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第七章
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「そ…そんな事…い…言わなくても…。」
弱く掠れた恭平の声に篭る戸惑いと熱に気がついて、仁聖がグイと力を篭めてその体をもう一度抱きかかえ直す。視線を逃さないように真正面から見つめた青味がかった仁聖の瞳が不意に色を落とす様に深い輝きを放ち、瞳に揺れる光に気がつく。言葉にして言わせることがどんな価値があるのか分からない事でも、あえて口にする事で何かが違うような気がする。そう心が囁くのを聞きながら仁聖は、そっと柔らかい声を落とす。
「恭平、言えよ…、俺を信じるって。」
熱を含みながら酷く男を感じさせる低く掠れた声が囁きかけてくる。それに恭平は驚いたように身を竦める。それを物ともしない風にそのまま体を夜具に押し付けるように優しく押し倒し覆い被さる仁聖が、更に熱をこめる吐息でほんの数ミリしか離れない唇から甘く有無を言わせない囁きを零す。
「言えよ…、恭平。俺を信じるって…ハッキリ。」
「………仁……聖…。」
それ以外は聞かないと耳元で囁きかける仁聖に、思わず頬を朱に染めて恭平は身を強張らせた。酷く純粋に真っ直ぐに熱を落としながら自分を見つめる瞳に、まるで酔ったようにグラグラと意識が揺らぐのを感じながら恭平は震える手を伸ばして滑らかで張りのある肌に手を触れる。その指先がスイ…と仁聖の頬を滑ったかと思うと、微かな動きで首を僅かに動かした仁聖が恭平の指先に軽く口付ける。チュ…という柔らかな軽いその口付けを更に頬を染めて感じ取りながら、恭平は言葉の先をただじっと待っている仁聖を躊躇いがちな視線で見上げた。
「お前を…仁聖を…………信じる……。」
「……愛してるよ…恭平。」
もう一度チュと指先にキスをする仕草に恭平は戸惑いながら仁聖を見つめていたが、おずおずと両手を伸ばし仁聖の首に腕を回すと微かに強請るような視線を浮かべる。
「仁聖………、キス……。」
普段とは違うまるで強請るような拗ねた声に気がついて、仁聖が少し微笑みながら体を下げ恭平の頬に口付ける。拗ねた表情が仄かに何時もの甘い香りを漂わせ始めた顔に浮かび上がった。クイと普段はない仕草が仁聖の体を更に引き寄せて、甘える様に鼻を擦り合わせる動きを見せキスを言葉ではなくその行動でせがむ。
「…早く……。」
「今は…キスだけだよ?恭平……。」
「………早く……仁聖。」
まだ薬の効果が残っているのだろう何時になく触れる熱を強請る恭平に、諭すような仁聖の声が振り落ちるがそれを無視して恭平が肌を寄せる。
ゆるりと合わせられた唇が吐息を奪うように滑らかに動き、忍ばせる舌がソロリと仁聖の唇をなぞっていく。まるで自分を味わう様にさし伸ばされ、小さく舐めるように動く柔らかい感触を堪能しながら、覆い被さった体が熱を持ち始めるのを感じて仁聖が微かな音を立てて唇を離す。潤んだ恭平の瞳がトロンと蕩けた色を浮かべて見上げた。
「…もう一回………。」
何時もよりもずっと可愛らしく強請り続けるその声に思わず箍が外れてしまいそうな理性を必死で繋ぎとめる。仁聖は苦笑しながら、もう一度柔らかく甘いキスを落としていた。そんなたった二度のキスの後、安堵したのかストンと転げ落ちるように眠りに落ちた恭平を見下ろす。クローゼットから手近な衣類を引き出し身につけた仁聖は、硬い表情をしていったん頭を冷やすようにリビングに滑り出す。無意識に強く握った拳が真っ白に血の気を失ってミシと骨を軋ませる音を立てる。
自分が恭平に言わせた言葉の存在は、同時に自分とっても大切な言葉なのだと分かっていた。大事な人を傷つけたのは自分が原因でもあると言う事が、大切な人が口にした大事な言葉と一緒に酷く重く心の中で閃く。強く噛んだ唇が微かに血の味を感じさせるのにすら気がつかないままその場に立ち竦んでいた仁聖の視界に不意に人影がさす。
