鮮明な月

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第六章

55.

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微かな音と一緒にベットに埋まるようにしている恭平の横に腰掛けた仁聖は、夜の闇が落ち始めた室内を感じながらそっとその黒髪を覗き込む。毛布に包まっているため頭しか見ることの出来ないその姿に小さく微笑みながら、そっと指を伸ばしサラリとその髪に触れる。

「起きてるんでしょ?恭平。」

ピクンとその布団の中で体が動くのに仁聖は柔らかく微笑みながら、ベットの上に足を引き上げてその場に座り込むとサラサラり指に心地いい感触の髪をゆっくりと撫でる。眠っているかいないかすら簡単に読み取れるような、恭平の体の少し緊張した気配。

「…………慶太郎は…?」
「帰ったよ。」

顔を見せる事もせずに呟くその姿に仁聖は、目を細めながら指を動かし続けていく。言葉がなくても自分の指の先で彼が何を考えているかは、もうよく分かりきっている気がする。

「悪かったと思ってるなら、後で謝ればいいよ。……でしょ?」

モゾ…と毛布の中が動き少し悩む気配を漂わせるのに、仁聖は苦笑を浮かべる。そうして暫しの逡巡の後ふっと思い出すように視線を宙に投げて仁聖は言葉を繋いだ。今話すべきではないのかもしれない。そう分かっているが、その言葉の先にあるものを今どうしても戸惑って不安の中にいる恭平に伝えたいとも思う。

「………俺さぁ?ずっと恭平に言いたいのにどうしても言えないでいる事があって…。」

ふっと唐突に降り落ちた言葉に訝しげに言葉の先を伺う気配が毛布の中に沸きあがるのを感じながら、仁聖は心を決めたようにゆっくりと言葉を紡いでいく。

「ずっと……どうして言えないのか考えてたんだ、でも、この間分かった。その理由。」

その声にモソ…と不思議そうに見上げる視線がついに耐え切れずに毛布から姿を見せたのを視界の端に見つけて、仁聖はその瞳を見下ろしながら微笑む。
恭平の心を苛む過去がある様に、自分が気持ちを伝えられないのにも理由がある。そう気がついた時にその気持ちを伝えるには全てを話すしかないのだと気がついた。その理由は気がついてしまうと余りにも大きくて、隠し切れないとまだ未熟な自分でも分かる。隠してしまえば真実の思いが伝えられない、目の前にいる彼にこそ一番伝えたい想い。その言葉が一生伝えられない。ただ理由を聞いて恭平がどう思うのか…それが恐ろしい、そう思いながら仁聖自身それでもいつかは話さないといけないのだと分かっていた。

「…俺…もしかしたら泣くかも知んないけど…隠してたら言えないままだから……話してイイ?恭平。」

不意にかすかに不安を滲ませながら告げた言葉に、恭平が身を起こし微かに息を呑んだのを感じていた。初めて会った時さと仁聖が口を開く。

「……ガキの俺が一人でいたの、不思議だなぁって思わなかった?」

その声は微かに今まで聞いたことのない深く暗い響きを漂わせて、落ち始めた闇よりも更に黒く沈んで響き渡る。



※※※



両親と自分は元々海外に住んでいた、そううっすらとだが記憶がある。場所の名前ではなく、建物の記憶や使っていた言葉の記憶がそう告げていた。だけど、その時に自分はこの地で、父の生家に来ていたらしい。
既に故人だった父方の祖父母の墓参りと法的な何かの手続きの為に帰郷した両親に連れられて、日本に来ていて風邪か何かで熱を出したのだという。何の事はない子供の急病だったけれど余りにも熱が高い自分は、結果として数日間入院した。
それが先ず大きな運命の分かれ道だったのだと思う。

