鮮明な月

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第十三章 大人の条件

122.

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久々に一緒に眠る心地よさにタップリと浸りながら、穏やかで暖かな腕の中で目が覚める。自分を抱き締めている仁聖の寝顔を眺めて、その大人びた顔立ちに恭平は思わず目を細めていた。去年の今頃はまだ子供っぽくて頼りなげな少年、というかハッキリ言ってまだまだ子供だと思っていたのに。いつの間に成長期が来たかと思うと、あっという間に仁聖は脱皮するみたいに成長を遂げて男の顔になってしまった。それとも子供に見てたのは自分の目だけで、最初からこんな大人びた顔立ちだったのだろうか。しかも後二ヶ月もしないうちに一つ歳を重ねて仁聖は二十歳まで後一年、その一年でこれよりもっと大人びてしまったら、そんなことを悶々と頭の中で考えてしまう。

頼むから、そんなに急に大人になるなよ。

それでも仁聖は何故か、早く大人になりたがっていた。あまりにも仁聖が必死に自分の成長を急ぐ道を模索し続けていて、時々恭平は見ていて怖くなるくらい。口にはしないけれどあんまり急に仁聖に大人になられると、まだ何も変われないでいるままの自分の幼さに胸が痛くなってしまうのだ。正直に言えば仁聖に置いていかれそうな気がして怖くなってしまうのだと、仁聖に伝えていいものだろうかと恭平は考えてしまう。
去年の沢山の出来事の中でやっと少し乗り越えはしたものの、恭平はまだ父親の宮内恭慶の事を完全に許すには至れない。同じような生い立ちの鳥飼信哉のように、実の父親の家の者と和やかに過ごすには恭平は程遠い。それでも仁聖の存在でやっとのことで冷静に見えてきた事も多くて、やっと踏ん切りをつけてた。ここまできてやっと、古傷と顔を隠すための髪を切れるようにはなったところなのだ。

それでも自分が一番、仁聖の存在に甘えているのはよく分かっている。

仁聖にも話したが榊恭平という人間は、自分は駄目な人間と内向的になりがちで自己肯定に至らないまま八年以上も隠遁生活をしてきた。自己肯定感の低さから殻に閉じ籠り、失敗を過度に恐れて諦めに支配され主体性を手放し、自分なんてと言い訳する。自分なんてそんな程度、自分にはどうせ出来ない、変われない。
恭平は母親ソックリの顔立ちに妾の子と揶揄されて、鳥飼信哉のようにキレてやり返したことは殆どない。お嬢さんと揶揄された鳥飼信哉が同学年の猛者を返り討ちにしたのは自分達の学年では伝説ものの有名な話だが、次期鳥飼と呼ばれた自分は殆ど学校内で大事を起こしたことはなかった。
先日酒の席で飲んでいる最中に鳥飼信哉からはムカついてもやり返さないのかと呆れたように言われてしまったが、恭平はやり返した後の処理を考えるとどうしても面倒になって諦めてしまう質なのだ。内向的で消極的、しかも自分はコンプレックスも強くて、母の死後はトラウマもあって尚更一人内に籠って、そのままズルズルとここまで過ごしてきてしまった。仁聖とのことがなければ、きっと今も変わらずにいたはず。

だからこの間はそれを見抜かれて土志田先輩に活を入れられてこいと、信哉さんに投げられる羽目に陥ったんだった………。

仁聖はあの時の話を自分が子供だからなんだと理解したみたいだったが、恭平にとって実は一つもそうは思えなかった。何故なら仁聖の方が土志田の問いかけに迷いもせずに恭平を人生の伴侶と答えたのに、自分はそれに甘えて答えを濁してしまったのだ。恥ずかしがって何も言葉にしなかった恭平を、二人の目が見逃すはずがなかった。

本当は……お前の方がずっと大人なんだ、仁聖。

ちゃんと相手に向き合って今後を考えていて、男としてもちゃんと胆が座っていたのが仁聖。自分は仁聖より八年も色々と社会も人生も経験してきた筈なのに、大事な時に戸惑い逃げて責任をもつ意思を見せられなかった。それを見抜かれて十年も道場に足を踏み入れもしない状況なのだというのに、鳥飼信哉の相手を勤めさせられた訳だ。もし恭平が仁聖と同じく答えたのなら、二人がそんな無理難題を押し付けるはずがない。
仁聖に甘えて隠れようとした男としての情けなさに後から気がついて、何とか自分も前に進みたいと恭平だって思っている。それなのに仁聖はどんどん先に大人になってしまって、尚更のこと歯がゆい。それなのにこうして傍にいると、仁聖はそれでも足りないなんて思っているのが恭平には直ぐに分かってしまう。
自分を抱き寄せたまま気持ち良さそうに眠っている顔に見とれながら、それでも何とか自分の進む方法を考えてみる。それでもハッキリした答えは見つからず、恭平はスヤスヤと寝ている仁聖の顔を見つめた。

