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第三章 5年越しの……
一
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『朝ですよ。起きてください』
声と共に、寝室のカーテンが開く。
だが曇っているのか、それほど強烈な日差しは襲ってこない。
『朝ですよ。次のアラームで最後ですよ。起きてください』
「……はいはい」
軋む腰を抑えながら、のそのそと起き出した。
六十にもなると、体のどこかしらが痛んで困ったものだ。
妻が亡くなって五年。今日も今日とて、妻が仕込んだタブレット端末がけたたましいアラーム音を鳴らして、起こしてくれた。
タブレット端末は、するすると天井を滑るように移動し、俺を居間まで先導した。居間では、いつもと同じ光景が広がっていた。ソファには新聞が置かれ、テレビは朝の情報番組を流している。台所では妻が仕込んだ機械たちが、朝食を作り、コーヒーを淹れていた。
俺は、ソファの上の新聞を手に取り、そのままダイニングテーブルに向った。
最近は慢性的に腰痛だ。いちいち座って立ってを繰り返すのが辛くなってきた、だから、最初からダイニングテーブルにつくようにしているのだ。
”妻”は、今も変わらず新聞はソファに、コーヒーはテーブルに置く。それは妻がそうプログラムしたからだ。俺には、そのプログラムを変更する術がない。よって、習慣を変えた今でも、機械たちの方は変わらないのだ。
『コーヒーが入りましたよー』
「ありがとう」
”妻”は、俺の言葉には何も答えず、するすると台所の方へ行ってしまった。
恥ずかしながら、妻が生きていた頃、朝のコーヒーに対して礼を言ったことがなかった。寝起きでぼんやりしていたからということもあったが、何よりいちいち礼を言うのが気恥ずかしかった。だが、そんな考えでいたせいで、一生礼を言いそびれてしまうことになった。
今からでも言うようにすれば多少は違うだろうかと思い、数年前から礼を返すようにしたのだ。それに対する”妻”のリアクションは……先ほどの通り、なしのつぶてだが。
ぼんやりと新聞を広げてコーヒーを飲む俺の前に、続々と皿が運ばれてくる。
ほかほかの白飯、豆腐とネギの味噌汁、ぬか漬けに厚焼き玉子……今日は紅ショウガが付いている。心なしか、色合いが華やかだ。
いつも別段変化を付けることはしないのに、今日はどうしたことだろう。
不思議に思って手を付けずに覗き込んでいると、”妻”のタブレット端末がやってきた。
『今日は、早く帰れますか?』
そんな質問と共に、画面には『Yes』か『No』の二択ボタンが表示された。
最近は部署移動があり、出張も単身赴任もなくなり、ほぼ定時で帰れるようになっていた。確か今日は残業予定はないし、飲みに行く予定もなかったはずだ。
頭の中のスケジュールをざっと思い返し、『Yes』のボタンを押す。すると、小さく花が咲いたようなエフェクトが広がった。
「???」
いつもならボタンを押した時にこんなエフェクトは出ない。いったいどうしたんだろう。
俺の疑問をよそに、タブレット画面には更なる選択肢が表示された。
『晩ご飯は何が食べたいですか?』
いつも帰ってきた時に聞くのに、本当にどうしてしまったんだろうか。
だが、その表示されたラインナップを見て、ふと気付いた。
寿司、ピザ、オードブル、中華、和食、丼……どれも、ちょっと奮発して食べたい時に頼んでいた出前だ。
「そういうことか」
俺は少し悩んだ末に、寿司のボタンを押した。たまにはいいだろうと思って。
『了解です♪ 楽しみにしててくださいね! あと、19時には絶対帰ってきてくださいね』
「……はいはい」
録音された声だというのに、”妻”の声は、妙にウキウキしていた。こんな浮かれた調子の妻の声は、久しぶりに聞いた気がする。
声と共に、寝室のカーテンが開く。
だが曇っているのか、それほど強烈な日差しは襲ってこない。
『朝ですよ。次のアラームで最後ですよ。起きてください』
「……はいはい」
軋む腰を抑えながら、のそのそと起き出した。
六十にもなると、体のどこかしらが痛んで困ったものだ。
妻が亡くなって五年。今日も今日とて、妻が仕込んだタブレット端末がけたたましいアラーム音を鳴らして、起こしてくれた。
タブレット端末は、するすると天井を滑るように移動し、俺を居間まで先導した。居間では、いつもと同じ光景が広がっていた。ソファには新聞が置かれ、テレビは朝の情報番組を流している。台所では妻が仕込んだ機械たちが、朝食を作り、コーヒーを淹れていた。
俺は、ソファの上の新聞を手に取り、そのままダイニングテーブルに向った。
最近は慢性的に腰痛だ。いちいち座って立ってを繰り返すのが辛くなってきた、だから、最初からダイニングテーブルにつくようにしているのだ。
”妻”は、今も変わらず新聞はソファに、コーヒーはテーブルに置く。それは妻がそうプログラムしたからだ。俺には、そのプログラムを変更する術がない。よって、習慣を変えた今でも、機械たちの方は変わらないのだ。
『コーヒーが入りましたよー』
「ありがとう」
”妻”は、俺の言葉には何も答えず、するすると台所の方へ行ってしまった。
恥ずかしながら、妻が生きていた頃、朝のコーヒーに対して礼を言ったことがなかった。寝起きでぼんやりしていたからということもあったが、何よりいちいち礼を言うのが気恥ずかしかった。だが、そんな考えでいたせいで、一生礼を言いそびれてしまうことになった。
今からでも言うようにすれば多少は違うだろうかと思い、数年前から礼を返すようにしたのだ。それに対する”妻”のリアクションは……先ほどの通り、なしのつぶてだが。
ぼんやりと新聞を広げてコーヒーを飲む俺の前に、続々と皿が運ばれてくる。
ほかほかの白飯、豆腐とネギの味噌汁、ぬか漬けに厚焼き玉子……今日は紅ショウガが付いている。心なしか、色合いが華やかだ。
いつも別段変化を付けることはしないのに、今日はどうしたことだろう。
不思議に思って手を付けずに覗き込んでいると、”妻”のタブレット端末がやってきた。
『今日は、早く帰れますか?』
そんな質問と共に、画面には『Yes』か『No』の二択ボタンが表示された。
最近は部署移動があり、出張も単身赴任もなくなり、ほぼ定時で帰れるようになっていた。確か今日は残業予定はないし、飲みに行く予定もなかったはずだ。
頭の中のスケジュールをざっと思い返し、『Yes』のボタンを押す。すると、小さく花が咲いたようなエフェクトが広がった。
「???」
いつもならボタンを押した時にこんなエフェクトは出ない。いったいどうしたんだろう。
俺の疑問をよそに、タブレット画面には更なる選択肢が表示された。
『晩ご飯は何が食べたいですか?』
いつも帰ってきた時に聞くのに、本当にどうしてしまったんだろうか。
だが、その表示されたラインナップを見て、ふと気付いた。
寿司、ピザ、オードブル、中華、和食、丼……どれも、ちょっと奮発して食べたい時に頼んでいた出前だ。
「そういうことか」
俺は少し悩んだ末に、寿司のボタンを押した。たまにはいいだろうと思って。
『了解です♪ 楽しみにしててくださいね! あと、19時には絶対帰ってきてくださいね』
「……はいはい」
録音された声だというのに、”妻”の声は、妙にウキウキしていた。こんな浮かれた調子の妻の声は、久しぶりに聞いた気がする。
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