上 下
25 / 26

25.夏の舞踏会 夢と現(うつつ)と

しおりを挟む
 王妃から放たれた紫の光が来賓へと降り注ぐと、彼らはうっとりとした表情で王妃を褒めたたえ始めた。
「流石『妖精の愛し子』様。妖精だけでなく、人々からも愛されていらっしゃる」
「愛されて、選ばれるとは……なんと素晴らしいことか」
「まことに」
「愛ゆえの尊さとは――かくも崇高なものか」
 あまりにも非常識な美辞麗句だが、リアンテ我が王国からしたら渡りに船というところ。
(婚約者を捨てて、他の女を選ぶって単なる『浮気』を褒めたたえるなんて、正気……じゃなかったわ。王妃の失言とこの来賓の失態で、なんとか相殺ってことにできるでしょうね。今回ばかりはアレのおかげね)
 この世界、浮気は罪悪である。一夫多妻や一妻多夫などごくごく限られた特殊な環境でしかありえない。
 会場の端では失態を犯した若い護衛の親である侯爵夫妻が、恐ろしいほど完璧な笑顔でサンドレットを見つめていた。
(あの護衛の将来は潰れてしまったようなものね。サンドレットのナニかによるものだと証明できれば……あー……いやいや、アレ護衛は元からあの感じだったっけ。術の影響がなかったとしても、いずれ失態を犯していたでしょうね)
「そうだな。その失態は人生を掛けて償わなくてはなるまい」
 ぽつり、と国王が呟いた。
 自分の思考に返事をされたのかと思ったイオリティは心臓を跳ねさせたが、国王の視線は王妃を捕らえていた。
「失態?」
 王妃は国王を見つめ返す。夫の視線に甘さがなくなったのはいつだったかしら、と思うも大したことではないかと考えを追いやる。
 いつの間にか曲が止み、会場中の視線が国王夫妻へと集まった。
「其方を愛していると思ってしまい、その気持ちを優先させてしまったことだ」
 ぽつり、と国王の口から小さく言葉が滑り落ちた。深く悔いるような呟きだった。
「――え?」
 聞き取れなかったのか、王妃が怪訝な顔で国王を見た。
 一瞬だけ視線を受けた国王は深々とため息を吐くと、ぐっと背筋を伸ばす。
「王妃とコンタスト伯爵令嬢を控室へ」
 国王の言葉に動き出した近衛が、王妃へ近づいた。
「下がらないわよ」
 エスコートのために差し出された手を、王妃が弾く。
「こんなの、愛されるべきものにとっては、許されないわ」
「王妃、下がりなさい」
「いやよ」
 王妃はぎろりと会場中を睨みつけた。
「地位や家柄とかでちやほやされる愛されないものより、純粋に可愛らしく愛されるものが選ばれるのは当然のことだわ」
 王妃の目線の先にいるのは、コンタスト伯爵夫人――国王の元婚約者だ。
 学生時代、何もかもが完璧と謳われたのは王妃ではなく、現コンタスト伯爵夫人だった。婚約者である彼女現伯爵夫人が寄りそう、物語からでできたようなまだ若い麗しの王太子に一目惚れをし、愛されたいと願ったのは男爵家でしかない自分王妃

