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第四章
28.
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自分が置かれた状況が飲み込めない。
恭平は混乱した世界で自分を押さえ込み圧し掛かる異母弟が、まるで見知らぬ人間のように見えた。混乱した感覚で関節ごと押さえ込まれた右腕がギシギシと悲鳴を上げる。苦痛に顔が歪むのを感じると同時に、引きちぎられた上着の中に相手の手が滑り込んだ瞬間肌が悪寒に粟立つ。それは経験した事のない吐き気を催すほどの嫌悪感で肌が凍り付く。
どうしてっ……どうしてこんな?!!
腰の辺りにその手が滑った瞬間、その悪寒はハッキリと嫌悪の形に変わって身を包んでいた。首元に落ちる吐息ですら耐え切れない。不快な感触に抵抗するには一つしか考えられない恭平の体が、押さえ込まれたままの右腕を無視するように力一杯もがく。
「はな…せっ!!嫌だ!!」
「っ…大人しくしないと!本当に折れますよ!?」
思わぬほどの恭平抵抗の動作に、一瞬慶太郎の動きが怯む。同じものを幼い頃から学んでいるからこそ、恭平の動きが無我夢中の体を労らないものだと分かる。それを意にも返さずしっかりと押さえ込まれている右腕をギシと軋ませて、更に恭平が体を捩り逃れようとあいた腕で反対の慶太郎の肩を払う。その左腕をいなしながら、押さえ込んだ右腕が悲鳴を上げるのを無視してもがく姿に慶太郎は焦り始めていた。どう考えても肩の間接を動かせないよう技を決められて、体を包み込むように更に覆い被さろうとしているのだ。無謀としか思えない恭平の動作にたじろぎ、狼狽していく自分に気が付く。それなのに引き返す事もできないで、彼の腕をまだしっかりと押さえ込んだままの自分も慶太郎は同時に自覚していた。
「兄さん!ホントに折れる…っ。」
「だったらっ…離せっ!!今すぐ!」
激しく抗う動作に困惑しながらも慶太郎が再度きつく押さえ込もうとした瞬間、酷くくぐもった鈍いボクンという音が細い恭平の体の奥から振動のように響き渡った。
「ぐっっっ!!」
激痛に歪んだ恭平の顔に、慶太郎がたじろぎ押さえ込んでいた手が緩む。その瞬間、膝がその体を押しのけるように慶太郎の腹部を鈍く突き上げて、ソファーからその身を突き飛ばしていた。それほどの反動ではない行為に数歩退がった慶太郎は、驚愕の瞳で苦痛にわなわなと全身を震わせる姿を見下ろす。そこに恭平の力なく下がった右腕が微かに痙攣するかのようにヒクリと震え、その腕が普通の状態でない事が一目で分かった。
「に……さん…、う…腕が……。」
手を伸ばそうとしたその動作を、鋭利な刃物を思わせる視線が刺し貫く。血の気の引いたその陶器のような滑らかな肌を震わせて、右肩を庇う仕草を窺わせながらジリと恭平がソファーの上で後退さった。
「兄さん…手…手当てしないと…、その腕…。」
「さわ…るなっ!!」
きつく自分を寄せ付けようとしない悲鳴のような声に慶太郎の指が宙で止まる。触れさせもしない拒否の強い気配を全身から放つその姿は、鮮明な冴え冴えとした月の様に酷く遠い。野生動物のように、痛みと怒りに独り身を震わせている。
慶太郎は自分がした行為とそれに向けられた恭平の凄まじいほどの決意と行動に、混乱で脳裏が包み込まれるのを感じていた。慶太郎の視線の先で恭平は苦痛に息を詰め、必死に激痛に気が遠くなりかけている自分を引き起こそうと右肩を押さえる。
空気が凍り付いたような無言の時間。
それがどれだけ続いたのか分からないでいた二人の耳に、不意に玄関の鍵が開く音が他の世界の音のように響き渡った。
「ただいまぁ………恭平?」
リビングのドアを開いて明るい声を上げた仁聖の視線が、その場の光景に凍りつく。その視線はその場の状況よりも肩を押さえて蒼褪めた恭平に吸い寄せられるように迷わずに動いたかと思うと、真っ直ぐに足早にその体に駆け寄り彼の腕を見下ろす。
