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第六章
49.
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十年も前に一度まだ幼い仁聖と手を繋いで歩いた道を思い出しながら、同時にもしもの時の為に幼馴染でクラスメイトでもある真希にマンションの場所を確認していた。状況的にはそれが最善の方法で、結果として記憶どおりの場所に建つマンションの一室の前に辿り着く。そのドアの前で恭平は躊躇いがちに表札の≪MINAKAWA≫という文字を眺めた。
以前来た記憶は既に朧気で室内の状況までは記憶にない。しかし具合が悪くて起きられないのか、チャイムを押しても反応がないのに溜め息混じりにドアノブを握る。予想に反してすんなりカチャンと音を立てて開いたドアに一瞬不用心だなと思いながら、その先に見慣れた仁聖の靴を見つけて恭平は小さく息をついた。
「仁聖、入るぞ?!」
中に大きな声をかけて足を踏み入れるが、シンと静まり返った屋内には人の気配もない。何だか家捜しのようだなと内心呟きながら恭平は、仕方なしに順に一室のドアを開き気遣わしげに覗き込む。
整頓されたカメラやパネルの置かれた一室。
洗面所らしきドア。
リビングの中もまるで長い間住人が居ないかのようにひっそりと静まり返って生活らしさが全く感じられない。それに気がつき恭平は訝しげに眉を顰める。そして、リビングから繋がるドアに手をあけて開いた瞬間、視界の変化に恭平は一瞬何を見ているのかが理解できずに立ち止まった。
ドアの先にはまるで引越し前か後かというように、ただフローリングだけが広がっている。視界の先にポツンとクローゼットがあって、その前に見慣れたスポーツバックが無造作に投げ出されていた。少し開いたクローゼットからは見慣れた高校の制服とその他に何枚かの衣類がハンガーにかかって見える。机も椅子もなく壁にかかる物も何もなく、まるでその部屋だけ全て荷物を何処かに移してしまったような空虚さが漂っていた。リビングやその他の室内には少なからず期間はあいていても人が住んでいるという気配があったのに、その気配すらない情景に驚きながら室内を見回す。ふと窓際に向けた視線の先に、壁に押し付けられる様に置かれたベットが目に入って信弥は躊躇いがちに足を向ける。
歩み寄ったベットの中にまるで傷ついた動物が身をかばいまるくなっているようにして毛布に包まっている。そんな姿を見つけた瞬間、酷く切ない気分を感じながら恭平は膝をついてその額に手を触れた。その指先の感触にもぞと身動きした仁聖が、ボンヤリとした視線で陽射しの中に潤んだ視線を上げる。
「……れ?……きょうへ…だ?…、ゆめ?」
「酷い熱だな、何時から熱が出た?病院は?」
その声に潤んだ瞳を向けながら仁聖が力なく首を振る。
「きのう・ねる…あたりから…おかしいなって…。びょういん…ってない…いくの…しんどくて…。」
「そうか。少し動けるか?車持ってきてるから、病院に行こうな?」
そう言いながら優しく抱き起こす指先に促されてズルズルと身を起こす仁聖の体を抱きかかえる。酷く熱い肌は普段とはまるっきり別物のようで、そのボンヤリと熱で浮かされた顔を覗き込む。
「クローゼット勝手に開けるぞ?着替え取るから。」
「…うん……、ごめん…きょうへい…のど・かわいたかも…。」
「分かった…冷蔵庫も開けるけど構わないな?」
返事も出来ずにボンヤリとする仁聖を気遣いながら、一端リビングに足を向けた恭平は殆ど使用の形跡のないキッチンに足を踏み入れる。そこに住んでいれば当然あるはずの生活感が、ここには皆無だ。まるでモデルルームみたいだと一瞬心の中で呟きながら冷蔵庫を開けた恭平は、もう一度驚いた様に眉を顰める。まだ型も新しいと思える冷蔵庫の中には物らしいものが入っていない。ただ住んでいるという形だけを装った空虚さがそこにはあって、恭平は驚くと同時にまるで自分が傷ついたような気分で室内を見渡す。
視界に映る全ては仁聖の叔父の住まいであって、そこに仁聖の存在の一つも感じない。それが何を意味しているのかを考えるのは恐ろしいと同時に悲しいことのような気がする。