「……何かしようとしてるなら駄目だよ。仁聖君。」
「篠さん……。」
ふと闇の中で目の前に立つ篠の表情が自分と恭平を酷く案じてくれていることに気がついて、仁聖は弱々しい微かな笑みを敷いた。怒りに任せて仁聖が成田了に報復をするのではないかという危惧がそこに立つ篠の表情にはあって、仁聖は思わず苦い思いを感じる。以前の自分だったらそれは間違いなく実行した事だろうし、出来る事なら今すぐそうしたいと本能に任せた感情が叫ぶ。しかし、そうすることが最良ではないということが今の自分には痛いほどに感じられて理解できるのに、仁聖は視線を伏せながら呟く。
「大丈夫です…、分かってるから。」
「…そっか、なら良かった。…そうでなくとも、もしかしたら今頃騒ぎになっているかもしれないからね。」
その声にいぶかしげに「え?」と声を上げた仁聖に、篠がサラリとパソコンと液晶ディスプレイと皮張りのソファーにしこたま水ぶっかけて来たからねと爽やかに言ってのける。
「家電に水って…壊れるんじゃ…?」
「壊れるだけならいいけど、ショートしたら火事になるかもね。今頃液晶ディスプレイが火を噴いてるかも。ま、砂糖入りじゃない分優しいよね、僕も。」
冗談なのかそうではないのか分からずに仁聖が言葉を失いながら、少し微笑んだ篠を見つめた。
「意外と…大人なんだね?仁聖君。てっきり力づくで押さえ込まなきゃ駄目かなーって思ってた。」
「力づくって……。」
何気なく言いながらも篠が少し安堵したように気配を緩めたのに気がついて、今の言葉があながち嘘ではなかった事に気がついた。仁聖は先程の冗談めかした言葉も恐らく事実なのだろうと気がつく。大人であること全てが正しいとは、恐らく篠自身も考えてはいない。それでも、自分と大事な人のことを考えた最良の道を考える必要はあると彼自身は思っているのが分かる。
「…それで?恭平の様子は?」
「今眠ってます。……俺少し頭冷やそうと思って…。」
思いつめたようにそう呟いた仁聖に、篠が微かに怪訝そうな視線を向ける。実質まだ薬が効いている状態で目を覚ました恭平と一緒に彼がいたら性行為に及ぶのだろう。もしかしたら最悪それを割って入ってとめなくてはいけないかと危惧していた篠の予想を裏切って、そこに立つ仁聖の姿は自分が知っている夏休みまでの範囲の彼とはまるで印象が違って見える。薄い闇の中でその視線に気がついた仁聖は、ふと気がついたように篠に向かって口を開いていた。
※※※
翌朝・目を覚ました恭平が熱は少しまだあるものの会話もまともにできる状態になっていた。それ確認した篠は、暫く二人で話をした後に仁聖が傍に居るという事で一先ず帰途につく。その後丸1日ベットで過ごした恭平に、真希経由で体調を崩した事を知ったのだろう慶太郎が見舞いに来はしたものの、表面上は何事もなかったように時間が過ぎていく。
ふっと恭平は視線を上げてリビングのソファーに座り心地のいいようにクッションと膝掛けを準備された姿で、キッチンに立つ仁聖を眺めた。視線に気がつかない様子で夕食を作っている仁聖の表情を眺め、恭平は一昨日の夜の朧気にしか残っていない記憶を追う。
熱に浮かされたように行為を強請らずにはいられなかった浅ましい自分の姿と信じると口にした言葉が、朧に霞みながらも確かに同時に存在している。それに気がついて恭平は少し表情を曇らせる。信じるといった言葉に「愛してる」と囁いてくれた仁聖は、その後何故か自分と距離を置いている様な気がして表情が我知らず曇っていく。もっと傍にいてほしいと思うのに、この間のように仁聖は寄り添ってくれない。
昼間に慶太郎が来た時も普段なら一番傍に座って、一番近くで自分の声を聞いていたはずの仁聖がキッチンに先に入ったりして中々傍に来ない。恭平自身もそれを気にしているうちに慶太郎の方が訝しげな表情を浮かべながら何かあったんですかと聞き出した始末だった。
「はい。恭平、出来たよ?…どうかした?」
テーブルにトレイから食器を下ろす仁聖の姿に、我に返ったように恭平が視線を下ろす。
