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第十三章 大人の条件
119.
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入学式を無事終えてから、未だ初々しい大学生の生活。
正直なところ仁聖自身としては、日々私服の毎日にまだ一向に慣れないでいる。こうしてみると今までの制服って言うものは案外楽なものだったんだなと、毎朝服を選びながら考えてしまう程だ。しかも、今まで私服には自分としてもあまり頓着していなかったが、毎日毎日となると同じものを着ていくわけにもいかない。そんなわけで折角のバイト代が幾分新しい服に飛んでいってしまうのは痛いが、そこはやむを得なかった。まあ撮影の時に使った服を安く卸して貰えるというモデル特有の特典には正直ラッキーとは仁聖も思うのだが、モデルのバイトをバレないように必死なのにそれをそのまま同じように組み合わせて着るわけにもいかない。
同じ組み合わせを直ぐ出来ないのは、まあ仕方ないけど。
それにしても既に同じ講義を受けている女の子数人から、源川君ってもしかしてモデルなんかしてない?と数回で済まない位問いかけられている。メイクの魔法はあるとは言え、どうしたって顔は同じなんだから下手に誤魔化すくらいならと、遠縁の親戚・従兄だと答えることにしていた。
向こうはアメリカ人・俺は遠縁のハーフ、見ればわかるけど目の色違うしというと、大概は目を覗きこんでホントだね・違うねとくる。全く違うと逃げない分、そうなんだぁ従兄なんだ?カッコいい従兄だね?どこら辺に住んでるの?なんて事で話が済む辺りがこれまたおかしなものだ。
結局誰しも俺をみてる訳じゃなく、造形で反応してるって訳だよな。見た目・アイコンありき。
何でかつい皮肉にも、そんなことを常に考えてしまう。自分がそんなことを考えるなんてよく分からないが、ついついそう考えてしまうようになったのはなんでだろうか。
それにしてもだ、左の薬指の指輪の効果が今一なのは何故?この指輪はお洒落のアクセサリにしてはシンプル過ぎるし、意図して誰にも見えるようにしても女子大生の反応はまちまち。それが今一つ納得がいかないでいるわけだ。同じ左の薬指でも、恭平の指輪は一緒にいると女性店員が確実に無念の溜め息をつくのに。
まだ俺は子供だから、ってこと?
指輪の真偽を疑うまでもなく、ただのお洒落と判断されている訳なのだろうか。そんな疑問に肩を落としてしまいそうになる日々なのだ。大学生になったんだからもう少し大人になるのかと思ったのに、自分はそれほど成長してない気がする。いや正直な話、年下のまだ高校生の友人・宮井とか一気に成長してる感なんだ。まるで何処かに成長スイッチを見つけたような急成長で大人びてきて、会うたび自分って本当に成長しないなと感じさせられてしまう。自分の成長スイッチは、一体何処に置き忘れてしまったんだろうか。
大人の条件って、ほんとマジで購入できないかな。
バイト先の藤咲社長曰く大人の条件=色気なんて言われてるけど、それは他人任せででもいいから得られないものかなぁと思わず真剣に考えてしまう。それにしたって色気って大体にして、意図して身に付けられるものじゃないし。それが大人の条件ときては、仁聖にはハードルが高すぎる。藤咲は大丈夫よ、少しずつ出てるから等とお世辞を言いまくっているが……
それにしてもこんなに忙しいとは思わなかったんだよなぁ、バイト。
既に仁聖がモデルとして撮影したのは、化粧品会社を含む三社分になっている。あなた破格の売れっ子なのよと藤咲社長は小躍りしているが、個人的には正直なんでそうなる?の世界だ。早いものは既に物販ポスターとして貼られているらしく、宮井からはあれカッコいいですねとLINEが早々に送られてきた。
世の中の女の人は目ざといなぁ、俺なんか自分のポスターまだ一度も直に見たことないんだけど。
それが実は目ざとい女性達のポスター盗難の結果だとは、当の仁聖だけが知らなかったりもする。その人気のお陰なのだろうか、目下事務所の年下の先輩・五十嵐海翔君には完全に目の敵にされている始末。確かに事務所に入ったのは向こうが先で先輩なのだが、あの態度はどうにもいただけない。あれが生意気なのではなく、強度の人見知りとプライドの成せる業と聞いても余りよろしくないのだ。
イイ気になるなよ!
