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第六章
53.
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淡々と感情を交えずに語るその口調が、全てを語り終えようとしている。そんな気配を漂わせたのを感じて、仁聖は思い切りその体を背後から抱きすくめた。何をどういったらいいのかが分からずただその体をしっかりと夕闇の気配を感じながら抱きすくめる。仁聖になすがままにされながら、恭平は息もつけないほど強く自分を抱きとめる腕を見つめる。
「…それで…時々うなされる……、怪我をしたせいじゃない……ただ…怖くなるんだ。」
ポツリと囁くように言葉が溢れ落ちていく。
「…自分はいていいのか……、自分はここに存在しちゃいけないんじゃないか……って。」
「っ………俺はっ……っ!!!」
胸を突くような激しい感情に口にしようとした言葉が押しつぶされて、仁聖はただ力を篭めてそのほっそりとしなやかな体を抱き締める。
血の繋がる者に省みられない孤独と血の繋がる者に拒否され否定される孤独。それにどんな差があるのか、そこに存在する孤独という辛さ以上に、深い感情を仁聖にはどう言葉にしていいか分からない。しかし、腕の中の儚げに揺れる人がそれを自分と同じ歳で一人で耐えてきたのだと思うだけで、憤りにも似た激しい感情に胸が軋む。溜め息混じりに恭平は俯くと、苦いものでも吐き出すように呟く。
「…今日……初めて鉢合わせたんだ…、墓自体知ってるとは思ってなかった…。」
でも、考えてみたら昔からここらに住んでるから、墓地の場所は知ってたんだなと自嘲めいた口調が続ける。
「正直知りたくもないんだって…ずっと思ってたから俺から知らせたこともなかったんだ……。」
ふとその視線が手元を見つめ、その想いが昼間の情景を見ているのに気がつく。
「三年前だったか祖母が亡くなって……あの人から一度逢いたいって言われて逢った以来だったから……。」
驚いたよ…そう小さく呟いた恭平の声で、何かが繋がるような気が仁聖にもする。
三年前亡くなった宮内の老女。
その直後の変化は少なからず仁聖にも分かっている。
三年前恭平が異母兄であると初めて知った慶太郎。実際、その直後に自分も慶太郎から恭平との関係を打ち明けられた時面食らったのを覚えている。だが、慶太郎に関してはそれで理解できても、彼の父がどうだったのかまでは図りきれない。何故なら既に恭平の口から知らされている過去で、腕の中の恋人が十代前半の時には彼の出生に関して真実を知っている者がいた事は現実として存在するからだ。そして、それは恭平がゆうに知り得る事だったことからも、彼と彼の母の存在と共に彼の実父も理解しうる範疇だったのではないだろうか。しかも、恭平は母親の日記に、宮内の老女との確執があったことは残している。では、逆に宮内の老女は、何か記録は残さなかったのだろうか。何にせよ、少なくとも十八歳の恭平を打ちのめした老女は、恭平を認める気は全くなかったと言える。だが、今は彼の母親を墓参りする宮内恭慶の意図はなんなのだろう。
仁聖の疑問を感じ取ったように腕の中で恭平が、微かに自嘲めいた笑みを溢す気配が漂った。
「何処までしっているのか、あの人には聞いていない……一生……聞く必要もないと思ってる。」
最後の言葉が一番の本心ではないと分かって仁聖は咄嗟にその体を回し、途方に暮れたように揺れるその瞳を真っ直ぐに見つめる。勢いに気圧された様に思わず背後にしたシステムキッチンのカウンターに腰を押し付けながら、仁聖の両手が覆い被さるように恭平の行き場を奪いとった。
「…仁聖……。」
