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いざ、潤銘郷へ【9】

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 壁に使用している土も、見る限りでは澪の生まれた匠閃城で使われているような高価なものに見えた。
 匠閃郷では貴族に使用している材料が、潤銘郷では当然のように庶民の家屋に使用されている。その生活の違いに、澪はただただ驚くばかりだった。

 更に郷の中を進む。神室軍の姿を見て、郷人達は歓声を上げ、歩澄の名前を呼んだ。

「すごい……」

 たったのこれだけで、澪は歩澄がどれ程民から慕われているかが理解できるようだった。民にとってここの統主は信頼できる唯一無二の存在。
 本来統主とはこうでなくてはならない。

 澪は、匠閃郷統主である実父の姿を思い出す。匠閃郷の民はただの一度でもこのように統主を信頼することができた時もあったのだろうか。想像もできない城内の光景が蘇り、胸を痛めた。

 しかし、澪に刀を向けた神室歩澄は噂通りの冷酷非道な男に見えた。殺気を放ち、澪を殺すつもりだった。
 それが潤銘郷ここでは違うというのか。それとも、本当の神室歩澄の姿を民達は知らないのだろうか。澪には、神室歩澄という男がわからなかった。

 更に奥へ進むと、右側に急な弧を描いた大きな赤い橋が遠くに見えた。その更に向こうには、見事な桜色が道に沿っていくつも並んでいる。

「桜……」

 一瞬だけ見えた美しい景色。すぐに前を行く軍勢に続くことで視界から外れてしまった。

「桜は匠閃郷にもあるのか?」

 澪の言葉を拾った瑛梓はそう尋ねた。

「ありますよ。桜も梅も桃もあります。ですが、どれも高価で見られるのは一部の地域だけです。匠閃城にも私が幼い頃には立派な桜の木が一本ありましたが、今はもうないようですね。枯れてしまったのでしょうか……」

「どの木もそうだが一度だめになると再度花を咲かせるのは難しい。異国から植物を運び込むにはそれなりの規制がある。潤銘郷とて、あれだけの数を全て持ち込んだわけではない」

 桜は特に環境によっては咲かない国もある。ある国では桜が象徴として捉えられる程見事に並木を作っている。その国からの苗木を輸入することは可能でも、澪が言うように高価であり、いくつも入手するのは不可能であった。
 潤銘郷ではたった一つの苗木から桜を育て、挿し木をして並木を作った。桜の木は切り口から腐りやすく、挿し木に成功しているのもこの潤銘郷だけである。

「そうなんですか……。腕利きの職人がいるのですね」

「潤銘郷には、匠閃郷出身の者も多くいるからな」

「え!?」

「匠閃郷の者が持つ技術はどれも申し分ない。潤銘郷では得られない技術が多くある。腕利きの技術者がいればこちらから声をかけることもする。郷から家と決まった賃金を支払ってな」

「潤銘郷で雇われるということですか?」

「そうだ。ただ、強制ではない。技術を買われれば、匠閃郷よりも随分裕福な暮らしができる。それを目的に快諾する者もいるということだ」

「それで……」

 澪は瑛梓の言葉を聞いて納得した。技術の高い家や橋。綺麗に均された地面。そして美しく咲き誇る多種多様な木々や花。
 どれも匠閃郷の技術なしでは成し得なかった風景である。  

 美しさは認めるが、これ等の技術が金で買われたものかと思うと、自分達の郷の技術が他郷を潤すために使われているようで澪は悔しくもあった。

「そんな複雑そうな顔をしなくてもいい。昔は、匠閃郷も潤銘郷も交流が盛んだった」

 瑛梓は澪の表情が変わったのを見て、少しばかり昔話をした。

 匠閃郷にも当然富裕層は存在する。神室軍と澪が駆け抜けてきた草原は、その昔匠閃郷の富裕層達の家々が並んでいた。
 澪が貴族の家と間違えた程の立派な家だった。
 職人が多数存在する区域には、潤銘郷の人間も侵入できない。しかし、その手前で暮らす民達とは交流が可能だった。
 腕利きの職人を紹介してもらっては、刀や衣装を依頼する。また、建造物は高額な値で取引されるため、匠閃郷の匠達も喜んで仕事に出掛けた。

 そんな中、潤銘郷を拠点としその技術を磨かないかと声がかかれば、半信半疑で潤銘郷へ身を置く者も増えていった。
 住んでみれば家を与えられ、仕事は十分にあり、水や食物は翠穣郷から仕入れた新鮮なものを食すことができた。まさに匠閃郷の民にとっては夢のような暮らしができた。

 潤銘郷から出るために高額な通行料をとるのは、こういった秀でた技術を持つ元匠閃郷の民を安易に故郷へ帰さないためでもあった。しかし、自ら潤銘郷を出ていこうとする者は殆どいなかった。
 それどころか、匠閃郷への不満を語る匠閃郷出身の民。いつしか潤銘郷では、匠閃郷は技術はあるが、住みにくく統主は民に無関心。貧しい民も放っておくような残忍な郷であると噂がたった。
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