鮮明な月

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第十三章 大人の条件

125.

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去年の今頃は自分達の同級生が使っていた筈の教室に、一つ年下の学年の奴等が当然のように机を囲むようにしている。去年見ていた顔も当然幾つかあるし、自分に気がつく視線、それでも彼らとはもう空気が違うのが分かった。

こんなに違うんだな……

何でだろうか、たった数ヶ月制服を着なくなったから?でも制服のない高校だって存在するのに、もう彼らとは流れる時間が別のような気がする。それが望みだった筈なのに、こうしてみると少しだけ寂しくも感じてしまうのは感傷なんだろうか。去年自分が使っていた教室にいる、一つ年下の麻希子達の姿に思わず目を細めてしまう。

「モモー。」

変わらない呼び方が、何でか酷く懐かしくて思わず笑ってしまう。街中で会ったりLINEで話しているのに、教室の戸口て呼ぶって行動が酷く懐かしい。驚いたように目を丸くして振り返ったクリクリの瞳に、笑いながら手を振ると相変わらず人に囲まれている麻希子はパタパタと駆け寄ってくる。

「先輩、どうしたんですか?」

とは言うものの駆け寄ってきた宮井麻希子は以前のエゾモモンガというより、少し大人びて何処と無く女っぽい気配を漂わせている。この間の『茶樹』で話した時も感じていたが、もしかしたらあの溺愛彼氏と進展したのかもしれない。流石にキスくらいは溺愛彼氏でも我慢しないだろうし、もしかしたらその先だって有り得る。何でかって?全く化粧っ気もない天然素材の宮井麻希子がそこはかとなく女らしくなるんだ、それくらいしか原因はないと思う。それは女性経験が豊富な自分としては、分からない話じゃない。結構その行為を経験しただけで、色気が出てきたりするんだよな、実際。なんて事を素直に口にするような愚行はもう卒業しているわけで

「あー、書類書いてもらいにね、ついでにモモ達の顔を眺めに来た。」
「相変わらず暢気ですねぇ。」
「うわ、久々の塩対応かよ?」

何時も一緒の須藤と志賀も、それぞれ少しずつ大人びて女っぽくなっているのには少し驚く。二人にもそれぞれ恋の季節というやつだろうか?まあ坂本真希だって、この辺りに村瀬篠と付き合っていたんだからおかしくはない。そんなことを考えていたら視界に五十嵐海翔が目にはいって、一瞬懐かしさにあいつの事を失念していたのに気がつく。

「………あ。」
「どうしたんですか?先輩。」

仁聖の視線に気がついた風な麻希子が小首を傾げるのに苦笑いが浮かぶが、それほど孤立している風でもなさそうなのはきっと目の前の少し成長したエゾモモンガの活動のお陰のような気がする。

「あー、いや何でも。」

教室だけでなく廊下にも何でか人だかりになっているが、まあ私服の大学生が突然三年の教室に顔を出したらこうなっても仕方がないかもしれない。だから福上に廊下を闊歩するなよと釘を刺されてたのだ。

「大学生活どうですか?源川先輩。」
「勉強はやりたいことだから楽しいけど、課題の山が減らないんだよな。パソコン今までやってなかったから、今必死。」
「先輩、そういうの得意そうなのに。」
「いやスマホ程度だから、必死に勉強中だよ。」

そうなのだ、建築図面は製図しないとならないのだが、最近ではCADなんてソフトもあるから結果パソコンは必須。勿論製図を手書きする方法は基本として勉強はしているが、それをCADの自動処理任せにして寸法ミスなんてことは初歩的なミスとして結構あるらしい。そんな嵌めにならないようにとパソコンの習得は必須、何より論文各種はメール送信でのデータのやり取りをする時もある。それを言うと麻希子達もパソコンは不得手なのだろう、えええって顔をしている。どうも仁聖を初めとしてスマホ世代って奴は、スマホで十分賄えるからパソコンには触れない事が多いようだ。

「源川せんぱーい!」
「はいはい、賑やかだなぁ相変わらず。」
「賑やかなのは、先輩のせいだと思いますけど。」

え?何で?と思いながら麻希子の塩対応に目を向けると、そんな格好で学校に来たらモデルしてるのバレバレですと目が言っている。いやいや、あれは従兄だから。

「先輩ー、モデルやってるんですか?」
「あ、あれ?あれね、俺の従兄。」

そうそう、従兄な訳だ、だって俺と目の色違うし。向こうは英語ベースで日本語勉強中な訳だし、こっちは建築学を必死に勉強中な訳だよ。という仁聖の態度に、麻希子の顔はどう見たってそう言って誤魔化しますかと言っている。

「えー、そうなんだ!先輩の従兄さん、目が青いですねー!」
「そうそう。」
「先輩の従兄さん、外人さんなんですか?」
「向こうは生粋の外人さんね。俺は半分日本人だけど。」
「えー、先輩ってハーフなんですか?」
「いやいや、ハーフって言っても日本語オンリーだしな、俺。」