言葉にならずに唇を噛んだ仁聖の表情を、夕闇に滲むような視線が見つめる。カウンターから手を離さずに真っ直ぐに見つめた青味がかる仁聖の瞳に射竦められて、一瞬不安げな表情を恭平が匂わせたのに仁聖は胸が痛むような気がした。そっと視線を外して身を寄せると、戸惑うように伏せられた視線が自分の胸元に手を寄せながら震えるのに、仁聖は溜め息に似た声を耳元で落とす。
「本当は聞くのが怖いんだ…恭平は。聞く気が無いんじゃない…聞けないんだ。」
その言葉にビクッと震えた肩を見つめ、仁聖はその体勢のまま目を閉じた。自分の放った言葉が彼の本心を貫いていたのを理解しながら、その深い不安を拭い去る術がない自分に仁聖は表情に苦痛を滲ませる。
「例え、全部恭平が思うとおりだったとしても……。」
絞り出すような声の苦痛めいた響きに恭平は身を僅かに強張らせてキュと仁聖の胸元に置いた手を握る。震えるようなその肌を感じながら、仁聖は更に肌を寄せる仕草で声を落とす。
「俺には恭平が必要だよ……他の誰でもない…恭平が、必要なんだ…。」
ここにいて・そう小さく繋ぐ静かな声。恭平の体の強張りが微かに緩む気配を感じて、仁聖はそっと指先で髪を掬い上げ存在を知ってしまった傷痕にもう一度触れる。ほんの小さな知らなければ見ることも出来ない傷痕なのに、酷く神経質にそれを隠そうとしている。そんな恭平の気持ちを感じ取りながら、仁聖はそっと傷痕を指先でなぞり労わるように優しく口付ける。抱き寄せてそのまま頬に滑らせた唇の感触をじっと受け止めるその姿に、何度も同じ仕草で労わり癒そうというように触れていく。
「……恭平じゃないと駄目だよ……恭平だけ…。分かってる?」
その声に更に緩んだ肌の感触が甘く滲むのに気がついて仁聖は、ゆったりとした動きで更に身を寄せすっかり肌を合わせて抱き締める。戸惑うように視線を揺らしながらも腰を押し付けられ微かに熱を発しながら恭平が掠れた囁きを零した。
「…仁………聖…、向こう…行きたい……。」
「向こう……って?」
ふっと訝しげに上げた視線の先で変化を見せる表情が漂う。その変化にかすかに仁聖は微笑みながら執拗なほどにキスを繰り返し、ゆっくりと下肢に挟み込んだ膝を揺り動かす。ゆっくりと下肢で刺激される感触に耐え切れないと言うように恭平の頬が薔薇色に染まる。瞳が潤んでいくのを見つめ、仁聖もその声にならない強請る視線に促された様に体を動かしていた。
抱きかかえて運ぶ合間にも何度もキスをねだる仕草で、恭平の手が仁聖の服を焦るように脱がせていく。ベットに乱暴にも感じる勢いで縺れ合う様にして倒れこみ、競いあうように互いの服を剥ぎ取りながら肌に触れる。
「仁聖、早く…。」
そんな風にねだる声をあげる恭平の危うい心に、仁聖は何度もキスと愛撫を繰り返しながら片足を肩に乗せた。硬くそそりたつ肉茎を押し当てられ、微かな緊張を滲ませる恭平の顔が艶やかで愛しい。貫かれた後の切れ切れの喘ぎ声で何度も何度も仁聖の名前を繰り返し、愛の言葉を囁く甘さに全身が満たされていく。グイと奥を貫かれながら抱きしめられる腕に、恭平の手が更に引き寄せるように絡み付いてくる。
「仁聖っ…も……っと…!」
激しく熱をねだる掠れる声に仁聖は、その細い腰を掬い上げるようにして深く肉茎を捩じ込む。激しく貫かれ、甘く意識が混濁するような歓喜の行為の後。クタリと気を失うように眠りに落ちた恭平の体を抱きしめたまま、仁聖はそっとその表情を見つめる。浅い眠りの中でまだ何処か憂いに満ちた表情を浮かべる恭平が時折、さいなむ夢に眉を寄せる気配を漂わせて苦しげに息をつく。それに気がついた仁聖は、その体をしっかりと抱き寄せ腕の中に包み込む。そうしながら仁聖は闇の中で、面と向かってはまだ伝える事の出来ない甘い言葉を何度も何度も繰り返し、そっと恭平に囁きかけていた。
※※※
リビングにいる恭平は、昨夜の行為のせいだけではなく何処かまだ少し精神的にも疲れた気だるそうな表情を浮かべていた。そんな恭平の様子を気遣いながら、ドアチャイムの音に仁聖は視線を上げた。
