付喪神、子どもを拾う。

真鳥カノ

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2巻

2-1

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 第一章 さくらのせいれいとお花見ごはん


 ひらひらひらひら。
 さくらの花でいっぱいだ。
 空も雲もお星さまも、ぜんぶぜんぶ、さくらになったみたい。
 それにね、けんのごはんもみんなさくらみたいだよ。
 いろんな色で作られてて、とってもきれいなんだ。
 さくらもけんがごはんにしたら……おいしいのかな?


     ❖


 トントン、ぐつぐつ、ジュージュー……
 様々な音が、台所から聞こえている。台所のテーブルの上はみるみる皿で埋まっていった。
 甘辛いタレでこんがり焼いた魚は褐色かっしょく、きれいに巻かれた卵焼きはあざやかな山吹色やまぶきいろいろどりを与える野菜たちは新緑の色、そして最後に桜麩さくらふを用意して、ほんのり淡い桜色を足す。
 様々な香りを放つ、色とりどりの料理を見たはるの瞳は、まるで宝石箱を開けたときのように輝いていた。

「きれい!」
「ああ、こういうのはいろどりも大事だからな」

 悠の言葉を聞いて、包丁の付喪つくもがみけんは嬉しそうに頷いた。剣は包丁の持ち主であった代々の料理人たちの技と志を継ぎ、普段は流しの料理人として働いている。
 家の前で行き倒れていた悠を剣が保護ほごしてから、数か月が経った。
 二人で台所に立つことは、もうすっかり日課になっている。
 昨日の夜から仕込んでいたものも含めて、ようやくすべて料理が出来上がった。
 剣は粗熱あらねつをとった料理たちを、手早く切り分けて重箱にそっと収めていく。
 甘いしょっぱいなどの味別に分けておかずを配置する。それにいろどりも考えて、見栄えがよくなるよう注意して並べ、春の味覚が詰まったおじゅうが二段、完成した。

「おかずはこれでよし! じゃあ最後のおじゅうに取りかかるか」

 そう言うと、剣はあらかじめ用意していた大きなおけを引き寄せた。
 中に入っているのは、大量の白米。それらは、ほんの少しツンとする香りを放っている。

「おすし!」

 ついひと月ほど前、剣たちとちらし寿司ずしケーキを作った経験から、米が何に使われるかを悠が見事に言い当てる。剣は思い切り悠をまわした。

「大正解! よく覚えてたな」

 ぐりぐり頭をでられて、悠はくすぐったそうに顔をほころばせる。しかしすぐに、寿司桶すしおけの横に次々並べられるボウルに、不思議そうに視線を移した。

「見てな」

 きょとんとする悠に剣はそう言って、しゃもじを手に取った。
 雛祭ひなまつりのときに作ったちらし寿司ずしケーキとは、用意されている材料が違う。
 剣が空いているボウルを手元に置き、寿司桶すしおけから四分の一ほど寿司飯すしめしすくれる。そこへ、用意していた具材のうちの一つを入れて混ぜ始めた。
 ご飯を混ぜ終わると、剣は別の器を手元に寄せた。そこに入っているのは、つゆにつけ込んだ油揚あぶらあげだ。じっくりつけ込んだおかげで、つゆの色に染まってしんなりした油揚あぶらあげが、何枚も器の中に重なっている。
 剣はそこから一枚取り、切り込みをぱっくり開いた。大きく開いた油揚あぶらあげの中に、混ぜた寿司飯すしめしを詰め、しっかりと口を閉める。

「いなり寿司ずしの出来上がりだ」
「いなりずし?」
「そう。こうして油揚あぶらあげの中にご飯を詰めて作る寿司すしだよ」
「……おいしい?」
「もちろん」

 剣がそう答えると、悠は頬を真っ赤にして嬉しそうに笑った。食べる前から美味しいと確信したかのようだった。

「あとはこのいなり寿司ずしをたくさん作ったら出来上がりだ。手伝ってくれるか、悠?」
「うん!」

 寿司桶すしおけの中にはまだ四分の三ほどご飯が残っていて、他に具材もある。
 それらを使ってすべてのいなり寿司ずしを作り終えたとき、果たして悠はどんな顔をするだろうか、と剣は考えた。今以上に目をキラキラさせて、食べたそうな顔をするだろうか。
 そう思うと、剣もまた作るのが楽しくて仕方ないのだった。