 ――愛して欲しい。大切にしてほしい。構って欲しい。自分だけのために……。

 あまりに混じりっ気のない純粋なその想いに答えたのは、愛から生まれた妖精だった。
『愛を捧げて、愛を見せて』
 妖精が求め、妖精によって与えられた祝福が人生を変えた。
 そして、いつの間にか王妃の周りには国王を始めとする多くの者が侍り、国王に選ばれたいという願いは叶えられた。
 王妃としての仕事が出来なくとも、愛を捧げてくれているのだから、と許されてきた。
「そのように……其方が思うようになったのは、私のせいか……」
 ぽつりとこぼれた国王の呟きに、王妃は目元を歪める。
「どういうこと?」
「其方は、愛を求める。――だが、それは其方へ捧げられた純粋なものではない」
「何を言っているの?あなたが、……あなたたちが、私を愛してくれたんでしょう?進んで愛を捧げてくれたんじゃない」
 困ったものを見るような慈愛に満ちた眼差しで微笑む王妃に、国王は大きく首を振った。直に王妃と合わせることなく、やや伏せられた目に映るのは嘗ての己の姿。
「……?」
 勿論だと叫んで己に縋ってくることを想像していた王妃は、どことなく拒絶の気配を滲ませてこちらを見ない国王を訝しげに見つめた。
「進んで、捧げたのではない。其方の妖精に捧げさせられたのだ」
 国王は視線を上げて王妃を見つめた。
「我々が胸に抱いていた愛情は、其方の妖精によって本来愛していたものから其方へと対象を歪められ、其方へ集まった想いを以ってして妖精は力をつけ続けた」
「対象を歪められ……どういうこと?私が愛されて何が悪いの?」
 怪訝な表情の王妃に会場の視線が集まる。
「本当に其方が愛されているならば、なにも悪くはない」
「愛されているわよ」
 当然、と言わんばかりに頷いた王妃にゆっくりと首を振る国王。
「連れて行きなさい」
 国王の言葉に国王の背後にいた近衛が数人、素早く王妃を取り囲んだ。
「ちょっ……」
 何か叫びかけた王妃の肩に近衛の手が触れると、途端に王妃は静かになって素直に歩き始めた。
(あれって、魔法?近衛にも特殊属性の魔法が使える者がいるのね……って、当たり前か。別に魔法科に進まなくとも魔法を使えるようになるのだし、己の才能を隠し玉とするのは当然よね)
 イオリティは詰めていた息をそっと吐きだした。
「妖精の愛し子になんということを」
 来賓のぽつりとした呟きがイオリティの耳に届いた。
 会場に響くほどではないにしても、それなりの人数が耳にしただろう。
「申し訳ないが、これは我が国の事情です」
 口出しをするな、と言外に伝えたの宰相のカスリットーレ公爵だ。
「なんだと……」
 来賓は不機嫌をあらわに宰相を睨みつける。
(これは、隣国側の失態ね。内政干渉だと非難を浴びても仕方がないわ)
「後程、ゆっくりとお話をいたしましょうか。皆様をお迎えしている今宵は、我が国の誇るべき行事なのです」
 そう言って含みのある笑顔で近づいた宰相に顔を向けた来賓たちが、一斉に顔色を悪くした。何かに気付いてしまったというように慌てて目線を交わし合い、社交的な笑みを浮かべ鷹揚に頷いてみせる。
「そうですね。せっかくご招待に預かったこの夜会をとても楽しみにしておりました。是非お続けください」
 文句を述べていた来賓の隣に座っていた青年が、さっと立ち上がって国王に告げた。
(隣国の第二皇子?)
 金髪碧眼のやや日焼けしたような肌をした色っぽい青年だった。
(目立た無いようにしていたのね。全く気付かなかった。……今になって存在を主張したってことは、事態を収拾するためなのか、なにか狙っているのか……)
 第二皇子は艶やか微笑みを浮かべて会場を見回し、女性たちの視線を殊更集めたうえで悠々とサンドレットへと近付いて行った。
(狙いは、サンドレットってこと?)
 止めるわけにはいかないが、まずい事態だとは判る。サンドレットが王妃と同じような力を持っていたり、特殊な才能を持っている場合、隣国に取り込まれるのは危険だ。





 がちゃり、と扉に鍵がかけられた途端王妃の意識が戻ったらしい。
「どういうこと?!なんで、わたくしがここにいるの?ちょっと、ここを開けなさい!」
 扉の向こうの叫びを耳にしながら、近衛が三人崩れ落ちる様に床へ膝をついた。
「大丈夫か?」
 唯一立っている近衛の顔色も悪い。
「あ、あ……。ここまで消耗するとはな……」
 この近衛が持つ魔法属性は幻惑。
 夢のような幻を見せることで抵抗させずに王妃を監禁するための王族牢へ連れて来られたが、魔力譲渡や補助の出来る三人が力を貸してぎりぎりであった。
「だが、これで妖精が今、王妃殿下への加護を与えていないことは確かだ」
 少しだけ回復した一人が立ち上がる。
「そうだな、今までであればほんの数秒がやっとだったからな」
 扉がガチャガチャと揺さぶられる音と王妃の叫ぶ声が響く。
 後程国王が封を施せば、音は聞こえなくなるだろう。
「陛下がいらっしゃるまで、我らはここで護衛を続けるが、お前達は少し休んでおくか?」
 立っていた二人が座り込んでいた二人に声を掛ける。
「いや、大丈夫だ」
「このまま任務を続ける」

 
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

うーん、別に……

柑橘 橙
恋愛
「婚約者はお忙しいのですね、今日もお一人ですか?」  と、言われても。  「忙しい」「後にしてくれ」って言うのは、むこうなんだけど……  あれ?婚約者、要る?  とりあえず、長編にしてみました。  結末にもやっとされたら、申し訳ありません。  お読みくださっている皆様、ありがとうございます。 誤字を訂正しました。 現在、番外編を掲載しています。 仲良くとのメッセージが多かったので、まずはこのようにしてみました。 後々第二王子が苦労する話も書いてみたいと思います。 ☆☆辺境合宿編をはじめました。  ゆっくりゆっくり更新になると思いますが、お読みくださると、嬉しいです。  辺境合宿編は、王子視点が増える予定です。イラっとされたら、申し訳ありません。 ☆☆☆誤字脱字をおしえてくださる方、ありがとうございます! ☆☆☆☆感想をくださってありがとうございます。公開したくない感想は、承認不要とお書きください。  よろしくお願いいたします。

