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第二章 四品目 ころころ”パンダさん”
8 ほろ苦い抹茶の思い
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野保家から車で30分ほど走ると、閑静な住宅街とは打って変わって賑やかな繁華街に入る。手近な駐車場に車を停めて、晶は奈々を連れて、一軒のカフェに入った。木調の白い壁にツタを這わせた、少しレトロな雰囲気のカフェだ。
周囲は仕事終わりの憩いの時間を楽しむオシャレな女性がほとんど。そんな中で、ダークグレーのスーツをぴったりと着込んだ晶と部屋着同然のTシャツとショートパンツに身を包んだ奈々が、二人して座って、少し目立っていた。
奈々は周囲の視線を一際気にしてしまうのか、恥ずかしそうに俯くが……晶は何も気にせずパラパラとメニュー表をめくっていた。
「ここのカフェ、美味しいって会社の人が言ってたの。奈々ちゃん、何頼む?」
メニューを見ながら晶が尋ねる。だが、奈々はじっと俯いたまま、答えなかった。唇は、ずっと真一文字に引き結ばれたままだ。
「私は抹茶ラテかな」
「私も、同じで」
「そ、そう……ケーキとか頼む?」
晶の問いに、奈々は首を横に振った。きっと抹茶ラテも、適当に同じ物を頼んだだけなのだろう。
今は、何かを食べたいと思う状態じゃなさそうだ。
晶は店員に注文を伝えると、じっと正面の席に座る奈々を見つめた。
(話を聞いてやってくれと言われたものの……どうしよう)
今日はいつもより早めに帰宅して、竹志の買い出しを手伝うつもりでいた。だが帰ってみると奈々の泣き叫ぶような声が聞こえて、自分と入れ違うように出て行くではないか。居間にいた父親と竹志は焦っているし、天は泣いているし、もうわけがわからなかった。
きょろきょろする間もなく、父親から奈々を追いかけるよう言われ、反射的に従ったのだった。幸い、家を出てすぐの場所で奈々は立ち竦んでいた。
このまま家に連れ帰るのは、きっと良くない。そう思って、車で少し離れた場所に来てみたのだが……道中、奈々は一言も喋ろうとしなかった。
悪意はないとわかる。むしろ、罪悪感で押しつぶされそうな顔だった。父親曰く、それを少しでも和らげてやってほしいということだろうとは思うが……思わぬ大役を担ってしまったようだ。
正直なところ、晶は聞き役というのがどうも苦手だった。友人の愚痴などを聞いていると、どうも論点が定まらず、出口も入り口もわからなくなって頭がごちゃごちゃしてくるのだ。まとまらない話を、ただじっと聞いているのは苦痛だが、それを本人に言うわけにもいかない。だから苦手なのだ。
だけど今は、奈々に寄り添ってあげられるのは、自分しかいない。
晶は抹茶ラテの到着を待ちながら、必死に聞き上手な友人たちの言葉を思い出していた。
「晶ちゃん、ごめんなさい」
「え?」
かき消えそうな声が、真正面から聞こえた。両手を膝の上に置いて、ぎゅっと握りしめている。小さく縮こまって、まるで消えてしまいそうな空気を纏っていた。
「何が『ごめんなさい』なの?」
「迷惑かけて……」
「えーと、ドライブに付き合ってもらって、来たかったカフェに入っただけじゃない。何が迷惑なの?」
「全部……」
今の状況の、いったい何が迷惑をかけていることになるのか。問い返してもいいものか悩んでいると店員がやって来て、抹茶ラテを二つ、テーブルに置いた。
渋い色をした焼き物のマグカップに、豆乳と抹茶パウダーがハート型に載っている。それらが、淡い湯気を上らせて、ほのかに甘い香りを運んできた。
晶が香りをゆっくり楽しんですぅっと一口、口に含む。ミルクとは違う甘みと渋みが口中で混ざり合って、晶は何やらホッとした。