「よし、じゃあ手早く作って出かけようか。伊三次いさじとの花見場所で合流したら、このお弁当食べような」

 伊三次は元天狗もとてんぐだ。普段はその正体を隠して、私立探偵しりつたんていとして働く。剣が悠を拾ったときも、部下である管狐くだぎつねあかがねしろがねとともに、色々と世話をしてくれたものだ。

「うん! たのしみ!」

 悠の返事が、さっきよりもずっと大きく元気なものだったので、剣は笑いをこらえるのに苦労しながら、次の油揚あぶらあげに手を伸ばした。


     ❖


 四月の初旬、剣と伊三次、銅・銀は皆で集まる計画を立てた。
 理由は一つ。悠に桜の花を思う存分見せてやるためだった。
 花見の話をしてから、悠はずっと楽しみにしていた。図鑑ずかんで桜について調べたり、ニュースの開花情報を見たりしては、早く行ってみたいと言っていたのだ。
 本日は快晴。しかも家族連れの少ない平日。まさに、絶好の花見日和だった。
 先ほど作ったお弁当を持って、桜が見事だと評判の公園に剣と悠が足を踏み入れる。すると、想像をはるかに上回る、空を覆い尽くすほどの桜であふれていた。
 空がすべて桜で埋め尽くされたかのように、どこを見ても淡いピンク色の花弁かべんっている。ひらりとちる花びらの一つ一つを、悠のまん丸で大きな目が追っている。そして風に乗ってどこかへ飛んでいくたびに「ほぁ」と感嘆かんたんの声をらす。

「悠、散っている花びらだけじゃなくて、上も見てみな」

 剣にそう言われて、悠は頭上を見上げた。すると悠の目が、更に大きく見開かれる。
 花びらを降らせる桜の木が、悠のはるか上にあった。
 ピンク色の天井が風が吹くたびにゆらゆら揺れて、まるで訪れた者を歓迎しているようだ。

「きれい……!」
「ああ、きれいだな」

 今日の日にちや場所、段取りは、すべて伊三次たちが決めてくれた。
 おかげで剣は彼らの希望するメニューをすべて作る羽目になったが……

(まぁいいか。悠がこんなに喜んでるなら)

 そう思い、剣は胸中で伊三次たちに礼を述べた。
 そして先に来て、場所を確保して待っているはずの三人の姿を捜した。
 あの三人はとても目立つ。剣は遠目でもすぐに見つけられると思っていたのだが、なかなか見当たらない。そう思っていると、前方から頓狂とんきょうな声が聞こえた。

「ぴゃっ!」

 悠の声だった。
 何事かと悠のほうを見ると、真っ白な光が二つ、悠の周囲を飛んでいる。
 悠は嫌がってはいない。くすぐったそうにしているというか、じゃれているような様子だ。

「おーい、銀に銅、それくらいにして案内してくれ」

 剣が笑いながらそう声をかけると、光はゆっくりとがり、そして徐々に人の輪郭りんかくを成した。

「申し訳ありません、剣殿」
「桜に夢中になっているわらべが面白くて、ついからかってしもうた」

 そう言って、銀と銅は二人揃ってぺこりと頭を下げた。
 二人とも、今は白い光でもきつねの姿でもなく、黒っぽいシャツと綿めんのズボンに身を包んだ人間の姿をしている。
 髪が銀色で、瞳が金色であることを除けば、端整な顔立ちの青年にしか見えない。

「二人とも、今は昼間で、ここは公園だぞ。さっきみたいなことして、大丈夫か?」

 二人の容姿はただでさえ人目を引くというのに、急に光が人間の姿に化けるところを見らたら、大騒ぎになりかねない。
 だが、今は人の少ない平日。剣が周囲を見回しても、近くに人がいる様子はない。

「大げさじゃのう、剣殿は。我々われわれとて、それくらい心得ておりますぞ」
「仮に銅が何かしでかしても、わたくしがなんとかつくろいますので、ご安心を」
「……待て、何かしでかすのがわれであることが前提なのは何故じゃ?」

 銅の追及を無視して、銀は剣の荷物をひょいっと受け取った。

「剣殿のお手製の花見弁当ですな。主様ぬしさまも、それはもう楽しみにしておられました。ささ、こちらへ……」
「ありがとう、銀。悠と一緒に作ったんだ。悠も食べてほしそうにしてたよ」
「おい、待たんか! われの問いは……」