「恭平?!どうしたの?!それっ!!」
「何…で………、仁聖が…………。」
不意に姿を見せた幼馴染の姿に困惑する慶太郎を一瞬視線で捕らえながら、次の瞬間気が抜けたように震えを帯びた恭平の体が自分の腕の中に落ちた。仁聖はその感触を抱き止め、当惑の視線を落とす。蒼褪めて痛みに震える恭平の体に触れながら、腕の後に、恭平の服が引き裂かれている惨状を目にした。瞬間仁聖の表情に、鋭く驚愕と怒りが弾け飛ぶ。咄嗟に幼馴染を鋭い燃えるような視線で貫いた。
「慶太郎!!!お前何やってんだよ!!!」
振り返りながら叫んだその声を制するように、不意に腕の中の恭平が胸に額を擦り付ける。苦しげな吐息を付きながら弱く仁聖の名前を呼ぶ。やり場のない感情を飲み込みながら必死に冷静になろうとする仁聖の体が、僅かに震えるのを視界に入れながら何が起きているのか理解できない慶太郎が目の前の二人の姿を呆然と見つめていた。
「仁聖……車呼んで…くれ……、自分じゃ…どうしようもない……肩が…。」
「わ、分かった、すぐ呼ぶから。救急車のほうがいい?」
タクシーでいいと震えながら呟く姿を横に、仁聖は慌ててスマホで車を呼び着替えの服を準備する。慣れたように恭平の家の中を動き回る幼馴染の姿を、慶太郎は呆然としたまま見つめていた。不意に真正面から自分を見つめる青ざめた恭平の視線に気が付いて息を呑んだ。
「兄……さん…。」
「…話は今度ちゃんとする……、今日は…帰れ。慶太郎。」
「兄さん…僕は……。」
仁聖に支えられるようにして立ち上がった恭平の視線に気圧された様に慶太郎が黙り込む。感情を抑えきれないで身を微かに震わせて唇を噛んでいる仁聖を横に感じながら、恭平は痛みに霞む意識でもう一度「帰れ」とだけ小さく囁いていた。
※※※
帰宅した家の中には夏の仄かな熱気が静かにたちこめていた。
すっかり夜の闇の落ちた微かに人の気配を残したリビングの状態を無視して歩く仁聖に無言のまま恭平も従う。固定された肩の関節を庇う腕を吊った恭平の体を労るようにして、仁聖が寝室の中に促す。
「恭平…こっち着て。そのままじゃ横になれないでしょ?服脱がすから…。」
素直に従って傍に歩み寄った恭平の服をそっと脱がす手に視線を下げた恭平の表情が微かに歪む。その表情に僅かに戸惑うように仁聖は息を飲んで指を止めた。
「痛む?」
「いや…痛み止めも効いてるし大丈夫だ。」
スル…と自由になる肩から服を落とし腕を抜きながら、包帯で固定された肩に被せただけの服を引き下ろす。体を庇う仕草を含みながら、そっと仁聖は手を回してその細い肩を抱き締める。
「聞いていい…?何があったのか……。」
抱き締めながらそっと体勢を変えてベットに下ろす手を感じながら恭平はベットの端に腰を下ろした。そうして目の前に屈んで、真っ直ぐに自分を見つめる仁聖の瞳を見下ろす。その瞳には混乱した怒りと不安が綯い交ぜになったような光が揺れていて、一瞬言いよどむように恭平は唇を噛んだ。何故慶太郎があんなことに及んだのか、何故あんなことになったのか、恭平自身にも理由が本当は分からない。それを説明するのはとても難しいのだ。
「…俺の切り出し方が悪かったんだ……何て言ったらいいか分からなくて…ただ、あいつ知ってて…。」
恭平が躊躇いがちに呟いた言葉に、仁聖は眉を潜めた。
「知ってた…?何を。」
「お前だって事じゃなくて……ただ………。」
何と説明したらいいのか分からないと言いたげな表情に、微かな羞恥の気配が滲んで声が更に頼りなげに震える。恭平が何を言おうとするのか、仁聖は身を乗り出す。
「俺が…、その……男に……抱かれてるって……。」
躊躇いがちに口にした言葉に愕然と仁聖の目が見開かれ、息を呑むのが分かる。
「どうして…?」
「電話で……みたいだ………。それで……俺の切り出し方で…誘ってるのかって…。」