テーブルの向かい側を見ると、奈々がほんの少し眉根を寄せながら、一生懸命、抹茶ラテを飲み干そうとしていた。
「奈々ちゃん、そんなに一気に飲まなくても……熱いでしょ」
晶がそう言っても、奈々は首をぶんぶん横に振って、まだ飲み続けていた。そんなに必死になって飲み下そうとする理由は、なんとなく見当が付いた。
「奈々ちゃん、抹茶ラテ、あんまり美味しくなかった?」
ピクリと、奈々の手が止まった。だが否定するように、またぐいっとカップを煽り、やがて空になったカップをそっとテーブルに置いた。
「お、美味しかった……ごちそうさまでした」
そう言う奈々の口には、白いものがついていた。
「奈々ちゃん……ちょっと」
晶が紙ナプキンで口元を拭いてあげると、ようやく「おひげ」ができていたことに気がついたらしい。奈々の顔は、茹で蛸のように真っ赤になった。
そして先ほど以上に重く深く、俯いてしまった。
「え、奈々ちゃん?」
「もう、嫌や……」
奈々の肩が、震えている。顔は見えないのだが、微かにしゃくり上げるような声も聞こえる。
「全部、ぜんぶ……私のせいやのに。晶ちゃんにもおじちゃんにも、泉さんにも迷惑かけて……天ちゃんにまで……もう嫌……もう無理……」
「奈々ちゃん、どうしたの。何が無理?」
奈々の顔を、ぽたぽたと涙がこぼれ落ちた。それを拭い取ろうと奈々は必死に顔を覆うが、あふれ出るものは奈々の小さな手をするりと通り抜けて、またぽたぽたと落ちていく。
晶がハンカチを渡すと、奈々は首を横に振って断った。代わりに手のひらや着ていたTシャツの袖で拭っている。
晶はハンカチをテーブルに置くと、もう一口、抹茶ラテを飲んだ。奈々の涙が一旦落ち着くまで、静かに待つことにした。
やがて、すすり上げる声が静まってくると、ぽつりと声が聞こえた。
「やっぱり、私には、無理や」
「……『無理』って、何が?」
晶の問いに、奈々はまた口をつぐみそうになっていたが、今度はぐっとこらえて、口を開いた。
「天ちゃんの『ねね』を、やるのが……」
周囲は仕事終わりの憩いの時間を楽しむオシャレな女性がほとんど。そんな中で、ダークグレーのスーツをぴったりと着込んだ晶と部屋着同然のTシャツとショートパンツに身を包んだ奈々が、二人して座って、少し目立っていた。
奈々は周囲の視線を一際気にしてしまうのか、恥ずかしそうに俯くが……晶は何も気にせずパラパラとメニュー表をめくっていた。
「ここのカフェ、美味しいって会社の人が言ってたの。奈々ちゃん、何頼む?」
メニューを見ながら晶が尋ねる。だが、奈々はじっと俯いたまま、答えなかった。唇は、ずっと真一文字に引き結ばれたままだ。
「私は抹茶ラテかな」
「私も、同じで」
「そ、そう……ケーキとか頼む?」
晶の問いに、奈々は首を横に振った。きっと抹茶ラテも、適当に同じ物を頼んだだけなのだろう。
今は、何かを食べたいと思う状態じゃなさそうだ。
晶は店員に注文を伝えると、じっと正面の席に座る奈々を見つめた。
(話を聞いてやってくれと言われたものの……どうしよう)
今日はいつもより早めに帰宅して、竹志の買い出しを手伝うつもりでいた。だが帰ってみると奈々の泣き叫ぶような声が聞こえて、自分と入れ違うように出て行くではないか。居間にいた父親と竹志は焦っているし、天は泣いているし、もうわけがわからなかった。
きょろきょろする間もなく、父親から奈々を追いかけるよう言われ、反射的に従ったのだった。幸い、家を出てすぐの場所で奈々は立ち竦んでいた。
このまま家に連れ帰るのは、きっと良くない。そう思って、車で少し離れた場所に来てみたのだが……道中、奈々は一言も喋ろうとしなかった。