と昨日もすれ違い様に刺々しく言われたのだが、一応モデルの時の自分はウィルであって余り日本語は分からない設定なので気持ちよく完全にスルーさせてもらっている。因みにめでたく発言をスルーされた先輩は、噛みついたのに反応すらされないことに真っ赤になってプルプルしていた。どうせなら英語でDon't get cockyとかDon't get carried away位言えばいいと思うが、少なくともこんな言葉から覚える英語っていうのも如何なものか。せめて日常会話くらい聞き取れるくらい、俳優を自負するなら少しは頑張った方がいいと思う。分からないと思って日本語で散々「日本に来たんなら日本語使え」とか「会話も出来ないのは恥ずかしくないのか」と言っているが、こっちだって本当はバリバリ日本語生活なんだ。ガキの癖にとか・ドラマの高校生役のチョイ役程度じゃ英語が出来る必要ないか等と、少し皮肉に考えてしまう。だが、口にはしてないから、自分も少しは大人になったと思ったり。
それにしても本職のメイクさんの力は凄い。
自分でも撮り終わった画像を確認と言いながら一緒に見ていて、誰よりも自分自身が一体誰だこりゃと思っているのはここだけの話だ。今まで自分ではそれほど外人顔だとは思っていなかったのだが、撮影された画像はどう見ても母親の母国の人間に見える。実際そんなに母親似だとは思っていなかったが、自分って母さん似?などと今更ながら考えてしまう。身長とか体型は父親似だと思うけど、顔は母親似なんだと改めて思ったわけだ。それでも毎回持ち帰った画像を恭平が暫し無言で見ているのには内心・心配な気もしたりするし、やっぱりモデルバイトは高額とは言え早まったかもしれない。
そんなことを日々考えていることはさておき
スラリとした手足の長い長身、だて眼鏡なのだが黒縁の眼鏡をかけ、栗色の髪は以前より短く切ってフワリと整えられている。深いモスグリーンのロングカーディガンをコートがわりに翻して、黒のスキニーに白いシャツ姿、スニーカーで足早にキャンパスを歩く姿。本人は何も意図していないが、密かに藤咲の特訓のお陰で姿勢が良くなり歩いていてもスタイルの良さを一際・際立たせている。勿論今日も左の薬指の指輪は、すっかり定位置。右肩にさりげなくかけているサコッシュですらお洒落に見えるらしく、ヒソヒソと噂話をする姿がチラホラしているのに気がつかないのは依然として仁聖らしいと言えばらしい。仁聖自身は露程も気にかけていないのだが、傍を通り過ぎるだけでだいぶ女子大生が振り返っていた。
実は女子の間で仁聖の薬指の指輪の存在はとうに噂にはなっているのだが、それにだって女子は本当なのか・この絶大な人気を避ける抑制のための嘘なのかと訝しがっているのはここだけの話。そんなわけで目下・欠伸混じりとはいえ私服の仁聖は、既にキャンパスでかなり目立つ存在にはなっているようだ。
「ジーン。」
遠目に元気に手を振りながら歩み寄る佐久間翔悟は、同じ学部に通う仁聖の大学での最初の友人だ。入り口から続くすっかり葉桜の並木になっている木立の中、キャンパス内はサークルの新人勧誘の嵐が桜吹雪以上に吹き荒れている。一見すると大混雑のなにかお祭りの最中のようだが、どれもこれも我先に有望な新人勧誘に勤しむ先輩達だ。
「その呼び方、外人みたいで俺やだなぁ、翔悟」
今のところバイトが忙しくてサークルどころでない仁聖にそれでも是非名前だけでもと食い下がる先輩達を掻き分けるようにして逃げながら、やっと並んだ佐久間翔悟の隣で思わずまた一つ欠伸が落ちた。
「寝不足?ジーン。」
「んー、まあそんなとこ。翔悟、課題どう?」
