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第十四章 蒼い灯火
142.
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可能性として頭にチラッとなくもなかったが、何でかここに来てまたもや外崎と顔を会わせるとは思わなかった。恭平が仕事が入って丁度集中してるから甘いものでも買って帰ろうと思うのと同時に、父親が設計したと聞いた『茶樹』の店内をよく見てみようと思っただけだったのだ。しかも外崎と一括りにしたけれど、外崎にも外崎了と外崎宏太がいるわけで。しかも何でか二人とは別れて座ろうとしたのに、カウンターに座ったら横並びに両側に座られてしまった。そんな訳で、これでは見たいのも見れないと深い溜め息が出る。それに隣に腰かけた了が眉をあげ頬杖で口を開く。
「あ?何で人の顔に溜め息だよ?仁聖。」
「俺は静かに……店の中を見たかっただけなんだけど……何で両側に座るかな………。」
「は?何で店の中?」
流石に父が顧客の情報をばらしてるとは言いがたいから秘密基地云々の話は兎も角、自分が建築家志望なのは話しても別に害がない。ただ了に自分が建築家志望だと言うと、何でかとんでもなく目を丸くして驚かれているのだが。
「なんだよ……その驚きかた……。」
「建築家?なんで?モデルじゃないの?芸能界だろ?」
丁度珍しく客が疎らだからいいけど、それは秘密と仁聖が慌てて口に人差し指を当てる。確かにポスターを発見して恭平に第一連絡を即時で寄越したのは了だが、その後外人を装って秘密のバイトにしているのは伝わっていなかった。秘密なの?と呆れた顔で言われるが今のところ数人しかバレてない筈だから、なるべくならこのまま仁聖としても秘密で通すつもりなのだ。何で?と了に言われても、これ以上好きでもない人間からとやかく言われたくないとしか言いようがない。アイコンで振り回されたくないというと、なにそれと更に聞かれるがこれまた説明のしようがないのだ。モデルにしたって、この破格のバイト代がなければきっとやらなかった。お陰で二つも三つもバイトを掛け持ちしないで済んでいるのは事実で、お陰で恭平と一緒に過ごせる時間も多いし勉強もできている。
「で、なんで店の中なんだ?にいさん。」
「仁聖でいいです、なんかそれ、呼ばれ慣れないから。」
宏太の声に思わずそう返してから、建築家志望だけじゃ反対側に座る外崎宏太には納得されないのに気がつく。建築家志望だけじゃ駄目ですか?と問いかけると、そんなに珍しい作りじゃないと盲目の筈の男にアッサリと言われてしまった。どうやら外崎宏太は目が見えなくなる前からのこの店の常連客だったらしいのに仁聖は、少し考えてからカウンターの中のマスターには聞こえないように小さな声で呟く。
「…………父がここを設計したと聞いたんです。」
そう言った途端今度は宏太の方が眉をあげて、何でか身を乗り出してきた。間近に見るサングラスの下が思ったより大きな傷跡で、その下の瞳が人工的な反射をしているのも初めて気がついた。だけどそんなに顔立ちは悪くないし、案外男前な顔なんだと関心すらしてしまう。ところがそれより続いて、宏太の口にした言葉の方が衝撃だった。
「なんだ…………お前、春仁さんの息子なのか?」
「は?なんで、親父の名前……。」
「惣一!こいつ春仁さんの息子だと!」
ええ?!店の人には一応仕事上の守秘義務とか設計の関係もあるから隠したのにと思った瞬間、カウンターの中の初老の男性が目を丸くしてグッと身を乗り出すと仁聖の顔を真正面から眺めるのに気がつく。