悪意はないとわかる。むしろ、罪悪感で押しつぶされそうな顔だった。父親曰く、それを少しでも和らげてやってほしいということだろうとは思うが……思わぬ大役を担ってしまったようだ。
正直なところ、晶は聞き役というのがどうも苦手だった。友人の愚痴などを聞いていると、どうも論点が定まらず、出口も入り口もわからなくなって頭がごちゃごちゃしてくるのだ。まとまらない話を、ただじっと聞いているのは苦痛だが、それを本人に言うわけにもいかない。だから苦手なのだ。
だけど今は、奈々に寄り添ってあげられるのは、自分しかいない。
晶は抹茶ラテの到着を待ちながら、必死に聞き上手な友人たちの言葉を思い出していた。
「晶ちゃん、ごめんなさい」
「え?」
かき消えそうな声が、真正面から聞こえた。両手を膝の上に置いて、ぎゅっと握りしめている。小さく縮こまって、まるで消えてしまいそうな空気を纏っていた。
「何が『ごめんなさい』なの?」
「迷惑かけて……」
「えーと、ドライブに付き合ってもらって、来たかったカフェに入っただけじゃない。何が迷惑なの?」
「全部……」
今の状況の、いったい何が迷惑をかけていることになるのか。問い返してもいいものか悩んでいると店員がやって来て、抹茶ラテを二つ、テーブルに置いた。
渋い色をした焼き物のマグカップに、豆乳と抹茶パウダーがハート型に載っている。それらが、淡い湯気を上らせて、ほのかに甘い香りを運んできた。
晶が香りをゆっくり楽しんですぅっと一口、口に含む。ミルクとは違う甘みと渋みが口中で混ざり合って、晶は何やらホッとした。
テーブルの向かい側を見ると、奈々がほんの少し眉根を寄せながら、一生懸命、抹茶ラテを飲み干そうとしていた。
「奈々ちゃん、そんなに一気に飲まなくても……熱いでしょ」
晶がそう言っても、奈々は首をぶんぶん横に振って、まだ飲み続けていた。そんなに必死になって飲み下そうとする理由は、なんとなく見当が付いた。
「奈々ちゃん、抹茶ラテ、あんまり美味しくなかった?」
ピクリと、奈々の手が止まった。だが否定するように、またぐいっとカップを煽り、やがて空になったカップをそっとテーブルに置いた。
「お、美味しかった……ごちそうさまでした」
そう言う奈々の口には、白いものがついていた。
「奈々ちゃん……ちょっと」
晶が紙ナプキンで口元を拭いてあげると、ようやく「おひげ」ができていたことに気がついたらしい。奈々の顔は、茹で蛸のように真っ赤になった。
そして先ほど以上に重く深く、俯いてしまった。
「え、奈々ちゃん?」
「もう、嫌や……」
奈々の肩が、震えている。顔は見えないのだが、微かにしゃくり上げるような声も聞こえる。
「全部、ぜんぶ……私のせいやのに。晶ちゃんにもおじちゃんにも、泉さんにも迷惑かけて……天ちゃんにまで……もう嫌……もう無理……」
「奈々ちゃん、どうしたの。何が無理?」
奈々の顔を、ぽたぽたと涙がこぼれ落ちた。それを拭い取ろうと奈々は必死に顔を覆うが、あふれ出るものは奈々の小さな手をするりと通り抜けて、またぽたぽたと落ちていく。
晶がハンカチを渡すと、奈々は首を横に振って断った。代わりに手のひらや着ていたTシャツの袖で拭っている。
晶はハンカチをテーブルに置くと、もう一口、抹茶ラテを飲んだ。奈々の涙が一旦落ち着くまで、静かに待つことにした。
やがて、すすり上げる声が静まってくると、ぽつりと声が聞こえた。
「やっぱり、私には、無理や」
「……『無理』って、何が?」
晶の問いに、奈々はまた口をつぐみそうになっていたが、今度はぐっとこらえて、口を開いた。
「天ちゃんの『ねね』を、やるのが……」
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