鮮明な月

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第六章

60.

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話しているうちに少し気が晴れたかのように、スッキリした顔で言い切った慶太郎の声に仁聖は思わず表情を変える。今の言葉は直に恭平に言うなら兎も角、何故わざわざ先に仁聖に宣言する必要があるのか慶太郎の思考が理解できない。喫茶店の中の芳しい珈琲の香りの漂うノンビリとした雰囲気すら、場違いな程に仁聖の表情は剣呑なものになる。穏やかさを違和感に感じてしまうくらい、慶太郎の発言の意図が分からないのに正直戸惑う。

「は……?何で俺?」

あからさまに口から出た不審げな仁聖の声に、不意に慶太郎は驚くほどに恭平と似た仕草で眉を潜め彼の顔を呆れたように見つめる。それでいて真希がいる事も店内の人気の事も考えてか少しだけ声を落として、慶太郎は言葉を選び穏やかな声音を放つ。

「これから、お前が≪僕の≫兄さんに酷い真似をしない様に釘をさしておくためだ。」

釘をさす?しかも、僕の?つい今さっき迄の話の論点は、慶太郎が恭平に甘えて彼を偶像のように崇拝するのをやめるという話ではなかったのか。ついでに恭平を恭平として見るように、自分が変わるって言うような話だった気がする。なのに、何故急に僕の兄さん?唖然としていたが、ハッと我に帰って仁聖はその言葉の残りの意味を理解した。

「はぁ?慶太郎、お前…何言ってくれちゃってんの?俺が何で酷い事するってんだよ?」
「酷いことしてないと思ってるのがおかしい。」
「はぁ?俺が何したってんだよ?」

思わず眉を聳やかして憮然としたように非難の声を上げる仁聖に、今の関係になる以前の幼馴染で親友であった頃と変わらず慶太郎は仁聖を目を細めて見つめる。その冷静な視線が見つめ返しながら、不意に小さい声で仁聖に向かって「電話。」と呟く。その言葉に思わず仁聖は目を丸くした。
確かにあの電話口での件は仁聖が電話中の恭平にちょっかいを出した。しかもちょっかいどころか、電話口で不埒な行為をしたのがことの発端。しかも、まだ通話中の時点で行為に及んだお陰で、慶太郎にバレたしその後一騒動になったのも事実だ。だが、意図してそう仕向けたわけではないが、意図してそうなろうとしたわけでもない。

それに悪意は一欠片もない……とは思いたいが、慶太郎の電話を早く切らせたかったのは悪意なのだろうか。

そう思わず考えてしまうと、今しがたの慶太郎の言葉を否定する根拠が揺らいでしまう。真希には有り難いことに意味が分からないようだが、多大に心当たりのある仁聖はグッと言葉に詰る。その様子を取り成す様に真希が茶化す声を上げる。

「そうねー・仁聖、最近暴走気味だもんね?恭平さんに関係すると滅茶苦茶だもん。」

それを言うなら慶太郎だって、十分恭平に関係すると暴走してると内心言ってやりたい。大体にして真希だって恋人の篠に関して言えば、かなり滅茶苦茶なことをしているではないか。自分の事は棚にあげて、仁聖だけが暴走しているというのは如何なものか。だが、正直なところ自分が以前とは違うのは、自分でも分かっている。以前の恋愛と恋人との付き合いは、気紛れで楽に過ごせれば何でもよかった。セックスだって気持ちよくなれればいいと思う程度で、相手の反応なんて対して気にもしないでいたのだ。だけど、恭平にだけは違う。仁聖にとって恭平は特別で、彼がどう感じたりどう考えたりしているのかが気になって仕方がない。セックスだって彼が気持ちいいのかどうかは、仁聖にとっては大問題だ。勿論恭平に関して、様々なことで歯止めが効かないのも事実。そう仁聖自身が自覚しているから、ここにきて二人に言い返す言葉がない。
真希が思わず声を立てて笑いながらそんな二人を眺めた。久々に以前と同じ幼馴染みの空気を取り戻して、会話を交わしている。そんな幼馴染の姿に酷く嬉しそうに微笑む真希に、その視線の先の二人も気がつく。

「ほら、真希だってそう思ってる。」 
「あ、あれは意図してやったことじゃないし!」
「意図してやってないならなおさら悪いだろうが。」

冷ややかに言う慶太郎の正論での意見に、思わず仁聖は二の句が継げずに言葉に詰まった。元々こういう会話では正論ガチガチの慶太郎に、お気楽呑気な仁聖が勝てる試しがない。仁聖が得意な本能的な事なら兎も角、こうも相手から理論武装されては仁聖に勝機が有る筈がないのだ。

「だから僕がちゃんと監視しておこうと思って。」
「あー、そうね、それなら安心よね。」

予期せぬ方向で二人の結託した言葉に、仁聖はハッとしたように我に返り思わず声を上げていた。そんな冗談じゃない、大事な恋人との間を第三者にどうこう言われたくもない。

「ふ…ふざけんなよ?!二人して小姑か?お前ら?!」



※※※



その夜、昼間の会話の事の成り行きを仁聖は、ソファの上で両手でクッションを抱え不貞腐れている。仁聖がブツブツと文句交じりに、昼間の事を話して聞かせているのだ。久々に幼馴染みと和やかに過ごした様子と話の内容を少し面白いと言いたげな表情を漂わせて、静かに耳を傾けている恭平の柔らかい微笑みを上目遣いに見やる。

