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第十二章 愚者の華
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春と冬の合間のような薄く雲のかかる青空をボンヤリと見上げながら、寒さの緩み始めた外気に咥えタバコの煙を燻らせ成田了は青く内出血を起こしている口元を痛みに歪める。指先で触れれば神経に触るようなジリッとした痛みが這い上がって、無意識に体を強張らせると思い切り蹴りつけられた腹部に鈍い痛みが走った。
「くそ…思い切りやりやがったな…あの野郎…。」
ふっと緩めたきつい目元が何かを想う様に遠くを見つめる。
手に触れた滑らかな肌の感触は酷く鮮烈で、了が想っていたよりも遥かに極上の快感の塊だった。屈服させ泣かせて快楽に喘がせて後孔を怒張で貫いた感触は、今までで一番の興奮と快感。二度と同じ快感には、他の人間相手では出会えないとすら思う程の鮮烈さ。うねり呑み込まれ包み込まれる感触は、今までの相手が全て霞んでしまう程だと思った。それなのに最後に了が得たのは快感を霞ませる程の激しい罪悪感で、それ以上に嫉妬にまみれた羨望が心を埋め尽くす。
出会う前から恭平の心の中には、一番大切な人間が既に存在していたのだという現実。自分が恭平の心に滑り込む場所など、最初からなかったのだと改めて突きつけられた。溜め息交じりに頭を掻いた了は、まるで苦痛でも感じたようにふっと視線を落とす。
「…ずりいんだよ、俺には何にも……ヒントくらい……。」
恋人の居場所も添遂げる者の居場所も、恭平は自分にチャンスすらくれなかった。あの自分に向けられる筈のない鮮やかで幸せそうな微笑みを、一度でいいから自分に向けて欲しかっただけ。それを苦もなく与えられるあのガキが、了には凄く疎ましい。せめて隣に居るチャンスはくれなくても、親友の位置くらい与えてくれていたら。そんなことは自分勝手な思いだとわかっていても、そうしてくれたら結果は全く違ったのものになったのにと呟くように思った。
※※※
「なぁ恭平?恭平の親友の基準って何処よ?」
講義を終えて荷物をバックに仕舞い始めている恭平が、不意にかけられた質問に眉を潜める。元々自分が受ける講義でもないのに、了が姿を見せて当然のように隣に座っていたのだ。わざわざ自分の横に大人しく座っていた理由がそれなのかと、微かに呆れた表情を浮かべた恭平に、頬杖をついた了が横から顔を覗き込むようにして答えを待つ。
「基準って、そんなものあるのか?」
「あるだろ?ここまでしたら親友、ここまでしたらアウト。」
そんな簡単に割りきれるものじゃないだろと、恭平が呆れたように言う。そんなことは分かっているけれど、随分絡んでも恭平との壁がまだ堅くて近寄りきれていない気がする。
「お友達になりたいのになぁ、恭平君と親密になりたい。」
「これ以上何が欲しいんだよ、了は。」
一緒に飲みに行ったり遊びに行ったり、会話だって普通にしているのに。恭平が言う通り友達としては充分過ぎる位関係はあるのに、自分でも何が欲しくてこんなにじゃれているのか分からない。
「んー、親友ポスト?」
「そういうのは、言葉でもらうもんじゃないだろ?」
「そうだよなぁ、そう思うんだけどさぁ。」
村瀬篠と同じなら満足なのかと聞かれると、自分でも実は困るのだ。そんな訳の分からない質問ばかりする了だが、恭平からは邪険にはされていないがありがたい。あの時遠目にベンチに座っていた涼やかな恭平の顔を間近に見上げ、綺麗だなあと感慨深げに心の中で呟く。
「疑問の答えが出ないなぁ。俺がこんなに困ってるのに、恭平はつれないし、ちっとも親密になってくれない。」
「お前の質問って…計画性があるのかないのかほんとに分からないな?何が言いたいんだか、全然よめない。」
「だからぁ、壁が堅いんだよぉ。」
「何がだからなのか、分からない。もうちょっと人に分かりやすい文脈を勉強してくれ。」
呆れたように恭平が了を見て呟くのに、了は不満げに頬をふくらませた。
「はぁ?俺も一応、文学部なんだけど。」
「あぁ……そういうとこが似てるのかもな………。」