目の前で仁聖が固く唇を噛んだ。それを見て恭平は不安げな光を浮かべて、その表情を見つめる。自分の前で跪いて視線を伏せた仁聖の瞳が不意に揺れるのが見えて、恭平は戸惑いながらその瞳を覗き込む。
「…ごめん……俺の言い方が悪かったんだ…、仁聖…ごめん。」
その瞬間弾かれたように視線をあげた仁聖が、そのまま身を起こして自分を抱きしめ、労わるようにそっとベットに押し倒すのに恭平は目を丸くする。身を硬くしたまま抱きすくめられていると、自分に覆い被さった仁聖の栗色の髪が不意に耳元でサワと震えた。
「仁聖…ごめん…。」
その言葉に弾けたのは今にも泣き出しそうな仁聖の悲鳴のような声だった。
「頼む…からっ……謝んないでよっ…!!恭平が悪い事なんて一つもないじゃないかっ!!!」
不意に弾けた悲鳴のような声は泣き出しそうなのではなく、泣いているのだと気が付く。恭平は言葉を失って、その震える体の熱さを直に感じる。その体に重さをかけないように労る仕草で覆い被さり、肌に触れている熱には不快感がない。同じ熱さな筈なのに、触れる感覚に心地よさすら感じている自分がいるのだ。
なんで、そんなこと考えて…
不意に涙で揺れる瞳が蒼く仄かに輝きながら闇に浮かんだ。恭平が戸惑うような視線を向けたのを見下ろして、仁聖は震えるように息を呑む。
「仁聖…。」
「俺のせいじゃないか!電話の事も!話して欲しいって言ったのも全部俺じゃないか!」
弾ける様に迸らせた声の先で仁聖の表情がまるで自分が激しい苦痛を感じたように歪む。
「全部俺のせいじゃないか!!どうして恭平だけ傷つくんだよ!!そんなの俺…耐えらんないよ!!」
仁聖の悲鳴のような声に息を呑んで彼を見つめる恭平に懇願するような声を仁聖が絞り出す。そんな風に感情的になった仁聖を見たのは、何時ぶりだろうと心の中で呟く。
「俺が一緒にいるって言ったろ?!俺がガキだから?頼りないから?だから、慶太郎に一人で話したの?!」
「そんな事…ただ俺はお前を……。」
良かれと思ってした筈の行動の結果が、この様なのは事実でそれを憤っている仁聖の言葉に恭平は言葉を失う。鉢合わせする前に話しておいた方がいいと思ったが、それは恭平の勝手な判断でもあった。
「だったらどうして一人でそんな怪我してるの?俺がいたらそうならなかっただろ?」
「仁……せ……。」
「もう恭平だけが傷つくの、俺には耐えらんないよ!!どうして俺と一緒に背負ってくんないの!?」
指摘の言葉に息を呑んで恭平が目を見開く。その言葉に肩の痛みと同時に自分がされそうになった襲われる行為という事実を思い出した肌が嫌悪感に震えた。その仕草を見下ろしながら仁聖が微かに涙で揺れる目を細めた。
「一緒にいるって言ったのに信じてないから、一人で何でも被ろうとするんだろ?」
酷く熱を含んだ仁聖の真剣な視線に戸惑いながら言葉を失ったままの恭平に、まだ苦痛に歪んだような表情のまま声を落とす。
「どうしたら信じられる?俺は何もいらない、学校だって友達だって…全部捨ててもいい、全部捨てて恭平に俺の全部をあげていい。」
「そ、そんな事望んでないっ!」
激しい情念を浮かばせた懇願の声に、思わず身を浮かした恭平の表情が苦痛に歪む。それを目にして仁聖が何よりもそっと労るように、その体を夜具に押し付け動きを封じる。
「俺には何もない…何も欲しがった事も…何も執着した事も一度もなかった……。」
その言葉に恭平は驚いたように彼の顔を見上げる。言われて始めて、確かに今までの仁聖には執着心らしい言動を見せたことがないのに気がつく。玩具でもお菓子でも、何一つ失うことに興味が無さそうな違和感を滲ませる子供の彼。彼女から愛想をつかされたと笑って話す彼は、付き合っている女性にも執着がないように見えていた。
「でも、恭平だけは違う。」
「仁…聖…。」
「恭平は…特別なんだ……、誰にも渡せない……もう、絶対離せない……。」