早速出された課題に翔悟の方も、俺も手間取ってるよと苦笑いで答える。何しろ基礎学力を見るために、まずは小論文四百字詰めで八枚以上と来たのだ。早速仁聖が家で唸っていたら同じ大学の文学部卒の恭平に、あの教授まだそれやってるんだと笑われたのはここだけの話しにしておく。それにしても本命の建築関係の勉強に辿り着く前に、まさか早々に基礎学力でこんな状況になるとは思ってもみなかった。並んで歩きながら仁聖が、ふと思い出したように隣の翔悟に口を開く。
「それにしてもさ?ジーンて止めない?翔悟。」
「なんで?カッコいいじゃん?」
「そういうイメージじゃないし、その呼び方俺は嫌い。」
えー?と翔悟が呑気な声をあげる。翔悟に顔が外国人ポイし名前が長いからジーンなんて、最初に突然言われた時には正直なんだそれと思った。大体にして名前が長いって、『さくましょうご』と『みなかわじんせい』って一字しか違わない。たいして長くないし、本当はミドルネームもありますけど?でも流石にそれを口に出して言ったら大間抜けだ。
「嫌いってことは呼ばれてたことあんの?」
「まぁね。」
流石に言葉の端々で気がつくポイントが、今までの友人とは少し違う。
実はほんの子供の頃に、そう呼ばれていて不快だった事がある。音感がどうとかではなく、その意味が激しく不快だったのだ。まだ自分がほんの幼い小学校の低学年の頃、つい相手と話す時に出てしまった英語。それに周囲が自分達とは違う仁聖の容姿と境遇を嘲笑った渾名。
ジーン、仁聖のジンは………
思い出すと流石に不快感があるんだ。独りっきりで悔しくて泣いたのは自分がその言葉に、自分がここでは異端だと思ったからで切り返す言葉もなかったから。仁聖にはその時の事は良い思い出ではないし、仁聖がこれまで日常には英語を絶対に使わないと心に誓った理由でもある。勿論幼馴染み二人はそんなことをする人でなかったが、実際には恭平は知らないが一端それ以外の同級生と全く交流しなくなった時期があったりもするのだ。
「そうかぁカッコいいのになぁ、ジーンって。直訳すると遺伝子だよ?すっごい頭良さそうに聞こえるじゃん?」
「遺伝子=頭良さそうは、安易じゃないかなぁ。」
そう答えると翔悟はそうかなぁなんて言いながら考えこむ。この年になれば呼び方なんてたいしたことではないが、これから少なくとも四年間遠くから毎日ジーンなんて叫ばれるのはちょっと嫌だし。続くと返事しないかもよ?と言うと真剣に考えている。
「じゃ従兄の名前、パクる?ウィルだっけ?正式にはウィリアム?」
「あはは、なんでワザワザ従兄の名前パクって呼ばれんの?俺。」
翔悟から代案として出てきた答えに、思わず笑ってしまう。本当のところはそれも間違いなく俺の名前だけど、出てきた答えが従兄の名前をパクって呼ぶなんて案なのは中々ユーモアがある。ユーモアはあるけど、今そう呼ばれたらある意味で今後がとっても面倒臭い。そう言ったら翔悟も、素直にそうだよなぁなんて言うのだ。
「じゃ、仁聖。」
「………最初からそれでよかったんじゃ?」
「えー、大学デビューだよ?かっこよく呼び合おうぜ?」
「俺、最初から翔悟って呼んでるけど。」
「あ、そっかぁ。」
いや、ほんとこの思考過程は訳がわからんけど、面白い事をいうやつだと思う。この佐久間翔悟は北国生まれ。生まれも育ちもここよりずっと北の寒い地方で、大学進学を期に上京したという。なので、まだここいら辺のの環境には慣れないと話す。先ずは気温、それから物価、そして目下一番の疑問はネオンだという。
「信じらんないよなー。どこもかしこも真夜中までやってる。」
