鮮明な月

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間章 ちょっと合間の話

間話12.予想外の関係図

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駅前の喫茶店『茶樹』は立地のわりに繁盛店で、その理由のひとつは客の年齢層が幅広いことだ。時間帯によって客層はまちまちで、朝一番はサラリーマンやOL、出勤帯が終わると出版社関係者や中高年、昼近くになればカフェ好きな若い女性、午後は学生から夜には再びサラリーマンに変わる。喫茶店と言うやつは案外客層は一定なものだが、ここは時間帯によって売りを変えてあってモーニングには通勤前の年代、その後は食事もとれるし甘味も楽しみたい年代、夕方には酒を嗜む年代と工夫されているのだ。勿論料理している鈴徳の腕もいいし、久保田の目利きが広範囲で確かなのも大きい。この胡散臭い盲目の男を含めた幅広い人間が訪れる店ではある。
目下時間帯は午前中。通勤帯が終了し、そろそろ出版社の打ち合わせに使い出される頃合いだ。宏太がここに出没するのは、朝のこの時間か夜遅くのどちらか。どちらにしても客足の途絶える頃合いを、この顔の問題もあって見計らって訪れている。最近は了のお陰で少し味覚が改善しているのか、珈琲の旨さが分かるようになったような気がする。そう言うとマスターの久保田惣一は、驚きに満ちた大きな溜め息と共に宏太を眺めた。

「まさか宏太が人が変わって恋に堕ちるなんてねぇ。」
「うっせぇなぁ、俺だって人間なんだぞ?」

その言葉に久保田は珍しくニヤリと人の悪い笑顔を口元に浮かばせて、揚げ足を取るように口を開いた。

「つい最近まで自分は人間擬きだって言っていたじゃないか、宏太は。」

久保田惣一と外崎宏太の縁は、過去に久保田が経営していたSMクラブに宏太がフラリと姿を見せたことにある。その時の宏太はまだ何も知らない普通の人間だったが、そこからクラブに通いほんの数ヵ月で頭角を表してあっという間に調教師と言うものに収まってしまった。
普段松理がいる時はトノと呼ぶのは、松理が嫉妬で不機嫌になるからで、こうして松理がいなければ昔から宏太と呼ぶことも多い。一風変わった久保田の人柄はマスター姿では飄々として掴めないが、実はここら近辺ではアンダーグラウンドで有名な人間なのだ。そんな人間に宏太が興味を持たない訳がない。とどのつまりアンダーグラウンドに関しては、久保田は宏太の師匠みたいなもので元雇用主でもある。他の人間には面倒臭くて話さないようなことも大概半分は先に久保田の方が聞き付けていたりもする訳で、先日の宇野の彼女の拉致事件にはかなり協力的だった。

「ハムちゃんは……何時になったら顔を出してくれますかねぇ……、良二も寂しがってるんですけどねぇ。」
「ハムスターのハムねぇ……。」

宇野の彼女・宮井麻希子は『茶樹』では何故かハムちゃんなどと呼ばれているらしく、それを聞くたびに見たことのない彼女の顔がゴールデンハムスターに変換されるのは致し方ない。何でか彼女はアンダーグラウンドの人間に好かれやすい質のようで、久保田も松理も鈴徳迄お気に入りらしいのだ。ハムスターを愛でる久保田惣一なんて、正直ゴッドファーザーがハムスターに赤ちゃん言葉を使って可愛がっているようなもの。その違和感足るや、昔からの知人の宏太にしたら半端ない。しかも、何でそこまで協力的だったかと聞いたら更に予想外の答えが帰ってきた。

「しかし、何でまた雪と知り合いだってんだよ?俺は聞いたことねぇぞ?何処で知り合ってんだ?」
「最近まで私も知りませんでしたからねぇ、……成長が激しすぎて……昔は美少年でしたよ?」

久保田の過去を懐かしむ言葉に、うへぇと思わず口に出してしまう。目が見えなくなってから出会った宇野のイメージは、あの裏表の差の激しさの印象が強すぎる。昔の会社員だった頃の自分に似通った二面性に、気に入って構っているのであって美少年なんて付加価値をつけてみるのは気持ちが悪いし想像が出来ない。あの性格で宇野が綺麗な顔なんかしてたら、宏太の目が見えてたら一先ずへし折りたい高嶺の花確定だったんだろう。そんな話はさておき遠坂喜一から状況は聞いたが、三浦和希は何でか宮井麻希子には何も手を出さなかったらしい。まあ、足枷を嵌めて地下室に放置して水攻めにするのが、何もしないに当たるかといわれると微妙だが。人の逸物を切り取って腹をかっさばくのが通常の男ではあるが、基本的に男にしかナイフはふるわないつもりなのか。とは言え以前の事件の最後の被害者は女だから、気紛れでそうしたのかは分からない。今の三浦の頭の中がどういう思考回路なのかは、宏太には全く理解できないからしかたがないのだ。