夕食を終えた後気がつくと恭平は、また仁聖の姿を目で追っている自分に気がつく。当たり前のように夕食の片づけをして食器を片付ける姿は、以前と何も変わりが無いようなのに今まで一度も感じたことの無い気まずさがあった。恭平は思わず小さな溜め息をつく。それを聞きつけたように仁聖が、微かに心配そうに振り返りキッチンから滑り出す。
「恭平、大丈夫?辛いなら横になる?」
そう囁きかけながら伸ばされた手が肩に触れた瞬間、恭平の体が思わぬほどビクリと大きく震え慄き後退る。それはお互いに明らかすぎるほどに、一目で分かる反応だった。無意識のその動作に恭平自身が困惑した様に目を見開き、同じように驚きに目を見開いた仁聖の視線がそれを受け止める様に閃く。
「…ご…、ごめ…、俺……。」
「ごめんね…?驚かせちゃって…。」
休んでと優しく囁く仁聖の声に、視線を揺らめかせながら恭平は大人しく従うようにベットに足を向けていた。
リビングで響くかすかな物音に耳を澄ましながら、夜具に体を巻き込むようにして包まり恭平は息を詰めて自分の反応の理由を考えていた。その理由を恭平自身が理解するほど懸念も膨らみ自分が不安になっていくのが分かる。朧気な記憶の向こうで憶えがある自分がされた事と、気を失った間の時間が存在している事が酷く恐ろしい。微かな記憶の中で仁聖が自分を抱き上げていたが、それがどの時点だったのかすら判断ができない事が酷くおぞましい事の様な気がして震える体を抑え込もうとしながら、不意にドアが開く音を聞きつけて息が詰まった。ゆっくりドアが閉じる音の後、歩み寄る足音。そしてそっと自分の様子をうかがう気配がする。
「恭平……眠ってる?」
躊躇いがちにそっと囁きかける声にこたえる事も出来ずに身を強張らせている。それを知らず仁聖は小さく吐息をついて暫し逡巡したかと思うと、そっとベットの上に足を滑らせた。普段なら迷わず腕を伸ばし抱きかかえる様にして眠る筈の仁聖は、体が触れるか触れないかのギリギリの場所に居場所を探す様にもぐりこんでもう一つ柔らかい吐息を零す。
「おやすみ…愛してるよ……。」
そっと柔らかな囁きが闇の中で音楽の様に流れこむ。そして、暫く息を詰めていた恭平の耳に微かな規則正しい呼吸音が届き始め、もそと身動ぎして夜具の中なら視線を覗かせると恐らく当人が思うよりもずっと疲労していたのだろう仁聖の寝顔がほんの直ぐ傍にあるのに気がつく。触れられて怯える様な反応を示した自分をそれでも一人にしておけないのだろう。傍でそうして眠る仁聖の姿に恭平は恐る恐る手を伸ばす。何時もなら腕の中から見上げていた筈のその寝顔が何時もよりずっと遠く感じて、恭平は表情を曇らせながら仁聖の服の裾を縋る様にそっと伸ばした指先で握りしめていた。
※※※
まだほの暗い陽射しの中で目を覚ました仁聖は、ふと夜具の中で自分の服の袖に重みを感じて眉を顰める。そっと夜具の中を覗き込んでそこに躊躇いがちに自分に縋る様に服の裾を握る恭平の指を見つけて、仁聖は小さく微笑みを浮かべながら直ぐ目の前の浅い眠りの中に居る恋人の顔を眺めた。
恭平……。
本当は今直ぐに触れて、思い切り抱き締めて恭平と愛し合いたいと心が囁くのが分かる。同時に昨夜の怯えた瞳が目に浮かんで、また同じように触れただけで怯えられたらと不安がにじり寄り仁聖は唇を噛んだ。自分がしようとしている事が目の前の人にとって良い事なのか良くない事なのかが自信が持てないでいる。そんな気持ちに自分がなるとは今まで一度も考えたことがなかった。今ですら自分の服の袖にある微かな重みが酷く切なくて、見つめているだけで自分がどうにかなってしまいそうな気がする。
でも、俺が大事なのは…恭平だよ…?恭平が大事なんだから…。
そうそっと心の中で呟いた。すると、まるでそれが聞こえた様に、微かな身動ぎの後で薄らと目の前の恭平が瞳を開く。
「おはよ?恭平。眠れた?」
まだ寝ぼけているボンヤリとしたその視線に、心の中の思いと同時にそこに彼がいるという事だけで思わず嬉しそうな笑みが浮かびあがる。子供のように自分を眺め微笑む仁聖の表情に、微かに恭平も柔らかい笑みを浮かばせていた。