何気なくインターフォンをとった恭平が微かに緊張した気配を匂わせて眉を顰めるが、何も言葉を返すでもなくふらつきながらドアの方へと足を向ける。暫しの会話の気配の後足音と一緒にリビングに戻った恭平の背後に続く慶太郎の姿に、仁聖は僅かに眉を上げて内心で小さな溜め息をついた。
「…座ってろ…、コーヒーを入れるから。」
静かに小さく言う声に従う慶太郎の姿に視線を向けると、見つめ返す視線が微かに緊張して棘のある気配を匂わせる。恭平の目の前での口撃の応酬はご法度になったものの、視線だけはどうしようもないという風に思わず視線が険悪な気配を含む。
「仁聖………入り浸ってるのか?お前。」
「お前には関係ないね。」
思わず口にした小さな声をそれ以上続けないように、仁聖が立ち上がりキッチンに身を滑らせた。そこに微かな溜め息の音をさせる恭平の姿に気がついて、手元に指を伸ばし仁聖が労わるような柔らかい声を上げる。
「恭平、俺が入れるよ?」
「……そうか?……悪いな。頼む。」
「大丈夫?」
問い掛ける声に恭平が意味が分からないと言いたげな視線を浮かばせて仁聖を見つめる。それに仁聖は微かに危惧を感じながら恭平の様子を伺う。表面を取り繕うことに普段長けている分、今の恭平は酷く無防備で危うい状態にある気がした。
彼自身気がついていない様子だけれど、今までと違うことがその身に起きすぎていて許容しきれないでいる。それに対して自分は普段と変わらない。そう思いこもうとしているような気がしてならない。その意図をはかるかのように見つめる仁聖にふと恭平の視線が不安に揺らいだのが分かった。瞬間、彼はハッとその表情を押し隠すように視線を翻してキッチンから身を滑り出し、仁聖はそれが何を示しているのかを理解する。
普段と変わらないと思ってるんじゃない…普段と変わらないはずだって自分でも信じたいだけなんだね…。そう信じないと支えられなくなってるんだ……。
その思いに今直ぐその体を抱きしめたい想いに駆られる。不安で揺らぎ何もかもが怖くて仕方がないはずのその背中を見つめながら仁聖は、慶太郎が早く帰って二人きりになれるように。早くその不安で折れそうな心を抱きとめて上げられるようにと内心で祈っていた。
「……久しぶりだな?…それで?今日はどうした?」
カチャと音を立ててマグカップに入れたコーヒーを置いた仁聖が無造作に恭平の隣に身を滑らせた。それに気が付きながら、世間話のように会話をしていた慶太郎の視線がふっと揺れる。その瞳にある何かを問いたい気持ちに別な感情を含んだ視線に気がついた仁聖は、その感情が何処かで見たことがあると眉を潜めた。
「…聞かせて欲しいんです、兄さん。」
躊躇いがちな声に恭平が微かに訝しげな表情を浮かべた。マグカップをおいた慶太郎がゆっくりと仁聖を見やり、わざと彼がいる状況でそれを問おうとしている。それが分かって仁聖はその感情が、≪優越感≫なのだと気がつく。
以前自分が慶太郎に対してに感じようとした感情とある種同じ感情。ただし仁聖には入り込めない優越感を感じさせられるもの、それが何か分かった瞬間、それは胸の奥に重い不安を感じさせていた。遮るべきなのか逡巡した隙を縫うように言葉が交わされる。
「……何を?慶太郎。」
「理由です。兄さんが……断り続ける理由。」
「……最初に言われた時…断っただろう?…今更…理由が必要か?」
ふと恭平の表情が微かに見慣れない変化をにおわせるのを見やりながら、慶太郎は緊張しながらも言葉を繋ぐ。
「…どうしてですか?確かに養子って言う形になるでしょうけど、兄さんが長男として宮内の籍に入るのには何も問題はないでしょう?兄さんは父さんの子供なんだから。」
初めて聴いた言葉に仁聖が横で目を丸くするのを、恭平は視界の端に捕らえていた。
不意に持ちかけられた宮内家への養子縁組。