「で…全然反省してないんだから…絶対、これからも邪魔する気だ…あいつ。」

クスリと笑みを溢す恭平に口を尖らせて拗ねた視線で睨むと、当の恭平も少し皮肉めいた視線を投げ返して微笑む。
実は恭平は密かに当の宮内慶太郎から、衝撃を受けた様子が伺える謝罪のメール受け取っていた。どうやら慶太郎は昔から何故か仲の悪い真見塚の息子と、学校で一戦交える事になったようだ。その時二人を止めに入ったのが、今迄噂にしか聞いたことのなかった鳥飼信哉と言うわけだ。今は全く鍛練も何も合気道自体から距離を置いたとは言え、昔は大会で顔をあわせる事もあった。三つ年上の彼は自分なんかより、はるかに才能の塊であっという間に古武術まで習得していく。彼も何か事情があって表舞台からは退いているが、破格の才能は健在だったようだ。本当は先日謝罪に来たつもりで、しかも鳥飼信哉にもう少し人の気持ちを考えるようにと指摘されてしまったらしい。
次元の違う彼の本意ではないだろうが、お陰でこの先慶太郎からもう一度合気道へと誘われる事が減りそうだ。正直なところ今度鳥飼信哉に、出版社で会ったら礼を言いたい。そう慶太郎は知らないが、恭平と鳥飼信哉は同じ業界で働いていて、わりと顔をあわせるし普通に会話もする間柄なのだ。

「…しかたないんじゃないか?」
「何で?小舅だよ?よくない!!ぜえぇったい良くない!!有り得ないよ!恭平だって…。」
「………この間は…次の日が辛かったからなぁ…俺も。」

ふうとワザとらしく溜息をついて立ち上がろうとする恭平の声に、グッと言葉に詰りながら仁聖がしょげたようにクッションに深々と顔を埋める。
数日前のあの激しい行為の後で気を失った恭平が、翌日起きてから酷く体が辛そうで動くのにも大変だったのは事実。それを持ち出されてしまうと今は何も言い返せない仁聖は、針の筵にでも座ったようなものだ。一番の恭平に全く擁護してもらえずグリグリと抱き締めたクッションに顔を埋めながら、仁聖は泣きたい気分で押し黙る。仲直りとまではいかないものの慶太郎と気兼ねなく言い合えるのは、幼馴染で親友だった事を考えれば本心では酷く嬉しい。しかし、だからといって一番大事な人との関係を邪魔されたくもない。しかも、今の状況は自分にはかなり不利だとしか言いようがない。

本当は自分に賛同して欲しい恭平にまで、先日の事態を盾に壁を作られてしまった……。

そんな気がして仁聖は、無言のままウリウリとクッションに顔を擦りながら膝を抱える。子供染みたその仕草に思わず小さく噴き出した恭平の気配が、ふっと歩み寄りチョンとその頭に触れた。それに仁聖は半べそをかきながら視線を上げる。

「恭平ぇ…。」
「…ほら、拗ねるな。顔上げて…。」
「…だって……ぇ。」

ツッと伸ばした指先が仁聖の顎を持上げて、優しく柔らかな唇がチュと甘い音を立てて触れた。その仕草にまるで幼い子供か犬が喜ぶようにパアッと満面に笑顔を綻ばせて、その先にまで期待を篭めた輝きに満ちる瞳で見上げる。そんな仁聖に、恭平が少し呆れた風に苦笑を浮かべて見下ろす。言わないともう一度は貰えないと気がついた仁聖は、キラキラした瞳で恭平にねだる。

「ね、恭平。もう1回!」

思わぬ言葉に頬を染めて恭平が目を丸くする。

「………元気が出たみたいだから、おしまいだ。」
「えぇ?!まだ元気じゃないよぉ?もう1回して。んー、……I want to taste you!」

もう一度キスを強請るのかと思いきや。
≪貴方を味わいたい≫=セックスしたい等とあからさまに行為を強請る台詞を、恭平が翻訳を生業にしていて意味が理解できると知っていて口にする。そんな仁聖に一瞬あっけにとられた恭平の頬が、見る間に更に朱に染まる。流石に一瞬意味をちゃんと理解しないで口にしたのかと恭平は訝しがり彼を見下ろす。そんな恭平に向けて、仁聖は悪戯っ子のようにニィッと笑った。その表情から仁聖がどう見てもその意味を分かって口にしていることに気がついて、恭平が思わずべチンっと音を立ててその頭を叩く。

「っ…馬鹿!調子に乗るな!!」

クッションから顔を上げた仁聖が、頬を膨らませて不満そうに口を開く。

「ちぇー。じゃPlease kiss me。Please!」
「知るか!まったく!せっかく少し優しくしてやろうとしたら直ぐそれだ。」

頬を朱に染めたままさっさと踵を返してしまう恭平の後姿に、追いすがるように仁聖が纏わりつきキスを強請る声を上げ続ける。それをあからさまに無視した恭平は、仁聖には見えないように小さく穏やかな微笑を浮かべる。それはまるでそっと夜空にフワリと輝く月のように静かで穏やかな微笑だった。

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