弱く掠れた恭平の声に篭る戸惑いと熱に気がついて、仁聖がグイと力を篭めてその体をもう一度抱きかかえ直す。視線を逃さないように真正面から見つめた青味がかった仁聖の瞳が不意に色を落とす様に深い輝きを放ち、瞳に揺れる光に気がつく。言葉にして言わせることがどんな価値があるのか分からない事でも、あえて口にする事で何かが違うような気がする。そう心が囁くのを聞きながら仁聖は、そっと柔らかい声を落とす。
「恭平、言えよ…、俺を信じるって。」
熱を含みながら酷く男を感じさせる低く掠れた声が囁きかけてくる。それに恭平は驚いたように身を竦める。それを物ともしない風にそのまま体を夜具に押し付けるように優しく押し倒し覆い被さる仁聖が、更に熱をこめる吐息でほんの数ミリしか離れない唇から甘く有無を言わせない囁きを零す。
「言えよ…、恭平。俺を信じるって…ハッキリ。」
「………仁……聖…。」
それ以外は聞かないと耳元で囁きかける仁聖に、思わず頬を朱に染めて恭平は身を強張らせた。酷く純粋に真っ直ぐに熱を落としながら自分を見つめる瞳に、まるで酔ったようにグラグラと意識が揺らぐのを感じながら恭平は震える手を伸ばして滑らかで張りのある肌に手を触れる。その指先がスイ…と仁聖の頬を滑ったかと思うと、微かな動きで首を僅かに動かした仁聖が恭平の指先に軽く口付ける。チュ…という柔らかな軽いその口付けを更に頬を染めて感じ取りながら、恭平は言葉の先をただじっと待っている仁聖を躊躇いがちな視線で見上げた。
「お前を…仁聖を…………信じる……。」
「……愛してるよ…恭平。」
もう一度チュと指先にキスをする仕草に恭平は戸惑いながら仁聖を見つめていたが、おずおずと両手を伸ばし仁聖の首に腕を回すと微かに強請るような視線を浮かべる。
「仁聖………、キス……。」
普段とは違うまるで強請るような拗ねた声に気がついて、仁聖が少し微笑みながら体を下げ恭平の頬に口付ける。拗ねた表情が仄かに何時もの甘い香りを漂わせ始めた顔に浮かび上がった。クイと普段はない仕草が仁聖の体を更に引き寄せて、甘える様に鼻を擦り合わせる動きを見せキスを言葉ではなくその行動でせがむ。
「…早く……。」
「今は…キスだけだよ?恭平……。」
「………早く……仁聖。」
まだ薬の効果が残っているのだろう何時になく触れる熱を強請る恭平に、諭すような仁聖の声が振り落ちるがそれを無視して恭平が肌を寄せる。
ゆるりと合わせられた唇が吐息を奪うように滑らかに動き、忍ばせる舌がソロリと仁聖の唇をなぞっていく。まるで自分を味わう様にさし伸ばされ、小さく舐めるように動く柔らかい感触を堪能しながら、覆い被さった体が熱を持ち始めるのを感じて仁聖が微かな音を立てて唇を離す。潤んだ恭平の瞳がトロンと蕩けた色を浮かべて見上げた。
「…もう一回………。」
何時もよりもずっと可愛らしく強請り続けるその声に思わず箍が外れてしまいそうな理性を必死で繋ぎとめる。仁聖は苦笑しながら、もう一度柔らかく甘いキスを落としていた。そんなたった二度のキスの後、安堵したのかストンと転げ落ちるように眠りに落ちた恭平を見下ろす。クローゼットから手近な衣類を引き出し身につけた仁聖は、硬い表情をしていったん頭を冷やすようにリビングに滑り出す。無意識に強く握った拳が真っ白に血の気を失ってミシと骨を軋ませる音を立てる。
自分が恭平に言わせた言葉の存在は、同時に自分とっても大切な言葉なのだと分かっていた。大事な人を傷つけたのは自分が原因でもあると言う事が、大切な人が口にした大事な言葉と一緒に酷く重く心の中で閃く。強く噛んだ唇が微かに血の味を感じさせるのにすら気がつかないままその場に立ち竦んでいた仁聖の視界に不意に人影がさす。
「……何かしようとしてるなら駄目だよ。仁聖君。」
「篠さん……。」