そう言われても仁聖にしてみれば、これは幼い頃からの当然の世界。それと違う環境を想像するのは、実際には思っているより遥かに難しいことだった。何しろ翔悟の言う夜九時に全ての店が閉まって、道路の街灯だけになる街というものを仁聖はまだ見たことがない。
「俺にはこれが普通だからなぁ。」
「昨日さ?夜中に窓から見たらさ?真夜中に女子高生がキャッキャ歩いてんだぜ?俺の実家の方であんな時間に外歩いてたら、熊に襲われるよ。」
「どんな場所だよそれ?」
ちなみに翔悟のいう真夜中は午前零時ではなく午後十時、つまり二十二時辺りのことで、そこを言われると自分も高校時代は当然のように出歩いていた。まあ、自分なんかは高校生辺りは当然みたいに夜遊びな方だったから、余計かもしれないが。そう答えると何で遊ぶの?と問われる始末。いや、それは答えるのが恥ずかしいかもと言うと、俺の考える遊びと仁聖の遊びが違うといわれてしまった。その遊びと言えば夏は沢で泳ぐし、冬はスキーかスケート、家での遊びはゲーム等といたって健全な遊びを答えられてしまったが、実際に考えると仁聖はその類いの遊びを一つもしたことがない。
「え?ゲームは?」
「あー、あんまり興味なくて。」
「持ってないの?プレステとか。」
「うん、ないなぁ。」
「マジでか?」
唖然とされるけど、夜遊びは出来ない理由が熊が出るよりはましじゃないだろうか。兎も角本当に地域差って凄いなと仁聖自身が染々と考えてしまう次第だ。聞けば翔悟の知っている世界は、夜になると本当に熊とか狸とか狐がでるらしい。
「鹿だってでるよ。」
「猪も?」
「ふ、物知らないなぁ、仁聖。」
え?熊とか鹿とかはいるのに猪はいないのと聞くと、猪は寒い地方にはいないから東北の南の方までしか居ないのだという。何処もかしこも猪が出たなんてニュースを流してると思っていたが、実はあれは南側だけの話だとは知らなかった。
「だから俺は桜肉と紅葉肉は食って育ったが、牡丹肉は食ったことがない。」
「ちょっと待って、もう全然意味が分かんない。何それ?桜とか紅葉って。」
もう既に翔悟のいってる言葉が呪文。確か牡丹肉って聞いたことがあるけど猪のことだよな、とは分かるが他の二つは何なんだ?桜と紅葉?猪は牡丹みたいに赤いとか?じゃ、もっと薄い色の肉?いや?悩んでいると、呆れたように翔悟が言う。
「何だよ、桜肉は馬、紅葉肉は鹿。牡丹肉は猪だぞ?」
「えええ?!馬食うの?翔悟?!」
馬刺を知らないのかと突っ込まれるが、いや馬刺は聞いたことあるけど特別に取り扱ってる店でしか食べられないもんじゃないのか?なんて言ったら、普通に肉屋で買うと平然としてる。何てことだ!馬肉が普通の肉屋で買うもの?!本当にこの生活の基盤の常識の差は衝撃的だ。しかも尚更面白いことに翔悟が実家方面の人間と会話をすると、俺にはどう聞いてもフランス語に聞こえる始末。新しい環境で新しい価値観それに新しい知識、叔父がどうしても大学進学を譲らなかった理由はこういうことなのかと考える。
「翔悟って凄いなぁ。」
「何が?俺にしたら、それが普通。仁聖の方が凄いよ。」
「俺の何が?」
「仁聖は分かってないけど、凄い。」
何がだよと問いかけても翔悟は、笑うだけで答えない。自分で気がつけといわれるが、ヒントくらい寄越せと言う仁聖に昼食を奢ったら考えるなどと言う始末なのだ。
正直なところ仁聖自身としては、日々私服の毎日にまだ一向に慣れないでいる。こうしてみると今までの制服って言うものは案外楽なものだったんだなと、毎朝服を選びながら考えてしまう程だ。しかも、今まで私服には自分としてもあまり頓着していなかったが、毎日毎日となると同じものを着ていくわけにもいかない。そんなわけで折角のバイト代が幾分新しい服に飛んでいってしまうのは痛いが、そこはやむを得なかった。まあ撮影の時に使った服を安く卸して貰えるというモデル特有の特典には正直ラッキーとは仁聖も思うのだが、モデルのバイトをバレないように必死なのにそれをそのまま同じように組み合わせて着るわけにもいかない。
同じ組み合わせを直ぐ出来ないのは、まあ仕方ないけど。
それにしても既に同じ講義を受けている女の子数人から、源川君ってもしかしてモデルなんかしてない?と数回で済まない位問いかけられている。メイクの魔法はあるとは言え、どうしたって顔は同じなんだから下手に誤魔化すくらいならと、遠縁の親戚・従兄だと答えることにしていた。
向こうはアメリカ人・俺は遠縁のハーフ、見ればわかるけど目の色違うしというと、大概は目を覗きこんでホントだね・違うねとくる。全く違うと逃げない分、そうなんだぁ従兄なんだ?カッコいい従兄だね?どこら辺に住んでるの?なんて事で話が済む辺りがこれまたおかしなものだ。
結局誰しも俺をみてる訳じゃなく、造形で反応してるって訳だよな。見た目・アイコンありき。
何でかつい皮肉にも、そんなことを常に考えてしまう。自分がそんなことを考えるなんてよく分からないが、ついついそう考えてしまうようになったのはなんでだろうか。
それにしてもだ、左の薬指の指輪の効果が今一なのは何故?この指輪はお洒落のアクセサリにしてはシンプル過ぎるし、意図して誰にも見えるようにしても女子大生の反応はまちまち。それが今一つ納得がいかないでいるわけだ。同じ左の薬指でも、恭平の指輪は一緒にいると女性店員が確実に無念の溜め息をつくのに。
まだ俺は子供だから、ってこと?
指輪の真偽を疑うまでもなく、ただのお洒落と判断されている訳なのだろうか。そんな疑問に肩を落としてしまいそうになる日々なのだ。大学生になったんだからもう少し大人になるのかと思ったのに、自分はそれほど成長してない気がする。いや正直な話、年下のまだ高校生の友人・宮井とか一気に成長してる感なんだ。まるで何処かに成長スイッチを見つけたような急成長で大人びてきて、会うたび自分って本当に成長しないなと感じさせられてしまう。自分の成長スイッチは、一体何処に置き忘れてしまったんだろうか。
大人の条件って、ほんとマジで購入できないかな。
バイト先の藤咲社長曰く大人の条件=色気なんて言われてるけど、それは他人任せででもいいから得られないものかなぁと思わず真剣に考えてしまう。それにしたって色気って大体にして、意図して身に付けられるものじゃないし。それが大人の条件ときては、仁聖にはハードルが高すぎる。藤咲は大丈夫よ、少しずつ出てるから等とお世辞を言いまくっているが……
それにしてもこんなに忙しいとは思わなかったんだよなぁ、バイト。
既に仁聖がモデルとして撮影したのは、化粧品会社を含む三社分になっている。あなた破格の売れっ子なのよと藤咲社長は小躍りしているが、個人的には正直なんでそうなる?の世界だ。早いものは既に物販ポスターとして貼られているらしく、宮井からはあれカッコいいですねとLINEが早々に送られてきた。
世の中の女の人は目ざといなぁ、俺なんか自分のポスターまだ一度も直に見たことないんだけど。
それが実は目ざとい女性達のポスター盗難の結果だとは、当の仁聖だけが知らなかったりもする。その人気のお陰なのだろうか、目下事務所の年下の先輩・五十嵐海翔君には完全に目の敵にされている始末。確かに事務所に入ったのは向こうが先で先輩なのだが、あの態度はどうにもいただけない。あれが生意気なのではなく、強度の人見知りとプライドの成せる業と聞いても余りよろしくないのだ。
イイ気になるなよ!