 すたすた歩き去ろうとする銀を追いかける銅。
 その服のすそを、下からきゅっと引っ張る手があった。悠の手だ。

「あかがね、おべんとう、おいしい、はやく」

 悠は、以前よりも口数が増え、言葉遣ことばづかいもしっかりしてきた。しかし、何か夢中になったり、とてつもなく楽しみなことがあると、こうしてたどたどしくなる。
 今のは『お弁当が美味しそうだから、早く食べよう』の意だ。
 純粋な瞳を向けられ、銅は一瞬にして気が抜けてしまった。

「おぬしにはかなわんのう……」

 苦笑いとともに、銅は悠の手を握って剣たちに追いつき、四人で弁当の中身についてあれこれ話し始める。


     ❖


 しばらく歩くと、レジャーシートをいて待っている伊三次が見えてきた。

「おまえたちは本当……食い物のことしか頭にねえのか」

 今回の花見の発起人ほっきにんである伊三次が呆れ顔で言う。

主様ぬしさまこそ、剣殿の料理を食べたがっていたではありませんか!」
「そうです。主様ぬしさまも料理に挑戦してみたらいかがですか? わたくしたちのいつもの食事といったら……」

 銅と銀が不服そうに対抗する。

(本当、伊三次たちは食に関することで争いが絶えないなぁ……)

 伊三次と銀・銅が、日々の食事についてさもしく、喧々囂々けんけんごうごうとやり合っている様子を横目で見ながら、剣はささっと重箱を広げていった。
 文句を言い合う三人だったが、剣が重箱のふたを取ると、その言い合いがぴたりとやんだ。

「おお、美味そう!」
まことに」
「さすがは剣殿じゃ!」

 急に意見が一致した伊三次と管狐たちに、悠は順番にばしを渡していく。

「どうぞ」
「おお、ありがとうな、悠。おまえは、本当にいい子だなぁ……」

 何やらしみじみ言って悠の頭をまわす伊三次。
 悠はくすぐったそうにしている。横で聞いていた双子は、ぴくんと反応した。

主様ぬしさま……『おまえは』とはどういう意味でしょうか」
「言葉どおりだよ」

 銀の言葉に伊三次が答える。

わらべが『いい子』であるのは疑う余地はありませぬが、我々われわれは?」
「さあな」

 銅の問いを軽く受け流して、伊三次は悠の頭だけをつづける。
 怒りの視線を向ける双子と伊三次の間に、剣が割り込んで言った。

「はいはいはい、そこまで。ここは俺と悠に免じて、皆仲良く……な?」

 剣呑けんのんな雰囲気はやんだが、まだ双方はふてくされたままだ。
 剣はさっと一つ目と二つ目のおじゅうを引き寄せて、料理を見せていく。

「ほら、悠と一緒にたくさん作ったんだぞ~! 昨日の夜から仕込んで頑張ったんだぞ~」

 剣の言葉で、伊三次と銀・銅、三人の視線が重箱の中に集中した。
 詰められたメニューの一品ずつに、目をめている。

「……出汁巻だしまき卵が桜形になってるな。あと桜麩さくらふもある」
「そうそう。伊三次の希望だったからな」
いも蜜煮みつに高野豆腐こうやどうふ田楽でんがくもありますな」
「うん、銀の希望だったな」
「……幽庵焼ゆうあんやきに、たこの桜煮まで……」
「そりゃあ、銅の希望だったからな。それに、まだあるんだぞ」

 伊三次、銀・銅が口々に言い、剣が笑顔で答える。
 剣が悠に目配せすると、悠は『待ってました』と言わんばかりに、わくわくした顔で、三つ目のおじゅうふたを開いた。そこに入っていたのは……

「「「い……いなりずし!」」」

 伊三次たちの声が重なった。
 悠が開けた三つ目のおじゅうには、甘辛いつゆをたっぷり吸った、つやつやのいなり寿司ずしがぎっしり詰まっていた。甘い香りときれいに整列した美しい見た目に、銀と銅は言葉をなくした。それまでのピリピリした気持ちなど、どこかへ吹き飛んでしまったかのように、じっと重箱の中を見つめている。そして、時々ちらちらと伊三次と剣のほうを見て、食べてもいいかうかがっている。

「あー、まぁなんだ。悪かった。剣と悠の弁当を、堪能たんのうするとしようか」

 伊三次はそう言うと、今度は剣のほうを見た。
 剣が静かに手を合わせる。悠もそれにならい、続いて伊三次たちも手を合わせた。
 全員が手を合わせたのを確認して、剣は高らかに告げた。