ふと闇の中で目の前に立つ篠の表情が自分と恭平を酷く案じてくれていることに気がついて、仁聖は弱々しい微かな笑みを敷いた。怒りに任せて仁聖が成田了に報復をするのではないかという危惧がそこに立つ篠の表情にはあって、仁聖は思わず苦い思いを感じる。以前の自分だったらそれは間違いなく実行した事だろうし、出来る事なら今すぐそうしたいと本能に任せた感情が叫ぶ。しかし、そうすることが最良ではないということが今の自分には痛いほどに感じられて理解できるのに、仁聖は視線を伏せながら呟く。
「大丈夫です…、分かってるから。」
「…そっか、なら良かった。…そうでなくとも、もしかしたら今頃騒ぎになっているかもしれないからね。」
その声にいぶかしげに「え?」と声を上げた仁聖に、篠がサラリとパソコンと液晶ディスプレイと皮張りのソファーにしこたま水ぶっかけて来たからねと爽やかに言ってのける。
「家電に水って…壊れるんじゃ…?」
「壊れるだけならいいけど、ショートしたら火事になるかもね。今頃液晶ディスプレイが火を噴いてるかも。ま、砂糖入りじゃない分優しいよね、僕も。」
冗談なのかそうではないのか分からずに仁聖が言葉を失いながら、少し微笑んだ篠を見つめた。
「意外と…大人なんだね?仁聖君。てっきり力づくで押さえ込まなきゃ駄目かなーって思ってた。」
「力づくって……。」
何気なく言いながらも篠が少し安堵したように気配を緩めたのに気がついて、今の言葉があながち嘘ではなかった事に気がついた。仁聖は先程の冗談めかした言葉も恐らく事実なのだろうと気がつく。大人であること全てが正しいとは、恐らく篠自身も考えてはいない。それでも、自分と大事な人のことを考えた最良の道を考える必要はあると彼自身は思っているのが分かる。
「…それで?恭平の様子は?」
「今眠ってます。……俺少し頭冷やそうと思って…。」
思いつめたようにそう呟いた仁聖に、篠が微かに怪訝そうな視線を向ける。実質まだ薬が効いている状態で目を覚ました恭平と一緒に彼がいたら性行為に及ぶのだろう。もしかしたら最悪それを割って入ってとめなくてはいけないかと危惧していた篠の予想を裏切って、そこに立つ仁聖の姿は自分が知っている夏休みまでの範囲の彼とはまるで印象が違って見える。薄い闇の中でその視線に気がついた仁聖は、ふと気がついたように篠に向かって口を開いていた。
※※※
翌朝・目を覚ました恭平が熱は少しまだあるものの会話もまともにできる状態になっていた。それ確認した篠は、暫く二人で話をした後に仁聖が傍に居るという事で一先ず帰途につく。その後丸1日ベットで過ごした恭平に、真希経由で体調を崩した事を知ったのだろう慶太郎が見舞いに来はしたものの、表面上は何事もなかったように時間が過ぎていく。
ふっと恭平は視線を上げてリビングのソファーに座り心地のいいようにクッションと膝掛けを準備された姿で、キッチンに立つ仁聖を眺めた。視線に気がつかない様子で夕食を作っている仁聖の表情を眺め、恭平は一昨日の夜の朧気にしか残っていない記憶を追う。
熱に浮かされたように行為を強請らずにはいられなかった浅ましい自分の姿と信じると口にした言葉が、朧に霞みながらも確かに同時に存在している。それに気がついて恭平は少し表情を曇らせる。信じるといった言葉に「愛してる」と囁いてくれた仁聖は、その後何故か自分と距離を置いている様な気がして表情が我知らず曇っていく。もっと傍にいてほしいと思うのに、この間のように仁聖は寄り添ってくれない。
昼間に慶太郎が来た時も普段なら一番傍に座って、一番近くで自分の声を聞いていたはずの仁聖がキッチンに先に入ったりして中々傍に来ない。恭平自身もそれを気にしているうちに慶太郎の方が訝しげな表情を浮かべながら何かあったんですかと聞き出した始末だった。
「はい。恭平、出来たよ?…どうかした?」
テーブルにトレイから食器を下ろす仁聖の姿に、我に返ったように恭平が視線を下ろす。
夕食を終えた後気がつくと恭平は、また仁聖の姿を目で追っている自分に気がつく。当たり前のように夕食の片づけをして食器を片付ける姿は、以前と何も変わりが無いようなのに今まで一度も感じたことの無い気まずさがあった。恭平は思わず小さな溜め息をつく。それを聞きつけたように仁聖が、微かに心配そうに振り返りキッチンから滑り出す。
