その傷を舐めさせて

雪村こはる

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近付く距離と遠ざかる距離

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 ざぁっとテレビ画面に映し出された砂嵐のような音が響くと、その刹那にその場で演奏されているかのような生々しい楽器の音が聞こえた。

「わっ……凄い」

 たった数秒間で夕映は一気に引き込まれた。夜天と共に訪れたコンサート会場にいるかのような錯覚にとらわれたのだ。

「いい音だろ? こんなんでも100年以上も前に作られた音なんだぞ」

「100年……。私、カセットテープも見たことないのに」

「カセットテープ懐かしいな。俺が子供の頃はまだそれだったな。そこからCDやMDやらに発展するまで早かったけど……人間の技術ってすげぇよな」

 まるで愛しい恋人を見つめるかのような視線を蓄音機に送る。大きなラッパはしっかりと磨かれており、年季が入ってるにもかかわらずとても輝いて見えた。そんな夜天の新たな一面を知った夕映はとくんと心が温まるような感覚を抱いた。
 ソファーに座って優雅に出された紅茶を飲めば、まるで西洋の令嬢にでもなった気分だった。

 演奏家が目の前で演奏してくれているような気分になり、とても心地よかった。目を閉じれば隣に座る夜天の体温も感じてコンサート会場での空気感を肌で感じた。

 何曲目かになると夕映はぱっと目を開け、「あ! この曲です」と声を上げた。

「ショパンか。これが好きだなんて中々センスがいいな」

 夜天はそう言って満足気に微笑んだ。ただ、夕映が口ずさんだメロディーとはやはりどうしても同じとは思えなかった。

「これはバイオリンの音ですか」

「そうだな。ピアノもあるぞ」

「じゃあ、これが終わったらピアノが聴きたいです」

「同じ曲聴くのか?」

「ずっと聴きたかったんですよ」

 夕映はそう言ってまた静かに目を閉じた。夜天はその様子を見てふっと微笑んだ。
 夜天が今まで交際した相手には当然同じ趣味をもった女性もいた。しかし、反対に全く興味のない者もいた。

「古いものは好きじゃないの」

 この蓄音機を見てそう冷たい視線を向けられたこともあった。別に理解してくれなくてもいい。ただ俺が好きなだけだから。そんなふうに夜天は思ったが、素直にこの空間を受け入れる夕映の存在が心を落ち着かせた。

 最近、仕事でイライラすることも多かったからな。こんな静かな休日なら悪くない。

 他人を家にあげるのは好きではないが、一々行動する前に善し悪しを夜天に確認する夕映ならやたらとその辺の物に触ったりもしないだろうと思えた。予想通り、大人しく曲を聴いている夕映を見てはふっと頬を緩めた。
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