自分を認知する、そして宮内の人間になって欲しいと告げたのは、目の前の異母弟が口火だった。もしその時に恭平がその話を了承していたとしたらその後、もっと込み入った内容まで進んだのだろう。しかし、実際にはこの話で直接恭平が実父と話した訳でもないのだ。何しろ恭平自身が宮内恭慶と会うこと自体を拒否しているのだから。
「…兄さんには才能がある…そう父が話してました、もう一度道場に通えばって。…だから、今度は家族としてもう一度…。」
「慶太郎……。…俺は……。」
「兄さんが一人で頑張ってきたのはわかってます。でも…宮内の子になっても構わないでしょう?」
一瞬、仁聖の目の前ですぅと恭平の表情が凍りついていく。
縋る様な強請る様な慶太郎の懇願に近い声。それが宮内の子供として長男として厳格に、同時に大切に育てられてきた育ちのよさを感じさせたと思った。瞬間、心の中に亀裂が走った感覚がして恭平の感情が瞬時に煮え滾ったままの状態で氷結した様な気がした。
「兄さん…?」
微かな戸惑う視線にただ純粋な思いを見つけて、自虐的で皮肉な歪む笑みがその唇に浮かぶ。
「……理由が知りたいんだな?なら話してやる。」
それは普段の恭平とは全く違う、冷えた憎悪に満ちた突き放す声音だった。
不意に落ちたその声に傍にいる二人が、それぞれに戸惑いの感情を浮かべて自分を見るのに気が付いている。それでも弾け始めた感情に歯止めが利かなくなっている自分に信弥は気がついていた。
過去の敵意に満ちた狂気を孕む残滓を持ち続けた自分。
三年前の事態の変化ですら自分で割り切って受け入れるのに相当な苦労を重ねていたのに、半年前につき付けられた宮内家への養子縁組の話。今更のように墓前で出くわした父の姿。何より今の自分には愛情を孕んで感情の箍を外すような出来事が重なり、自制が利かなくなっているのが分かる。その恭平の感情の揺れを表情で汲み取ったように、不意に仁聖が顔を強張らせた。
「恭平っ!!」
「っ…俺は宮内が嫌いだ。宮内の存在全部、憎んでる。」
仁聖の制止の声すらも押しのけて刺すようなその声が弾け飛んだ次の瞬間、不意に立ち上がったのは誰でもなく恭平の横に座っていた仁聖だった。
「…それで…時々うなされる……、怪我をしたせいじゃない……ただ…怖くなるんだ。」
ポツリと囁くように言葉が溢れ落ちていく。
「…自分はいていいのか……、自分はここに存在しちゃいけないんじゃないか……って。」
「っ………俺はっ……っ!!!」
胸を突くような激しい感情に口にしようとした言葉が押しつぶされて、仁聖はただ力を篭めてそのほっそりとしなやかな体を抱き締める。
血の繋がる者に省みられない孤独と血の繋がる者に拒否され否定される孤独。それにどんな差があるのか、そこに存在する孤独という辛さ以上に、深い感情を仁聖にはどう言葉にしていいか分からない。しかし、腕の中の儚げに揺れる人がそれを自分と同じ歳で一人で耐えてきたのだと思うだけで、憤りにも似た激しい感情に胸が軋む。溜め息混じりに恭平は俯くと、苦いものでも吐き出すように呟く。
「…今日……初めて鉢合わせたんだ…、墓自体知ってるとは思ってなかった…。」
でも、考えてみたら昔からここらに住んでるから、墓地の場所は知ってたんだなと自嘲めいた口調が続ける。
「正直知りたくもないんだって…ずっと思ってたから俺から知らせたこともなかったんだ……。」
ふとその視線が手元を見つめ、その想いが昼間の情景を見ているのに気がつく。
「三年前だったか祖母が亡くなって……あの人から一度逢いたいって言われて逢った以来だったから……。」
驚いたよ…そう小さく呟いた恭平の声で、何かが繋がるような気が仁聖にもする。
三年前亡くなった宮内の老女。
その直後の変化は少なからず仁聖にも分かっている。
