20 / 21
霊験を改めよ
しおりを挟む
夜空には薄雲がかかっており、星もまばらなので境内は暗かった。
「そこの痴れ者は連れのようなものでな。もう長い間、その行く末を見ているが、ついに運も力も尽き果てたようだ」
暗闇から話す狼は、どことなく昔馴染みに対する情を滲ませている。
「それは結構やけども、そちら様も妖怪ですか?」
人語を解する狼とは古今東西でも出くわした伝えはあるまい。源之進に出会ってしまったせいで霊感を高くしたのだろうか?ともかく問われたので惣兵衛は普通に返事をしてしまった。
「グル…」
すると、狼が低く唸って目をランランと研ぎ澄ませる。
「ひっ!」
「人間でワレに臆さない奴に会ったのは四百年ぶりぐらいだ。半妖怪のこいつで人外に慣れたのかもしれんが、命が惜しくば礼儀を持って話せ。…どちらにせよ人間に教える義理などないのだよ」
「…これは無礼をして申しわけない」
狼の気分を害したようで、惣兵衛は焦って謝罪する。
「だから森を下るのは嫌だ。ともかく、こいつは人の世で過ごしすぎた。もはや眷属の端くれですらなく、人間の言うところの妖怪でしかない。お主に与えた傷を身代わりする力すら残っておらん」
惣兵衛の傷を癒したのは本当だったのだろうか?あまり信用も出来ないけれど、この狼を包む雰囲気は威厳を湛えており、謀っている様には感じない。その狼が言うには源之進と名乗る路銀を盗んだ化け妖怪は、このままでは力果てて一貫の終わりだと言う。
「…とても恐縮なんですけど、連れなら助けたらどうです?」
「ふん。そいつの宿命には介入しない約束でな。しかし、ヌシの助力を得られるなら、もしかすると霊験を回復するかもしれぬ」
「はあ…」
では、どうすれば救えるのか?惣兵衛の疑問に対し、この神社の社にまで源之進を引きずって行って、そこで一生懸命にこの妖怪のために祈るのだと答えた。
「へえ、それで…」
口にはしないが、惣兵衛は半信半疑である。
「人間風情に疑われるのは心外だな、そう思うのなら人間どもの神に祈るわけを知りたいものだ」
「いえいえ、重ねて恐縮です。それにしてもなんで妖怪を助けるのですか?」
すると、狼は虚空を睨みながら遠い日の記憶を思い出す。
「………暇なので森で人間を眺めておったのよ。そいつは衆生における万物の真理を極めんとして修行に明け暮れておった。古来の神々や霊魂との対話を求めて、人界から半歩だけだが我らの領域に足を踏み入れ、そこをウロウロと練り歩くものだから迷惑したものよ」
そんな人間がいるとは摩訶不思議に尽きる。
「そいつは礼儀に長けていたからな、たまに話し相手になっていたのだ」
「なるほど」
「そいつに半妖怪の行く末を見てほしいと頼まれたのよ」
「その方の名は?」
「………」
暗い境内で狼は惣兵衛に名を教えた。
○
「…こいつ重いわ」
疲れていた上に源之進の体を引きずりながら、石段を登るのは苦行であった。狼は見守りながら手を貸してくれず、本殿の前まで案内するのみである。
「ところで、どれほど祈ればよろしいのですか?」
「…一晩だろうな」
「そんなに?」
「新参者のお主などでは、むしろ足りないのだよ」
殺されかけたのに何故そんな祈念をと思ったが、惣兵衛に霊験を分け与えたから死にかけていると言う言葉を心のより所に体を社まで引きずる。
「はあ…、やっとたどり着いたわ」
初めて祈る神様に、この妖怪は根が悪い奴ではないかもしれないので、どうか助けてやってほしいと一晩近くも祈りを捧げるとは、どうにも滑稽ではないかと思える。それに途中で誰かに見つかれば源之進を殺めたと思われかねない。
「頼み申す、頼み申す。…はように意識を取り戻せや」
四半刻後…、
それでも源之進の顔を平手でたたいて、口元にかざしてみると、呼吸は少しずつ強くなっていくのを感じる。
この時にはもう、狼の姿は見えなかった。
「そこの痴れ者は連れのようなものでな。もう長い間、その行く末を見ているが、ついに運も力も尽き果てたようだ」
暗闇から話す狼は、どことなく昔馴染みに対する情を滲ませている。
「それは結構やけども、そちら様も妖怪ですか?」
人語を解する狼とは古今東西でも出くわした伝えはあるまい。源之進に出会ってしまったせいで霊感を高くしたのだろうか?ともかく問われたので惣兵衛は普通に返事をしてしまった。
「グル…」
すると、狼が低く唸って目をランランと研ぎ澄ませる。
「ひっ!」
「人間でワレに臆さない奴に会ったのは四百年ぶりぐらいだ。半妖怪のこいつで人外に慣れたのかもしれんが、命が惜しくば礼儀を持って話せ。…どちらにせよ人間に教える義理などないのだよ」
「…これは無礼をして申しわけない」
狼の気分を害したようで、惣兵衛は焦って謝罪する。
「だから森を下るのは嫌だ。ともかく、こいつは人の世で過ごしすぎた。もはや眷属の端くれですらなく、人間の言うところの妖怪でしかない。お主に与えた傷を身代わりする力すら残っておらん」
惣兵衛の傷を癒したのは本当だったのだろうか?あまり信用も出来ないけれど、この狼を包む雰囲気は威厳を湛えており、謀っている様には感じない。その狼が言うには源之進と名乗る路銀を盗んだ化け妖怪は、このままでは力果てて一貫の終わりだと言う。
「…とても恐縮なんですけど、連れなら助けたらどうです?」
「ふん。そいつの宿命には介入しない約束でな。しかし、ヌシの助力を得られるなら、もしかすると霊験を回復するかもしれぬ」