不意に一人で納得するように囁いた恭平の表情が、時折見せるあの独特の気配で柔らかく緩んだのに気がつき了は眉を潜める。誰に似ているといいたいのかは分からないが、どうみても了よりその似ている相手の方が彼に近い気がしたのだ。
「一切の計画性を持ち合わせていないのに全くの無計画という訳ではない……。」
「なにそれ?」
「ん、夏の夜の夢さ。」
「はぁ?何それ?馬鹿にしてんの?」
文学部らしい返答なのだろうが、シェークスピアで返されても了の質問の答えにはならない。同時に恭平が誰と自分が似ていると感じているのかも分からない。食って掛かるような了の目の前で、普段よりもフワリと柔らかな笑みが浮かび思わず了は目を奪われる。それなのにその笑顔が実は自分に向けられたものではないことに了は気がつく。自分に少しだけ似ているという誰か他の人間を思いながら浮かべたその笑顔は、誰に向けるよりも甘く優しい。普段からそういう笑みを浮かべていたら、恋愛なんてお手の物だろうとつくづく思う程だ。だけどそれを恭平に教えてやるつもりは、正直なところ了にはない。何しろ一番その笑顔が欲しいのは、実は自分なのだと薄々気がついているからだ。
その笑顔、俺だけに向けてくれたら。
そう思うのに、了にはその笑顔を引き出す方法が分からない。今恭平の頭の中には、誰が浮かんでいるのだろう。最短で別れた彼女以来、新しい彼女もいないはずだ。
「馬鹿にしてない、褒めてるよ。羨ましいと思ってる。」
「褒めてねーって何が羨ましいのかもわかんねーし。てか恭平最初の質問すらまともに答えてねーってば。」
トンとノートを机の上で揃えながら暫し思案した風に恭平は、自分に向ける何時もと変わらない涼やかな微笑を浮かべたかと思うとさっさとそれをしまいこみ腰を上げる。
「恭平、答えは?」
「お前が欲しがってるものが何だか分からん。」
答えたらその方法を、教えてくれるのかと問いかけたくなる。その笑顔が欲しいと言えば、恭平は自分に与えてくれるのだろうか。そうはならないのは分かっているのに、それでも諦められないこの感情はなんだろう。
「なあ、シェークスピアはなんだったんだよ?」
その問いかけに、ふと恭平は立ち止まり了の事を見つめた。それは一瞬の空気で、気がつかなければそのまま通りすぎてしまう筈の一瞬。恭平の中にある普段はけしてあからさまにすることのない、強く渇望に似た想いが過る。
「………俺の……。」
何かを言いかけて、ハッとしたように恭平は口をつぐんだ。その先を口にしてくれていたら、と了は心の中で思う。恭平が密かに欲しがっているものを教えてくれたら、自分が叶えてやれるかもしれない。
「なあ?恭平、何?」
「………一切の計画性を持ち合わせていないのに全くの無計画という訳ではない…。何の事か分かるか?」
「はぁ?」
唐突な問いかけに一瞬、了は虚をつかれる。
「分かったら、親友かもな。」
アッサリとそう言い放ち踵を返す恭平は、しなやかな動作でいそいそと帰宅する様子を浮かばせる。待てよと言葉をかける了に、恭平はそれじゃぁなとあのフワリと漂うような色香を漂わせた。単位も殆ど習得してあと一年もない学生生活を就職も決まった恭平は一足先に進んでいて、その自分の先行きを選択して迷いのないようにすらみえる。独り先に社会人として更に大人びた気配を持つ背中を見つめ、不意に胸の奥が疼くような激しい思いを感じた。
質問に計画なんてないんだ………ただ、お前が何言ってるんだ親友だろと言ってくれたらそれで満足できると想った…。
そう呟くように囁く心の声に気がつかない恭平が、自分よりもずっと親密そうに見える親友の青年と微笑みながら話すのを見つめ了は唇を噛んだ。夏の夜の夢がなんだと言うのだ、一切の計画性を持ち合わせていないのに全くの無計画という訳ではない…それが何を意味すると言うのだろう。それが分かったら恭平が何を渇望しているのか、自分が誰と似ているのか分かると言うのだろうか。
綺麗で涼やかな横顔、しなやかな手足、何で自分はこんなにも榊恭平を見つめているのだろうと考える。手に入らないと分かっていて、何時までも目で追い続ける意味がどこにあるのだろうと思う。そんな感情は今まで一度も感じたことがないから、自分でもよく分からないのだ。