と昨日もすれ違い様に刺々しく言われたのだが、一応モデルの時の自分はウィルであって余り日本語は分からない設定なので気持ちよく完全にスルーさせてもらっている。因みにめでたく発言をスルーされた先輩は、噛みついたのに反応すらされないことに真っ赤になってプルプルしていた。どうせなら英語でDon't get cockyとかDon't get carried away位言えばいいと思うが、少なくともこんな言葉から覚える英語っていうのも如何なものか。せめて日常会話くらい聞き取れるくらい、俳優を自負するなら少しは頑張った方がいいと思う。分からないと思って日本語で散々「日本に来たんなら日本語使え」とか「会話も出来ないのは恥ずかしくないのか」と言っているが、こっちだって本当はバリバリ日本語生活なんだ。ガキの癖にとか・ドラマの高校生役のチョイ役程度じゃ英語が出来る必要ないか等と、少し皮肉に考えてしまう。だが、口にはしてないから、自分も少しは大人になったと思ったり。
それにしても本職のメイクさんの力は凄い。
自分でも撮り終わった画像を確認と言いながら一緒に見ていて、誰よりも自分自身が一体誰だこりゃと思っているのはここだけの話だ。今まで自分ではそれほど外人顔だとは思っていなかったのだが、撮影された画像はどう見ても母親の母国の人間に見える。実際そんなに母親似だとは思っていなかったが、自分って母さん似?などと今更ながら考えてしまう。身長とか体型は父親似だと思うけど、顔は母親似なんだと改めて思ったわけだ。それでも毎回持ち帰った画像を恭平が暫し無言で見ているのには内心・心配な気もしたりするし、やっぱりモデルバイトは高額とは言え早まったかもしれない。
そんなことを日々考えていることはさておき
スラリとした手足の長い長身、だて眼鏡なのだが黒縁の眼鏡をかけ、栗色の髪は以前より短く切ってフワリと整えられている。深いモスグリーンのロングカーディガンをコートがわりに翻して、黒のスキニーに白いシャツ姿、スニーカーで足早にキャンパスを歩く姿。本人は何も意図していないが、密かに藤咲の特訓のお陰で姿勢が良くなり歩いていてもスタイルの良さを一際・際立たせている。勿論今日も左の薬指の指輪は、すっかり定位置。右肩にさりげなくかけているサコッシュですらお洒落に見えるらしく、ヒソヒソと噂話をする姿がチラホラしているのに気がつかないのは依然として仁聖らしいと言えばらしい。仁聖自身は露程も気にかけていないのだが、傍を通り過ぎるだけでだいぶ女子大生が振り返っていた。
実は女子の間で仁聖の薬指の指輪の存在はとうに噂にはなっているのだが、それにだって女子は本当なのか・この絶大な人気を避ける抑制のための嘘なのかと訝しがっているのはここだけの話。そんなわけで目下・欠伸混じりとはいえ私服の仁聖は、既にキャンパスでかなり目立つ存在にはなっているようだ。
「ジーン。」
遠目に元気に手を振りながら歩み寄る佐久間翔悟は、同じ学部に通う仁聖の大学での最初の友人だ。入り口から続くすっかり葉桜の並木になっている木立の中、キャンパス内はサークルの新人勧誘の嵐が桜吹雪以上に吹き荒れている。一見すると大混雑のなにかお祭りの最中のようだが、どれもこれも我先に有望な新人勧誘に勤しむ先輩達だ。
「その呼び方、外人みたいで俺やだなぁ、翔悟」
今のところバイトが忙しくてサークルどころでない仁聖にそれでも是非名前だけでもと食い下がる先輩達を掻き分けるようにして逃げながら、やっと並んだ佐久間翔悟の隣で思わずまた一つ欠伸が落ちた。
「寝不足?ジーン。」
