19 / 21
境内での対峙
しおりを挟む
「はあ…はあ…、しつこい奴だな」
源之進は楽しい飲み仲間との追いかけっこにもウンザリしていた。
牢人を追いかける旅の商人は周りの目から奇異に思えるようで、何事かと江戸っ子たちが見物している。この珍妙な捕り物は江戸の町外れまで続いて、しまいには誰も居ない夜分の神社の境内で、二人は体力を使い果たして倒れ込んでしまった。
「はぁ…はぁ…はぁ…。ごほ…、銭を…返せ」
惣兵衛は仰向けになりながら、息を吐いて咳き込んでいる。
「…酒となって腹の中じゃ、お前も…たらふく飲んだではないか?」
「よくも気絶するほどに頭を叩いてくれたな」
「わしも厠で叩かれて痛かったぞ、…今もいたいわ」
街道での追いかけっこを思い出して、反射的に追いかけてみたが、いざ対峙して見ると言い争いをするほかない。源之進は神社の石段に肩ひじをついて、涅槃像のように横になっている。
「そや!藤川で旦那さんから聞いて、もしやと思っておるのやけど、石薬師の宿で枕元から八両の銭を盗んだのはお前やないやろな?」
「ん…、なぜ知っとるのだ」
「やっぱりお前かい。どうあっても盗んだ銭を取り返すぞ」
「本当にしつこい男だな。伝文を読めば江戸まで来ても骨折り損だと分かるのだから京都に引き返せばよいのだ。そうそう…、帰りの路銀が足りてないだろうから銭を分けてやる。それで勘弁しなさいよ」
「なんや不遜な物言いしよって、えっ…、もしや角谷の店に参ったのか?」
惣兵衛は瞬時に身を起こした。
「いやはや迷惑をすると気持ちがいいのう!」
源之進は楽しくてしょうがないという表情である。怒りに任せてヨロヨロと立ち上がった惣兵衛は倒れている源之進の所まで行って、肘をついて半身を起こしている脳天に渾身の拳骨をお見舞いした。
「うぎゃ!」
そう言いながら源之進は完全に地面にへたり込んでしまった。反撃が怖くて、しばらく距離を保って観察すれけれど、どうにも起き上がる様子はない。
「…どないした?」
しばらく間をおいて、源之進は弱々しく話し出す。
「…井戸でお前を強く叩きすぎてな。得にもならんのに霊験を分け与えてしまって、もうあまり力が残ってないのだ」
「ほんまやろな」
「わしの御利益のお陰で生きとるのに無礼に過ぎるぞ。人間界におると力が弱まるのも、俗人共の欲深のせいだ」
惣兵衛は俗人はお前だろうと思い、そもそも強盗沙汰に及んだ男の言葉なので同情心も湧いてこない。しかし、心配させるためなのか一向に源之進は動き出さず、問いかけてもボソボソとしか話さなくなった。
「得にもならないのに聞くけれど、大丈夫かいな?」
「ここに居ると少しだけ力を感じる…」
そう言ったきり、源之進はピクリとも動かなくなってしまった。妖怪でも死んでしまうのかと、近付いて呼吸を見てみると息はしているようだ。
しかし、明らかに弱くて浅い呼吸である。
どうしたら良いだろうか?人間の医者では意味が無いだろうし、どっちにせよ高く付くので呼べやしない。惣兵衛が悩んでいると、どこからか威圧的な空気が立ち込めてきた。
「こりゃあ化け妖怪を追って本坂峠を登っていた時の悪寒に似てるぞ」
一人で逃げようかと考えた時に、境内の林から何かが現れた事に気付いた。
「なんや?」
必死に目を細めて暗闇にならす。それは人の背丈には及ばない四足歩行の獣であって、惣兵衛は野犬が出たかと思って咄嗟に立ち上がる。しかし、その顔つきは犬のそれとは明らかに違った。
「………狼?」
暗闇で星のように光る両目は高い尊厳を湛えている。大名行列の威風など比べ物にならない。その瞬間に惣兵衛は混乱して、どうしたら良いか分からなくなった。
「町外れとは言っても狼なんぞおるもんかいな?」
「居ないだろうよ、好んで山を降りたりしないさ」
と、狼の方向から声がした。
「うわ!!」