お前の言ったことの意味なんか永遠にわかんねーよ……。
心の中でそう吐き捨てるように呟いて了は無造作に立ち上がると、大またに教室を横切ってその綺麗な微笑みに・それでももう一度問い直そうと歩み寄っていた。
※※※
それは、実は沢山の偶然が重なって思わぬ結果を生んでいた。
恭平をものにした高校生のガキが疎ましいと思ったのは事実だったし、何かあれば少し痛い目にあわせてやろう程度にはずっと考えてたのは確かだ。スタンガン自体は全く意図せず以前購入したもので、自分が手に入れたスタンガンが違法なものだとは知りもしなかった。
あの時タイミングよく校舎から抜け出したあのガキが自分の前に姿を見せなかったら。スタンガンなんか普段は持ち歩いていなかったのに、その日に限ってなんとなくもって歩いてなければ。ガキがこっちに背を向けていなければ。周囲に誰か人が一人でもいたらなば。そのどれか一つが欠けていれば実行する気どころか考えすらしなかった。全部が揃ってしまったから、少し痛め付けてやってもいいんじゃないかなんて考えてしまったのだ。
直ぐ真後ろに立っても電話に必死なガキは気がつきもしなかった。無造作に首に押し当てて電流を流してやると、暫く棒立ちになったガキがやがて意識を失うのが分かる。
スタンガンが違法なものだったと気がつくと同時に自分が当てた場所も当てた長さも良くないのだと知ったのは目の前で気を失った青年を見下ろしてからの事だ。後悔する暇もなく咄嗟にホテルに部屋を取り連れ込んだはいいが、興味がある訳でもないガキの姿を見下ろして呆然とする。これは拉致で監禁で、自分で自分を追い詰めてしまった事もわかった。薬の件で執行猶予中の自分は、引き返せない事をしでかしてしまったのだ。
もう、やるしかない…
もし恭平が呼び出しに応じなければ、彼を軽蔑する事ですべては終わったに違いない。だけど彼は必ずやって来る事も分かっていた。それでも同時に恭平が大人しく自分の要求に従うとは了自身が露ほども思っていなかった。了の中では恭平は冒し難いほど硬く綻びもせず、そのまま蕾で終わってしまう様な気がしていたのだから。
それなのに…あのガキの為ならあんな事まで耐えようなんてさ…
仕込まれた媚薬にまみれて荒く官能めいた吐息を溢し、泣きながら耐える滑らかな肌の戦き。あれほど見つめたしなやかな四肢は耐えるために使われ、自分に縋りつくことはなかった。それなのに数秒の間もおかず、あのガキはあの腕に宝物のようにしっかりと抱かれたのだ。あのガキの名前を出すだけで、恭平は脆く何でも言うなりだった。無理やり犯す間も恭平は、ずっとあのガキの名前を叫んだ。
俺の名前は一度も呼ばなかった……
了と一言も言わなかった。せめて、了と一度でも呼んでくれていたらあんなに酷いことをしようとまでは考えなかったと思う。一言、了やめてくれと言ってくれれば。だけど恭平は一言もそう言わず、ガキの事だけを思って耐えた。恭平は了どころか自分自身の事すら放棄して、たった一人のガキの事しか考えていなかったのだ。
そんな風に恭平が誰かを思う姿は見たことがなかった……
ふっと記憶を手繰り寄せていた了は、フウ…と紫煙を吐き出しながら視線を足元に落とした。繊細に震える恭平の横顔は記憶の中でも酷く儚い。その顔は今まで見てきた中で、一番綺麗に脳裏に映る。そうさせたのが自分ではなくあの青年で、それはずっと昔から恭平の中で暖め続けていた想いに他ならなかったと知って胸が裂けるような気がした。
もっと前に出会ってたら……。
想定の話を思う自分の内面に思わず苦笑を滲ませて、了はもう一つ自分が想定していたものとは違う真実を思い浮かべる。自分の中でそうかと納得すると、それは酷く滑稽だった。自分が欲しがっていたものがハッキリすると同時に、そんな馬鹿なとも思う。
頭の中にはあのガキの位置にいる自分。恭平の微笑みを向けられるあの場所に立つ自分。恭平の視線が真っ直ぐに自分を見て微笑むのを思い浮かべ不意に可笑しいとクク…と含んだ笑いが溢れ落ちた。
「了…?」
躊躇いがちにかけられた声に視線を上げると、そこには僅かに緊張した表情の村瀬篠の姿があった。
去年の一件以来すっかり交流の途絶えていた了から、村瀬篠は不意に電話をかけて呼び出されていた。篠は目の前の少し面変わりした了の顔の傷に眉を潜めながらゆっくりと歩み寄っていた。
「くそ…思い切りやりやがったな…あの野郎…。」
ふっと緩めたきつい目元が何かを想う様に遠くを見つめる。
手に触れた滑らかな肌の感触は酷く鮮烈で、了が想っていたよりも遥かに極上の快感の塊だった。屈服させ泣かせて快楽に喘がせて後孔を怒張で貫いた感触は、今までで一番の興奮と快感。二度と同じ快感には、他の人間相手では出会えないとすら思う程の鮮烈さ。うねり呑み込まれ包み込まれる感触は、今までの相手が全て霞んでしまう程だと思った。それなのに最後に了が得たのは快感を霞ませる程の激しい罪悪感で、それ以上に嫉妬にまみれた羨望が心を埋め尽くす。
出会う前から恭平の心の中には、一番大切な人間が既に存在していたのだという現実。自分が恭平の心に滑り込む場所など、最初からなかったのだと改めて突きつけられた。溜め息交じりに頭を掻いた了は、まるで苦痛でも感じたようにふっと視線を落とす。
「…ずりいんだよ、俺には何にも……ヒントくらい……。」
恋人の居場所も添遂げる者の居場所も、恭平は自分にチャンスすらくれなかった。あの自分に向けられる筈のない鮮やかで幸せそうな微笑みを、一度でいいから自分に向けて欲しかっただけ。それを苦もなく与えられるあのガキが、了には凄く疎ましい。せめて隣に居るチャンスはくれなくても、親友の位置くらい与えてくれていたら。そんなことは自分勝手な思いだとわかっていても、そうしてくれたら結果は全く違ったのものになったのにと呟くように思った。
※※※
「なぁ恭平?恭平の親友の基準って何処よ?」
講義を終えて荷物をバックに仕舞い始めている恭平が、不意にかけられた質問に眉を潜める。元々自分が受ける講義でもないのに、了が姿を見せて当然のように隣に座っていたのだ。わざわざ自分の横に大人しく座っていた理由がそれなのかと、微かに呆れた表情を浮かべた恭平に、頬杖をついた了が横から顔を覗き込むようにして答えを待つ。
「基準って、そんなものあるのか?」
「あるだろ?ここまでしたら親友、ここまでしたらアウト。」
そんな簡単に割りきれるものじゃないだろと、恭平が呆れたように言う。そんなことは分かっているけれど、随分絡んでも恭平との壁がまだ堅くて近寄りきれていない気がする。
「お友達になりたいのになぁ、恭平君と親密になりたい。」
「これ以上何が欲しいんだよ、了は。」
一緒に飲みに行ったり遊びに行ったり、会話だって普通にしているのに。恭平が言う通り友達としては充分過ぎる位関係はあるのに、自分でも何が欲しくてこんなにじゃれているのか分からない。
「んー、親友ポスト?」
「そういうのは、言葉でもらうもんじゃないだろ?」
「そうだよなぁ、そう思うんだけどさぁ。」
村瀬篠と同じなら満足なのかと聞かれると、自分でも実は困るのだ。そんな訳の分からない質問ばかりする了だが、恭平からは邪険にはされていないがありがたい。あの時遠目にベンチに座っていた涼やかな恭平の顔を間近に見上げ、綺麗だなあと感慨深げに心の中で呟く。
「疑問の答えが出ないなぁ。俺がこんなに困ってるのに、恭平はつれないし、ちっとも親密になってくれない。」
「お前の質問って…計画性があるのかないのかほんとに分からないな?何が言いたいんだか、全然よめない。」
「だからぁ、壁が堅いんだよぉ。」
「何がだからなのか、分からない。もうちょっと人に分かりやすい文脈を勉強してくれ。」
呆れたように恭平が了を見て呟くのに、了は不満げに頬をふくらませた。
「はぁ?俺も一応、文学部なんだけど。」
「あぁ……そういうとこが似てるのかもな………。」
不意に一人で納得するように囁いた恭平の表情が、時折見せるあの独特の気配で柔らかく緩んだのに気がつき了は眉を潜める。誰に似ているといいたいのかは分からないが、どうみても了よりその似ている相手の方が彼に近い気がしたのだ。
「一切の計画性を持ち合わせていないのに全くの無計画という訳ではない……。」
「なにそれ?」
