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旅の苦労
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この日、惣兵衛は早朝から街道を進んでいる。
街道を進むにつれて海が近づいているように感じ、独特な潮の匂いもするようになった。歩きながら宿の看板を眺めていると、若干だが木賃の宿賃が高くなったように感じる。
太陽も傾いて、足の疲労がむくむくと意識を取り戻した頃に四日市まで到着したのだった。どうやらここは幕府の天領らしい。しかし、またも雨が降ってきている。この先の桑名から木曽川などを迂回する渡し船に乗ることが出来るはずだった。
そこから尾張の宮宿に向かうのだが、この雨で足止めを食らうのではないかと思った。
なんにせよ、多少の増水をしているのは間違いない。惣兵衛が心配していると、会話から周囲の旅人たちも同様の懸念をしている。
「はあ…、あっつい」
梅雨のムシムシとした暑さで息苦しさすら感じる。
困ったことに喉が渇いて水を汲もうにも、この雨のせいで川は泥で濁りきっている。そもそも生活の用水路になっていて汚いだろう。それでも、どうにも井戸が見当たらなくて、とうとう惣兵衛は我慢できなくなった。
なるべく泥の含まれていない流れのよわい部分で汲むと、少しだけ口に含んだ。
「ぺっぺっ。ほんまに泥の味や」
井戸の水を飲みたかったが贅沢は言えない。それからしばらく歩くと遠くに集落が点在しているのが見えた。途中には富田と書かれた看板と一里塚もあり、さらに近づくと宿場の手前だと分かった。
「やっと桑名に着いたわ。さて川はどうなっとるか?」
宿場町を通り過ぎて、さっそく川の状況はどうなっているか確かめに行った。
遠くからでも河原の周辺に人だかりが見える。近づくと、それぞれ分かり易い程に困り顔でたたずんでいる。すると、惣兵衛も早々に諦めの心持ちだ。
付近を歩く二人の飛脚の会話から懸念は確実となった。
「こんなに留め置いたら、また客から怒られるな」
「ああ、こんな事なら客から直に請け負うんじゃなかった」
「だけども。この程度の波で船を出さないとはな」
「速足代は貰えねえ。宿場は儲かり俺らは丸損だ」
「ここまでの苦労はどうなるのさ。どうにか客に払ってもらえねえかな?」
「けち臭い客で飛脚代は届け先と折半だからな。しっかりと文に出発した日付を書いてやがるらしいぜ、これじゃ前金と同様の銭は戴けねえよ」
「かっ!」
唐突に不満げな奇声を発するので惣兵衛は驚いてしまった。
どうやら、この雨のせいで損をしたらしい。増水と波のせいで渡し船は通れない。そうであるなら人足でも同じだ。しかし、百聞は一見に如かず、惣兵衛は川が見える場所まで歩いた。少しでも情報を得ようと土地の人間を探すのである。
そこで見た川は普段の様子を知らない者でも異様だと得心する。ごうごうと流れる膨大な水の流れの無尽蔵な様は恐怖すら感じた。
惣兵衛はこんなに大きい川は初めて見たのだ。
少し歩いてみると、惣兵衛は土手の上で船を見張っている男を見つけた。
「どうも船頭はん。仕事中に申し訳ないけど今度の船はいつ出るかな?」
「…ああ。見ればわかるだろ、人を乗せて渡れるように見えっか?」
歳のいった船頭は機嫌が悪そうだ。
「だから、いつ頃なら渡れるやろか?」
この返しが気に食わなかったのだろうか?船頭は不快そうに言った。
「その話し方は気に障るからやめんか」
惣兵衛はこんなことを言われるとは思っていなかったし、これまで会ったどの人間も気に留める様子はなかった。しかし、この船頭の腹の虫に嫌われると困るので、惣兵衛も少しはむっとしたが一言謝る。
「ああ…、それは申し訳ない」
そう言って、渋々ながら引き返そうとした矢先に船頭は口を開いた。
「なに、五日も待てれば渡れるぜ」
「五日も…」
「ああ、恐らくな。雨が止むかは神様の腹の虫にでも聞いてくれ」