婚約者が実は私を嫌っていたので、全て忘れる事にしました

Kouei
恋愛
私セイシェル・メルハーフェンは、 あこがれていたルパート・プレトリア伯爵令息と婚約できて幸せだった。 ルパート様も私に歩み寄ろうとして下さっている。 けれど私は聞いてしまった。ルパート様の本音を。 『我慢するしかない』 『彼女といると疲れる』 私はルパート様に嫌われていたの? 本当は厭わしく思っていたの? だから私は決めました。 あなたを忘れようと… ※この作品は、他投稿サイトにも公開しています。

私のことが大嫌いらしい婚約者に婚約破棄を告げてみた結果。

夢風 月
恋愛
 カルディア王国公爵家令嬢シャルロットには7歳の時から婚約者がいたが、何故かその相手である第二王子から酷く嫌われていた。  顔を合わせれば睨まれ、嫌味を言われ、周囲の貴族達からは哀れみの目を向けられる日々。  我慢の限界を迎えたシャルロットは、両親と国王を脅……説得して、自分たちの婚約を解消させた。  そしてパーティーにて、いつものように冷たい態度をとる婚約者にこう言い放つ。 「私と殿下の婚約は解消されました。今までありがとうございました!」  そうして笑顔でパーティー会場を後にしたシャルロットだったが……次の日から何故か婚約を解消したはずのキースが家に押しかけてくるようになった。 「なんで今更元婚約者の私に会いに来るんですか!?」 「……好きだからだ」 「……はい?」  いろんな意味でたくましい公爵令嬢と、不器用すぎる王子との恋物語──。 ※タグをよくご確認ください※

十年目の離婚

杉本凪咲
恋愛
結婚十年目。 夫は離婚を切り出しました。 愛人と、その子供と、一緒に暮らしたいからと。

平凡なる側室は陛下の愛は求めていない

かぐや
恋愛
小国の王女と帝国の主上との結婚式は恙なく終わり、王女は側室として後宮に住まうことになった。 そこで帝は言う。「俺に愛を求めるな」と。 だが側室は自他共に認める平凡で、はなからそんなものは求めていない。 側室が求めているのは、自由と安然のみであった。 そんな側室が周囲を巻き込んで自分の自由を求め、その過程でうっかり陛下にも溺愛されるお話。

婚約破棄されないまま正妃になってしまった令嬢

alunam
恋愛
 婚約破棄はされなかった……そんな必要は無かったから。 既に愛情の無くなった結婚をしても相手は王太子。困る事は無かったから……  愛されない正妃なぞ珍しくもない、愛される側妃がいるから……  そして寵愛を受けた側妃が世継ぎを産み、正妃の座に成り代わろうとするのも珍しい事ではない……それが今、この時に訪れただけ……    これは婚約破棄される事のなかった愛されない正妃。元・辺境伯爵シェリオン家令嬢『フィアル・シェリオン』の知らない所で、周りの奴等が勝手に王家の連中に「ざまぁ!」する話。 ※あらすじですらシリアスが保たない程度の内容、プロット消失からの練り直し試作品、荒唐無稽でもハッピーエンドならいいんじゃい!的なガバガバ設定 それでもよろしければご一読お願い致します。更によろしければ感想・アドバイスなんかも是非是非。全十三話+オマケ一話、一日二回更新でっす!

アリシアの恋は終わったのです。

ことりちゃん
恋愛
昼休みの廊下で、アリシアはずっとずっと大好きだったマークから、いきなり頬を引っ叩かれた。 その瞬間、アリシアの恋は終わりを迎えた。 そこから長年の虚しい片想いに別れを告げ、新しい道へと歩き出すアリシア。 反対に、後になってアリシアの想いに触れ、遅すぎる行動に出るマーク。 案外吹っ切れて楽しく過ごす女子と、どうしようもなく後悔する残念な男子のお話です。 ーーーーー 12話で完結します。 よろしくお願いします(´∀`)

番を辞めますさようなら

京佳
恋愛
番である婚約者に冷遇され続けた私は彼の裏切りを目撃した。心が壊れた私は彼の番で居続ける事を放棄した。私ではなく別の人と幸せになって下さい。さようなら… 愛されなかった番 すれ違いエンド ざまぁ ゆるゆる設定

処理中です...