そっと労る様に優しく唇を重ねてくる甘さに、不意に眩暈がする程の熱を感じて恭平は眉を寄せる。
唇も肌も、仁聖の与えてくる感覚が一つも嫌だと感じない。
その相手が仁聖だというだけで行為の意味が自分にとってまったく違うのだ。現実を突きつけられて恭平は、息を詰めて身を硬くする。探るような仁聖の舌の動きが、酷く心地いい。もっとと強請るように微かに熱を帯びた吐息が、自分の唇から溢れ落ちるのに頬が熱をもったように染まっていく。
「信じて…一緒にいるから……だからもう一人で傷つこうとしないで………。」
刹那的にも聞こえる仁聖の懇願の声に胸が詰まる。激しく疼く熱を生んで不安も何もかも包み込んでしまおうというように酷く甘く切ない気分で胸が一杯になる。恭平は眉を寄せて息を吐き出しながら、仁聖の顔をじっと見上げた。自分の中に沸き上がるそれが、どういう感情なのか気が付かされる。言葉にしてもいいと感じた意識が、不意に言葉になって口から溢れ落ちる。
「仁聖………、愛……してる。」
涙目の綺麗な瞳が見開かれ自分をまじまじと見つめたのに気が付いて恭平は、我に返ったように頬を真っ赤に紅潮させた。思わず視線をそむけた恭平に、狼狽したような仁聖が必死に追いすがる。
「……も…もう一回言って、恭平。お願い…。」
チュと音を立てて頬に口付けながら、耳元に懇願する仁聖の声に眉を寄せて顔を背ける。しかも、自覚した言葉のせいで体が放つ熱が、仁聖の肌に擦れて腰が痺れるような快感を生む。それに気がついた仁聖の指先がその先をなぞるのに、甘い声が唇から溢れる。恭平に体動かさないでと囁きかけながら覆い被さった仁聖の指が、柔らかく器用な仕草で恭平のボトムの縁を降ろす。自分の制止の声のあまりにも弱い響きに、羞恥心を煽られながら恭平が息を呑む。
「や、仁…せ…。」
「お願い…もう一回言って…、恭平。お願い……。」
スルスルと体をなぞる指に身を微かに震わせて、自分が甘い声を上げたのに恭平は眉を顰める。自分が受け入れたのが性行為ではなく仁聖自身なのだと、自分にも突きつけられ息が熱を帯びた。心だけでなく体も仁聖を求め始めているのが分かって、激しく肌が脈打つのを感じ躊躇いがちな声が溢れおちた。
「……愛し……てる………。」
闇に響く小さく囁きかけるその声に、仁聖は再び泣き出しそうに表情を歪ませた。仁聖は愛おしそうに恭平を抱き締めて、そっと口付けて全部に愛撫する。緩やかで穏やかな先程までの記憶の全てを拭うような甘い行為。撫でられ舐められて、微かに身を捩らせた恭平の表情が微かな苦痛に歪む。その微かに熱を帯びた体を夜具に縫い付けるように優しく押さえつけ、魅力的に背筋に官能を走らせる低く柔らかな甘い声が耳朶を擽った。
「恭平…動かないで……肩に響くでしょ?」
「…んっ……けど……っ。」
「全部してあげる……全部舐めて…溶かして……、俺を…あげるから……。」
全てを包み込むような掠れた優しく甘い囁きに、恭平は唇を噛んで身を強張らせる。それに気が付いた仁聖の指が、噛んだ唇が傷つく前にゆるりとそれを唇に差し入れる。口の中ですら、全てを曝け出させる様に仁聖の指が愛撫していく。
やがて耐え切れずに恭平が甘い嬌声を上げ始め、終にはその先を必死に強請る言葉を切れ切れの吐息の中で叫ぶ。陶然とした感覚の中で耳にしながら、その熱を放つ体に自分自身を打ち込む。甘く弾ける様な吐息の中でお互いが感極まるまで、傷を労りながら揺すりたてる。そうしながら全てを肌に感じ続けていた。
恭平は混乱した世界で自分を押さえ込み圧し掛かる異母弟が、まるで見知らぬ人間のように見えた。混乱した感覚で関節ごと押さえ込まれた右腕がギシギシと悲鳴を上げる。苦痛に顔が歪むのを感じると同時に、引きちぎられた上着の中に相手の手が滑り込んだ瞬間肌が悪寒に粟立つ。それは経験した事のない吐き気を催すほどの嫌悪感で肌が凍り付く。
どうしてっ……どうしてこんな?!!