まさかハムスターが可愛くて手を出せなかったのかね。

カランと音が背後でして深碧のドアが開く音がするのに、宏太は何気なく何時もの癖でその足音に耳を澄ます。
その足音は噂をしたばかりの宇野智雪ともう一人。

「あ、外崎さん。」
「よぉ、雪。」

ヒラリと手を振るとカウンターに歩み寄る宇野の足音の背後に気がついた。喧騒が邪魔する訳だから流石に足音を完全に聞き分ける程ではないのだが、雪の足音は聞こえるがもう一人の足音が聞き取れない。何か鍛練するような手習いがある人間の歩きに近いが、外歩きの靴でこれ程音がしないのは珍しい。

「この間はお世話になりました。」
「あ、ああ、気にすんな。こっちも丁度遠坂を探してたからな。」

足音に気をとられて雪の言葉に反応が僅かに遅れる宏太に、宇野は少し不思議そうに宏太を見ているようだ。普段は注意深く言葉の抑揚迄聞いているから、ほんの僅かな変化も目につくのだろう。宏太は気を取り直したように宇野に口を開く。

「雪、そっちの王子様紹介してくれよ。俺は外崎だ、外崎宏太。」

実際には初対面だが去年の夏頃に宇野からの頼みで、カラオケボックスのエコーの『耳』を使っている最中の事件でその人物の存在は知っている。夏場に高校生の子兎ちゃんを間一髪で助けに来た二人の王子様の一人、しかもかなりの腕っぷしであのカラオケボックス特有の閉鎖的空間で大の男一人を投げ飛ばす人間だった。もう一人の王子様の方は、強面の都立第三高校の先生なのは知っているし会ってもいる。

「信哉、この人は外崎さん、ちょっとかなり胡散臭いけど好い人だよ。」
「その紹介なんなんだよ、もうちょい色つけて紹介しろよ。」

宇野のあからさまな胡散臭いを強調する紹介に思わず苦笑いが宏太の顔に浮かぶと、相手は少し気配を緩めたのが分かった。

「鳥飼信哉と言います。」

涼やかなと言う表現が似合う声。声の出所からすると宇野よりは少し身長が高いのが、目の見えない宏太には音の位置で分かるがそれ以前に違う事で宏太は思わず眉を潜めた。

「鳥飼?」
「ええ。」

なあんだと心の中にこの王子様の異様な腕っぷしの強さの理由が分かる気がした。鳥飼なんてここいらでは珍しい名字で、子供の時からここいらに住んでいるなら親戚は妥当だが宏太の知っている鳥飼は一人きりで女性。しかも彼女は、宏太の知っている間に身内が急逝していた。宇野は二十八歳で彼と同じ年、自分は今四十六歳で彼女は同じ年・となると想定出来るのは一つ。

「澪は元気か?鳥飼さんよ。」

不意に宏太が口にした言葉が、あまりにも予想外で相手が驚きに凍りついたのが分かる。だが、この相手の反応からすると、まさに宏太の予想通りの相手だったらしい。
実は外崎宏太は子供の時から十六歳まで、合気道を習っていたのだ。十六で辞めたのは通っていた道場の師範が事故で亡くなったからで、宏太は他の仲間のように弟子の道場に移る気がなかった。そして道場の名前は『鳥飼道場』で、そこには宏太と同じ歳の一人娘がいたのだ。

澪の息子なら足音なんか立てねぇだろうし、とんでもない強さで当然だな。

宏太が珍しく微笑んだのに宇野が驚いた様子を浮かべているが、凍りついたほうの鳥飼は言葉に困っている風だ。
考えてみたら、鳥飼澪こそ宏太が一番最初に出会った『高嶺の花』とも言える存在だった。鳥飼澪は流麗な黒髪の恐ろしい程の美人で、高校の時には他校からファンクラブが見に来るほど。しかも、性格はサッパリしていて、誰からも人気があった。そして、そんな絶世の美女なのに、そこいらの男なんか束になっても敵わない無敵の女傑だったのだ。

「お前のじい様かな?鳥飼先生に組み打ち迄は指南されてたんだよ、澪にゃ一度も勝てなかったがな。」

鳥飼道場では合気道で師範クラスになると、古武術と言うやつの指南が師範の判断で受けられる。組み打ちって言うものは簡単に言えば、素手で相手を組み伏せるための武術で警察なんかでも組み込まれているものだ。まあ、これと合気道が相手の抵抗をいなすのには最適なものだから、宏太が調教師として一流なのにも役立っている。まあ、そんなことを鳥飼の師範に知られたら、とんでもない長説教をされるのは目に見えてしまう。