「そういえば似てる!そうか、春仁さんとこのあの子か?!」
え?!俺ここに来たことあるんですかと言うと、『茶樹』を建てて暫く経ってから夫婦揃って赤ん坊を抱いてやって来たことがあったのだと言われてしまった。いや、それにしたって名前でこの人達に呼ばれているうちの父親はなんなんだ?この人達と生前関わりがあったってこと?!そう叫びだしたくなるがカウンターの中のモモをお気に入りにしているマスターは、マジマジと仁聖を眺めた後に懐かしそうに口を開いた。
「いやぁ、春仁さんにはお世話になったんだよねぇ……。ここの設計かなり無理難題だったけど、喜んでやってくれた上に、ねぇ。」
その言葉の微妙な間にあるのは噂の秘密基地の存在なんだろうか。本気でこの店のどこかからか喫茶店ではない、別の秘密基地に入る扉が?とか思っていたら、何でか唐突に別な話まで飛んできた。
「三浦屋敷も春仁さんの設計だったろ?ホントにああいうの好きなんだよな?ん?」
えええ?!あの有名なお化け屋敷が?と思うが、それはつまりあの有名なお化け屋敷にも秘密基地バリの隠し部屋が何処かにあるってことか。それなら人がいきなり消えたとかも納得…………じゃなくて、なんで他人の家の設計士までこの人達って知っているのか。何でそんなことまで知ってるんですかと思わず口にすると、宏太はニヤリと意味深に笑って話をそらす。
「春仁さんの設計はここらじゃ有名だったからな。」
「……公立図書館しか知りませんでした……。」
「春仁さん割合と表だっては真面目なんだよな。でもマニアックだから、図書館に密かに隠し部屋作ってそうだけどな。」
何てことだ、知らないところで父の設計がマニアックだなんて言われている。しかもあの図書館に本気で隠し部屋なんか作れるんだろうかと言うと、父なら作るだろうなんて断言されているのは何でだ。今までそんな視点であの図書館を見たことがないけれど公立図書館に秘密の部屋なんか作ってたら、どっかの国のファンタジー物語の範疇だ。そう唖然としていると、了がそんなに二人は仁聖の父親と親しいのかと助け船のような質問を二人にしてくれたのだが。
「春仁さんは秘密基地マニアだからなぁ……。」
その一言で済まされて何でか脱力したくなる。我が父親なのに、なんでマニア呼ばわりなんだろうか。しかも何やら仁聖にはわからないが秘密基地に必要な立地とか妙な設置物の相談に乗っていたとか言い出されてしまったのに、全力で脱力したくなってきた。
「『耳』の設置方法とかな、春仁さんがいなかったら今の惣一も俺もいないだろうな。春仁さんは惣一の一番の相談相手だったからなぁ。」
「え?!何?黒幕の黒幕?!」
「ははは、いやぁその表現は酷いなぁ、了君。」
黒幕の黒幕って何?そう全力で聞きたくなるが、何でか父のことを知っている人間が突然身の周りに現れたのだろうか。しかもこんな傍にいたのに正直に面食らってしまう。勅使河原叡もだが、案外十五年前程度は人間にしてみたらほんの短い期間で、其処ら中に両親を知っている人間だらけなのかもしれない。それに今まではただ単に喫茶店のマスターと思っていたが、この人も秘密基地を頼むくらいと言うことは、やっぱり何処か普通の人じゃないのだ。
「宏太の今の家も春仁さんの設計の家だよ?確か日本で最後に手掛けた家だった筈でね、空き家になったのを松理が買ったんだ。」
「そうなのか?まあ、確かにあの部屋の繋がりかたは独特だしな。そういわれれば春仁さんらしいか。」
えええ?!更に次から次へと何でそんな話になって?それにしても父らしい部屋の繋がりかたって一体何?凄く気になる、と面食らう仁聖に、マスターの久保田惣一が普段とは全く違う顔で意味深に笑いながらヒッソリと小さな声で問いかけてくる。それはモモ達を愛でている時の顔とは違い過ぎて、まるで別人のよう見える顔なのだ。