「はあ…」
では、どうすれば救えるのか?惣兵衛の疑問に対し、この神社の社にまで源之進を引きずって行って、そこで一生懸命にこの妖怪のために祈るのだと答えた。
「へえ、それで…」
口にはしないが、惣兵衛は半信半疑である。
「人間風情に疑われるのは心外だな、そう思うのなら人間どもの神に祈るわけを知りたいものだ」
「いえいえ、重ねて恐縮です。それにしてもなんで妖怪を助けるのですか?」
すると、狼は虚空を睨みながら遠い日の記憶を思い出す。
「………暇なので森で人間を眺めておったのよ。そいつは衆生における万物の真理を極めんとして修行に明け暮れておった。古来の神々や霊魂との対話を求めて、人界から半歩だけだが我らの領域に足を踏み入れ、そこをウロウロと練り歩くものだから迷惑したものよ」
そんな人間がいるとは摩訶不思議に尽きる。
「そいつは礼儀に長けていたからな、たまに話し相手になっていたのだ」
「なるほど」
「そいつに半妖怪の行く末を見てほしいと頼まれたのよ」
「その方の名は?」
「………」
暗い境内で狼は惣兵衛に名を教えた。
○
「…こいつ重いわ」
疲れていた上に源之進の体を引きずりながら、石段を登るのは苦行であった。狼は見守りながら手を貸してくれず、本殿の前まで案内するのみである。
「ところで、どれほど祈ればよろしいのですか?」
「…一晩だろうな」
「そんなに?」
「新参者のお主などでは、むしろ足りないのだよ」
殺されかけたのに何故そんな祈念をと思ったが、惣兵衛に霊験を分け与えたから死にかけていると言う言葉を心のより所に体を社まで引きずる。
「はあ…、やっとたどり着いたわ」
初めて祈る神様に、この妖怪は根が悪い奴ではないかもしれないので、どうか助けてやってほしいと一晩近くも祈りを捧げるとは、どうにも滑稽ではないかと思える。それに途中で誰かに見つかれば源之進を殺めたと思われかねない。
「頼み申す、頼み申す。…はように意識を取り戻せや」
四半刻後…、
それでも源之進の顔を平手でたたいて、口元にかざしてみると、呼吸は少しずつ強くなっていくのを感じる。
この時にはもう、狼の姿は見えなかった。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説
天下の陰 ~落ちたる城主~
葦池昂暁
歴史・時代
戦国の世に裏切りは付き物であり、それゆえに家臣には忠節を求めるのである。そのような時代、村の庄屋が百姓たちと戦火から逃れる算段を立てると、合戦の最中に一人の童が現れたのだった。
人の優しさと歴史に残らぬ物語
かくされた姫
葉月葵
歴史・時代
慶長二十年、大坂夏の陣により豊臣家は滅亡。秀頼と正室である千姫の間に子はなく、側室との間に成した息子は殺され娘は秀頼の正室・千姫の嘆願によって仏門に入ることを条件に助命された――それが、現代にまで伝わる通説である。
しかし。大坂夏の陣の折。大坂城から脱出した千姫は、秀頼の子を宿していた――これは、歴史上にその血筋を隠された姫君の物語である。
信乃介捕物帳✨💕 平家伝説殺人捕物帳✨✨鳴かぬなら 裁いてくれよう ホトトギス❗ 織田信長の末裔❗ 信乃介が天に代わって悪を討つ✨✨
オズ研究所《横須賀ストーリー紅白へ》
歴史・時代
信長の末裔、信乃介が江戸に蔓延る悪を成敗していく。
信乃介は平家ゆかりの清雅とお蝶を助けたことから平家の隠し財宝を巡る争いに巻き込まれた。
母親の遺品の羽子板と千羽鶴から隠し財宝の在り処を掴んだ清雅は信乃介と平賀源内等とともに平家の郷へ乗り込んだ。
下級武士の名の残し方 ~江戸時代の自分史 大友興廃記物語~
黒井丸
歴史・時代
~本作は『大友興廃記』という実在の軍記をもとに、書かれた内容をパズルのように史実に組みこんで作者の一生を創作した時代小説です~
武士の親族として伊勢 津藩に仕える杉谷宗重は武士の至上目的である『家名を残す』ために悩んでいた。
大名と違い、身分の不安定な下級武士ではいつ家が消えてもおかしくない。
そのため『平家物語』などの軍記を書く事で家の由緒を残そうとするがうまくいかない。
方と呼ばれる王道を書けば民衆は喜ぶが、虚飾で得た名声は却って名を汚す事になるだろう。
しかし、正しい事を書いても見向きもされない。
そこで、彼の旧主で豊後佐伯の領主だった佐伯權之助は一計を思いつく。
焔の牡丹
水城真以
歴史・時代
「思い出乞ひわずらい」の続きです。先にそちらをお読みになってから閲覧よろしくお願いします。
織田信長の嫡男として、正室・帰蝶の養子となっている奇妙丸。ある日、かねてより伏せていた実母・吉乃が病により世を去ったとの報せが届く。当然嫡男として実母の喪主を務められると思っていた奇妙丸だったが、信長から「喪主は弟の茶筅丸に任せる」との決定を告げられ……。
忍者同心 服部文蔵
大澤伝兵衛
歴史・時代
八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。
服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。
忍者同心の誕生である。
だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。
それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる