上 下
31 / 55
7日目 初体験は痛みを伴う!?

15ー1

しおりを挟む

 貴史の店を飛び出した翔は、商店街を抜けて駅に向かった。

 改札を通って階段を駆け上がり、電車はまだ着いていなかった。


 どうしてこんな事になったのか分からず、早く来てくれと焦りばかりが募る。


 一刻も早くこの場から離れたかった。

 ホームの向こう、壁を隔てた先は商店街に続く一本道。

 貴史が追いかけて来るのではと、翔はそわそわと線路の先と腕時計を交互に見て貧乏揺すりをした。


 目を閉じると、貴史がムチを片手に詰め寄ってきた場面や胸倉を掴まれた光景が浮かぶ。


 突如豹変した貴史が別人のように見え、勝手にイメージしていた弱々しい人は幻想となって消え去った。


『まもなく電車が参ります』


 ホームに流れるアナウンスにホッとして目を開けて、商店街へ続く道に貴史らしい人は見えない。


 安心したような、心に冷たい風が吹き込むような何とも言えないざわざわとした気分だった。


 プシュー


 電車がホームに到着して扉が開く。

 人の流れに合わせて翔も乗り込み、手すり横の角の席に腰掛けた。


 車内は立っている乗客はちらほらとしかいないものの、ほぼ満席状態だ。


 電車は発車し移り変わる景色を眺め、次第に気持ちは落ち着きを取り戻し、鼓動の音も穏やかになっていった。


 冷房のよく効いた車内は肌寒いくらいで、翔はワイシャツのボタンを一番上まで留めて亀のように首を引っ込める。


 改めて状況を整理しようと腕を組み目を閉じた時だった。


 隣の車両から女の子二人と母親らしき三人組がやってきた。

 下の子は小学校低学年くらいだろうか。

「あ!あそこ空いてる!!」

 空席を見つけて嬉しそうに甲高い声を上げると、小走りで通路を進み翔の隣にぴょんと飛び乗って、鼻歌交じりに両足をゆらゆらと揺らした。


 少し遅れて追いついた母親がつり革に掴まり、前屈みになって小声で女の子をいさめる。

「電車の中では静かにしなきゃ駄目でしょ?みんなで使う場所はルールを守らないといけないの。分かった?」

「はーい!」

 分かっているのかいないのか、女の子は片手を上げて元気よく返事をした。


 薄く片目を開けた翔は、母親の隣で唇を噛み締めている子供が気になった。


 隣に座っている子の姉だろう少女は、妹を指差して今にも泣き出しそうなか細い声で言った。

「お母さん、私も座りたい……」


 母親は車内を見て空いている席を探したが、親子が並んで座れるだけの空席はない。

 困ったように細い眉を下げて溜息を漏らし、少女の肩にそっと手を置いた。

「ごめんね。ここから二つ目の駅で降りるから、もう少しだけ頑張ろう?」

「……」

 女の子は母親の服の裾をギュッと握り締めて俯いてしまった。

 そんな姉を見て、先程まで元気いっぱいだった妹も沈んだ顔をしている。

「イヤだ!わたしもおねーちゃんと座りたい~!!」

 とうとう我慢出来なくなったのか、妹は癇癪かんしゃくを起こして声を荒げた。

 よく通る高い声は、一気に注目を集めて電車内は静まり返る。

 咳払いをする人や親子を見てヒソヒソと話す周りの目に晒された母親は、顔を真っ赤にして逃げるように子供達の手を引っ張った。


「ちょっと待ってよ。ここ、座るかい?」

 翔は立ち上がって女の子に笑いかけた。

「いいの?」

「もちろん!俺も同じ駅で降りるから、心配いらないぜ」