もう記憶には残っていないが、母の両親つまり母方の祖父母が交通事故で病院に運ばれたと電話があったのは入院中の事だった。両親のどちらか片方、八割方は父だったように思うのだが日本に残るという話になりそうだったのだけれど、丁度カメラマンの叔父が数日後に渡米するという偶然が重なったのだ。選択はもう熱が下がり始めて元気になりかけていて、そしてもう我の強さを発揮し始めていたのだろう自分にまかされることになったらしい。
病院のベットの上で病院のパジャマを着せられた息子を見下ろす両親の微かな不安な表情を、何処か他人事のような気分で幼い少年は見上げる。その少し前位から自立心が芽生え始めた少年には、両親のその危惧が何だか過保護なような気がして疎ましい気もしていた。

「ウィル…どうする?父さんが残るか?」

病院の物珍しいベットの上で五歳にそろそろなろうとする栗色の髪の大きな瞳は、少し生意気そうに満面の笑みをあげて父親を見上げる。彼は既に点滴もしていない・熱もない。後は経過観察だけの少年には芽生え始めた自立心と一緒に育った反抗心も戻っていて、何処か母親に似た青さも兼ね備えた瞳をキラキラと輝かせた。
病院でプレートに書かれている東洋の魔法みたいな形の物。両親が自分のためにつけて普段呼ぶ名前は違っていて、白い服を着た女の人に話しかけると相手は時には驚き時には困ったように首を傾げる。言葉も違うなんて凄い!そう何だか魔法の国にでも来たみたいに感じられて、少年の育ちきらない自立心を刺激する。そうして少年は直ぐ様父が使う言葉を同じく身につけ始めていた。

「Don't worry about me, I'll be fine!Okay go along with Uncle
!Mam、Dad!」

周りにいる父と同じ髪と目の色をした白衣を着た人達とは独り違う自分の母。産まれつきのプラチナブロンドの髪と真っ青な空色の瞳で、乳白色の肌。母は心配そうに自分を覗き込み頬をやんわりと柔らかく滑らかな肌をした両手で包み込む。

「However ……ウィル………。」
「No problem! Mom!」
「ウィリアム…。」
「You can go without me.catch up to Dad.僕、おじちゃんと飛行機のるよ。」

父の仕事の都合上両親と海外に渡ることもあった少年が、両親以外の血縁者である叔父に久々に会って喜んでいるのは分かっていた。同時に病み上がりの体で飛行機を乗り継ぐ強行軍が無理なのも分かっている。そして同時に少年の祖父母の状態は緊急を要するもので、とても深刻だということも事実だったのだ。
そして選択は為された。
両親は先に向こうに戻り、三日後に叔父と一緒に機上の人になる息子を空港まで迎えにいく。その決定にまるで少し大人になった気分で少年は満足げに微笑む。両親に自分が大人として認められたような優越感。一歩新しい世界を体験できるようなワクワクした気分がそこにはあった。

「お迎え忘れたら駄目だよ?Dad.」
「ああ、大丈夫だよ?」
「帰ったらgrandmaとgrandpaに会いにつれてってね?Mom.」

まだ心配そうな母の視線を受けながら病院のパジャマ姿のまま父に抱きかかえられて、沢山の愛情表現を受けながら純粋で純真な笑みを綻ばせる。当たり前の抱擁に当たり前のキス。だけど、そこで受けた二つのキスが最後になった。

両親と気が付かずに最後の別れをした三日後。迎えに来ている筈の両親を考えワクワクしながら降り立った空港で、それを見た時自分には何が起きたのか分からなかった。
幼い自分と手を繋いだ叔父が、呆然と息を呑んで途方に暮れ見下ろす瞳。繋いだ手が痛いほど自分の手を握りしめていた。
そこからはもう自分でもよく分からないし、正直よく覚えてもいない。ただ、仁聖の両親は自分を迎えにくる途中で、自分たちとは何の関係のないカーチェイスに巻き込まれて死んだのだと言うことだけだ。