大人……か、難しいな………

手を伸ばしてソッと仁聖の柔らかで厚い唇に触れ、柔らかで滑らかな頬に触れる。仁聖の事だからちっとも気がついていないんだろうけど、大学では更に人目を惹いているに違いない整った顔立ち。以前から薄かったが、最近更に色が薄くなってきた気がする栗毛。母親は金髪だったと言うし、目の色も少し青みが強くなった気もする。このまま成長すると、もしかして今の仁聖のバイトの時のように、どう見てもアメリカ国籍のイケメンという様相になるのかもしれない。源川秋晴の体格を見れば体格は父親似かも知れないが、顔はどうなのだろう?そう言えばそんなこと今まで考えたこともなかった。

写真って、そう言えば、ご両親の写真とか見たことないな………。

四つで両親をなくしたと仁聖の生い立ちは既に知っていたが、そう言えば一度も仁聖のアルバムのようなものを見たことがない。ここに暮らし始めた時、仁聖が持ってきた荷物は殆どと無いといっていいほど少なくて、この家で一緒に暮らすようになってからやっと物が増え始めた位だ。客間を仁聖の自室にしてからワザワザ覗いたことはないが、写真たては見たことがないしアルバムとかはあるのだろうか。聞いたら見せてくれるだろうかと考えながら、額の栗毛をはらうと擽ったそうに仁聖が身動ぎする。

「んん………きょ………へ……。」

ムニャムニャと自分の名前を呼びながら、尚更しっかりと抱き寄せてくる強い腕に腰を絡めとられ引き付けられる。スッポリ抱き締められているのには、少しだけ男としての嫉妬を感じながら胸元に頬を寄せた。一際体温の高い仁聖の腕の中で胸元に押し当てた感触くが、本当に心地よくて安心する。

愛してる………仁聖。

そう心の中で囁いて手を体に回し更に肌を寄せると、仁聖がまたなにか寝言を囁き恭平の体を更に深く抱き寄せる。仰け反る程に抱き寄せられながら、思わず苦笑いしてしまう。こんなに抱き寄せられて嫌どころか、少しではなく幸せだなんておかしな話だ。以前だったら抱き締められて寝るなんて考えられなくて、それより何より誰かの腕の中で安堵するなんて思ってもいなかった。だからこそ、少しでも仁聖に劣らない人間に、仁聖の隣にいても見劣りしないようになりたい。恭平はそれには自分はどうしたらいいんだろうと頭の中で言葉が再び過るのを感じながら、そっと仁聖の唇に自分の唇を重ねていた。



※※※



恭平は優しいからあんな風に言って、まだ子供の仁聖の事を一番に考えてくれている。そう考えながら仁聖は左手の薬指をみおろして、暫しそれの嵌められた自分の手を眺めた。
大学の一年と二年は他の建築系の建築学と建築デザイン学、建築環境学の三学科が共通で、建築の基礎をに関連した事を学ぶ。この間の論文は建築学に対しての自身の認識と、現行の建築物に関しての住環境及び自然環境へのアプローチについてなんてもの。それになんで恭平がいた文学部の教授が出てくるのかと言えば、文学の観点からの建築デザインというとんでもない講義をしているからだ。仁聖は別に宮大工になりたい訳ではないが、現在の建築基準や環境への配慮は遥か過去の建築物に及ばないと思う。新しいデザインなんかは利便性が良くても、古の技術を取り入れるようには出来ないものが多い。古くからある技術は実際には理にかなっている事が多いが、それをどうして導き出したかは口伝ばかりで絶えてしまったものだってある。
そんな風に一心に講義を受けながら、それでもふと頭に過るのは艶やかで穏やかな恭平の横顔。どうしたらあんな風に強くしなやかな大人になれるのか、仁聖には何時も不思議でならない。凛とした月のようにヒッソリと、それでいて揺るがない姿に、仁聖は何時も手を伸ばして抱き寄せたくなる。

「仁聖?」
「ん?」

肩をつつかれて我に返ると、どう見ても周囲は既に立ち上がり荷物をバックに投げ込んでいる。一瞬考え事に耽っている間に抗議が終わってしまったらしいのに、仁聖は目を瞬かせて隣の翔悟を見上げた。