三年前恭平が異母兄であると初めて知った慶太郎。実際、その直後に自分も慶太郎から恭平との関係を打ち明けられた時面食らったのを覚えている。だが、慶太郎に関してはそれで理解できても、彼の父がどうだったのかまでは図りきれない。何故なら既に恭平の口から知らされている過去で、腕の中の恋人が十代前半の時には彼の出生に関して真実を知っている者がいた事は現実として存在するからだ。そして、それは恭平がゆうに知り得る事だったことからも、彼と彼の母の存在と共に彼の実父も理解しうる範疇だったのではないだろうか。しかも、恭平は母親の日記に、宮内の老女との確執があったことは残している。では、逆に宮内の老女は、何か記録は残さなかったのだろうか。何にせよ、少なくとも十八歳の恭平を打ちのめした老女は、恭平を認める気は全くなかったと言える。だが、今は彼の母親を墓参りする宮内恭慶の意図はなんなのだろう。
仁聖の疑問を感じ取ったように腕の中で恭平が、微かに自嘲めいた笑みを溢す気配が漂った。
「何処までしっているのか、あの人には聞いていない……一生……聞く必要もないと思ってる。」
最後の言葉が一番の本心ではないと分かって仁聖は咄嗟にその体を回し、途方に暮れたように揺れるその瞳を真っ直ぐに見つめる。勢いに気圧された様に思わず背後にしたシステムキッチンのカウンターに腰を押し付けながら、仁聖の両手が覆い被さるように恭平の行き場を奪いとった。
「…仁聖……。」
言葉にならずに唇を噛んだ仁聖の表情を、夕闇に滲むような視線が見つめる。カウンターから手を離さずに真っ直ぐに見つめた青味がかる仁聖の瞳に射竦められて、一瞬不安げな表情を恭平が匂わせたのに仁聖は胸が痛むような気がした。そっと視線を外して身を寄せると、戸惑うように伏せられた視線が自分の胸元に手を寄せながら震えるのに、仁聖は溜め息に似た声を耳元で落とす。
「本当は聞くのが怖いんだ…恭平は。聞く気が無いんじゃない…聞けないんだ。」
その言葉にビクッと震えた肩を見つめ、仁聖はその体勢のまま目を閉じた。自分の放った言葉が彼の本心を貫いていたのを理解しながら、その深い不安を拭い去る術がない自分に仁聖は表情に苦痛を滲ませる。
「例え、全部恭平が思うとおりだったとしても……。」
絞り出すような声の苦痛めいた響きに恭平は身を僅かに強張らせてキュと仁聖の胸元に置いた手を握る。震えるようなその肌を感じながら、仁聖は更に肌を寄せる仕草で声を落とす。
「俺には恭平が必要だよ……他の誰でもない…恭平が、必要なんだ…。」
ここにいて・そう小さく繋ぐ静かな声。恭平の体の強張りが微かに緩む気配を感じて、仁聖はそっと指先で髪を掬い上げ存在を知ってしまった傷痕にもう一度触れる。ほんの小さな知らなければ見ることも出来ない傷痕なのに、酷く神経質にそれを隠そうとしている。そんな恭平の気持ちを感じ取りながら、仁聖はそっと傷痕を指先でなぞり労わるように優しく口付ける。抱き寄せてそのまま頬に滑らせた唇の感触をじっと受け止めるその姿に、何度も同じ仕草で労わり癒そうというように触れていく。
「……恭平じゃないと駄目だよ……恭平だけ…。分かってる?」
その声に更に緩んだ肌の感触が甘く滲むのに気がついて仁聖は、ゆったりとした動きで更に身を寄せすっかり肌を合わせて抱き締める。戸惑うように視線を揺らしながらも腰を押し付けられ微かに熱を発しながら恭平が掠れた囁きを零した。
「…仁………聖…、向こう…行きたい……。」
「向こう……って?」
ふっと訝しげに上げた視線の先で変化を見せる表情が漂う。その変化にかすかに仁聖は微笑みながら執拗なほどにキスを繰り返し、ゆっくりと下肢に挟み込んだ膝を揺り動かす。ゆっくりと下肢で刺激される感触に耐え切れないと言うように恭平の頬が薔薇色に染まる。瞳が潤んでいくのを見つめ、仁聖もその声にならない強請る視線に促された様に体を動かしていた。