「へぇ、合気道をやってたんですか?宏太。」
「十六迄だからたいした腕じゃねえんだけどな。」

笑いながら言うと鳥飼は少し躊躇うように口を開く。組み打ちを学んだなら師範クラスですよねと言う青年も、それを知っているのだから恐らく同じように古武術を身に付けているに違いない。

「母とは……?」
「幼馴染みってやつだな、高校で縁が切れちまったけどよ。」

なるほどと言いたげに口を開いた鳥飼は、再び少し躊躇ってから小さく母は十一年前に亡くなりましたと呟く。鳥飼澪は正直腕っぷしでは無敵過ぎて殺しても死ななそうな女だったから、息子のこの言葉は予想外だ。もうあの女はこの世にいないのかと、宏太はほんの少し寂しさを顔に浮かばせた。

「そうか……随分早くに亡くなってたんだな………、知らずに悪かった。」

いいえと鳥飼は穏やかに口にする。

「母に幼馴染みなんて、初めて聞きました。」
「はは、だろうよ、雪とあんたみたいに仲がいい幼馴染みじゃなかったからな。」

道場では何時も組み打ちで最後は喧嘩になってたからなぁと言うと、宇野の方は驚いたようだが息子は流石に彼女を分かっているから母は負けず嫌いですからねと笑う。それにしても世間は、広いようでこんなに狭い。こんなに直ぐ傍に幼馴染みの息子が生活していたとは知らなかったし、宇野と久保田が知り合いなのも驚きだった。
そんな訳で呑気に昔話をしている最中、『茶樹』に姿を見せたのは剣呑な気配を放つ了だ。実は家の掃除をするから、その間『茶樹』に避難していた。大袈裟だと思うだろうが、盲目の宏太にとって物の位置を動かされてしまうと怪我をしかねない。定位置の物すら動かすような時は、少し避難しておくのが無難なのだ。

「宏太!お前っ!やりすぎだろっ!」
「何だよ、ちょっとした仕返しだって言ったろ?」
「泣きながら俺に電話してきたぞ!何送りつけてんだよっ!」

怒気混じりに詰め寄られた理由は簡単。
ちょっと前に了を貰いに挨拶をしに行ったはいいが、両親は宏太を詰る訳ではなく了を放棄することを迷わず選んだ。宏太の両親ですら息子の加虐嗜好と精神の欠落のカミングアウトに涙して、息子を何とか保護しようとしたのに。
了が同性愛とカミングアウトした事に不快感があったとしても、その場で保身に両親共に走るとは流石に思っていなかった。了は確かに奔放な息子ではあるが、金銭感覚もまともだし頭もいい。ちゃんと愛情を与えられて育てば、父親より優秀な政治家になれた筈だ。まあ、そんなことはさておき、既に宏太の大事な了になった訳で、それをあんな風に泣かされてただで澄ますわけがない。

ただじゃ済まさないと言ったら、本当にそうする。

と言うわけで賞味期限切れとは言え、目がまだ見えていた時に撮っておいた動画をディスクに焼き付けて丁寧に送付してやった。恐らくそれをみて、データを消去してくれと了に泣きついてきたのだろう。恐らく父と母がそれぞれに。

「何って……ディスク一枚だが。」
「だからっ!中身だよ!」

中身は何の事はない。父親の方は仕事の以来をする前に今の妾をレイプした時のものと調教の最後の輪姦。母親の方は若いつばめと盛り上がってハレンチな事をしている映像だ。どちらも自分がやったことだし、自業自得だと思う。勿論各自一枚なんて、優しいことはしていない。それぞれ時系列でちゃんと焼き付けてやった、一枚で二度満足な豪華ディスクだ。
ついでに言えばおまけに目下、了を傷つけた公園の痴漢の特定作業も継続中。恐らく相手は矢根尾と言う男じゃないかと考えているのだが、ここ暫く行方不明だったのにひょんなところから発見されてこの街に戻ってきているらしい。怒りまくっている了の剣幕に平然としている宏太に、久保田がおやおやと笑っているのがわかる。そう言えば、久保田は兎も角…

「雪、この間は紹介してなかったな、俺の嫁だ。」
「ひ、人前で嫁言うなっ!馬鹿っ!」

こうして了がキャンキャンと吠えている辺りも宏太には可愛いだけなんだが、宏太の嫁発言に宇野と鳥飼が絶句して凍りつくのが分かる。
イケメンだとは知らなかった宇野と澪の息子なら確実にイケメンだろう鳥飼には、牽制策をとっておかないとそう心の中で自分が考えるのが分かっていた。
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