「ん、夏の夜の夢さ。」
「はぁ?何それ?馬鹿にしてんの?」
文学部らしい返答なのだろうが、シェークスピアで返されても了の質問の答えにはならない。同時に恭平が誰と自分が似ていると感じているのかも分からない。食って掛かるような了の目の前で、普段よりもフワリと柔らかな笑みが浮かび思わず了は目を奪われる。それなのにその笑顔が実は自分に向けられたものではないことに了は気がつく。自分に少しだけ似ているという誰か他の人間を思いながら浮かべたその笑顔は、誰に向けるよりも甘く優しい。普段からそういう笑みを浮かべていたら、恋愛なんてお手の物だろうとつくづく思う程だ。だけどそれを恭平に教えてやるつもりは、正直なところ了にはない。何しろ一番その笑顔が欲しいのは、実は自分なのだと薄々気がついているからだ。
その笑顔、俺だけに向けてくれたら。
そう思うのに、了にはその笑顔を引き出す方法が分からない。今恭平の頭の中には、誰が浮かんでいるのだろう。最短で別れた彼女以来、新しい彼女もいないはずだ。
「馬鹿にしてない、褒めてるよ。羨ましいと思ってる。」
「褒めてねーって何が羨ましいのかもわかんねーし。てか恭平最初の質問すらまともに答えてねーってば。」
トンとノートを机の上で揃えながら暫し思案した風に恭平は、自分に向ける何時もと変わらない涼やかな微笑を浮かべたかと思うとさっさとそれをしまいこみ腰を上げる。
「恭平、答えは?」
「お前が欲しがってるものが何だか分からん。」
答えたらその方法を、教えてくれるのかと問いかけたくなる。その笑顔が欲しいと言えば、恭平は自分に与えてくれるのだろうか。そうはならないのは分かっているのに、それでも諦められないこの感情はなんだろう。
「なあ、シェークスピアはなんだったんだよ?」
その問いかけに、ふと恭平は立ち止まり了の事を見つめた。それは一瞬の空気で、気がつかなければそのまま通りすぎてしまう筈の一瞬。恭平の中にある普段はけしてあからさまにすることのない、強く渇望に似た想いが過る。
「………俺の……。」
何かを言いかけて、ハッとしたように恭平は口をつぐんだ。その先を口にしてくれていたら、と了は心の中で思う。恭平が密かに欲しがっているものを教えてくれたら、自分が叶えてやれるかもしれない。
「なあ?恭平、何?」
「………一切の計画性を持ち合わせていないのに全くの無計画という訳ではない…。何の事か分かるか?」
「はぁ?」
唐突な問いかけに一瞬、了は虚をつかれる。
「分かったら、親友かもな。」
アッサリとそう言い放ち踵を返す恭平は、しなやかな動作でいそいそと帰宅する様子を浮かばせる。待てよと言葉をかける了に、恭平はそれじゃぁなとあのフワリと漂うような色香を漂わせた。単位も殆ど習得してあと一年もない学生生活を就職も決まった恭平は一足先に進んでいて、その自分の先行きを選択して迷いのないようにすらみえる。独り先に社会人として更に大人びた気配を持つ背中を見つめ、不意に胸の奥が疼くような激しい思いを感じた。
質問に計画なんてないんだ………ただ、お前が何言ってるんだ親友だろと言ってくれたらそれで満足できると想った…。
そう呟くように囁く心の声に気がつかない恭平が、自分よりもずっと親密そうに見える親友の青年と微笑みながら話すのを見つめ了は唇を噛んだ。夏の夜の夢がなんだと言うのだ、一切の計画性を持ち合わせていないのに全くの無計画という訳ではない…それが何を意味すると言うのだろう。それが分かったら恭平が何を渇望しているのか、自分が誰と似ているのか分かると言うのだろうか。
綺麗で涼やかな横顔、しなやかな手足、何で自分はこんなにも榊恭平を見つめているのだろうと考える。手に入らないと分かっていて、何時までも目で追い続ける意味がどこにあるのだろうと思う。そんな感情は今まで一度も感じたことがないから、自分でもよく分からないのだ。
お前の言ったことの意味なんか永遠にわかんねーよ……。
心の中でそう吐き捨てるように呟いて了は無造作に立ち上がると、大またに教室を横切ってその綺麗な微笑みに・それでももう一度問い直そうと歩み寄っていた。
※※※
それは、実は沢山の偶然が重なって思わぬ結果を生んでいた。