抱きかかえて運ぶ合間にも何度もキスをねだる仕草で、恭平の手が仁聖の服を焦るように脱がせていく。ベットに乱暴にも感じる勢いで縺れ合う様にして倒れこみ、競いあうように互いの服を剥ぎ取りながら肌に触れる。
「仁聖、早く…。」
そんな風にねだる声をあげる恭平の危うい心に、仁聖は何度もキスと愛撫を繰り返しながら片足を肩に乗せた。硬くそそりたつ肉茎を押し当てられ、微かな緊張を滲ませる恭平の顔が艶やかで愛しい。貫かれた後の切れ切れの喘ぎ声で何度も何度も仁聖の名前を繰り返し、愛の言葉を囁く甘さに全身が満たされていく。グイと奥を貫かれながら抱きしめられる腕に、恭平の手が更に引き寄せるように絡み付いてくる。
「仁聖っ…も……っと…!」
激しく熱をねだる掠れる声に仁聖は、その細い腰を掬い上げるようにして深く肉茎を捩じ込む。激しく貫かれ、甘く意識が混濁するような歓喜の行為の後。クタリと気を失うように眠りに落ちた恭平の体を抱きしめたまま、仁聖はそっとその表情を見つめる。浅い眠りの中でまだ何処か憂いに満ちた表情を浮かべる恭平が時折、さいなむ夢に眉を寄せる気配を漂わせて苦しげに息をつく。それに気がついた仁聖は、その体をしっかりと抱き寄せ腕の中に包み込む。そうしながら仁聖は闇の中で、面と向かってはまだ伝える事の出来ない甘い言葉を何度も何度も繰り返し、そっと恭平に囁きかけていた。
※※※
リビングにいる恭平は、昨夜の行為のせいだけではなく何処かまだ少し精神的にも疲れた気だるそうな表情を浮かべていた。そんな恭平の様子を気遣いながら、ドアチャイムの音に仁聖は視線を上げた。
何気なくインターフォンをとった恭平が微かに緊張した気配を匂わせて眉を顰めるが、何も言葉を返すでもなくふらつきながらドアの方へと足を向ける。暫しの会話の気配の後足音と一緒にリビングに戻った恭平の背後に続く慶太郎の姿に、仁聖は僅かに眉を上げて内心で小さな溜め息をついた。
「…座ってろ…、コーヒーを入れるから。」
静かに小さく言う声に従う慶太郎の姿に視線を向けると、見つめ返す視線が微かに緊張して棘のある気配を匂わせる。恭平の目の前での口撃の応酬はご法度になったものの、視線だけはどうしようもないという風に思わず視線が険悪な気配を含む。
「仁聖………入り浸ってるのか?お前。」
「お前には関係ないね。」
思わず口にした小さな声をそれ以上続けないように、仁聖が立ち上がりキッチンに身を滑らせた。そこに微かな溜め息の音をさせる恭平の姿に気がついて、手元に指を伸ばし仁聖が労わるような柔らかい声を上げる。
「恭平、俺が入れるよ?」
「……そうか?……悪いな。頼む。」
「大丈夫?」
問い掛ける声に恭平が意味が分からないと言いたげな視線を浮かばせて仁聖を見つめる。それに仁聖は微かに危惧を感じながら恭平の様子を伺う。表面を取り繕うことに普段長けている分、今の恭平は酷く無防備で危うい状態にある気がした。
彼自身気がついていない様子だけれど、今までと違うことがその身に起きすぎていて許容しきれないでいる。それに対して自分は普段と変わらない。そう思いこもうとしているような気がしてならない。その意図をはかるかのように見つめる仁聖にふと恭平の視線が不安に揺らいだのが分かった。瞬間、彼はハッとその表情を押し隠すように視線を翻してキッチンから身を滑り出し、仁聖はそれが何を示しているのかを理解する。
普段と変わらないと思ってるんじゃない…普段と変わらないはずだって自分でも信じたいだけなんだね…。そう信じないと支えられなくなってるんだ……。
その思いに今直ぐその体を抱きしめたい想いに駆られる。不安で揺らぎ何もかもが怖くて仕方がないはずのその背中を見つめながら仁聖は、慶太郎が早く帰って二人きりになれるように。早くその不安で折れそうな心を抱きとめて上げられるようにと内心で祈っていた。
「……久しぶりだな?…それで?今日はどうした?」