「もしかして……秘密基地の入り口を探してるかな?息子君。」
指摘に思わず凍りついた仁聖に穏やかに久保田は、何でか賑やかにカウンターの下には入り口はないよと言う。ということは勅使河原の予想は脆くも外れたことになった。個人的にはカウンターの横の棚の壁か横の棚が怪しい気はするのだが、バックヤードの形もわからないし、そんな視点で見たらどこの壁も怪しい。
「流石春仁さん、息子君にも設計内容は教えてないか。今はアメリカ?」
「あ、いえ、父は十五年前に。」
何気なくそう言った途端、二人が目を丸くしたのに気がつく。あの当時どんな風に情報が流れたかは知らないが、向こうで交通事故で亡くなった父の情報がここまで伝わっている訳ではないのだろう。
「亡くなった……?春仁さんが?」
「ええ、両親とも俺が四つの時ですから。」
二人が仁聖の言葉に唖然としている。人の命ってのは儚いものですねと久保田が呟いて遠い目をして、隣の了が何でか苦労したんだなと仁聖を覗きこんで。まあ確かに人の命は儚いと、仁聖もなんでか微笑んでしまう。
「じゃ、秋晴は?一緒に住んでたのか?ん?」
「…………外崎さんって、叔父も知ってるんですか?」
「一応……秋晴は高校の後輩だからな。」
叔父が外崎宏太の後輩って随分世間が狭い!!そう思うが父の生家も元はここら辺だというから、実際にはそれもありなのかもしれない。しかも父が建築家になりたかったのはここら辺近郊にあった古いカラクリ屋敷が元なのだと、何故か詳しく知っている様子の久保田は教えてくれるし。残念ながらその屋敷はすでに取り壊されて跡地は高層マンションになったそうだが、似た作りの家が近くに一見あるんだよと言われて目を丸くしてしまう。
「カラクリってつまりは忍者屋敷ってことですか……?」
「そうそう、流石息子君、勘がいいね。」
いや、父の同級生から忍者屋敷に関して熱烈な講義を受けましてとは、流石に仁聖にも言えない。言えないがそれにしてもこんな近代化の進んだ都市部に、今も忍者屋敷?!見たいけど人間が住んでるの?と思わず突っ込みたくなるところだが、全然知らなかった父のことを懐かしそうに話す二人に仁聖は思わず身を乗り出していた。
「父は……どんな人間だったんですか?」
「いつも穏やかで愉快な人だったよ?差別はしないし、私みたいに裏側にいた人間も別け隔てなくてね。」
「俺は春仁さんとの付き合いは短いけどな、怖いもの知らずでな。まあ不思議な人だった。」
裏側ってなにと驚くような答えに、僅かしかない記憶ではおっとりしていてノホホンとしていたイメージしかない仁聖は目を丸くする。何しろ叔父と父はかなり歳も離れていてしかも仁聖が叔父に父のことを聞くこともなかったから、何もかもが初めて聞くことばかりなのだ。
「……なぁ、家、見に来るか?仁聖。」
唐突にそんなことを了が言い出したのに思わず乗ってしまったのは、結局は父が建築家として日本で最後に建てたと言うことは本当に一番最後に手掛けた建築物への興味が勝ってしまったからだった。
※※※
気がつくとホンノリ薄暗くなっていて、恭平はおや?と首を傾げながらモニターから視線をあげた。時刻は既に夕方で昼過ぎに外に出た仁聖が音をたてないように帰ってきているのか、それともまだ帰ってきてないのかと立ち上がる。五月最後の日曜日だから別段用事もなく出掛けてくると話していたが、上がり框には靴もないしリビングも静かに静まり返っていて帰宅していないのに気がつく。
何か用事でもできたかな?