恭平をものにした高校生のガキが疎ましいと思ったのは事実だったし、何かあれば少し痛い目にあわせてやろう程度にはずっと考えてたのは確かだ。スタンガン自体は全く意図せず以前購入したもので、自分が手に入れたスタンガンが違法なものだとは知りもしなかった。
あの時タイミングよく校舎から抜け出したあのガキが自分の前に姿を見せなかったら。スタンガンなんか普段は持ち歩いていなかったのに、その日に限ってなんとなくもって歩いてなければ。ガキがこっちに背を向けていなければ。周囲に誰か人が一人でもいたらなば。そのどれか一つが欠けていれば実行する気どころか考えすらしなかった。全部が揃ってしまったから、少し痛め付けてやってもいいんじゃないかなんて考えてしまったのだ。
直ぐ真後ろに立っても電話に必死なガキは気がつきもしなかった。無造作に首に押し当てて電流を流してやると、暫く棒立ちになったガキがやがて意識を失うのが分かる。
スタンガンが違法なものだったと気がつくと同時に自分が当てた場所も当てた長さも良くないのだと知ったのは目の前で気を失った青年を見下ろしてからの事だ。後悔する暇もなく咄嗟にホテルに部屋を取り連れ込んだはいいが、興味がある訳でもないガキの姿を見下ろして呆然とする。これは拉致で監禁で、自分で自分を追い詰めてしまった事もわかった。薬の件で執行猶予中の自分は、引き返せない事をしでかしてしまったのだ。
もう、やるしかない…
もし恭平が呼び出しに応じなければ、彼を軽蔑する事ですべては終わったに違いない。だけど彼は必ずやって来る事も分かっていた。それでも同時に恭平が大人しく自分の要求に従うとは了自身が露ほども思っていなかった。了の中では恭平は冒し難いほど硬く綻びもせず、そのまま蕾で終わってしまう様な気がしていたのだから。
それなのに…あのガキの為ならあんな事まで耐えようなんてさ…
仕込まれた媚薬にまみれて荒く官能めいた吐息を溢し、泣きながら耐える滑らかな肌の戦き。あれほど見つめたしなやかな四肢は耐えるために使われ、自分に縋りつくことはなかった。それなのに数秒の間もおかず、あのガキはあの腕に宝物のようにしっかりと抱かれたのだ。あのガキの名前を出すだけで、恭平は脆く何でも言うなりだった。無理やり犯す間も恭平は、ずっとあのガキの名前を叫んだ。
俺の名前は一度も呼ばなかった……
了と一言も言わなかった。せめて、了と一度でも呼んでくれていたらあんなに酷いことをしようとまでは考えなかったと思う。一言、了やめてくれと言ってくれれば。だけど恭平は一言もそう言わず、ガキの事だけを思って耐えた。恭平は了どころか自分自身の事すら放棄して、たった一人のガキの事しか考えていなかったのだ。
そんな風に恭平が誰かを思う姿は見たことがなかった……
ふっと記憶を手繰り寄せていた了は、フウ…と紫煙を吐き出しながら視線を足元に落とした。繊細に震える恭平の横顔は記憶の中でも酷く儚い。その顔は今まで見てきた中で、一番綺麗に脳裏に映る。そうさせたのが自分ではなくあの青年で、それはずっと昔から恭平の中で暖め続けていた想いに他ならなかったと知って胸が裂けるような気がした。
もっと前に出会ってたら……。
想定の話を思う自分の内面に思わず苦笑を滲ませて、了はもう一つ自分が想定していたものとは違う真実を思い浮かべる。自分の中でそうかと納得すると、それは酷く滑稽だった。自分が欲しがっていたものがハッキリすると同時に、そんな馬鹿なとも思う。
頭の中にはあのガキの位置にいる自分。恭平の微笑みを向けられるあの場所に立つ自分。恭平の視線が真っ直ぐに自分を見て微笑むのを思い浮かべ不意に可笑しいとクク…と含んだ笑いが溢れ落ちた。
「了…?」
躊躇いがちにかけられた声に視線を上げると、そこには僅かに緊張した表情の村瀬篠の姿があった。
去年の一件以来すっかり交流の途絶えていた了から、村瀬篠は不意に電話をかけて呼び出されていた。篠は目の前の少し面変わりした了の顔の傷に眉を潜めながらゆっくりと歩み寄っていた。
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