「では皆、花見のご飯をたくさんがれ。いただきます!」
「「「「いただきます!」」」」

 他の面々も大きな声でそう言って、一斉にはしを取った。思い思い好きな料理を一口パクリと食べる。そのあとに発する言葉は、もう決まっていた。

「美味い!」
「美味しいですね」
「美味いのう!」
「おいしい!」
「そうか、よかった」

 笑顔を見せる伊三次たちに剣はホッとして、自分も一口、頬張ほおばった。この面子めんつが集まると、早く食べないとすぐになくなってしまうのだ。

「すごいな! この出汁巻だしまき卵どうやったんだ?」

 伊三次がもぐもぐ言いながら、剣に尋ねる。

「ああ、それは……普通の出汁巻だしまき卵を作って、竹串を五箇所にあてて、輪ゴムで固定してしばらく待つんだよ。そうすると、こういう花の形に変形するんだ」
「へぇ……」

 感心しながらまたぱくっと一口食べる伊三次を横目に、剣も次のおかずにはしを伸ばそうとした。すると今度は、伊三次の横の銀から、感嘆かんたんのため息がれる。

「このいも蜜煮みつにの相変わらず美しいこと……感服いたします。どうすれば、このように美しく作れるのですか?」
「いや、別に特別な作り方はしてないよ」

 そう剣が言ったものの、銀の目は期待に満ちている。

「えーと、たぶん大事なのはアク抜きじゃないか。黒っぽくならないようによく水にさらすのがコツかな……あとはよくあるレシピどおりだよ。砂糖、みりん、塩で煮て……」
「アク抜きの極意とは……⁉」

 よほど蜜煮みつにが気に入ったのか、銀はいつになくグイグイ来る。普段は冷静なので、印象が大きく違って、剣は戸惑とまどっている。すると銅が、剣に迫る銀の首根っこをつかんで止めた。

「やめんか。おぬしが聞いたところで焦がすだけであろうが」
「何を⁉」
「そういうのはわれが聞いておく。おぬしは下がっていもを食っておれ」

 銅がしっしっと手を払うと、銀は悔しそうにしつつも引き下がった。不器用な自覚があるため、こう言われても何も言えないのだ。
 銅はニンマリと笑みを浮かべて、先ほどの銀よりも近く、剣に詰め寄る。

「剣殿、剣殿! このたこの美味さの秘訣ひけつをお教え願いたい!」

 どうやら、質問攻めからはまだ解放されないようだ。剣は諦めて、はしを置いた。

秘訣ひけつって言っても、普通のことしかしてないよ。昨日の晩から寝かせてたから味がよくみてるくらいじゃないか?」

 剣がそう口にすると同時に、となりから小さな悲鳴が聞こえた。
 悠がたこの桜煮を見てふるえていたのだ。

「なんじゃわらべよ。たこが怖いのか?」

 そう尋ねる銅に、悠は首を横にぶんぶんと振って、おそるおそる呟いた。

「それ……いたい」
「痛いとは? 事切れておるから何もせぬぞ?」

 銅が不思議そうに言う。
 悠のその言葉に、剣は心当たりがあった。縮こまる悠をでながら、剣が代わりに説明した。

「たこの下処理をしたときに、悠に手伝ってもらおうとしたんだけど……そのときにショックを受けたみたいでな。弁当箱に詰めるときも、たこのときだけこの調子だったんだ」
「どのような恐ろしい処理を?」
「いや、普通だよ。思いっきり叩いたんだ、大根で」
「「「大根で⁉」」」

 銅だけでなく、伊三次と銀の声まで重なった。悠はというと、そのときの光景を思い出したのか、うつむいてしまった。

「たこは大根で叩いて煮ると柔らかくなるんだ。大根の酵素こうそが、たこの繊維質せんいしつをほぐすのにいいって言われてるんだよ」
「なるほど……それで、悠の目の前でたこをぶっ叩いたんだな。一切遠慮えんりょなく」

 伊三次がため息を吐きながら言う。

「……まぁ、そういうわけだ」

 悠はとても感受性が強い。食材に対しても感情移入してしまうようだった。
 すでにさばかれた肉や魚ならともかく、まだたことわかる姿をした状態で、したたかに打ちつけられている様を見たら『痛そう』と思ってしまうのも無理はない。
 悠は怯えていたのではなく、たこを哀れんでいたのだ。

「まったく……変なところでにぶいんだからなぁ、剣は」
「どっちにしろ俺がやるつもりだったんだけど……悠じゃ叩く力が足りないからな」
「そういうことじゃない」
わたくしもそう思います」
「左様ですな……」

 全員から突っ込まれ、剣は素直にそれを受け止めた。
 悠は、やはりその光景がトラウマになっているのか、たこだけ見事にけて食べている。他の料理は満面の笑みでもぐもぐしているというのに。