「はあぁ」
惣兵衛は大きなため息をつきながら桑名の宿場に引き返すしかなかった。
街道を進むにつれて海が近づいているように感じ、独特な潮の匂いもするようになった。歩きながら宿の看板を眺めていると、若干だが木賃の宿賃が高くなったように感じる。
太陽も傾いて、足の疲労がむくむくと意識を取り戻した頃に四日市まで到着したのだった。どうやらここは幕府の天領らしい。しかし、またも雨が降ってきている。この先の桑名から木曽川などを迂回する渡し船に乗ることが出来るはずだった。
そこから尾張の宮宿に向かうのだが、この雨で足止めを食らうのではないかと思った。
なんにせよ、多少の増水をしているのは間違いない。惣兵衛が心配していると、会話から周囲の旅人たちも同様の懸念をしている。
「はあ…、あっつい」
梅雨のムシムシとした暑さで息苦しさすら感じる。
困ったことに喉が渇いて水を汲もうにも、この雨のせいで川は泥で濁りきっている。そもそも生活の用水路になっていて汚いだろう。それでも、どうにも井戸が見当たらなくて、とうとう惣兵衛は我慢できなくなった。
なるべく泥の含まれていない流れのよわい部分で汲むと、少しだけ口に含んだ。
「ぺっぺっ。ほんまに泥の味や」
井戸の水を飲みたかったが贅沢は言えない。それからしばらく歩くと遠くに集落が点在しているのが見えた。途中には富田と書かれた看板と一里塚もあり、さらに近づくと宿場の手前だと分かった。
「やっと桑名に着いたわ。さて川はどうなっとるか?」
宿場町を通り過ぎて、さっそく川の状況はどうなっているか確かめに行った。
遠くからでも河原の周辺に人だかりが見える。近づくと、それぞれ分かり易い程に困り顔でたたずんでいる。すると、惣兵衛も早々に諦めの心持ちだ。
付近を歩く二人の飛脚の会話から懸念は確実となった。
「こんなに留め置いたら、また客から怒られるな」
「ああ、こんな事なら客から直に請け負うんじゃなかった」
「だけども。この程度の波で船を出さないとはな」
「速足代は貰えねえ。宿場は儲かり俺らは丸損だ」
「ここまでの苦労はどうなるのさ。どうにか客に払ってもらえねえかな?」
「けち臭い客で飛脚代は届け先と折半だからな。しっかりと文に出発した日付を書いてやがるらしいぜ、これじゃ前金と同様の銭は戴けねえよ」
「かっ!」
唐突に不満げな奇声を発するので惣兵衛は驚いてしまった。
どうやら、この雨のせいで損をしたらしい。増水と波のせいで渡し船は通れない。そうであるなら人足でも同じだ。しかし、百聞は一見に如かず、惣兵衛は川が見える場所まで歩いた。少しでも情報を得ようと土地の人間を探すのである。
そこで見た川は普段の様子を知らない者でも異様だと得心する。ごうごうと流れる膨大な水の流れの無尽蔵な様は恐怖すら感じた。
惣兵衛はこんなに大きい川は初めて見たのだ。
少し歩いてみると、惣兵衛は土手の上で船を見張っている男を見つけた。
「どうも船頭はん。仕事中に申し訳ないけど今度の船はいつ出るかな?」
「…ああ。見ればわかるだろ、人を乗せて渡れるように見えっか?」
歳のいった船頭は機嫌が悪そうだ。
「だから、いつ頃なら渡れるやろか?」
この返しが気に食わなかったのだろうか?船頭は不快そうに言った。
「その話し方は気に障るからやめんか」
惣兵衛はこんなことを言われるとは思っていなかったし、これまで会ったどの人間も気に留める様子はなかった。しかし、この船頭の腹の虫に嫌われると困るので、惣兵衛も少しはむっとしたが一言謝る。
「ああ…、それは申し訳ない」
そう言って、渋々ながら引き返そうとした矢先に船頭は口を開いた。
「なに、五日も待てれば渡れるぜ」
「五日も…」
「ああ、恐らくな。雨が止むかは神様の腹の虫にでも聞いてくれ」
「はあぁ」
惣兵衛は大きなため息をつきながら桑名の宿場に引き返すしかなかった。
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