今まではあまり家族構成なんて口にしたことがなかったせいか、まあこんな程度でも周囲は充分納得はしたようだ。だけど内情を実は全て知っている麻希子だけが、顔に嘘つきってすっかり出ている。相変わらず隠し事の出来ない顔だけど、それでも言って欲しくないことはキチンと守ってくれる麻希子に内緒にしてニッと笑いかけポヤポヤした頭を撫でる。

んー、癒されるなぁ……。

頭を撫でないでくださいなんて言う塩対応にも、更に苦笑いでその頭を撫でながら自分がいた筈の空間を眺める。もうすっかり自分がいた時の空気は残っていないのは分かったし、ここはもう自分の居場所でもない。それは仕方がないことだし、今こうしている麻希子達もあとほんの一年もせずにここを巣立つのだと思うと不思議な気もする。そうして次々と生徒がここを巣だっていくのを教師達は見守り続けるんだと考えると、教師というのも随分大変な職業だ。
そんなことを考えてしまうとクラスの中の五十嵐海翔の姿に、海翔の今の状況なんて些細なものなのかもしれないと感じる。ほんの一瞬でしかない空間の出来事、今はまだ馴染めないだろうけど、もう少し慣れたら撫でている麻希子がどうにかしそうだなと何処か納得しつつある自分。

トシゾーと俺だって最初は仲悪かったのに、最後にゃ親友だったし。

川端駿三はまだ一年の時に仁聖がバスケで頭角を顕して、先輩に可愛がられ初めたのが気に入らなかった。というのも仁聖は中学の時はテニスをしていてバスケには全く見向きもしていない、高校デビュー組だったからだ。それなのに少学生からずっとバスケ一筋で必死だった駿三より、あっという間にレギュラー候補になった仁聖に駿三が面白くないのは当然だった。しかも一年の時は百七十ちょっとだったのに、二年になるまでに十センチも背が伸びた仁聖が目立たない訳もない。次第に身長まで追い付かれた駿三は、苛立ちにバッシュを隠したり体操着に悪戯したりした訳だ。それにどう対処したかって?そんなことをする執念は何処から来るのか不思議だったから、誰かやってるのか突き止めてみたんだ。そしたらクラスは違うが同じバスケ部の川端駿三だったから、なんでそんなことするのかその場で直に聞いた。

「お前みたいに何でもかんでも手に入る奴に、努力してる俺の気持ちが分かるか?!」

まあ聞いた途端に仁聖は、トシゾーにこう逆ギレされたんだが。それにしても仁聖としては、そんな風に何か一つにに打ち込める川端って凄いなって正直に言ったんだ。

「凄いな、そんなに必死に一つの事に打ち込めるなんて。」
「馬鹿にしてんのか?!お前!」
「違う、凄い奴だって尊敬する。川端、友達になんない?」

至って真面目に仁聖がそう言ったら、川端駿三はポカーンとしてお前なに言ってんの?そこはお前が怒るとこでしょ?なんでそれでリスペクトで友達?ときたんだ。これも中々面白い反応だろ?そんなわけで、そこから仁聖は散々川端にちょっかいを出し続けているうちに、いつの間にか川端から駿三に変わり、トシゾーになって最後には親友になっていたわけだ。
そんな仁聖の昔話は兎も角、海翔がいる空間にはこの麻希子がいるから、それほど心配がない気がしてきた。

「頭撫でないでください!背が縮むんです!」
「大丈夫だって、縮んでもモモは可愛い。」

うううと唸っている麻希子に癒されながら、仁聖は暢気に笑う。そんな次第であんまり廊下を騒がせたせいか、廊下を歩いてきた悌順に解散しろと怒鳴られた上に昇降口まで連行されながらお小言まで喰らってしまったのだった。



※※※



仕事の気分転換に家事というのもなんなんだが、仁聖が案外マメなせいかそれほど何かすることがあるわけではない。食器や洗濯なんかの洗い物も貯まらないし、料理の腕も上がって何でか最近ではストックなんて小技まで覚えた仁聖のことを考えると実は頭が下がる。
自分も八年ほど独り暮らししてきたのだが、気がつけば仁聖の方は幼い時からほぼ独り暮らしなのだ。もしかすると年期で言えば仁聖の方が、独り暮らしとしては実は長いのかもしれないと最近になって気がついてしまった。何しろ四つの時から秋晴と暮らして、小学校前には家政婦は断ってほぼ一人で暮らしてたって話を秋晴には聞いている。そんなことを許したんですかと言いたくもなるが、気がついたら仁聖が断っていたんだよねと言われると言葉を失ってしまう。つまりは家政婦の方に、何か仁聖としては触れられたくないものもあったのかも。
兎も角、十二年かそこらは大概のことは一人でやって来たなんて、正直なところ考えると驚いてしまう。自分は十八過ぎてからの独り暮らしだから大概のことは出来て当然だが、小学校入学前の子供が洗濯や掃除や料理ができた?そんなことには嘘だろと驚くしかないし、しかも仁聖はそれを周囲にバレずにこなしてきたのだ。

そんなのマトモじゃないけど、実際してたわけなんだよな……

何気なくそんなことを考えながらゴミを集めていて、それがゴミ箱の中に入っているのに気がついたのは丁度当の仁聖が不在中のことだった。あまり普段からはゴミの入らないリビングのゴミ箱に、あの時一端手にしたビニール袋に包まれたままの状態で一つポツンと放り込まれていたそれ。思わずゴミ箱から拾い埃を払って手にとって見たものの、見れば見るほど疑問ではある。なんでこんなものをファンレターと共に送りつけてくるのだろうか。

こういうのをあいつに履いて見せて欲しいとか?似合いそうだとか?