「んー、まあそんなとこ。翔悟、課題どう?」
早速出された課題に翔悟の方も、俺も手間取ってるよと苦笑いで答える。何しろ基礎学力を見るために、まずは小論文四百字詰めで八枚以上と来たのだ。早速仁聖が家で唸っていたら同じ大学の文学部卒の恭平に、あの教授まだそれやってるんだと笑われたのはここだけの話しにしておく。それにしても本命の建築関係の勉強に辿り着く前に、まさか早々に基礎学力でこんな状況になるとは思ってもみなかった。並んで歩きながら仁聖が、ふと思い出したように隣の翔悟に口を開く。
「それにしてもさ?ジーンて止めない?翔悟。」
「なんで?カッコいいじゃん?」
「そういうイメージじゃないし、その呼び方俺は嫌い。」
えー?と翔悟が呑気な声をあげる。翔悟に顔が外国人ポイし名前が長いからジーンなんて、最初に突然言われた時には正直なんだそれと思った。大体にして名前が長いって、『さくましょうご』と『みなかわじんせい』って一字しか違わない。たいして長くないし、本当はミドルネームもありますけど?でも流石にそれを口に出して言ったら大間抜けだ。
「嫌いってことは呼ばれてたことあんの?」
「まぁね。」
流石に言葉の端々で気がつくポイントが、今までの友人とは少し違う。
実はほんの子供の頃に、そう呼ばれていて不快だった事がある。音感がどうとかではなく、その意味が激しく不快だったのだ。まだ自分がほんの幼い小学校の低学年の頃、つい相手と話す時に出てしまった英語。それに周囲が自分達とは違う仁聖の容姿と境遇を嘲笑った渾名。
ジーン、仁聖のジンは………
思い出すと流石に不快感があるんだ。独りっきりで悔しくて泣いたのは自分がその言葉に、自分がここでは異端だと思ったからで切り返す言葉もなかったから。仁聖にはその時の事は良い思い出ではないし、仁聖がこれまで日常には英語を絶対に使わないと心に誓った理由でもある。勿論幼馴染み二人はそんなことをする人でなかったが、実際には恭平は知らないが一端それ以外の同級生と全く交流しなくなった時期があったりもするのだ。
「そうかぁカッコいいのになぁ、ジーンって。直訳すると遺伝子だよ?すっごい頭良さそうに聞こえるじゃん?」
「遺伝子=頭良さそうは、安易じゃないかなぁ。」
そう答えると翔悟はそうかなぁなんて言いながら考えこむ。この年になれば呼び方なんてたいしたことではないが、これから少なくとも四年間遠くから毎日ジーンなんて叫ばれるのはちょっと嫌だし。続くと返事しないかもよ?と言うと真剣に考えている。
「じゃ従兄の名前、パクる?ウィルだっけ?正式にはウィリアム?」
「あはは、なんでワザワザ従兄の名前パクって呼ばれんの?俺。」
翔悟から代案として出てきた答えに、思わず笑ってしまう。本当のところはそれも間違いなく俺の名前だけど、出てきた答えが従兄の名前をパクって呼ぶなんて案なのは中々ユーモアがある。ユーモアはあるけど、今そう呼ばれたらある意味で今後がとっても面倒臭い。そう言ったら翔悟も、素直にそうだよなぁなんて言うのだ。
「じゃ、仁聖。」
「………最初からそれでよかったんじゃ?」
「えー、大学デビューだよ?かっこよく呼び合おうぜ?」
「俺、最初から翔悟って呼んでるけど。」
「あ、そっかぁ。」
いや、ほんとこの思考過程は訳がわからんけど、面白い事をいうやつだと思う。この佐久間翔悟は北国生まれ。生まれも育ちもここよりずっと北の寒い地方で、大学進学を期に上京したという。なので、まだここいら辺のの環境には慣れないと話す。先ずは気温、それから物価、そして目下一番の疑問はネオンだという。