腰の辺りにその手が滑った瞬間、その悪寒はハッキリと嫌悪の形に変わって身を包んでいた。首元に落ちる吐息ですら耐え切れない。不快な感触に抵抗するには一つしか考えられない恭平の体が、押さえ込まれたままの右腕を無視するように力一杯もがく。
「はな…せっ!!嫌だ!!」
「っ…大人しくしないと!本当に折れますよ!?」
思わぬほどの恭平抵抗の動作に、一瞬慶太郎の動きが怯む。同じものを幼い頃から学んでいるからこそ、恭平の動きが無我夢中の体を労らないものだと分かる。それを意にも返さずしっかりと押さえ込まれている右腕をギシと軋ませて、更に恭平が体を捩り逃れようとあいた腕で反対の慶太郎の肩を払う。その左腕をいなしながら、押さえ込んだ右腕が悲鳴を上げるのを無視してもがく姿に慶太郎は焦り始めていた。どう考えても肩の間接を動かせないよう技を決められて、体を包み込むように更に覆い被さろうとしているのだ。無謀としか思えない恭平の動作にたじろぎ、狼狽していく自分に気が付く。それなのに引き返す事もできないで、彼の腕をまだしっかりと押さえ込んだままの自分も慶太郎は同時に自覚していた。
「兄さん!ホントに折れる…っ。」
「だったらっ…離せっ!!今すぐ!」
激しく抗う動作に困惑しながらも慶太郎が再度きつく押さえ込もうとした瞬間、酷くくぐもった鈍いボクンという音が細い恭平の体の奥から振動のように響き渡った。
「ぐっっっ!!」
激痛に歪んだ恭平の顔に、慶太郎がたじろぎ押さえ込んでいた手が緩む。その瞬間、膝がその体を押しのけるように慶太郎の腹部を鈍く突き上げて、ソファーからその身を突き飛ばしていた。それほどの反動ではない行為に数歩退がった慶太郎は、驚愕の瞳で苦痛にわなわなと全身を震わせる姿を見下ろす。そこに恭平の力なく下がった右腕が微かに痙攣するかのようにヒクリと震え、その腕が普通の状態でない事が一目で分かった。
「に……さん…、う…腕が……。」
手を伸ばそうとしたその動作を、鋭利な刃物を思わせる視線が刺し貫く。血の気の引いたその陶器のような滑らかな肌を震わせて、右肩を庇う仕草を窺わせながらジリと恭平がソファーの上で後退さった。
「兄さん…手…手当てしないと…、その腕…。」
「さわ…るなっ!!」
きつく自分を寄せ付けようとしない悲鳴のような声に慶太郎の指が宙で止まる。触れさせもしない拒否の強い気配を全身から放つその姿は、鮮明な冴え冴えとした月の様に酷く遠い。野生動物のように、痛みと怒りに独り身を震わせている。
慶太郎は自分がした行為とそれに向けられた恭平の凄まじいほどの決意と行動に、混乱で脳裏が包み込まれるのを感じていた。慶太郎の視線の先で恭平は苦痛に息を詰め、必死に激痛に気が遠くなりかけている自分を引き起こそうと右肩を押さえる。
空気が凍り付いたような無言の時間。
それがどれだけ続いたのか分からないでいた二人の耳に、不意に玄関の鍵が開く音が他の世界の音のように響き渡った。
「ただいまぁ………恭平?」
リビングのドアを開いて明るい声を上げた仁聖の視線が、その場の光景に凍りつく。その視線はその場の状況よりも肩を押さえて蒼褪めた恭平に吸い寄せられるように迷わずに動いたかと思うと、真っ直ぐに足早にその体に駆け寄り彼の腕を見下ろす。
「恭平?!どうしたの?!それっ!!」
「何…で………、仁聖が…………。」
不意に姿を見せた幼馴染の姿に困惑する慶太郎を一瞬視線で捕らえながら、次の瞬間気が抜けたように震えを帯びた恭平の体が自分の腕の中に落ちた。仁聖はその感触を抱き止め、当惑の視線を落とす。蒼褪めて痛みに震える恭平の体に触れながら、腕の後に、恭平の服が引き裂かれている惨状を目にした。瞬間仁聖の表情に、鋭く驚愕と怒りが弾け飛ぶ。咄嗟に幼馴染を鋭い燃えるような視線で貫いた。