スマホを眺めても別段連絡は入っていないが、友人と出会って話でもしているかもしれない。そんなことを考えながら連絡がないのは珍しいなと何気なくキッチンで湯を沸かし始めた途端、玄関の鍵を開ける音が廊下の先から響く。
「ただいま、遅くなった!」
「お帰り。」
パタパタと駆け寄って来る仁聖の様子がご機嫌なのに気がついて、恭平が微笑みながらいいことでもあったのか?と問いかける。その問いかけに不思議そうに仁聖がなんで?と逆に問い返してくる。ご機嫌だからと言うと『茶樹』のケーキ箱を冷蔵庫に納めて、仁聖が振り返って笑みを浮かべた。
「色々話したいけど、恭平のお仕事は?」
「一段落したところだ。」
「じゃ、夕飯作りながら話す!」
そう告げた仁聖がキッチンカウンターに腰かけて耳を傾ける恭平に話し始めたのは、自分の知らなかった父親の話しとその父が手掛けた建築物の話だった。世間って狭いもんなんだなと実感しつつ話し続ける仁聖は楽しげで、恭平も驚きに目を丸くしたりしながら仁聖の様子を楽しそうに眺める。
「『茶樹』もなのか?」
「そうなんだって、マスターの……久保田さんって言うんだけど、父さんが色々相談相手だったんだって。」
よく利用する喫茶店の設計や建築に関わっていて、その相手とも知人だったなんて知らなかったし、外崎宏太の交遊関係にも驚いてしまう。ただでさえ合気道で少し身近に感じたばかりだったのに、仁聖の父親も叔父も知り合いだったなんて。あの口ぶりだと、鳥飼信哉とも知り合いの風だったしと恭平も思わず苦笑してしまう。
「それでね、日本で最後に手掛けた家が了が今住んでる家でさ、凄い豪邸なんだけどさ、中見せてもらってね。」
「ああ、一度俺も行ってるから知ってる。大きい家で驚いた。」
「え?そうなんだ?何で?」
少し相談事というと仁聖は首を傾げたが、それでも話の勢いの方が勝る。恭平はリビングしか見せてもらっていないが、仁聖は他の可能な場所……自宅でもあり自営業のコンサルタントでもあるので仕事部屋だけはみれなかったというが、それ以外の殆どの内部を見せて貰ったらしい。恭平は知らなかったが、二階に浴室があってホテルみたいだったと仁聖は笑う。
「一見すると作りは普通なんだけどさ、割合グルリと動線が回れるようになっててさ、確かに少し不思議な作りなんだよ。」
ゲストルームやウォークインクローゼットや主寝室も、分かっているとグルリと一周できる動線があるらしい。最近はそういう作りの家も増えているだろうが、それを建てたのが二十年近く前で、しかもリフォームはしているらしいが基本的な部屋は建てたときのままだと言うから、当時はかなり珍しい家だった筈だ。それを楽しそうに話す仁聖に、思わず恭平も微笑んでしまう。
「ん?なぁに?」
「楽しそうだ。」
「うん、面白かった。色々聞けたし…………父さんが……ちょっと……マニアックってのには驚いたけど。」
ニコニコしながらそう答える仁聖が思い出したように、あ・と呟いて、恭平にリビングに置いたままにしていたショルダーバッグの中を見てくれないと言う。
「帰り際に、了がお土産ってなんか紙袋くれてさ?何だか見てないんだ。」
土産?そう聞いた瞬間、何でか嫌な予感がしたのはなんでだろう。兎も角言われた通り恭平は仁聖のバッグの中から軽い紙袋を取り出して、恐る恐る中身を覗きこむ。仁聖が先に中を見てなくてよかった……心底そう思いながら、同時にあいつはと呆れて言葉にならない恭平に仁聖がキッチンから延び上がって何だった?と問いかける。
「仁聖……これは、みなくていい。」