※※※



身を起こして自分を見つめる恭平の視線が揺れるのが分かって仁聖は、ふっと息を付きながら視線を落として言葉をポツリと繋ぐ。幼い日からたった独りで感じていた。誰に言う事もなかったそれを、形にして口にするのは酷く恐ろしい事だ。

「俺ね?それが自分で理解できるようになって…思ったんだ。」

あの時自分が愚かな自立心等感じていなかったら。まだ、ただ甘えるだけの子供であったなら。

「俺が父さんに残ってって言ってたら、俺が無理にでも一緒に行くって言ってたら…父さんも母さんも俺を迎えに来なかった筈なんだ。」

それは偶然の積み重ねで巡り合わせた運命なのだと理解できたとしても、もしと考えることは避けられない。それが叶うのであれば、大切な両親が今も生きていたかもしれないのだ。

「だから…事故に遭ったのは、俺のせいなんだって。」

その言葉に目の前の恭平が、表情を歪めながら息を呑む。まるで自分が痛みを受けたような表情を浮かべる恭平の姿に、仁聖は少しだけ微笑む。その今まで見たことのない程傷ついた笑みを見た瞬間、恭平の震える手が自分を抱きしめて仁聖は不意に涙が溢れ落ちるのを感じ取っていた。

「…それは…お前が悪いんじゃない…っ……。」

苦痛に満ちた恭平の声が囁いてくれるのを聞きながら、仁聖は彼の肩に顔を埋めてそれでも苦い微笑を浮かべようとする自分を感じる。心の何処かでずっと思っていた事を口に出してみて、初めてそれが鋭い棘になって自分の心に余りにも深く食い込み痛みを感じさせているのに気がつく。

「うん…分かってる。偶然そう巡り合わせたんだって…でもどうしても思うよ?でしょ?」

後悔しても仕方がないのだと理解できていても、もしそれを失わない方法を自分が選んでいたならと思う。その痛みが分かる分、酷く強くその体を抱き締めて恭平は言葉を失っていく。自分にも同じ痛みが存在して、今こうして仁聖が分かち合おうとしてくれるまで心に深く棘が刺さったままだったのだ。まるで自分の事の様に心を痛めてくれる恭平の姿に仁聖は、心の中で呟く。

ホント恭平って優しい………だから…余計迷った…

抱きとめる腕の温かさが心地良いのを知ってしまったら、余計にその迷いは強くなっていたのだ。そう気がつかされて仁聖は小さく囁くように言葉を紡いでいく。

「だから…俺、選ぶのが怖かった、自分が選んだ事で何もかもまた…なくしちゃう気がした。」
「っ……そんなこと…っ。」

ないと言い切ろうとして自分にも似た想いが存在していた事に気が付き、恭平は言葉に出来ずに押し黙る。

「でも、恭平の事諦められなかった…好きで好きで…どうしようもなくって…。」

そっと抱き締められていた体が少し動いて自分を愛おしそうに腕を回すのを感じて恭平は、心に深い苦痛を覚えるのと同時に仄かに熱が灯るのを感じ取る。首筋に埋められた甘い吐息を感じながら仁聖は、まだ涙が溢れていくのに少し困ったように笑い言葉を繋いだ。

「だけどさ?俺…もしかしたらこれって、恭平にただ俺の居心地のいい居場所を作って欲しいだけなのかなって…。」

トクンとその言葉に自分の胸が一つ大きな鼓動を打ち、そして腕の中の恭平が不安を感じたのが分かる。
暖かく優しいこの腕を自分が欲しているのは、ただ保護者のように暖かい場所を欲している為だけなのか。もしそうなら、ただ愛情を与えさせる事を恭平に無理強いをしている。ただの傲慢なのではないかとずっと不安だった。そして同時にそれが真実の想いであるなら仁聖の想いと恭平の想いは別の存在に変わってしまう。その仁聖の想いが分かったのか抱き締めている体が、不意にその不安を否定しようとでもするかのように仁聖の背に回した腕に力を篭める。