まだ何処となく夢見ごこちな潤んだ瞳をした仁聖が辛そうな息をつきながら、ミネラルウォーターのペットボトルを片手に戻った恭平に視線を向ける。
「ごめん…、きょうへい……おれ。」
「何も謝ることない。少し飲んだら着替えて病院にいこうな?」
優しくかけられたその声に仁聖は、まるで昔迷子になった時と同じく不安そうな気配を漂わせて子供のように素直に頷いていた。
※※※
真希からの電話で予め聞いていた若瀬クリニックに、抱きかかえるようにして仁聖を連れて行き診察を受けさせる。余りにも簡単な簡易キットでできる検査で陽性反応が出て『インフルエンザですね』と若いほうの医者から診断を受けながら。熱のせいでボンヤリと自分にもたれかかる仁聖の姿に恭平は溜め息をついて、その先の対応を診察した医師と傍に立つ看護師に問いかけていた。
診察の後処方された薬を受け取り、その場で口に含ませるとカプセルの異物感に少しだけ眉を顰めながら仁聖は大人しくそれを飲み込む。その後促して車に乗せても殆ど言葉を出せないでいる姿に、恭平は思い切ったようにキーを回してエンジンをかけていた。
※※※
「…仁聖、ついたぞ?動けるか?」
揺り起こされてぼんやりと瞳を開いた仁聖は、既にエンジンを切って外に回り助手席のドアを開けて自分を覗き込む恭平の姿に目を細める。熱のせいでまるで視界は万華鏡の中のようにユラユラと揺れていて、自分の身の置き場もよく分からない感覚の中でふっと頬に触れる手に気がつく。
「……きょうへい…、ありがと。…めいわくかけてごめん…あとは、ねてるから…おれ。」
ふとその視線が周囲の情景に首を傾げる。見知った場所ではあるが自分のマンションではない外壁にぼんやりとした意識を向けて、ドアの横に立って覗き込む恭平が見慣れた自分のバックを肩にかけているのが見えた。
「…きょうへい?どして………?」
その問いにただふっと静かに微笑んで恭平の手が、ひんやりとした感触で頬を撫でる。
「…降りれるか?早く帰って横になろうな?」
労わるような言葉に促されて抱きかかえられるようにして車から降りると、当たり前のように恭平の手が自分の手をとって歩きなれたエントランスに向かう。促されるままに何も考えることが出来ず家のドアをくぐっても、まだ夢の中のような意識で仁聖はその手の滑らかな感触を見下ろしていた。
甘い恭平の香りのする夜具に促されるままに着替えさせられ押し込まれて仁聖は、自分を覗き込む恭平の気遣う表情に戸惑うような色を浮かべた視線を向ける。そっと額に触れる恭平の手が心地よくてうっとりとした表情を浮かばせながら、躊躇いがちに声を零す。
「…おれ、ココでねていいの?きょうへいはどこで…ねるの?」
「何言ってるんだ、ここで寝ないで何処で寝るんだ?」
優しい声が笑いながらそっとそう言い思い出したように踵を返す。やがて何処かから持ってきた冷却シートをベットの端に腰をかけた恭平のしなやかな指が、額にそっと張るのをボンヤリと仁聖は目で追う。
「…熱早く下がるといいな?何か飲みたいか?」
「ううん…。」
そう口にしながら思わず枕元に座る細い腰に手を伸ばすと、苦笑を浮かべながら抱きつく。そんな仁聖の頭をフワリと優しい手つきで撫でる。直に肌の感触を感じながら仁聖は、奇妙に泣きたいような気持ちになってその肌に顔を埋めた。
「どうした?辛いか?」
自分を気遣う柔らかく穏やかな声に微かに体が震える。仁聖は否定のために頭を振るが、言葉にならない感情に涙が溢れてくるのを感じる。それに気がついたように、ふっと恭平が少し腰を滑らせてベットの上に深く腰掛けると仁聖の体を子供をあやす様に腿の上に抱え込む。戸惑いながらも促されるままになる仁聖の頭を優しく撫でながら、恭平がそっと柔らかい言葉を溢した。
「…心細いか?大丈夫…暫くこうしているから、少し寝ろ。」
労わる様な声に喉の奥に何かが張り付くような感じがして仁聖は、涙が溢れ落ちるのを隠すように体に頬を押し付ける。何も言わずただ優しく頭を撫でる指先に震え溢れ出る涙に戸惑う仁聖は、その理由に気がついて小さく笑う。
「どうした?」
「…おれ…、こんなふうに……してもらったの…、両親以外でははじめてだ。」
幼い頃の両親の記憶は既に朧気で、ハッキリと記憶に残っているのは何時もあのひっそりとした家で一人で震えて丸くなっている自分の姿だけだ。その事に気が付いているのかそれでも何も言わないまま恭平は、ゆっくりと視線を落とし静かにその肩を包むように毛布を引き寄せる。
「寒くないか?」
「うん…、………だい…じょぶ。」
膝の上でトロトロと眠りにおちていく姿を見つめながら、恭平は自分が目にした情景を噛み締めるように思い浮かべる。
以前物事に殆ど執着をみせなかった仁聖の日常の本質。
それはあの空虚な空間とあの姿にある様な気がする。誰にも頼らず、空虚な空間で何も願おうとするわけでもない。あの空間で孤独に過ごしていた腕の中の恋人の姿は、震えながら自分にしがみついて温かさを求めているのに胸が痛くなる。「傍にいたい」といった言葉は本当は「傍にいてほしい」という言葉だったのだと、恭平は膝の上で眠りに落ちた仁聖の姿を見降ろしながら眼を細めた。いてほしいと願う言葉をそのまま口にすることもできなかったのは、そう口にすることすらも実は怖いのかもしれない。ふっとそう思いながら恭平は、もう一度優しくその柔らかい髪に指を絡めるように梳いていた。
※※※
特効薬というわけではないのだろうが、早めに診察を受けて処方された薬が効いたのか熱は夜半には下がり始めていた。
翌日の陽射しが昇るあたりはまだ促されるままに着替えや水分を取っていた仁聖も、土曜の夕方には大分何時もの元気を取り戻していた。ベットサイドにことんと音たててトレイを置いた恭平が、覗き込むようにして額に触れ脇に挟んだ体温計を引っ張り出すのを仁聖は少し恥ずかしそうに眺める。体温計を見下ろして少し微笑みながら恭平がその表情に気がついたように、汗ばんだ額からシートを剥がし柔らかい声を落とす。
「お粥なら少し食べれるか?果物が良ければ林檎ならあるけど、どうする?」
「…おかゆ食べる。」
まだ少しダルそうな仕草で体を起こす仁聖の体を支え寄りかかれるように枕を当ててやりながら恭平は、甘えるような視線を向ける仁聖に気がつく。苦笑を浮かべながら恭平は、その顔を覗き込みベットに腰掛ける。その姿に嬉しそうに肩に凭れ掛かった仁聖が気遣わしげな表情を浮かべた。
「…ごめん、恭平。きょう……誕生日だったのに…。」
視線を下げ俯きながら色々考えてたんだよと呟く声を横に眺め、恭平は小さく微笑みながら慣れた手つきでレンゲの上の一匙にふっと息を吹き掛ける。ほらと優しい声に促されてそれを口に入れる仁聖を労わるように、恭平の温かな視線がその様子を見守る。
「二人で過ごせている事は変わりない。……違うか?」
少し驚いたように仁聖の視線があがってマジマジと恭平の顔を覗き込んでくるのに、視線を向けるでもなく恭平は食器を動かす。数日前どうしても恭平の欲しいものがわからないと悩んで問いかけた時に答えてくれた言葉がふっと脳裏に重なる。
物じゃなく…一緒に過ごせる時間が欲しい…
そんな心まで痺れるような優しい甘い願いに、心が満たされていくようなこそばゆさがある。暫く無言のまま促されるままに食事を勧めていたが、ふと恭平がポツリと言葉を零した。
「……自分の誕生日に誰かと過ごすなんて…何年ぶりだろうな。…お前と…一緒に過ごせて嬉しいよ。」
何気ないその言葉に一瞬目の前が真っ白になったような気がして仁聖は息を飲んで頬を染める。何をした訳でもないのにただ一緒にいることを嬉しいと他意もなく口にするその姿は、酷く綺麗でうっとりするほど甘く和らいで見えた。思わず仁聖は下がった筈の熱が、一度に上がるような感覚を感じた。ドキドキと脈打つ仁聖の心臓の音に気がついたように、横に座っていた恭平がふと視線を向けて気遣わしげに頬に手を触れてくる。
「大丈夫か?熱っぽい顔して。」
「へ…へーき…だよ。も…ごちそう様。」
「…そうか?じゃ、着替えるか?汗かいてるだろ?」
促され頷きながら身を動かした仁聖が、ふと気がついたように上目遣いに恭平の顔を見上げた。その視線が躊躇いがちに恭平に問いかける。