「えー?なに?見せてよ?お土産にくれたんだよ?中見知りたい。」
「いいから!」
一端火を止めて恭平ににじり寄る仁聖から、恭平が必死に紙袋を遠ざける。手を伸ばしても見なくていいの一点張りで中身が何なのかも教えてもらえないのに、仁聖が俺が貰ったのなのにーと頬を膨らませているが。
「駄目!」
「見るだけーっ!みして!中身ー!」
ソファーの上で縺れあっている内に押し倒す形になってジタバタしていると、仁聖の指が恭平の手に触れて更に紙袋にかかる。駄目だと言い続ける恭平の手から取り返そうと引っ張った紙袋が音を立てて裂けて、中身が目の前で床にハラリと落ちたのに仁聖は目を丸くしていた。
「あ?何で人の顔に溜め息だよ?仁聖。」
「俺は静かに……店の中を見たかっただけなんだけど……何で両側に座るかな………。」
「は?何で店の中?」
流石に父が顧客の情報をばらしてるとは言いがたいから秘密基地云々の話は兎も角、自分が建築家志望なのは話しても別に害がない。ただ了に自分が建築家志望だと言うと、何でかとんでもなく目を丸くして驚かれているのだが。
「なんだよ……その驚きかた……。」
「建築家?なんで?モデルじゃないの?芸能界だろ?」
丁度珍しく客が疎らだからいいけど、それは秘密と仁聖が慌てて口に人差し指を当てる。確かにポスターを発見して恭平に第一連絡を即時で寄越したのは了だが、その後外人を装って秘密のバイトにしているのは伝わっていなかった。秘密なの?と呆れた顔で言われるが今のところ数人しかバレてない筈だから、なるべくならこのまま仁聖としても秘密で通すつもりなのだ。何で?と了に言われても、これ以上好きでもない人間からとやかく言われたくないとしか言いようがない。アイコンで振り回されたくないというと、なにそれと更に聞かれるがこれまた説明のしようがないのだ。モデルにしたって、この破格のバイト代がなければきっとやらなかった。お陰で二つも三つもバイトを掛け持ちしないで済んでいるのは事実で、お陰で恭平と一緒に過ごせる時間も多いし勉強もできている。
「で、なんで店の中なんだ?にいさん。」
「仁聖でいいです、なんかそれ、呼ばれ慣れないから。」
宏太の声に思わずそう返してから、建築家志望だけじゃ反対側に座る外崎宏太には納得されないのに気がつく。建築家志望だけじゃ駄目ですか?と問いかけると、そんなに珍しい作りじゃないと盲目の筈の男にアッサリと言われてしまった。どうやら外崎宏太は目が見えなくなる前からのこの店の常連客だったらしいのに仁聖は、少し考えてからカウンターの中のマスターには聞こえないように小さな声で呟く。
「…………父がここを設計したと聞いたんです。」
そう言った途端今度は宏太の方が眉をあげて、何でか身を乗り出してきた。間近に見るサングラスの下が思ったより大きな傷跡で、その下の瞳が人工的な反射をしているのも初めて気がついた。だけどそんなに顔立ちは悪くないし、案外男前な顔なんだと関心すらしてしまう。ところがそれより続いて、宏太の口にした言葉の方が衝撃だった。
「なんだ…………お前、春仁さんの息子なのか?」
「は?なんで、親父の名前……。」
「惣一!こいつ春仁さんの息子だと!」
ええ?!店の人には一応仕事上の守秘義務とか設計の関係もあるから隠したのにと思った瞬間、カウンターの中の初老の男性が目を丸くしてグッと身を乗り出すと仁聖の顔を真正面から眺めるのに気がつく。
「そういえば似てる!そうか、春仁さんとこのあの子か?!」