「慶太郎!!!お前何やってんだよ!!!」
振り返りながら叫んだその声を制するように、不意に腕の中の恭平が胸に額を擦り付ける。苦しげな吐息を付きながら弱く仁聖の名前を呼ぶ。やり場のない感情を飲み込みながら必死に冷静になろうとする仁聖の体が、僅かに震えるのを視界に入れながら何が起きているのか理解できない慶太郎が目の前の二人の姿を呆然と見つめていた。
「仁聖……車呼んで…くれ……、自分じゃ…どうしようもない……肩が…。」
「わ、分かった、すぐ呼ぶから。救急車のほうがいい?」
タクシーでいいと震えながら呟く姿を横に、仁聖は慌ててスマホで車を呼び着替えの服を準備する。慣れたように恭平の家の中を動き回る幼馴染の姿を、慶太郎は呆然としたまま見つめていた。不意に真正面から自分を見つめる青ざめた恭平の視線に気が付いて息を呑んだ。
「兄……さん…。」
「…話は今度ちゃんとする……、今日は…帰れ。慶太郎。」
「兄さん…僕は……。」
仁聖に支えられるようにして立ち上がった恭平の視線に気圧された様に慶太郎が黙り込む。感情を抑えきれないで身を微かに震わせて唇を噛んでいる仁聖を横に感じながら、恭平は痛みに霞む意識でもう一度「帰れ」とだけ小さく囁いていた。
※※※
帰宅した家の中には夏の仄かな熱気が静かにたちこめていた。
すっかり夜の闇の落ちた微かに人の気配を残したリビングの状態を無視して歩く仁聖に無言のまま恭平も従う。固定された肩の関節を庇う腕を吊った恭平の体を労るようにして、仁聖が寝室の中に促す。
「恭平…こっち着て。そのままじゃ横になれないでしょ?服脱がすから…。」
素直に従って傍に歩み寄った恭平の服をそっと脱がす手に視線を下げた恭平の表情が微かに歪む。その表情に僅かに戸惑うように仁聖は息を飲んで指を止めた。
「痛む?」
「いや…痛み止めも効いてるし大丈夫だ。」
スル…と自由になる肩から服を落とし腕を抜きながら、包帯で固定された肩に被せただけの服を引き下ろす。体を庇う仕草を含みながら、そっと仁聖は手を回してその細い肩を抱き締める。
「聞いていい…?何があったのか……。」
抱き締めながらそっと体勢を変えてベットに下ろす手を感じながら恭平はベットの端に腰を下ろした。そうして目の前に屈んで、真っ直ぐに自分を見つめる仁聖の瞳を見下ろす。その瞳には混乱した怒りと不安が綯い交ぜになったような光が揺れていて、一瞬言いよどむように恭平は唇を噛んだ。何故慶太郎があんなことに及んだのか、何故あんなことになったのか、恭平自身にも理由が本当は分からない。それを説明するのはとても難しいのだ。
「…俺の切り出し方が悪かったんだ……何て言ったらいいか分からなくて…ただ、あいつ知ってて…。」
恭平が躊躇いがちに呟いた言葉に、仁聖は眉を潜めた。
「知ってた…?何を。」
「お前だって事じゃなくて……ただ………。」
何と説明したらいいのか分からないと言いたげな表情に、微かな羞恥の気配が滲んで声が更に頼りなげに震える。恭平が何を言おうとするのか、仁聖は身を乗り出す。
「俺が…、その……男に……抱かれてるって……。」
躊躇いがちに口にした言葉に愕然と仁聖の目が見開かれ、息を呑むのが分かる。
「どうして…?」
「電話で……みたいだ………。それで……俺の切り出し方で…誘ってるのかって…。」
目の前で仁聖が固く唇を噛んだ。それを見て恭平は不安げな光を浮かべて、その表情を見つめる。自分の前で跪いて視線を伏せた仁聖の瞳が不意に揺れるのが見えて、恭平は戸惑いながらその瞳を覗き込む。