惣兵衛は驚いて狼の口を凝視する。声は明らかに狼の口から発せられているように見えたのである。
源之進は楽しい飲み仲間との追いかけっこにもウンザリしていた。
牢人を追いかける旅の商人は周りの目から奇異に思えるようで、何事かと江戸っ子たちが見物している。この珍妙な捕り物は江戸の町外れまで続いて、しまいには誰も居ない夜分の神社の境内で、二人は体力を使い果たして倒れ込んでしまった。
「はぁ…はぁ…はぁ…。ごほ…、銭を…返せ」
惣兵衛は仰向けになりながら、息を吐いて咳き込んでいる。
「…酒となって腹の中じゃ、お前も…たらふく飲んだではないか?」
「よくも気絶するほどに頭を叩いてくれたな」
「わしも厠で叩かれて痛かったぞ、…今もいたいわ」
街道での追いかけっこを思い出して、反射的に追いかけてみたが、いざ対峙して見ると言い争いをするほかない。源之進は神社の石段に肩ひじをついて、涅槃像のように横になっている。
「そや!藤川で旦那さんから聞いて、もしやと思っておるのやけど、石薬師の宿で枕元から八両の銭を盗んだのはお前やないやろな?」
「ん…、なぜ知っとるのだ」
「やっぱりお前かい。どうあっても盗んだ銭を取り返すぞ」
「本当にしつこい男だな。伝文を読めば江戸まで来ても骨折り損だと分かるのだから京都に引き返せばよいのだ。そうそう…、帰りの路銀が足りてないだろうから銭を分けてやる。それで勘弁しなさいよ」
「なんや不遜な物言いしよって、えっ…、もしや角谷の店に参ったのか?」
惣兵衛は瞬時に身を起こした。
「いやはや迷惑をすると気持ちがいいのう!」
源之進は楽しくてしょうがないという表情である。怒りに任せてヨロヨロと立ち上がった惣兵衛は倒れている源之進の所まで行って、肘をついて半身を起こしている脳天に渾身の拳骨をお見舞いした。
「うぎゃ!」
そう言いながら源之進は完全に地面にへたり込んでしまった。反撃が怖くて、しばらく距離を保って観察すれけれど、どうにも起き上がる様子はない。
「…どないした?」
しばらく間をおいて、源之進は弱々しく話し出す。
「…井戸でお前を強く叩きすぎてな。得にもならんのに霊験を分け与えてしまって、もうあまり力が残ってないのだ」
「ほんまやろな」
「わしの御利益のお陰で生きとるのに無礼に過ぎるぞ。人間界におると力が弱まるのも、俗人共の欲深のせいだ」
惣兵衛は俗人はお前だろうと思い、そもそも強盗沙汰に及んだ男の言葉なので同情心も湧いてこない。しかし、心配させるためなのか一向に源之進は動き出さず、問いかけてもボソボソとしか話さなくなった。
「得にもならないのに聞くけれど、大丈夫かいな?」
「ここに居ると少しだけ力を感じる…」
そう言ったきり、源之進はピクリとも動かなくなってしまった。妖怪でも死んでしまうのかと、近付いて呼吸を見てみると息はしているようだ。
しかし、明らかに弱くて浅い呼吸である。
どうしたら良いだろうか?人間の医者では意味が無いだろうし、どっちにせよ高く付くので呼べやしない。惣兵衛が悩んでいると、どこからか威圧的な空気が立ち込めてきた。
「こりゃあ化け妖怪を追って本坂峠を登っていた時の悪寒に似てるぞ」
一人で逃げようかと考えた時に、境内の林から何かが現れた事に気付いた。
「なんや?」
必死に目を細めて暗闇にならす。それは人の背丈には及ばない四足歩行の獣であって、惣兵衛は野犬が出たかと思って咄嗟に立ち上がる。しかし、その顔つきは犬のそれとは明らかに違った。
「………狼?」
暗闇で星のように光る両目は高い尊厳を湛えている。大名行列の威風など比べ物にならない。その瞬間に惣兵衛は混乱して、どうしたら良いか分からなくなった。
「町外れとは言っても狼なんぞおるもんかいな?」
「居ないだろうよ、好んで山を降りたりしないさ」
と、狼の方向から声がした。
「うわ!!」
惣兵衛は驚いて狼の口を凝視する。声は明らかに狼の口から発せられているように見えたのである。
