌にチクチクしてる視線の高さは、どうも男性のような気もする。

最近この高さの視線……よく感じるんだよなぁ……。

何でかここのところ肩越しのこの高さの視線を項に感じ初めて、ジリジリと日増しに視線の圧が強まっている気がしていた。そんなことを考えるのは自意識過剰かなとは仁聖も思うが、肌に刺さる視線の気配はどうも間違いとは思えない。

あ、もしかして、でかいから邪魔とかって睨んでたりして。

それはありうる。何しろ最近測っていないが、恭平から高三を過ぎてそんなに伸びるなんて可笑しいと散々言われている。何しろ自分でも何でこんなに一気に身長が伸びたのか、聞けるものなら自分の骨に理由を聞いてみたいくらいだ。それにしても項辺りにチクチクと刺さる視線の強さには流石に溜め息が出るもので、仁聖ら何気なく手で首元を撫でながら扉の向こうの景色に視線を向けていた。

「視線?」

事務所の一角で藤咲しのぶが仁聖の話を聞きながら、壁にもたれ掛かるようにして腕を組み眉を潜める。相変わらずの長身に抜群のスタイル、手足は長く彫りも深いダンディーなのに、口調は完全にオネエという藤咲が顎に手を当てて暫し考え込む。何で視線の話をこうして藤咲に話しているかと言えば、このバイトをするに当たって周囲で気になることが起きたら直ぐ相談するように言われているからだ。そう・視線と答える仁整に、藤咲は改めて話を反芻する。
電車の中だけで感じる背後からの視線。隣に立った人間が下から覗き見上げるのとは違う、肩越しに首元や項にチクチクと感じる。何気なく扉の反射で見ても視線があう事もないから、気のせいかとも思うが最近続いていて。しかも女性だと割合もっと下から見上げる感じだが、その感覚はもっと位置が上からに感じている。

「そうねぇ…………電車ねぇ。」

藤咲の様子にもしかしてポスターのせいかなとは考えて、

「一応眼鏡とか帽子とかつけてるんですけど。」

と言ってみたが、そんなのでそのキラキラが隠れるわけないわよと笑いながら言われしまった。そうは言われても、実はそのキラキラってのがどんなものなのか実は仁聖にも分かっていない。分かっていないから藤咲は何時もと違うことが起きたら、直ぐに言うようにと再三言うのだ。
最近の仁聖の成長は実際には目覚ましく、今まで放置していた外見には急激に磨きがかかっている。スキンケアで肌が綺麗になったのは勿論だが、歩き方や仕種なんかも仁聖が考えている以上に人目を引くのだ。

宝石の原石が宝石になりつつあるのよね

それを仁聖自身がまだ理解できていないから、注意が必要なのだ。本人は外人モデルで誤魔化しが効いているとまだ思っているようだが、正直藤咲はそろそろボロが出てもおかしくないと考えている。つまりは仁聖自身が光を放ち始めているわけで、それは言い換えれば仁聖という灯火が燃え上がり始めていて隠しようがなくなってきているのだ。

まさかここまで化けるとも思えなかったしねぇ……。

そうなのだ。確かに栄利彩花の撮影で飛び込みで使ったと聞かされて見せられた写真にこれは逸材だと思ったし、初めて顔を会わせた時もこれは確実にモノになる逸材だとは思った。だけど本音は五十嵐海翔よりは少し上かという程度だったのだ。
ところが試しにウォーキングを仕込んでみたら、源川仁聖は藤咲の予想を遥かに越えたポテンシャルの高い格別な原石だったのだ。
第一にして容姿の基盤が桁違いにいい。外人なりの彫りの深さなのに日本人特有の爽やかさが同居していて、身長も高く筋肉も適度についてスタイルには文句なしだ。今まで何もしてないというが肌のキメも細かいし、シミも傷もない体。今まで全く頓着しないで生活してきたとは思えない高級な素材。
それに彩花が中学生からモテてたわよと話していたが、そのせいか人の目にさらされるのに慣れている。カメラの前に立たせても、仁聖は全く怯むこともないし戸惑いもなくこちらの要求に答えられる。普通は大概がカメラの前だと緊張して体は強張るし自然な笑顔なんて早々作れないが、仁聖は最初から熟練のようにカメラの前に立てるし言われるままの柔らかな笑顔も作れるのだ。元からただ愛想がいい人間だとも言えるが、実際にカメラの前で何も言わずに最初からそれが出来るのは中々いない。
しかも天性の勘の良さがあって、ウォーキングを教えた藤咲が驚くほど技術の習得が早くて何でも吸収してしまうのだ。あっという間にウォーキングは身に付けてしまった上に、自然にまるで元々知っていることのように使いこなすことのできる能力。ただし余りにも吸収力が高いので変化が急激過ぎる。お陰であっという間に原石が磨かれて宝石になるし、灯した途端に周囲に存在を示す灯火になってしまうのが、ある意味では問題かもしれない。

この変化で、周りが気がつかないわけがないのよねぇ

恐らくモデルの事を周りは気がついてないと思ってるのは本人くらいで、周囲の人間は大概が気がついていて黙ってくれているというところだと藤咲だって思っている。幾ら瞳の色がスカイブルーで違うと言っても、そんなものは昨今はコンタクトですよねの一言でけりがつく。顔立ちで見たら一目瞭然なのだ。魅力的な素材に既にまた何社か広告に使いたいと打診が来ているのだが、この調子だと最初の身元の秘匿条件は守りきれなくなりそうな予感なのだ。藤咲としては是非とも天性の逸材にモデルはこのまま続けて欲しいところだが、案外仁聖はその辺は頑固そうな気もする。

「一先ず、視線以外に何かあったら、直ぐに話してちょうだい。電話でもいいからね?オーケー?」
「Absolutely.」

そう素直に分かったと答え立ち上がって帰途につく仁聖の姿に、電車の中の視線ねぇと藤咲は心の中でだが意味深に首を捻っていた。
視線を感じるというのは、実はまだ科学的な説明が出来ない現象だ。気配に関しては科学的な説明も既に可能だというが、実際には視線の方は解明されていない。気配は実際には相手の体から発している電気を体毛で関知しているらしいのだが、視線に関してはハッキリしないのだという話だ。仁聖が言う首筋にチリチリする感じは、視線を感じていると言うよりは恐らく気配を感じているのだと藤咲は思う。大概が時間の定まった行動だろうし、何しろこの身長だから仁聖は電車の中ではかなり目立つ筈だ。つまりかなり接近している筈なのだが、仁聖には気がつかれないよう上手く忍び寄っているということかもしれない。勿論モデルは関係なく一目惚れの可能性だってあるし、通学中の姿に目の保養の可能性もある。それにしても続いていると言うところが、少し懸念の材料でもあるとは思う。

電車の中ってのが……少し意味ありげよね。

電車を使う人間は多種多様。それでも意図して時間をあわせて仁聖を付け回し、気配を感じるほど傍にいる。同時に他の場所より密着してもおかしくない場所を選んでいるとも言える、というのには少し藤咲も不快な気もする。まだ実害があるわけではないが、そう考えながら先に手を打っておいた方がいいかしらと一人思案に目を細めていた。
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