「…ごめん……俺の言い方が悪かったんだ…、仁聖…ごめん。」
その瞬間弾かれたように視線をあげた仁聖が、そのまま身を起こして自分を抱きしめ、労わるようにそっとベットに押し倒すのに恭平は目を丸くする。身を硬くしたまま抱きすくめられていると、自分に覆い被さった仁聖の栗色の髪が不意に耳元でサワと震えた。
「仁聖…ごめん…。」
その言葉に弾けたのは今にも泣き出しそうな仁聖の悲鳴のような声だった。
「頼む…からっ……謝んないでよっ…!!恭平が悪い事なんて一つもないじゃないかっ!!!」
不意に弾けた悲鳴のような声は泣き出しそうなのではなく、泣いているのだと気が付く。恭平は言葉を失って、その震える体の熱さを直に感じる。その体に重さをかけないように労る仕草で覆い被さり、肌に触れている熱には不快感がない。同じ熱さな筈なのに、触れる感覚に心地よさすら感じている自分がいるのだ。
なんで、そんなこと考えて…
不意に涙で揺れる瞳が蒼く仄かに輝きながら闇に浮かんだ。恭平が戸惑うような視線を向けたのを見下ろして、仁聖は震えるように息を呑む。
「仁聖…。」
「俺のせいじゃないか!電話の事も!話して欲しいって言ったのも全部俺じゃないか!」
弾ける様に迸らせた声の先で仁聖の表情がまるで自分が激しい苦痛を感じたように歪む。
「全部俺のせいじゃないか!!どうして恭平だけ傷つくんだよ!!そんなの俺…耐えらんないよ!!」
仁聖の悲鳴のような声に息を呑んで彼を見つめる恭平に懇願するような声を仁聖が絞り出す。そんな風に感情的になった仁聖を見たのは、何時ぶりだろうと心の中で呟く。
「俺が一緒にいるって言ったろ?!俺がガキだから?頼りないから?だから、慶太郎に一人で話したの?!」
「そんな事…ただ俺はお前を……。」
良かれと思ってした筈の行動の結果が、この様なのは事実でそれを憤っている仁聖の言葉に恭平は言葉を失う。鉢合わせする前に話しておいた方がいいと思ったが、それは恭平の勝手な判断でもあった。
「だったらどうして一人でそんな怪我してるの?俺がいたらそうならなかっただろ?」
「仁……せ……。」
「もう恭平だけが傷つくの、俺には耐えらんないよ!!どうして俺と一緒に背負ってくんないの!?」
指摘の言葉に息を呑んで恭平が目を見開く。その言葉に肩の痛みと同時に自分がされそうになった襲われる行為という事実を思い出した肌が嫌悪感に震えた。その仕草を見下ろしながら仁聖が微かに涙で揺れる目を細めた。
「一緒にいるって言ったのに信じてないから、一人で何でも被ろうとするんだろ?」
酷く熱を含んだ仁聖の真剣な視線に戸惑いながら言葉を失ったままの恭平に、まだ苦痛に歪んだような表情のまま声を落とす。
「どうしたら信じられる?俺は何もいらない、学校だって友達だって…全部捨ててもいい、全部捨てて恭平に俺の全部をあげていい。」
「そ、そんな事望んでないっ!」
激しい情念を浮かばせた懇願の声に、思わず身を浮かした恭平の表情が苦痛に歪む。それを目にして仁聖が何よりもそっと労るように、その体を夜具に押し付け動きを封じる。
「俺には何もない…何も欲しがった事も…何も執着した事も一度もなかった……。」
その言葉に恭平は驚いたように彼の顔を見上げる。言われて始めて、確かに今までの仁聖には執着心らしい言動を見せたことがないのに気がつく。玩具でもお菓子でも、何一つ失うことに興味が無さそうな違和感を滲ませる子供の彼。彼女から愛想をつかされたと笑って話す彼は、付き合っている女性にも執着がないように見えていた。
「でも、恭平だけは違う。」
「仁…聖…。」
「恭平は…特別なんだ……、誰にも渡せない……もう、絶対離せない……。」