0
お気に入りに追加
1
あなたにおすすめの小説

陣借り狙撃やくざ無情譚(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)
牛馬走
歴史・時代
(時代小説新人賞最終選考落選歴あり、別名義、別作品)猟師として生きている栄助。ありきたりな日常がいつまでも続くと思っていた。
だが、陣借り無宿というやくざ者たちの出入り――戦に、陣借りする一種の傭兵に従兄弟に誘われる。
その後、栄助は陣借り無宿のひとりとして従兄弟に付き従う。たどりついた宿場で陣借り無宿としての働き、その魔力に栄助は魅入られる。
楽将伝
九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語
織田信長の親衛隊は
気楽な稼業と
きたもんだ(嘘)
戦国史上、最もブラックな職場
「織田信長の親衛隊」
そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた
金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか)
天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!
旅路ー元特攻隊員の願いと希望ー
ぽんた
歴史・時代
舞台は1940年代の日本。
軍人になる為に、学校に入学した
主人公の田中昴。
厳しい訓練、激しい戦闘、苦しい戦時中の暮らしの中で、色んな人々と出会い、別れ、彼は成長します。
そんな彼の人生を、年表を辿るように物語りにしました。
※この作品は、残酷な描写があります。
※直接的な表現は避けていますが、性的な表現があります。
※「小説家になろう」「ノベルデイズ」でも連載しています。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
梅すだれ
木花薫
歴史・時代
江戸時代の女の子、お千代の一生の物語。恋に仕事に頑張るお千代は悲しいことも多いけど充実した女の人生を生き抜きます。が、現在お千代の物語から逸れて、九州の隠れキリシタンの話になっています。島原の乱の前後、農民たちがどのように生きていたのか、仏教やキリスト教の世界観も組み込んで書いています。
登場人物の繋がりで主人公がバトンタッチして物語が次々と移っていきます隠れキリシタンの次は戦国時代の姉妹のストーリーとなっていきます。
時代背景は戦国時代から江戸時代初期の歴史とリンクさせてあります。長編時代小説。長々と続きます。
狩野岑信 元禄二刀流絵巻
仁獅寺永雪
歴史・時代
狩野岑信は、江戸中期の幕府御用絵師である。竹川町狩野家の次男に生まれながら、特に分家を許された上、父や兄を差し置いて江戸画壇の頂点となる狩野派総上席の地位を与えられた。さらに、狩野派最初の奥絵師ともなった。
特筆すべき代表作もないことから、従来、時の将軍に気に入られて出世しただけの男と見られてきた。
しかし、彼は、主君が将軍になったその年に死んでいるのである。これはどういうことなのか。
彼の特異な点は、「松本友盛」という主君から賜った別名(むしろ本名)があったことだ。この名前で、土圭之間詰め番士という武官職をも務めていた。
舞台は、赤穂事件のあった元禄時代、生類憐れみの令に支配された江戸の町。主人公は、様々な歴史上の事件や人物とも関りながら成長して行く。
これは、絵師と武士、二つの名前と二つの役職を持ち、張り巡らされた陰謀から主君を守り、遂に六代将軍に押し上げた謎の男・狩野岑信の一生を読み解く物語である。
投稿二作目、最後までお楽しみいただければ幸いです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる