鮮明な月

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第十一章 Raison d'etre

95.

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帰ってからの仁聖の様子がおかしかったのに気がついたのは、夕食の支度を始めた仁聖が何時になくボンヤリとして珍しくフライパンを焦がしたせいだった。

「仁聖?焦げ臭いけど、大丈夫か?」
「え?あっ!やばっ!」

帰宅した仁聖の様子が聞こえるようになのか、最近の恭平は仕事中でも時々書斎の扉を開けていることが増えた。今日も書斎の扉は開いていて、キッチンの焦げ臭い空気に気がついたようだ。予期しな臭いに恭平もかなり慌ててた様子で顔を見せていて、当の仁聖も恭平の声に慌ててレンジからフライパンを下ろしてシンクで勢いよく水をかけている。直ぐ目の前に立っていて仁聖がそんな状態だったのに、恭平は言葉もなく目を丸くした。それが分かって仁聖は深い溜め息をつくと共に、シンクに向かって項垂れた。

何やってんの、俺ってば。

心配そうに自分を見つめる恭平の視線を頭に感じながら、仁聖はもう一度深い溜め息をつく。この状況を恭平になんと説明したらいいのか、仁聖にも適切な答えが見つからない。

「ごめん、ボーッとしてた……。」

独り言めいたその仁聖の声に、リビングの恭平が溜め息をついたのが分かる。

「……仁聖、ちょっと、こっち来い。」

恭平にそう言われ当然だとシュンと萎れた仁聖が、リビングに項垂れたまま姿を見せたのに恭平はこっち来いと手招く。ソファーに腰かけた恭平の目の前に項垂れたままの仁聖が立ち尽くすと、恭平が覗きこむようにその顔を見上げた。

「仁聖?」
「ごめん……、フライパン。」
「仁聖……こっち見ろ。」

恭平に優しく手をとられそう言われても、項垂れた視線が持ち上げられない。今恭平の顔を見たら、なんだか泣き出してしまいそうな気がする。プルプルと顔を横に振る仁聖に、溜め息混じりの吐息が更に仁聖の手を引き寄せた。

「恭平…。」

泣きそうと思いつつも手を引かれて顔をあげた瞬間、仁聖の表情が固まる。おや?と訝しげに顔を見上げた恭平に仁聖の目が丸くなるのがわかった。
今までの恭平はどちらかと言えばミディアムより少し長めの黒髪で、サイドには常に艶やかな黒髪がかかり表情を覆う。時には憂いに満ちて沈んだようなイメージが多かった。なのに今目の前にいる恭平は、ショートカットに緩くピンパーマをかけたらしい髪は綺麗な顔のラインを全て覗かせている。綺麗な顎のラインも、耳朶も全て視界の中にあって、心配そうな瞳に前髪がかかることもない。

「仁聖?」

ボーッとして恭平の顔を見つめている仁聖に、恭平の戸惑うような声がかけられる。丁度腰の辺りから見上げる綺麗な顔に、柔らかそうな唇、自分の目の前の恭平の明らかな変化に仁聖は言葉もなく見惚れてしまっていた。

か、っこ………いい………。

そう言えば恭平が中学くらいの時はこれくらい髪が短めだった気もする。だが高校を卒業する頃には、もう髪は長めに代わり、以来七年間ずっとそのままだった。その理由はこめかみにある傷を隠すためなのたが、こうしてみると殆ど傷痕は目立たない。ある意味一番の問題は体の傷痕と言うよりも、恭平の心の傷の方だったのだろう。
何はともあれ目下凹みに凹んでいた筈の仁聖は、目の前の髪を切った恭平が格好良すぎて見とれたまま言葉にならない。

「仁聖?どうしたんだ?大丈夫か?」

見上げながら気遣う彼の声に目が眩む。格好いい、格好良すぎて今すぐ誰かに自慢したい。そんな馬鹿な思考に耽っている仁聖の頬に手を触れさせた恭平に、思わず屈み込んで口付ける。

「…?」

心配している筈の相手からのキスに、恭平の眉が潜められこらと咎める声が溢れ落ちる。

「お前の様子がおかしいから心配してるのに、何でキスだ。」

呆れ果てたような声だが、その声には微かな安堵の響きもあった。ボンヤリと物思いに耽っているよりは、こんな突飛な行動を起こす方がずっと仁聖らしい。

「だって、格好いいんだもん…スッゴい格好いい…。」

そう熱っぽく囁きかけられる。恭平は髪を短くしたことを仁聖が言っていることに気がついて、少し決まり悪そうに頬を染めた。思った以上に短くされてしまって、実は恭平自身もまだ慣れないでいるのだ。仁聖が帰宅した時はあまり反応が無かったので、違和感がないのかと安心したのに今更この反応は困る。帰ってきた時気にならなかったのかと突っ込むことは出来ても、それもまたなんだか決まりが悪い。
チュ…チュ…と何度も何度も口づけを繰り返され、この流れではいつもの雪崩れ込むパターンに陥りかねないと気がついた恭平が仁聖の肩を軽くおす。

「こら……、まだ、話は……。」
「ん……でも、……恭平…、愛してる……。」

何度も繰り返される口付けが、次第に熱を帯びて音をたてて激しく口の中まで探り始める。舌の感触にホンの少し力が抜け始めた恭平の頬が染まり始め、吐息を甘さを仁聖は直に堪能していく。

「こら…人が心配してるのに………、お前は…。」

恭平の咎めるような声と殆ど同時に、あれ?というような顔で仁聖の表情が訝しげに黙りこんだ。その予想外の様子にやはり先程のボンヤリには仁聖に何かあったのだと、恭平がその頬に両手を伸ばす。真剣な瞳で見つめる恭平の前で、仁聖は戸惑うように視線を伏せたままだ。 

「仁聖、話が途中だ。」
「……恭平………、どうしよう………。」

それに答えるように戸惑いに満ち溢れる聞いたことの無いような、不安そうな声がその口から溢れ落ちる。聞いたことのない声の様子に恭平は驚きながら、彼の顔をマジマジと見つめた。

「どうした?」

頬を両手で包まれた仁聖は、酷く困惑した瞳で自分の体を見下ろして呟いた。

「俺、…ちんぽ………たたなくなった…かも。」

一瞬馬鹿かと叩きたくなったが仁聖の表情の深刻さに恭平は、それが場を茶化そうとして居るわけでなく本気で言っているのに気がつく。
二人が関係を持ってから早くも八ヶ月。
考えてみたら仁聖が性的に反応しないなんて初めて聞く言葉で、恐らく当人も産まれて初めてのことなのだろう。思わずそういうのはどうしたらいいのかと、恋人としても男としても恭平は暫し考え込んでしまった。恭平自身も自分ではそういうことが経験がないから、何が効果的なのか考えもつかない。

と、言うわけで普段の状態で同じ事をされていたら、一回や二回押し倒されて中で達した位では済まなかった筈。仁聖はその光景を目に焼き付けながら、視界に広がる淫らな恭平の姿を息を荒くして眺めた。
最初はソファーに座っていた恭平が立ち尽くした仁聖の足元に滑り降り、膝まづいて無意識に色っぽく上目遣いに仁聖を見上げる。その姿勢のまま指と唇とで下着から仁聖の肉棒を解き放ち、やんわりと手を絡めて先端に口付けた。辿々しいのにとても熱く甘い愛撫、しかも格段に格好よくなってしまった恭平が足元に膝まづいて。

何で……超気持ちいいのに……

亀頭をなぞる舌の動き柔らかい唇が吸い付く感触と緩やかに絡む指。リビングに響くチュプチュプという淫らな水音。丹念にしかも、甘く吐息を溢しながらの恭平からの愛撫。快感に肉茎が立ち上がりかけると、何故か背筋に氷水でもかけられたように神経が冷える。
やがて膝まづく体勢が辛いかなと呟いた恭平に連れられて、今度はベットの上。上半身を枕で上げた仁聖の両足の間には、猫のように体を屈める恭平の頭が揺れる。
頭を下げ目を伏せながら仁聖の肉茎に舌を這わせ、愛撫を繰り返す恭平の淫らな姿。柔らかな唇で扱きあげ舌でねぶられて、指を絡ませられ、音をたてて吸いたてられる自分の肉茎。
普段だったら直ぐ様その体に触れてしまいたくなる光景に、一瞬固さを増すものの直ぐ様芯がほどけてしまう。
愛撫に感じてない訳ではないし元から性欲を失ったわけでもないから、刺激にただただ喘がされているだけになってしまってある意味辛い。