そっと労る様に優しく唇を重ねてくる甘さに、不意に眩暈がする程の熱を感じて恭平は眉を寄せる。
唇も肌も、仁聖の与えてくる感覚が一つも嫌だと感じない。
その相手が仁聖だというだけで行為の意味が自分にとってまったく違うのだ。現実を突きつけられて恭平は、息を詰めて身を硬くする。探るような仁聖の舌の動きが、酷く心地いい。もっとと強請るように微かに熱を帯びた吐息が、自分の唇から溢れ落ちるのに頬が熱をもったように染まっていく。
「信じて…一緒にいるから……だからもう一人で傷つこうとしないで………。」
刹那的にも聞こえる仁聖の懇願の声に胸が詰まる。激しく疼く熱を生んで不安も何もかも包み込んでしまおうというように酷く甘く切ない気分で胸が一杯になる。恭平は眉を寄せて息を吐き出しながら、仁聖の顔をじっと見上げた。自分の中に沸き上がるそれが、どういう感情なのか気が付かされる。言葉にしてもいいと感じた意識が、不意に言葉になって口から溢れ落ちる。
「仁聖………、愛……してる。」
涙目の綺麗な瞳が見開かれ自分をまじまじと見つめたのに気が付いて恭平は、我に返ったように頬を真っ赤に紅潮させた。思わず視線をそむけた恭平に、狼狽したような仁聖が必死に追いすがる。
「……も…もう一回言って、恭平。お願い…。」
チュと音を立てて頬に口付けながら、耳元に懇願する仁聖の声に眉を寄せて顔を背ける。しかも、自覚した言葉のせいで体が放つ熱が、仁聖の肌に擦れて腰が痺れるような快感を生む。それに気がついた仁聖の指先がその先をなぞるのに、甘い声が唇から溢れる。恭平に体動かさないでと囁きかけながら覆い被さった仁聖の指が、柔らかく器用な仕草で恭平のボトムの縁を降ろす。自分の制止の声のあまりにも弱い響きに、羞恥心を煽られながら恭平が息を呑む。
「や、仁…せ…。」
「お願い…もう一回言って…、恭平。お願い……。」
スルスルと体をなぞる指に身を微かに震わせて、自分が甘い声を上げたのに恭平は眉を顰める。自分が受け入れたのが性行為ではなく仁聖自身なのだと、自分にも突きつけられ息が熱を帯びた。心だけでなく体も仁聖を求め始めているのが分かって、激しく肌が脈打つのを感じ躊躇いがちな声が溢れおちた。
「……愛し……てる………。」
闇に響く小さく囁きかけるその声に、仁聖は再び泣き出しそうに表情を歪ませた。仁聖は愛おしそうに恭平を抱き締めて、そっと口付けて全部に愛撫する。緩やかで穏やかな先程までの記憶の全てを拭うような甘い行為。撫でられ舐められて、微かに身を捩らせた恭平の表情が微かな苦痛に歪む。その微かに熱を帯びた体を夜具に縫い付けるように優しく押さえつけ、魅力的に背筋に官能を走らせる低く柔らかな甘い声が耳朶を擽った。
「恭平…動かないで……肩に響くでしょ?」
「…んっ……けど……っ。」
「全部してあげる……全部舐めて…溶かして……、俺を…あげるから……。」
全てを包み込むような掠れた優しく甘い囁きに、恭平は唇を噛んで身を強張らせる。それに気が付いた仁聖の指が、噛んだ唇が傷つく前にゆるりとそれを唇に差し入れる。口の中ですら、全てを曝け出させる様に仁聖の指が愛撫していく。
やがて耐え切れずに恭平が甘い嬌声を上げ始め、終にはその先を必死に強請る言葉を切れ切れの吐息の中で叫ぶ。陶然とした感覚の中で耳にしながら、その熱を放つ体に自分自身を打ち込む。甘く弾ける様な吐息の中でお互いが感極まるまで、傷を労りながら揺すりたてる。そうしながら全てを肌に感じ続けていた。
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