「信じらんないよなー。どこもかしこも真夜中までやってる。」
そう言われても仁聖にしてみれば、これは幼い頃からの当然の世界。それと違う環境を想像するのは、実際には思っているより遥かに難しいことだった。何しろ翔悟の言う夜九時に全ての店が閉まって、道路の街灯だけになる街というものを仁聖はまだ見たことがない。
「俺にはこれが普通だからなぁ。」
「昨日さ?夜中に窓から見たらさ?真夜中に女子高生がキャッキャ歩いてんだぜ?俺の実家の方であんな時間に外歩いてたら、熊に襲われるよ。」
「どんな場所だよそれ?」
ちなみに翔悟のいう真夜中は午前零時ではなく午後十時、つまり二十二時辺りのことで、そこを言われると自分も高校時代は当然のように出歩いていた。まあ、自分なんかは高校生辺りは当然みたいに夜遊びな方だったから、余計かもしれないが。そう答えると何で遊ぶの?と問われる始末。いや、それは答えるのが恥ずかしいかもと言うと、俺の考える遊びと仁聖の遊びが違うといわれてしまった。その遊びと言えば夏は沢で泳ぐし、冬はスキーかスケート、家での遊びはゲーム等といたって健全な遊びを答えられてしまったが、実際に考えると仁聖はその類いの遊びを一つもしたことがない。
「え?ゲームは?」
「あー、あんまり興味なくて。」
「持ってないの?プレステとか。」
「うん、ないなぁ。」
「マジでか?」
唖然とされるけど、夜遊びは出来ない理由が熊が出るよりはましじゃないだろうか。兎も角本当に地域差って凄いなと仁聖自身が染々と考えてしまう次第だ。聞けば翔悟の知っている世界は、夜になると本当に熊とか狸とか狐がでるらしい。
「鹿だってでるよ。」
「猪も?」
「ふ、物知らないなぁ、仁聖。」
え?熊とか鹿とかはいるのに猪はいないのと聞くと、猪は寒い地方にはいないから東北の南の方までしか居ないのだという。何処もかしこも猪が出たなんてニュースを流してると思っていたが、実はあれは南側だけの話だとは知らなかった。
「だから俺は桜肉と紅葉肉は食って育ったが、牡丹肉は食ったことがない。」
「ちょっと待って、もう全然意味が分かんない。何それ?桜とか紅葉って。」
もう既に翔悟のいってる言葉が呪文。確か牡丹肉って聞いたことがあるけど猪のことだよな、とは分かるが他の二つは何なんだ?桜と紅葉?猪は牡丹みたいに赤いとか?じゃ、もっと薄い色の肉?いや?悩んでいると、呆れたように翔悟が言う。
「何だよ、桜肉は馬、紅葉肉は鹿。牡丹肉は猪だぞ?」
「えええ?!馬食うの?翔悟?!」
馬刺を知らないのかと突っ込まれるが、いや馬刺は聞いたことあるけど特別に取り扱ってる店でしか食べられないもんじゃないのか?なんて言ったら、普通に肉屋で買うと平然としてる。何てことだ!馬肉が普通の肉屋で買うもの?!本当にこの生活の基盤の常識の差は衝撃的だ。しかも尚更面白いことに翔悟が実家方面の人間と会話をすると、俺にはどう聞いてもフランス語に聞こえる始末。新しい環境で新しい価値観それに新しい知識、叔父がどうしても大学進学を譲らなかった理由はこういうことなのかと考える。
「翔悟って凄いなぁ。」
「何が?俺にしたら、それが普通。仁聖の方が凄いよ。」
「俺の何が?」
「仁聖は分かってないけど、凄い。」
何がだよと問いかけても翔悟は、笑うだけで答えない。自分で気がつけといわれるが、ヒントくらい寄越せと言う仁聖に昼食を奢ったら考えるなどと言う始末なのだ。
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