「なんとか、あの場面を忘れさせてやれないもんかな」
「そんなもの、容易たやすいでしょう」

 悠の分までたこを頬張ほおばりながら、事もなげに銅は言った。

「おまえはまたお気軽にそんなことを……」
「余計なことはしないほうがいい。事態が悪化する」

 伊三次も、銀も、揃って眉根を寄せてたしなめる。

「失敬な! 本当に容易たやすいからそう言っておるのであろうが」

 三人の喧嘩けんかを悠はハラハラして見つめていたが、銅は構わず剣の肩をつかんで告げた。

「剣殿、料理のトラウマを取り除くのは料理しかありませぬ! たこを打ちのめす光景をわらべが忘れてしまうほどの美味い料理で、よき思い出を作ってやるのです」
「銅……簡単に言ってくれるなぁ……」

 銀は珍しく銅に同意しているのかうんうん頷き、伊三次は呆れながらコップに酒を注いでいた。桜がってこんなにも華やかなのに、どうして自分だけ悩まなくてはならないのか。
 そう心の中でぼやきながら、剣はがっくりと項垂うなだれた。
 すると、伊三次がため息交じりに言う。

「別に難しいことじゃねえだろ。悠が食べたことのない料理なんて山ほどあるんだから」
「そりゃあ、そうだけど……」

 剣の憂鬱ゆううつを吹き飛ばすように、少し強い風が剣たちの間を吹き抜けていった。
 風に運ばれて、小さな花びらが目の前をう。はらはらちる様は、まるで季節外れの雪のようだ。そんな淡雪あわゆきに似た花びらがひとひら、伊三次の持つコップの中に落ちる。

「いいねぇ、風流だ」

 伊三次はコップをもてあそび、しばし花びらがう様を楽しんでいた。

「そうだ」

 すると、まだうんうんうなっている剣に向かって、伊三次が突然声をかける。

「悩まなくても、悠が今、ものすごく気に入ってるものがあるじゃねえか」
「ものすごく気に入ってるもの?」

 尋ねる剣に微笑んでから、伊三次は悠と視線を合わせた。相変わらずたこ以外を元気に頬張ほおばっている。

「なあ悠、桜、好きか?」

 そう聞きながら、伊三次は桜の木を指さした。桜がっている様を見て、悠が力いっぱい頷く。

「そうかそうか。そんな悠に、とってもいいお知らせがある」
「おしらせ?」
「そう。実はな……この桜、食べられるんだ」
「え⁉」

 悠は、持っていたいなり寿司ずしを落としそうになりながら叫んだ。そして、伊三次と頭上の桜を何度も何度も見比べている。信じがたいらしく、最後には剣に視線を向けた。

「まぁ……塩漬けにしたものを料理に使うのは、よくあるな」

 剣がそう言うと、悠は衝撃しょうげきを受けていた。
 これほどきれいで可憐かれんなのに、その上食べられるのか。悠がそんな風に思っているのが、はっきり顔から伝わってきた。そして、悠の行動は早かった。
 持っていたいなり寿司ずしを手早く食べ終わり、手をく。そして次の瞬間には、レジャーシートのわきに寄せていたくついていた。

「え、どこに行くんだ?」

 剣が尋ねると、悠は凜々りりしい面持おももちで答えた。

「さくら、さがす!」

 そう告げると、悠は走り去ってしまった。

「あれま……思い立ったが吉日きちじつってか。誰に似たんだろうな」

 伊三次の暢気のんきな言葉に反論する間もなく、剣は立ち上がった。
 しかし、すぐにそでを引かれ、引き戻される。

「そんなすぐに追いかけなくていいだろ」
「悠はこの公園に来たのは初めてなんだぞ。迷子になったりしたら……」
「公園の中にいれば心配ないだろ。いざとなったら、こいつらに迎えに行かせるさ」

 伊三次が言うと、銀・銅の二人は頷いた。確かに、剣が歩き回るより、二人が気配を探るほうがずっと早くて確実だ。だからといって、保護者である自分が何もせずにいていいものか……剣は考えあぐねる。

「あんまり四六時中べったり張り付いているのもよくないぜ。子どもの初めての冒険を見守ってやろうや」

 そう言われてしまっては、剣には返す言葉がなくなる。大人しく座り直した剣に、伊三次はコップを渡し、酒を注ごうとした。
 酒が入るより前に、剣は素早くお茶を注いで、ぐいっと一気に飲み干した。


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