カチャと音を立ててマグカップに入れたコーヒーを置いた仁聖が無造作に恭平の隣に身を滑らせた。それに気が付きながら、世間話のように会話をしていた慶太郎の視線がふっと揺れる。その瞳にある何かを問いたい気持ちに別な感情を含んだ視線に気がついた仁聖は、その感情が何処かで見たことがあると眉を潜めた。
「…聞かせて欲しいんです、兄さん。」
躊躇いがちな声に恭平が微かに訝しげな表情を浮かべた。マグカップをおいた慶太郎がゆっくりと仁聖を見やり、わざと彼がいる状況でそれを問おうとしている。それが分かって仁聖はその感情が、≪優越感≫なのだと気がつく。
以前自分が慶太郎に対してに感じようとした感情とある種同じ感情。ただし仁聖には入り込めない優越感を感じさせられるもの、それが何か分かった瞬間、それは胸の奥に重い不安を感じさせていた。遮るべきなのか逡巡した隙を縫うように言葉が交わされる。
「……何を?慶太郎。」
「理由です。兄さんが……断り続ける理由。」
「……最初に言われた時…断っただろう?…今更…理由が必要か?」
ふと恭平の表情が微かに見慣れない変化をにおわせるのを見やりながら、慶太郎は緊張しながらも言葉を繋ぐ。
「…どうしてですか?確かに養子って言う形になるでしょうけど、兄さんが長男として宮内の籍に入るのには何も問題はないでしょう?兄さんは父さんの子供なんだから。」
初めて聴いた言葉に仁聖が横で目を丸くするのを、恭平は視界の端に捕らえていた。
不意に持ちかけられた宮内家への養子縁組。
自分を認知する、そして宮内の人間になって欲しいと告げたのは、目の前の異母弟が口火だった。もしその時に恭平がその話を了承していたとしたらその後、もっと込み入った内容まで進んだのだろう。しかし、実際にはこの話で直接恭平が実父と話した訳でもないのだ。何しろ恭平自身が宮内恭慶と会うこと自体を拒否しているのだから。
「…兄さんには才能がある…そう父が話してました、もう一度道場に通えばって。…だから、今度は家族としてもう一度…。」
「慶太郎……。…俺は……。」
「兄さんが一人で頑張ってきたのはわかってます。でも…宮内の子になっても構わないでしょう?」
一瞬、仁聖の目の前ですぅと恭平の表情が凍りついていく。
縋る様な強請る様な慶太郎の懇願に近い声。それが宮内の子供として長男として厳格に、同時に大切に育てられてきた育ちのよさを感じさせたと思った。瞬間、心の中に亀裂が走った感覚がして恭平の感情が瞬時に煮え滾ったままの状態で氷結した様な気がした。
「兄さん…?」
微かな戸惑う視線にただ純粋な思いを見つけて、自虐的で皮肉な歪む笑みがその唇に浮かぶ。
「……理由が知りたいんだな?なら話してやる。」
それは普段の恭平とは全く違う、冷えた憎悪に満ちた突き放す声音だった。
不意に落ちたその声に傍にいる二人が、それぞれに戸惑いの感情を浮かべて自分を見るのに気が付いている。それでも弾け始めた感情に歯止めが利かなくなっている自分に信弥は気がついていた。
過去の敵意に満ちた狂気を孕む残滓を持ち続けた自分。
三年前の事態の変化ですら自分で割り切って受け入れるのに相当な苦労を重ねていたのに、半年前につき付けられた宮内家への養子縁組の話。今更のように墓前で出くわした父の姿。何より今の自分には愛情を孕んで感情の箍を外すような出来事が重なり、自制が利かなくなっているのが分かる。その恭平の感情の揺れを表情で汲み取ったように、不意に仁聖が顔を強張らせた。
「恭平っ!!」
「っ…俺は宮内が嫌いだ。宮内の存在全部、憎んでる。」
仁聖の制止の声すらも押しのけて刺すようなその声が弾け飛んだ次の瞬間、不意に立ち上がったのは誰でもなく恭平の横に座っていた仁聖だった。
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