「昼飯どうする?学食行く?」

既にバックを肩にした翔悟に問いかけられて、仁聖も慌てて荷物を片付け出す。どうもあのファンレターというやつのせいで、自分という人間の存在価値というものが今一つ納得できない。顔しか見てない体しか見てない相手に愛の告白やら、あんなとんでもない淫らなプレゼントって言うのはなんなんだろうか。

「翔悟、ファンレターって書いたことある?」
「ファンレターぁ?」

並んで歩き出した途端に言われた言葉に、思わずすっとんきょうな声をあげて返す翔悟がポカーンとしている。

「ファンレターってアイドルとかに出すあれ?」
「うん。」
「ガキの時に、ご当地ヒーローに書いたのでもいい?」
「ご当地ヒーロー?」

翔悟の予想だにしない返答に、今度は仁聖の方がポカーンとしてしまう。相変わらず翔悟の返答って言うやつは、仁聖の予想の範疇を余裕で突き抜けてくる。どうやら翔悟の地元のローカル放送でご当地だけのヒーロー番組があって、既に十年近くやっているのだと言う。

「十年前って八歳とか?」
「そうそう。超格好いいです、僕も将来ヒーローになりたいですって書いて送ったらしい。」
「らしいって覚えてないわけ?」
「その時は必死で書いてんだけど、十年前の好きって覚えてないって。」

いや、それはどうだろう。自分は少なくともそれ以上の期間で恭平のことだけだったんだけど、と考えたが、それとこれとは話が違う。しかも聞きたいのは異性に関してであって、正直いうと同性のヒーローへの憧れとは違う。

「そういうんじゃなくて、例えば顔しか見たこと無い人間に好きって手紙書ける?翔悟。」
「どうかなぁ、俺は無理だけど家の妹なら書いてそうだな。あいつアイドルオタクだし。」
「翔悟、妹いるんだ?」
「弟もいるよ、俺五人兄弟だし。」
「五人?!」

翔悟は平然と姉、兄、俺、妹、弟という。年の離れた姉と兄は既に就職しているし、妹は高校生、弟は小学生。しかも現在家を出ているのは翔悟一人で、姉も兄も自宅から通っているそうだ。高校生の妹は翔悟と年子で今年受験生、下の弟はまだ小学二年生だなんて、どんな状況なのか想像もつかない。凄い、世の中には本当にそんな兄弟いるんだと驚いた仁聖が言うと、なんと更に翔悟は俺んちジジババ含めたら総勢十一人なんだけどときた。

「え?計算あわない、なんで十一人?」
「ひいじじ、ひいばば、じじ、ばば、親父にお袋だろ?後兄弟五人。な?十一人だろ?」
「すげぇ!いいなぁ、それ。」

思わず素直にそう言ってしまった仁聖に、何がいいのと翔悟は呆れ顔だ。何時でも日常が喧嘩上等の戦争だし食い物は早い者勝ちで最悪だと翔悟は言うが、子供の頃に両親を亡くした自分にはそんな環境は経験もなくて羨ましい気がする。
恭平が自分を受け入れてくれてもう隠す気もないから、仁聖はサラリと今までは言わないできた事も口にすることにした。

「俺、ガキの時に両親死んでて兄弟もいないし、親戚も殆どいないんだよ。だから、そういうの羨ましい。」
「そうなんだ。」

改めて殊更に境遇を騒ぐでもなく、ただそうかとだけ言う翔悟に、仁聖は思わず微笑んでしまう。高校迄の自分が何故あんなにも両親の事をひた隠しにしていたのかと疑問に感じるほど、アッサリと受け入れられてしかもそれに関して根掘り葉掘りもされない。きっと高校の時にこれを口にしていたら周囲が寄って集って質問攻めにされて、仁聖は作り笑いを張り付けて冗談だと話を変えたに違いないと分かっている。今までより少し大人だからなのか、それともそういうのが重要ではないのか、少なくとも境遇では変わらない佐久間翔悟の柔軟な思考に、仁聖はホッと安堵してしまう。

「翔悟って、やっぱりいいよな。」
「ん?何が?」
「そういうところ。」
「褒めても奢んないぞー?」

暢気にそんなことを言う翔悟と並んで歩きながら、今まで並んでいた幼馴染み達はどうしているだろうかとふと思う。慶太郎は一人暮らしを始めているし、真希はそろそろ妊娠六ヶ月を過ぎた筈だ。それぞれの環境でお互い変わり始めているのを感じながら、仁聖は翔悟と笑いながら学食にノンビリと向かっているのだった。
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