「恭平、大丈夫?辛いなら横になる?」
そう囁きかけながら伸ばされた手が肩に触れた瞬間、恭平の体が思わぬほどビクリと大きく震え慄き後退る。それはお互いに明らかすぎるほどに、一目で分かる反応だった。無意識のその動作に恭平自身が困惑した様に目を見開き、同じように驚きに目を見開いた仁聖の視線がそれを受け止める様に閃く。
「…ご…、ごめ…、俺……。」
「ごめんね…?驚かせちゃって…。」
休んでと優しく囁く仁聖の声に、視線を揺らめかせながら恭平は大人しく従うようにベットに足を向けていた。
リビングで響くかすかな物音に耳を澄ましながら、夜具に体を巻き込むようにして包まり恭平は息を詰めて自分の反応の理由を考えていた。その理由を恭平自身が理解するほど懸念も膨らみ自分が不安になっていくのが分かる。朧気な記憶の向こうで憶えがある自分がされた事と、気を失った間の時間が存在している事が酷く恐ろしい。微かな記憶の中で仁聖が自分を抱き上げていたが、それがどの時点だったのかすら判断ができない事が酷くおぞましい事の様な気がして震える体を抑え込もうとしながら、不意にドアが開く音を聞きつけて息が詰まった。ゆっくりドアが閉じる音の後、歩み寄る足音。そしてそっと自分の様子をうかがう気配がする。
「恭平……眠ってる?」
躊躇いがちにそっと囁きかける声にこたえる事も出来ずに身を強張らせている。それを知らず仁聖は小さく吐息をついて暫し逡巡したかと思うと、そっとベットの上に足を滑らせた。普段なら迷わず腕を伸ばし抱きかかえる様にして眠る筈の仁聖は、体が触れるか触れないかのギリギリの場所に居場所を探す様にもぐりこんでもう一つ柔らかい吐息を零す。
「おやすみ…愛してるよ……。」
そっと柔らかな囁きが闇の中で音楽の様に流れこむ。そして、暫く息を詰めていた恭平の耳に微かな規則正しい呼吸音が届き始め、もそと身動ぎして夜具の中なら視線を覗かせると恐らく当人が思うよりもずっと疲労していたのだろう仁聖の寝顔がほんの直ぐ傍にあるのに気がつく。触れられて怯える様な反応を示した自分をそれでも一人にしておけないのだろう。傍でそうして眠る仁聖の姿に恭平は恐る恐る手を伸ばす。何時もなら腕の中から見上げていた筈のその寝顔が何時もよりずっと遠く感じて、恭平は表情を曇らせながら仁聖の服の裾を縋る様にそっと伸ばした指先で握りしめていた。
※※※
まだほの暗い陽射しの中で目を覚ました仁聖は、ふと夜具の中で自分の服の袖に重みを感じて眉を顰める。そっと夜具の中を覗き込んでそこに躊躇いがちに自分に縋る様に服の裾を握る恭平の指を見つけて、仁聖は小さく微笑みを浮かべながら直ぐ目の前の浅い眠りの中に居る恋人の顔を眺めた。
恭平……。
本当は今直ぐに触れて、思い切り抱き締めて恭平と愛し合いたいと心が囁くのが分かる。同時に昨夜の怯えた瞳が目に浮かんで、また同じように触れただけで怯えられたらと不安がにじり寄り仁聖は唇を噛んだ。自分がしようとしている事が目の前の人にとって良い事なのか良くない事なのかが自信が持てないでいる。そんな気持ちに自分がなるとは今まで一度も考えたことがなかった。今ですら自分の服の袖にある微かな重みが酷く切なくて、見つめているだけで自分がどうにかなってしまいそうな気がする。
でも、俺が大事なのは…恭平だよ…?恭平が大事なんだから…。
そうそっと心の中で呟いた。すると、まるでそれが聞こえた様に、微かな身動ぎの後で薄らと目の前の恭平が瞳を開く。
「おはよ?恭平。眠れた?」
まだ寝ぼけているボンヤリとしたその視線に、心の中の思いと同時にそこに彼がいるという事だけで思わず嬉しそうな笑みが浮かびあがる。子供のように自分を眺め微笑む仁聖の表情に、微かに恭平も柔らかい笑みを浮かばせていた。
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