「きょうへぇ…シャワーとかだめ?」
「駄目だ。まだ熱があるんだぞ?体拭いてやるから。」
何気なく腕をまくりながらタオルを準備する恭平の勢いに気圧されたように素直に頷いて、仁聖は汗ばんだシャツを引き剥がすように脱いでいた。
以前来た記憶は既に朧気で室内の状況までは記憶にない。しかし具合が悪くて起きられないのか、チャイムを押しても反応がないのに溜め息混じりにドアノブを握る。予想に反してすんなりカチャンと音を立てて開いたドアに一瞬不用心だなと思いながら、その先に見慣れた仁聖の靴を見つけて恭平は小さく息をついた。
「仁聖、入るぞ?!」
中に大きな声をかけて足を踏み入れるが、シンと静まり返った屋内には人の気配もない。何だか家捜しのようだなと内心呟きながら恭平は、仕方なしに順に一室のドアを開き気遣わしげに覗き込む。
整頓されたカメラやパネルの置かれた一室。
洗面所らしきドア。
リビングの中もまるで長い間住人が居ないかのようにひっそりと静まり返って生活らしさが全く感じられない。それに気がつき恭平は訝しげに眉を顰める。そして、リビングから繋がるドアに手をあけて開いた瞬間、視界の変化に恭平は一瞬何を見ているのかが理解できずに立ち止まった。
ドアの先にはまるで引越し前か後かというように、ただフローリングだけが広がっている。視界の先にポツンとクローゼットがあって、その前に見慣れたスポーツバックが無造作に投げ出されていた。少し開いたクローゼットからは見慣れた高校の制服とその他に何枚かの衣類がハンガーにかかって見える。机も椅子もなく壁にかかる物も何もなく、まるでその部屋だけ全て荷物を何処かに移してしまったような空虚さが漂っていた。リビングやその他の室内には少なからず期間はあいていても人が住んでいるという気配があったのに、その気配すらない情景に驚きながら室内を見回す。ふと窓際に向けた視線の先に、壁に押し付けられる様に置かれたベットが目に入って信弥は躊躇いがちに足を向ける。
歩み寄ったベットの中にまるで傷ついた動物が身をかばいまるくなっているようにして毛布に包まっている。そんな姿を見つけた瞬間、酷く切ない気分を感じながら恭平は膝をついてその額に手を触れた。その指先の感触にもぞと身動きした仁聖が、ボンヤリとした視線で陽射しの中に潤んだ視線を上げる。
「……れ?……きょうへ…だ?…、ゆめ?」
「酷い熱だな、何時から熱が出た?病院は?」
その声に潤んだ瞳を向けながら仁聖が力なく首を振る。
「きのう・ねる…あたりから…おかしいなって…。びょういん…ってない…いくの…しんどくて…。」
「そうか。少し動けるか?車持ってきてるから、病院に行こうな?」
そう言いながら優しく抱き起こす指先に促されてズルズルと身を起こす仁聖の体を抱きかかえる。酷く熱い肌は普段とはまるっきり別物のようで、そのボンヤリと熱で浮かされた顔を覗き込む。
「クローゼット勝手に開けるぞ?着替え取るから。」
「…うん……、ごめん…きょうへい…のど・かわいたかも…。」
「分かった…冷蔵庫も開けるけど構わないな?」
返事も出来ずにボンヤリとする仁聖を気遣いながら、一端リビングに足を向けた恭平は殆ど使用の形跡のないキッチンに足を踏み入れる。そこに住んでいれば当然あるはずの生活感が、ここには皆無だ。まるでモデルルームみたいだと一瞬心の中で呟きながら冷蔵庫を開けた恭平は、もう一度驚いた様に眉を顰める。まだ型も新しいと思える冷蔵庫の中には物らしいものが入っていない。ただ住んでいるという形だけを装った空虚さがそこにはあって、恭平は驚くと同時にまるで自分が傷ついたような気分で室内を見渡す。
視界に映る全ては仁聖の叔父の住まいであって、そこに仁聖の存在の一つも感じない。それが何を意味しているのかを考えるのは恐ろしいと同時に悲しいことのような気がする。
まだ何処となく夢見ごこちな潤んだ瞳をした仁聖が辛そうな息をつきながら、ミネラルウォーターのペットボトルを片手に戻った恭平に視線を向ける。
「ごめん…、きょうへい……おれ。」
「何も謝ることない。少し飲んだら着替えて病院にいこうな?」
優しくかけられたその声に仁聖は、まるで昔迷子になった時と同じく不安そうな気配を漂わせて子供のように素直に頷いていた。
※※※
真希からの電話で予め聞いていた若瀬クリニックに、抱きかかえるようにして仁聖を連れて行き診察を受けさせる。余りにも簡単な簡易キットでできる検査で陽性反応が出て『インフルエンザですね』と若いほうの医者から診断を受けながら。熱のせいでボンヤリと自分にもたれかかる仁聖の姿に恭平は溜め息をついて、その先の対応を診察した医師と傍に立つ看護師に問いかけていた。
診察の後処方された薬を受け取り、その場で口に含ませるとカプセルの異物感に少しだけ眉を顰めながら仁聖は大人しくそれを飲み込む。その後促して車に乗せても殆ど言葉を出せないでいる姿に、恭平は思い切ったようにキーを回してエンジンをかけていた。
※※※
「…仁聖、ついたぞ?動けるか?」
揺り起こされてぼんやりと瞳を開いた仁聖は、既にエンジンを切って外に回り助手席のドアを開けて自分を覗き込む恭平の姿に目を細める。熱のせいでまるで視界は万華鏡の中のようにユラユラと揺れていて、自分の身の置き場もよく分からない感覚の中でふっと頬に触れる手に気がつく。
「……きょうへい…、ありがと。…めいわくかけてごめん…あとは、ねてるから…おれ。」
ふとその視線が周囲の情景に首を傾げる。見知った場所ではあるが自分のマンションではない外壁にぼんやりとした意識を向けて、ドアの横に立って覗き込む恭平が見慣れた自分のバックを肩にかけているのが見えた。
「…きょうへい?どして………?」
その問いにただふっと静かに微笑んで恭平の手が、ひんやりとした感触で頬を撫でる。
「…降りれるか?早く帰って横になろうな?」
労わるような言葉に促されて抱きかかえられるようにして車から降りると、当たり前のように恭平の手が自分の手をとって歩きなれたエントランスに向かう。促されるままに何も考えることが出来ず家のドアをくぐっても、まだ夢の中のような意識で仁聖はその手の滑らかな感触を見下ろしていた。
甘い恭平の香りのする夜具に促されるままに着替えさせられ押し込まれて仁聖は、自分を覗き込む恭平の気遣う表情に戸惑うような色を浮かべた視線を向ける。そっと額に触れる恭平の手が心地よくてうっとりとした表情を浮かばせながら、躊躇いがちに声を零す。
「…おれ、ココでねていいの?きょうへいはどこで…ねるの?」
「何言ってるんだ、ここで寝ないで何処で寝るんだ?」
優しい声が笑いながらそっとそう言い思い出したように踵を返す。やがて何処かから持ってきた冷却シートをベットの端に腰をかけた恭平のしなやかな指が、額にそっと張るのをボンヤリと仁聖は目で追う。
「…熱早く下がるといいな?何か飲みたいか?」
「ううん…。」
そう口にしながら思わず枕元に座る細い腰に手を伸ばすと、苦笑を浮かべながら抱きつく。そんな仁聖の頭をフワリと優しい手つきで撫でる。直に肌の感触を感じながら仁聖は、奇妙に泣きたいような気持ちになってその肌に顔を埋めた。
「どうした?辛いか?」
自分を気遣う柔らかく穏やかな声に微かに体が震える。仁聖は否定のために頭を振るが、言葉にならない感情に涙が溢れてくるのを感じる。それに気がついたように、ふっと恭平が少し腰を滑らせてベットの上に深く腰掛けると仁聖の体を子供をあやす様に腿の上に抱え込む。戸惑いながらも促されるままになる仁聖の頭を優しく撫でながら、恭平がそっと柔らかい言葉を溢した。
「…心細いか?大丈夫…暫くこうしているから、少し寝ろ。」
労わる様な声に喉の奥に何かが張り付くような感じがして仁聖は、涙が溢れ落ちるのを隠すように体に頬を押し付ける。何も言わずただ優しく頭を撫でる指先に震え溢れ出る涙に戸惑う仁聖は、その理由に気がついて小さく笑う。
「どうした?」
「…おれ…、こんなふうに……してもらったの…、両親以外でははじめてだ。」
幼い頃の両親の記憶は既に朧気で、ハッキリと記憶に残っているのは何時もあのひっそりとした家で一人で震えて丸くなっている自分の姿だけだ。その事に気が付いているのかそれでも何も言わないまま恭平は、ゆっくりと視線を落とし静かにその肩を包むように毛布を引き寄せる。