え?!俺ここに来たことあるんですかと言うと、『茶樹』を建てて暫く経ってから夫婦揃って赤ん坊を抱いてやって来たことがあったのだと言われてしまった。いや、それにしたって名前でこの人達に呼ばれているうちの父親はなんなんだ?この人達と生前関わりがあったってこと?!そう叫びだしたくなるがカウンターの中のモモをお気に入りにしているマスターは、マジマジと仁聖を眺めた後に懐かしそうに口を開いた。
「いやぁ、春仁さんにはお世話になったんだよねぇ……。ここの設計かなり無理難題だったけど、喜んでやってくれた上に、ねぇ。」
その言葉の微妙な間にあるのは噂の秘密基地の存在なんだろうか。本気でこの店のどこかからか喫茶店ではない、別の秘密基地に入る扉が?とか思っていたら、何でか唐突に別な話まで飛んできた。
「三浦屋敷も春仁さんの設計だったろ?ホントにああいうの好きなんだよな?ん?」
えええ?!あの有名なお化け屋敷が?と思うが、それはつまりあの有名なお化け屋敷にも秘密基地バリの隠し部屋が何処かにあるってことか。それなら人がいきなり消えたとかも納得…………じゃなくて、なんで他人の家の設計士までこの人達って知っているのか。何でそんなことまで知ってるんですかと思わず口にすると、宏太はニヤリと意味深に笑って話をそらす。
「春仁さんの設計はここらじゃ有名だったからな。」
「……公立図書館しか知りませんでした……。」
「春仁さん割合と表だっては真面目なんだよな。でもマニアックだから、図書館に密かに隠し部屋作ってそうだけどな。」
何てことだ、知らないところで父の設計がマニアックだなんて言われている。しかもあの図書館に本気で隠し部屋なんか作れるんだろうかと言うと、父なら作るだろうなんて断言されているのは何でだ。今までそんな視点であの図書館を見たことがないけれど公立図書館に秘密の部屋なんか作ってたら、どっかの国のファンタジー物語の範疇だ。そう唖然としていると、了がそんなに二人は仁聖の父親と親しいのかと助け船のような質問を二人にしてくれたのだが。
「春仁さんは秘密基地マニアだからなぁ……。」
その一言で済まされて何でか脱力したくなる。我が父親なのに、なんでマニア呼ばわりなんだろうか。しかも何やら仁聖にはわからないが秘密基地に必要な立地とか妙な設置物の相談に乗っていたとか言い出されてしまったのに、全力で脱力したくなってきた。
「『耳』の設置方法とかな、春仁さんがいなかったら今の惣一も俺もいないだろうな。春仁さんは惣一の一番の相談相手だったからなぁ。」
「え?!何?黒幕の黒幕?!」
「ははは、いやぁその表現は酷いなぁ、了君。」
黒幕の黒幕って何?そう全力で聞きたくなるが、何でか父のことを知っている人間が突然身の周りに現れたのだろうか。しかもこんな傍にいたのに正直に面食らってしまう。勅使河原叡もだが、案外十五年前程度は人間にしてみたらほんの短い期間で、其処ら中に両親を知っている人間だらけなのかもしれない。それに今まではただ単に喫茶店のマスターと思っていたが、この人も秘密基地を頼むくらいと言うことは、やっぱり何処か普通の人じゃないのだ。
「宏太の今の家も春仁さんの設計の家だよ?確か日本で最後に手掛けた家だった筈でね、空き家になったのを松理が買ったんだ。」
「そうなのか?まあ、確かにあの部屋の繋がりかたは独特だしな。そういわれれば春仁さんらしいか。」
えええ?!更に次から次へと何でそんな話になって?それにしても父らしい部屋の繋がりかたって一体何?凄く気になる、と面食らう仁聖に、マスターの久保田惣一が普段とは全く違う顔で意味深に笑いながらヒッソリと小さな声で問いかけてくる。それはモモ達を愛でている時の顔とは違い過ぎて、まるで別人のよう見える顔なのだ。