「おじさん、ありがとう!」

 姉は瞳を輝かせて見つめると、翔は大きく頷いて優しく少女達の背を押した。


 母親の表情は和らいで、子供達を座らせた後で翔に頭を下げて感謝した。

「すみません。本当にありがとうございます」

「いえいえ」


 翔が降りるはずの駅は、親子が降りた次の駅だ。

 それでも親子に気を遣わせないよう翔は嘘をついた。


 駅に到着すると、親子と一緒に電車を降りて改札を抜け、元気に手を振る少女達の背が見えなくなるまで手を振った。


「やれやれ、今日は厄日かな」


 翔は綺麗にセットされた髪を搔いて乱し、困ったように笑った。


 腕時計に視線を落とし、出勤時間までにはまだ時間がある。


 ひとまず腹ごしらえをすると決めて、駅の正面にある牛丼屋に入る事にした。


 ポケットに片手を突っ込んで店に向かい、自動ドアが開いた時だった。

「あれ?城ヶ崎くんじゃない?」


 背後から声をかけられ足を止めると、派手な化粧に胸の谷間とヘソが見える露出の高い格好をした女が駆け寄ってきた。

「やっぱり~!こんな所で偶然だね!あれ?髪型変わった?カッコイイー!もしかして、女の子と待ち合わせ?」


 彼女は美愛みあ
 翔が働いているホストクラブの常連だ。

 担当は最近じわじわと注目を集めている韓流系ホストのレイ。

 美愛の入れ込みようは相当で、最低限の生活費だけを残して後は全額レイにぎ込んでいるらしい。


 そんな美愛がどうして声をかけてきたのか、何よりナンバー入りもしていない自分の名前まで覚えていた事に翔は驚いた。


「いや、出勤前に寄ろうとしただけだぜ!姫はこれからレイさんと食事かな?」

「ううん。今日は約束してないよ。最近レイ冷たいんだよねー」


 美愛は発色のいい口紅を塗った色気のある唇を尖らせた。

 ホストは人気が上がれば上がるほど忙しくなり、個々に割ける時間も限られる。

 レイも以前のように美愛の席ばかりにはいられず、翔がヘルプに入った事もあった。

「もう、最近レイがよく分かんない……」

 高いヒールのつま先を地面に打ちつけて美愛が不満を零した。

 ここで姫の心に寄り添い二人の仲を取り持つのも、ホストとして大事な仕事だと翔は理解している。


 翔は奥歯を見せ爽やかな笑顔でガッツポーズをして言った。


「姫は心配性だな。全然大丈夫!姫はレイさんが入った頃から支えてる大事な人だって聞いたぜ。だから、つい甘えが出ちゃってるのかな」

「そうなのかな?」

「万年ヘルプの俺が言うんだから間違いない!」

「アハハッ!城ヶ崎くんって実は面白いんだね~!」


 翔の励ましに元気を取り戻した美愛は、目尻に涙を溜めて笑い転げた。

 そして、翔の腕に抱きついて柔らかな胸を押し当てると、悪戯に目を細めたその表情は色気が滲み出ている。


「お礼に、ご飯奢ってあげるよ!ついでに今日は同伴もしてあげる!」

「え!?それはいいよ。レイさんに気になって仕事にならないって俺が怒られるから」

「大丈夫、大丈夫!ほら、行くよ!」


 初めての同伴は有難いが、他のホストが担当している客はトラブルになる場合もあり、正直有り難迷惑でしかなかった。

 どうにか説得しようと試みても、のらりくらりとかわされて、翔は強引に牛丼屋に引っ張り込まれてしまった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