「寒くないか?」
「うん…、………だい…じょぶ。」
膝の上でトロトロと眠りにおちていく姿を見つめながら、恭平は自分が目にした情景を噛み締めるように思い浮かべる。
以前物事に殆ど執着をみせなかった仁聖の日常の本質。
それはあの空虚な空間とあの姿にある様な気がする。誰にも頼らず、空虚な空間で何も願おうとするわけでもない。あの空間で孤独に過ごしていた腕の中の恋人の姿は、震えながら自分にしがみついて温かさを求めているのに胸が痛くなる。「傍にいたい」といった言葉は本当は「傍にいてほしい」という言葉だったのだと、恭平は膝の上で眠りに落ちた仁聖の姿を見降ろしながら眼を細めた。いてほしいと願う言葉をそのまま口にすることもできなかったのは、そう口にすることすらも実は怖いのかもしれない。ふっとそう思いながら恭平は、もう一度優しくその柔らかい髪に指を絡めるように梳いていた。
※※※
特効薬というわけではないのだろうが、早めに診察を受けて処方された薬が効いたのか熱は夜半には下がり始めていた。
翌日の陽射しが昇るあたりはまだ促されるままに着替えや水分を取っていた仁聖も、土曜の夕方には大分何時もの元気を取り戻していた。ベットサイドにことんと音たててトレイを置いた恭平が、覗き込むようにして額に触れ脇に挟んだ体温計を引っ張り出すのを仁聖は少し恥ずかしそうに眺める。体温計を見下ろして少し微笑みながら恭平がその表情に気がついたように、汗ばんだ額からシートを剥がし柔らかい声を落とす。
「お粥なら少し食べれるか?果物が良ければ林檎ならあるけど、どうする?」
「…おかゆ食べる。」
まだ少しダルそうな仕草で体を起こす仁聖の体を支え寄りかかれるように枕を当ててやりながら恭平は、甘えるような視線を向ける仁聖に気がつく。苦笑を浮かべながら恭平は、その顔を覗き込みベットに腰掛ける。その姿に嬉しそうに肩に凭れ掛かった仁聖が気遣わしげな表情を浮かべた。
「…ごめん、恭平。きょう……誕生日だったのに…。」
視線を下げ俯きながら色々考えてたんだよと呟く声を横に眺め、恭平は小さく微笑みながら慣れた手つきでレンゲの上の一匙にふっと息を吹き掛ける。ほらと優しい声に促されてそれを口に入れる仁聖を労わるように、恭平の温かな視線がその様子を見守る。
「二人で過ごせている事は変わりない。……違うか?」
少し驚いたように仁聖の視線があがってマジマジと恭平の顔を覗き込んでくるのに、視線を向けるでもなく恭平は食器を動かす。数日前どうしても恭平の欲しいものがわからないと悩んで問いかけた時に答えてくれた言葉がふっと脳裏に重なる。
物じゃなく…一緒に過ごせる時間が欲しい…
そんな心まで痺れるような優しい甘い願いに、心が満たされていくようなこそばゆさがある。暫く無言のまま促されるままに食事を勧めていたが、ふと恭平がポツリと言葉を零した。
「……自分の誕生日に誰かと過ごすなんて…何年ぶりだろうな。…お前と…一緒に過ごせて嬉しいよ。」
何気ないその言葉に一瞬目の前が真っ白になったような気がして仁聖は息を飲んで頬を染める。何をした訳でもないのにただ一緒にいることを嬉しいと他意もなく口にするその姿は、酷く綺麗でうっとりするほど甘く和らいで見えた。思わず仁聖は下がった筈の熱が、一度に上がるような感覚を感じた。ドキドキと脈打つ仁聖の心臓の音に気がついたように、横に座っていた恭平がふと視線を向けて気遣わしげに頬に手を触れてくる。
「大丈夫か?熱っぽい顔して。」
「へ…へーき…だよ。も…ごちそう様。」
「…そうか?じゃ、着替えるか?汗かいてるだろ?」
促され頷きながら身を動かした仁聖が、ふと気がついたように上目遣いに恭平の顔を見上げた。その視線が躊躇いがちに恭平に問いかける。
「きょうへぇ…シャワーとかだめ?」
「駄目だ。まだ熱があるんだぞ?体拭いてやるから。」
何気なく腕をまくりながらタオルを準備する恭平の勢いに気圧されたように素直に頷いて、仁聖は汗ばんだシャツを引き剥がすように脱いでいた。
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