確かに他の下着類もプレゼントには多いし、時計やシャツなんか肌につけるものが多い気もする。仁聖にはまだないらしいが、履いて送り返してというものもあるらしいから呆気にとられてしまった。着用後の下着を欲しがるなんて変態としか思えないが、スポーツ選手が着ていたユニフォームを欲しがるようなものだろうか。それにしてもまだ数枚のポスターが世に出ただけとは思えない状況だが、当の仁聖が一番戸惑っているのだ。
これが普通なのかどうかは、恭平はファンレターなんかは貰ったこともないし書いたこともないから分からない。この間聞いて知っていると言ったのも信哉達と飲んでいる合間に信哉が今年貰ったチョコの始末に困った話になって、そこから貰うと困るプレゼントなんて話になっただけで飲みの合間の笑い話の範疇だった。女性的な名前で小説を書いたら、女性ものの化粧品と下着やらが届いて、流石に下着は無理だったらしいが化粧品は編集部女性達に還元したらしい。

俺に口紅十本をどう捌けと言うんだ!男だぞ?!

その言葉に一緒にいた宇野も自分も大笑いしたのはここだけの話。流石にペンネームを変えるというのも一度は考えたそうだが、新しいのと古いのと二重に贈られても困るし、一見女と見られている筈でも段ボール箱一杯になる大量チョコは届いたわけで。かといって今から男ですと言う気もない。どうも秘匿は秘匿のままにしたい理由もあるらしく、信哉としては『鳥飼澪』を今後も変える気はなさそうだ。

で?段ボールのチョコどうやって消費したんですか?

これが何よりの大爆笑だったのは、鳥飼信哉の方法が余りにもあり得ない方法だったからだ。その方法は恐らく鳥飼信哉でないと出来ないし、中身を確認しないで大丈夫なんですかと聞いたら匂いで嗅ぎ分けたから等と本当か嘘か分からないことを言う。何しろ手作りチョコには何が入っているか分かりはしないし、既製品に見えても中に何も入っていないとは言い切れない。まあ、一先ず信哉のことだから安全性の確認できたものだけでやったんだとは思うが、実は溶かして一気に飲んだらしい。これは笑うしかないだろ?幾らなんでも段ボール箱に入ったチョコを溶かして一気に飲むって、どんな人間だ?!酔いもあったから恭平と宇野は暫く笑いが止まらなかったが、鳥飼信哉と言う人間がこんなすっとんきょうなことをする人間だなんて全く知らなかった。
それはさておき信哉と違って仁聖は表に顔を出しているから、セクシャリティでは迷いなく品物を選んで送られてきているのだ。しかも仁聖の写真には間違いなく色気があるから、こんな系統のものまで贈られていることくらいは恭平だって分かる。ただ当人にはその色気の発散は全くわかっていないから、自分の認識とのギャップにあんな風に首を傾げているのだろう。

色気……なぁ…………

最近の仁聖には次第に普段からそんな色気が滲み出して来ているけれど、対して恭平は殆ど変化していないと判っている。そんなだからこんなものを履いてみて欲しい、なんて言われたんだろうとは分かってはいるのだ。手に取ってみても何なんだろうと思わずにはいられない程の、布の少なさと頼りなさ。こういうものを身につけるって言うのは、どんな気分なんだろうか……と改めて手に取ると考えてしまう。仁聖はどうなのか分からないが、基本的に恭平は今までこういうものを身につけた相手を見たことがない。だから、身につける方の気持ちどころか、身につけた相手を見てどんな気持ちになるのかも全く分からない。
赤と黒の薄いレース生地に、赤い細い紐。
隠すのは前だけ。それなのにその前もこんな頼りない透けたレース一枚じゃ、結局何にも隠せていないに等しい。それでも床に座って履いてくれないかなぁなんて呟いた仁聖の上目遣いで強請る瞳がちらつく。

恭平…が………履いて………くれるかなぁ……

冗談と誤魔化したが、瞳には冗談の気配は感じなかった。もしかして以前の経験から履いて欲しがっている?こういうのを仁聖は履いたことがある?履いたら色気を感じるものなのか?なんて事を思わず考えてしまう。仁聖がこれを履く……想像しようにも、これがどんな風に見えるか分からないから上手く想像できない。とは言え自分が履くのだとしても、これを履いてから何を一体どうしろと言うのか分からないのもある。正直にそう自分が言ったら仁聖はどう思うだろう。

そういうところが色気が足りないと言うだろうか……。

一端ゴミをまとめて集積所に出して戻ってきて、恭平はさてどうしたものだろうともう一度それを見下ろしていた。
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