「もしかして……秘密基地の入り口を探してるかな?息子君。」
指摘に思わず凍りついた仁聖に穏やかに久保田は、何でか賑やかにカウンターの下には入り口はないよと言う。ということは勅使河原の予想は脆くも外れたことになった。個人的にはカウンターの横の棚の壁か横の棚が怪しい気はするのだが、バックヤードの形もわからないし、そんな視点で見たらどこの壁も怪しい。
「流石春仁さん、息子君にも設計内容は教えてないか。今はアメリカ?」
「あ、いえ、父は十五年前に。」
何気なくそう言った途端、二人が目を丸くしたのに気がつく。あの当時どんな風に情報が流れたかは知らないが、向こうで交通事故で亡くなった父の情報がここまで伝わっている訳ではないのだろう。
「亡くなった……?春仁さんが?」
「ええ、両親とも俺が四つの時ですから。」
二人が仁聖の言葉に唖然としている。人の命ってのは儚いものですねと久保田が呟いて遠い目をして、隣の了が何でか苦労したんだなと仁聖を覗きこんで。まあ確かに人の命は儚いと、仁聖もなんでか微笑んでしまう。
「じゃ、秋晴は?一緒に住んでたのか?ん?」
「…………外崎さんって、叔父も知ってるんですか?」
「一応……秋晴は高校の後輩だからな。」
叔父が外崎宏太の後輩って随分世間が狭い!!そう思うが父の生家も元はここら辺だというから、実際にはそれもありなのかもしれない。しかも父が建築家になりたかったのはここら辺近郊にあった古いカラクリ屋敷が元なのだと、何故か詳しく知っている様子の久保田は教えてくれるし。残念ながらその屋敷はすでに取り壊されて跡地は高層マンションになったそうだが、似た作りの家が近くに一見あるんだよと言われて目を丸くしてしまう。
「カラクリってつまりは忍者屋敷ってことですか……?」
「そうそう、流石息子君、勘がいいね。」
いや、父の同級生から忍者屋敷に関して熱烈な講義を受けましてとは、流石に仁聖にも言えない。言えないがそれにしてもこんな近代化の進んだ都市部に、今も忍者屋敷?!見たいけど人間が住んでるの?と思わず突っ込みたくなるところだが、全然知らなかった父のことを懐かしそうに話す二人に仁聖は思わず身を乗り出していた。
「父は……どんな人間だったんですか?」
「いつも穏やかで愉快な人だったよ?差別はしないし、私みたいに裏側にいた人間も別け隔てなくてね。」
「俺は春仁さんとの付き合いは短いけどな、怖いもの知らずでな。まあ不思議な人だった。」
裏側ってなにと驚くような答えに、僅かしかない記憶ではおっとりしていてノホホンとしていたイメージしかない仁聖は目を丸くする。何しろ叔父と父はかなり歳も離れていてしかも仁聖が叔父に父のことを聞くこともなかったから、何もかもが初めて聞くことばかりなのだ。
「……なぁ、家、見に来るか?仁聖。」
唐突にそんなことを了が言い出したのに思わず乗ってしまったのは、結局は父が建築家として日本で最後に建てたと言うことは本当に一番最後に手掛けた建築物への興味が勝ってしまったからだった。
※※※
気がつくとホンノリ薄暗くなっていて、恭平はおや?と首を傾げながらモニターから視線をあげた。時刻は既に夕方で昼過ぎに外に出た仁聖が音をたてないように帰ってきているのか、それともまだ帰ってきてないのかと立ち上がる。五月最後の日曜日だから別段用事もなく出掛けてくると話していたが、上がり框には靴もないしリビングも静かに静まり返っていて帰宅していないのに気がつく。
何か用事でもできたかな?