逃げるが勝ち

うりぼう
BL
美形強面×眼鏡地味 ひょんなことがきっかけで知り合った二人。 全力で追いかける強面春日と全力で逃げる地味眼鏡秋吉の攻防。

キンモクセイは夏の記憶とともに

広崎之斗
BL
弟みたいで好きだった年下αに、外堀を埋められてしまい意を決して番になるまでの物語。 小山悠人は大学入学を機に上京し、それから実家には帰っていなかった。 田舎故にΩであることに対する風当たりに我慢できなかったからだ。 そして10年の月日が流れたある日、年下で幼なじみの六條純一が突然悠人の前に現われる。 純一はずっと好きだったと告白し、10年越しの想いを伝える。 しかし純一はαであり、立派に仕事もしていて、なにより見た目だって良い。 「俺になんてもったいない!」 素直になれない年下Ωと、執着系年下αを取り巻く人達との、ハッピーエンドまでの物語。 性描写のある話は【※】をつけていきます。

告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした

雨宮里玖
BL
《あらすじ》 昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。 その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。 その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。 早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。 乃木(18)普通の高校三年生。 波田野(17)早坂の友人。 蓑島(17)早坂の友人。 石井(18)乃木の友人。

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

【完結】遍く、歪んだ花たちに。

古都まとい
BL
職場の部下 和泉周(いずみしゅう)は、はっきり言って根暗でオタクっぽい。目にかかる長い前髪に、覇気のない視線を隠す黒縁眼鏡。仕事ぶりは可もなく不可もなく。そう、凡人の中の凡人である。 和泉の直属の上司である村谷(むらや)はある日、ひょんなことから繁華街のホストクラブへと連れて行かれてしまう。そこで出会ったNo.1ホスト天音(あまね)には、どこか和泉の面影があって――。 「先輩、僕のこと何も知っちゃいないくせに」 No.1ホスト部下×堅物上司の現代BL。

僕を愛して

冰彗
BL
 一児の母親として、オメガとして小説家を生業に暮らしている五月七日心広。我が子である斐都には父親がいない。いわゆるシングルマザーだ。  ある日の折角の休日、生憎の雨に見舞われ住んでいるマンションの下の階にある共有コインランドリーに行くと三日月悠音というアルファの青年に突然「お願いです、僕と番になって下さい」と言われる。しかしアルファが苦手な心広は「無理です」と即答してしまう。 その後も何度か悠音と会う機会があったがその度に「番になりましょう」「番になって下さい」と言ってきた。

帝国皇子のお婿さんになりました

クリム
BL
 帝国の皇太子エリファス・ロータスとの婚姻を神殿で誓った瞬間、ハルシオン・アスターは自分の前世を思い出す。普通の日本人主婦だったことを。  そして『白い結婚』だったはずの婚姻後、皇太子の寝室に呼ばれることになり、ハルシオンはひた隠しにして来た事実に直面する。王族の姫が19歳まで独身を貫いたこと、その真実が暴かれると、出自の小王国は滅ぼされかねない。 「それなら皇太子殿下に一服盛りますかね、主様」 「そうだね、クーちゃん。ついでに血袋で寝台を汚してなんちゃって既成事実を」 「では、盛って服を乱して、血を……主様、これ……いや、まさかやる気ですか?」 「うん、クーちゃん」 「クーちゃんではありません、クー・チャンです。あ、主様、やめてください!」  これは隣国の帝国皇太子に嫁いだ小王国の『姫君』のお話。

キミと2回目の恋をしよう

なの
BL
ある日、誤解から恋人とすれ違ってしまった。 彼は俺がいない間に荷物をまとめて出てってしまっていたが、俺はそれに気づかずにいつも通り家に帰ると彼はもうすでにいなかった。どこに行ったのか連絡をしたが連絡が取れなかった。 彼のお母さんから彼が病院に運ばれたと連絡があった。 「どこかに旅行だったの?」 傷だらけのスーツケースが彼の寝ている病室の隅に置いてあって俺はお母さんにその場しのぎの嘘をついた。 彼との誤解を解こうと思っていたのに目が覚めたら彼は今までの全ての記憶を失っていた。これは神さまがくれたチャンスだと思った。 彼の荷物を元通りにして共同生活を再開させたが… 彼の記憶は戻るのか?2人の共同生活の行方は?

処理中です...