「も、ごめ、恭平……、無理…辛い…。」

チュプッと口の中から肉茎を抜き出した唇と、唾液の糸で繋がる濡れた亀頭の先。そんな扇情的な光景に体の内が炙られるのに、欲望が下半身まで流れずに塞き止められる。荒い息を吐きながら両手で思わず顔を覆って、天井を仰ぐ仁聖の姿に恭平は微かに頬を染めながら顔をあげた。確かに普段だったら等の昔に、恭平は押し倒されて貫かれているに違いない。固くならないわけではなく口の中で芯を感じはするが、暫くすると力を失ったようになってしまう。感じていないわけではないから、逆に寸止めを繰り返される感覚なのかもしれないと恭平は戸惑いながら体を起こす。

「……大丈夫か?」
「んん……大丈夫…じゃ、ない、しんどい……も、ごめん。」

たたないかもと言われてからの恭平の口淫は、今まで見たことがないほど刺激的で甘く性欲を掻き立てる。それなのに一瞬固くはなるが、結局立ち上がりきることもなく寸止めのように萎えるのは頭の中にあの時が掠めるからだと仁聖には分かっていた。両手で顔を覆いながら仁聖は、心の中で呻きたくなる。

彩花に会って思い出したら、自分が最低すぎて気持ちが悪い

恭平が自分のものにならないから、恭平に似た彩花を身代わりにやりたい放題に彼女とセックスをしていた。分かっていてその後もそれを繰り返して、何人どころでない女性とセックスしてきた自分。それなのに神様がくれた偶然に恭平に手が届いて抱き締められるようになったら、意図も容易く恭平だけに溺れ他の相手を放棄した利己的な自分。
優しくて綺麗な恭平は、そんな自分の行為を殆ど知らない。しかも、恭平の方は恋愛感情を自覚して、仁聖とは違い恋人を作るのを止めることを選んでいる。

俺もそうしてたら、こんな自己嫌悪しなくてもよかったんだ…

そんな勝手なことを考えるのと同時に今でも利己的な自分は、恭平にあの当時の全てをそれを知られたくないと心底恐れもしている。そんな自分勝手な思考に更に罪悪感が、心の中に膨れ上がって押し潰されそうになっていた。

泣きたい、こんな醜い自分を今更後悔するなんて。

そんな風に心を過る思考に、恭平が与えてくれる快感が押し退けられてしまうのだ。手で顔を覆ったまま荒い息を吐いている仁聖に、心配そうな恭平が囁く。

「仁聖…?」
「ごめ、いま……、しんどい、話せ…、ない。」

罪悪感が強すぎて言葉にならないのを、恭平はどう感じたのかキシキシとベットが軋む音がする。ベットを滑りおりヒタヒタと歩く足音に、独りにしてくれるつもりなのかと心が安堵してしまう。暫くの静けさにそれでも覆ったままの手が下ろせないでいるのは、自分が実は汗ではなく泣いているのかもしれないと仁聖は考えた。

「仁聖。ほら、少し頭こっち。」 

いつの間に戻ってきたのか、それとも一瞬このまま眠ってしまったのか顔を覆ったままの仁聖には判断がつかない。柔らかな声で話しかけられ、促されて頭を動かした先は枕ではない感触だ。

「なぁ、仁聖。」
「な、に?」

自分の声が奇妙に掠れて、恭平に答える。すると恭平の手が頭を優しく撫でながら、少し困ったような気配を浮かばせごめんなと囁く。恭平は何も悪いことなんかしていないのに、そんな風に謝る理由が分からなくて仁聖は手を下ろす。目の前には自分を見下ろして、申し訳なさそうな表情の恭平。膝枕で自分を覗き込んでいるのだと気がつくまでに、そう時間はかからなかった。優しく仁聖の髪をすくように頭を撫でながら、恭平はもう一度ごめんと囁く。

「なん、で、あやまるの?」
「だって、余り……気持ちよくなかった……だろ?その、……上手く出来ないし………だから、ごめんな?」

ああ、そんなことないのに、心の中で自分が呻いている。優しくて格好いい仁聖の伴侶は、自分の技術がつたないから仁聖をその気にさせられなかったのだと考えてしまったのだ。フルフルとそうじゃないと伝えようと頭を横に振るが、それ以上言葉にも出来ずにその腰に手を回して顔を埋める。ギュウッと抱き締めると甘い恭平の香りが漂って胸が痛くなってしまうのに、恭平は再び優しく髪をすいて頭を撫でてくれていた。
そんなんじゃない、自分のしてきたことの罰が当たったんだと言いたいが、それを言うのが心底怖い。今までこんな風に考えたことなど一度もなかったのに相手が誰よりも大事な恭平だから、仁聖はそんな自分をさらけ出すのが怖くて仕方がなかった。
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