スマホを眺めても別段連絡は入っていないが、友人と出会って話でもしているかもしれない。そんなことを考えながら連絡がないのは珍しいなと何気なくキッチンで湯を沸かし始めた途端、玄関の鍵を開ける音が廊下の先から響く。
「ただいま、遅くなった!」
「お帰り。」
パタパタと駆け寄って来る仁聖の様子がご機嫌なのに気がついて、恭平が微笑みながらいいことでもあったのか?と問いかける。その問いかけに不思議そうに仁聖がなんで?と逆に問い返してくる。ご機嫌だからと言うと『茶樹』のケーキ箱を冷蔵庫に納めて、仁聖が振り返って笑みを浮かべた。
「色々話したいけど、恭平のお仕事は?」
「一段落したところだ。」
「じゃ、夕飯作りながら話す!」
そう告げた仁聖がキッチンカウンターに腰かけて耳を傾ける恭平に話し始めたのは、自分の知らなかった父親の話しとその父が手掛けた建築物の話だった。世間って狭いもんなんだなと実感しつつ話し続ける仁聖は楽しげで、恭平も驚きに目を丸くしたりしながら仁聖の様子を楽しそうに眺める。
「『茶樹』もなのか?」
「そうなんだって、マスターの……久保田さんって言うんだけど、父さんが色々相談相手だったんだって。」
よく利用する喫茶店の設計や建築に関わっていて、その相手とも知人だったなんて知らなかったし、外崎宏太の交遊関係にも驚いてしまう。ただでさえ合気道で少し身近に感じたばかりだったのに、仁聖の父親も叔父も知り合いだったなんて。あの口ぶりだと、鳥飼信哉とも知り合いの風だったしと恭平も思わず苦笑してしまう。
「それでね、日本で最後に手掛けた家が了が今住んでる家でさ、凄い豪邸なんだけどさ、中見せてもらってね。」
「ああ、一度俺も行ってるから知ってる。大きい家で驚いた。」
「え?そうなんだ?何で?」
少し相談事というと仁聖は首を傾げたが、それでも話の勢いの方が勝る。恭平はリビングしか見せてもらっていないが、仁聖は他の可能な場所……自宅でもあり自営業のコンサルタントでもあるので仕事部屋だけはみれなかったというが、それ以外の殆どの内部を見せて貰ったらしい。恭平は知らなかったが、二階に浴室があってホテルみたいだったと仁聖は笑う。
「一見すると作りは普通なんだけどさ、割合グルリと動線が回れるようになっててさ、確かに少し不思議な作りなんだよ。」
ゲストルームやウォークインクローゼットや主寝室も、分かっているとグルリと一周できる動線があるらしい。最近はそういう作りの家も増えているだろうが、それを建てたのが二十年近く前で、しかもリフォームはしているらしいが基本的な部屋は建てたときのままだと言うから、当時はかなり珍しい家だった筈だ。それを楽しそうに話す仁聖に、思わず恭平も微笑んでしまう。
「ん?なぁに?」
「楽しそうだ。」
「うん、面白かった。色々聞けたし…………父さんが……ちょっと……マニアックってのには驚いたけど。」
ニコニコしながらそう答える仁聖が思い出したように、あ・と呟いて、恭平にリビングに置いたままにしていたショルダーバッグの中を見てくれないと言う。
「帰り際に、了がお土産ってなんか紙袋くれてさ?何だか見てないんだ。」
土産?そう聞いた瞬間、何でか嫌な予感がしたのはなんでだろう。兎も角言われた通り恭平は仁聖のバッグの中から軽い紙袋を取り出して、恐る恐る中身を覗きこむ。仁聖が先に中を見てなくてよかった……心底そう思いながら、同時にあいつはと呆れて言葉にならない恭平に仁聖がキッチンから延び上がって何だった?と問いかける。
「仁聖……これは、みなくていい。」
「えー?なに?見せてよ?お土産にくれたんだよ?中見知りたい。」
「いいから!」
一端火を止めて恭平ににじり寄る仁聖から、恭平が必死に紙袋を遠ざける。手を伸ばしても見なくていいの一点張りで中身が何なのかも教えてもらえないのに、仁聖が俺が貰ったのなのにーと頬を膨らませているが。
「駄目!」
「見るだけーっ!みして!中身ー!」
ソファーの上で縺れあっている内に押し倒す形になってジタバタしていると、仁聖の指が恭平の手に触れて更に紙袋にかかる。駄目だと言い続ける恭平の手から取り返そうと引っ張った紙袋が音を立てて裂けて、中身が目の前で床にハラリと落ちたのに仁聖は目を丸くしていた。
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