「そんなんじゃ…駄目でしょ?そんなの…恭平のためじゃない。ただの俺の……ガキの我侭だ。」
「ちが…そんなの……俺は………。」

戸惑いながら、それでも仁聖の言葉に必死に頭を振って恭平が言葉を紡ごうとする。それを目に仁聖はフワリと大人びた笑みを敷いて見つめ返した。その笑みに一瞬目を奪われる恭平の様子に、仁聖は彼の言葉を肯定するように頷いてみせる。抱き締めたままの腕でその柔らかく甘い肌を感じながら、ゆっくりと息をつく。

「でも違った…、やっと分かった。」
「……分かった?」
「俺はもう自分だけ守って欲しいんじゃないんだ。俺は…恭平を守りたい。恭平の事を守りたいんだよ…。」

傷ついて怯える自分を癒そうとしてくれるのと同じ分、暗闇で震えている恭平を守りたいと思う。もっと幸せになりたいし、してあげたいと思う。そうそっと囁くと腕の中で微かに恭平が、驚いたように息を呑んで頬を染め視線を落とすのが分かる。綺麗で純粋に色づくその表情をウットリと眺めながら仁聖は微かに緊張した気配を滲ませ、ふとその気配に気がついた恭平が不思議そうに視線を漂わせた。前に囁いた密やかな共に永遠を願う単語が重なるように、ずっと抱いていた想いが形になろうとして仁聖の胸の中で熱を持って疼き始める。

「甘えたいだけじゃない、居場所が欲しいのでもない…。俺は…恭平の事……。」

その先の言葉を言おうとして仁聖は言葉に詰り、焦るように頬が染まっていく。

「俺…。」
「…仁聖?」

仁聖の躊躇い押し黙ってしまう姿に、不思議そうな黒曜石に輝く瞳が黙り込んだままじっと覗き込む。恭平が何か言ってくれればいいのにと内心思いながら、仁聖は段々と鼓動が跳ねていくのを感じ真っ赤になってしまう。その姿を訝しげに見つめている恭平の体をもう一度思い切り引き寄せて、仁聖は覚悟を決めたように声を振り絞る。

「恭平の事…誰よりも大切なんだ…、俺も……。」

その声に腕の中の恭平の体が不意に自分の肩に身を預けるのを感じて、逆に仁聖は更に言葉に詰っていく。今まで簡単だと思っていた言葉が上手く出てこない事に、自分が酷く狼狽していくのがわかって仁聖が喉を鳴らす。そのまだ何かを言いたげな気配に気がついた恭平が、視線を上げて自分の瞳を覗き込み小さく名前を呼ぶ声が溶けるように優しく甘い。今迄感じたことがない程に胸が激しく高鳴っていく。夜の闇の中でも目に分かるほどに頬を紅潮させた仁聖の表情に、恭平は微かに戸惑うような視線を浮かばせジッと言葉の続きを待つような気配を匂わせる。

「……恭平…。」

低く掠れるようなその声に浮かぶ酷く真剣な響きに、戸惑いながら恭平も押し黙って仁聖の様子を伺う。その表情に不意にじりじりと燃え上がる様な体の奥底の熱を感じ取って、仁聖は少しずつ肌を近づけ始めていた。

「俺………っ……愛してる。」

ビクンと恭平の体が戦く様に震えて、目の前で一気に朱に染まるのが見える。
鮮やかでまるで初心な反応を見せ合う羞恥心を感じながら仁聖は、今にも弾け飛びそうな熱を感じて不意に理性が何処かに押しやられていく。誓うように囁く言葉が自分の内側を作り変えていくのが分かって仁聖は、背中を押されたように恭平の腰を引き寄せ覆いかぶさる様に耳元で熱を篭めて囁いた。

「恭平の事…誰よりも……愛してるよ…。」

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