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第二章 四品目 ころころ”パンダさん”
6 天の気持ち
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「ちょっと遠出してくる。晩ご飯、私たちの分はいいから」
家を出てすぐに奈々と合流したらしい晶は、竹志に向けてそう言うと、すぐにまた出かけてしまった。今度は車の発信音が聞こえた。本当に遠くまで行くらしい。
晶は嫌なことがあると遠距離までドライブして鬱憤を晴らすらしいので、奈々にも同じようにしてあげるつもりなのだろう。
「晶と奈々ちゃんでは、対処法が違いそうなんだが……まぁ、とりあえずは任せよう」
晶とともに奈々もほんの少し顔を見せた。竹志と野保に小さく会釈を返すものの、天からは視線を逸らせていた。それがまた、天を悲しませた。
天はソファにうずくまっていた。涙は出ていないようだが、完全に殻にこもってしまっているようだ。
こちらを宥めるのもまた、骨が折れそうだ。
「えーと、天ちゃん……晩ご飯は何が食べたい?」
竹志がそう尋ねても、天は何も言わず、ただ首を横に振っていた。
「何も食べないの?」
今度は頷いた。
「それじゃお腹空くよ。ていうかもう空いてるんじゃないかな?」
また、首を横に振った。だけどいつもならお腹が空いたと叫び出す頃だ。きっと意地になっているに違いない。
そんな天の背中を、隣に座った野保が優しく撫でた。
「まぁ、あんなことがあったんだ。食欲も失せるだろうさ。冷めても美味しいものを作ってやってくれないか? 晶たちの分も」
「わかりました」
竹志と野保の会話に、ほんの少し、天はぴくんと反応した。そして、顔を埋めたまま、くぐもった声を発した。
「……ねね、帰って来る?」
竹志と野保は目を見交わしていた。そして、野保が優しく背中を撫でながら答えた。
「当たり前だろう。帰って来るとも」
「ホンマに? ねね、てんちゃんキライになったのに?」
天はそろりと窺うように顔を上げて、そう尋ねる。
「そんなわけないよ! 嫌いになんか……」
「でも、さっき『ドンッ』てした……」
「あれは、その……」
「天ちゃんが嫌いで怒ったんじゃない。悲しくなってしまったんだよ、奈々ちゃんは」
野保がかけた言葉に、天は振り向きながら首を傾げた。
「奈々ちゃんはな、ピアノを弾くのが好きだったが、何か理由があって仕方なくやめてしまったんだ。だから今は、ピアノを弾きたくならないように我慢しているんだよ、きっと」
「……なんで?」
「さあ、理由はわからないが……ともかく、ピアノを弾いてって言われることは、今、一番言って欲しくない言葉だったんだよ」
「だから……『ドンッ』?」
「そう。奈々ちゃんは天ちゃんを嫌いになったんじゃない。だが、天ちゃんが奈々ちゃんの悲しむことを言ってしまったことは確かだ。帰ってきたら『ごめんなさい』を言えるか?」
「……うん」
天は静かに頷いた。野保は背中を撫でるのをやめて、天の頭に手を置いた。
「よし。ついでに、奈々ちゃんに『ピアノを弾いて』なんて、言わないであげような」
「……ずっと、あかん?」
「それを決めるのは奈々ちゃんなんだ。あの子が弾いてもいいと言えば、お願いしてみたらいい」
「……わかった」
天は、曖昧な表情で頷いた。おそらく、いつ聞けばいいのか、わからないのだろう。だが今は、当面聞いてはいけないということを理解できれば十分だった。
「ちゃんとごめんなさいして、ひいてって言わへんかったら……ねね、かえってくる?」
「ああ、きっとな」
天は、今度こそしっかりと頷いた。
小さな天が、初めて罪悪感に苛まれて、贖罪をしようとしている。ならば、その場に居合わせる大人である野保と竹志ができる限り助けてあげなければ。竹志はそう思った。
「よし、じゃあ今日の晩ご飯は奈々ちゃんの好きなものを作ろうか」
そう言うと、天の正面にしゃがんだ。
「天ちゃん、奈々ちゃんが好きなご飯、わかる?」
「すきなごはん?」
「うん。奈々ちゃんが、嬉しそうに食べてたもの。美味しいって言ってたもの。何かあるかな?」
天は少しだけうーんと唸ってから、何か思いついたように頷いた。そして、叫んだ。
「ころころの”パンダさん”!」
「……うん?」
家を出てすぐに奈々と合流したらしい晶は、竹志に向けてそう言うと、すぐにまた出かけてしまった。今度は車の発信音が聞こえた。本当に遠くまで行くらしい。
晶は嫌なことがあると遠距離までドライブして鬱憤を晴らすらしいので、奈々にも同じようにしてあげるつもりなのだろう。
「晶と奈々ちゃんでは、対処法が違いそうなんだが……まぁ、とりあえずは任せよう」
晶とともに奈々もほんの少し顔を見せた。竹志と野保に小さく会釈を返すものの、天からは視線を逸らせていた。それがまた、天を悲しませた。
天はソファにうずくまっていた。涙は出ていないようだが、完全に殻にこもってしまっているようだ。
こちらを宥めるのもまた、骨が折れそうだ。
「えーと、天ちゃん……晩ご飯は何が食べたい?」
竹志がそう尋ねても、天は何も言わず、ただ首を横に振っていた。
「何も食べないの?」
今度は頷いた。
「それじゃお腹空くよ。ていうかもう空いてるんじゃないかな?」
また、首を横に振った。だけどいつもならお腹が空いたと叫び出す頃だ。きっと意地になっているに違いない。
そんな天の背中を、隣に座った野保が優しく撫でた。
「まぁ、あんなことがあったんだ。食欲も失せるだろうさ。冷めても美味しいものを作ってやってくれないか? 晶たちの分も」
「わかりました」
竹志と野保の会話に、ほんの少し、天はぴくんと反応した。そして、顔を埋めたまま、くぐもった声を発した。
「……ねね、帰って来る?」
竹志と野保は目を見交わしていた。そして、野保が優しく背中を撫でながら答えた。
「当たり前だろう。帰って来るとも」
「ホンマに? ねね、てんちゃんキライになったのに?」
天はそろりと窺うように顔を上げて、そう尋ねる。
「そんなわけないよ! 嫌いになんか……」
「でも、さっき『ドンッ』てした……」
「あれは、その……」
「天ちゃんが嫌いで怒ったんじゃない。悲しくなってしまったんだよ、奈々ちゃんは」
野保がかけた言葉に、天は振り向きながら首を傾げた。
「奈々ちゃんはな、ピアノを弾くのが好きだったが、何か理由があって仕方なくやめてしまったんだ。だから今は、ピアノを弾きたくならないように我慢しているんだよ、きっと」
「……なんで?」
「さあ、理由はわからないが……ともかく、ピアノを弾いてって言われることは、今、一番言って欲しくない言葉だったんだよ」
「だから……『ドンッ』?」
「そう。奈々ちゃんは天ちゃんを嫌いになったんじゃない。だが、天ちゃんが奈々ちゃんの悲しむことを言ってしまったことは確かだ。帰ってきたら『ごめんなさい』を言えるか?」
「……うん」
天は静かに頷いた。野保は背中を撫でるのをやめて、天の頭に手を置いた。
「よし。ついでに、奈々ちゃんに『ピアノを弾いて』なんて、言わないであげような」
「……ずっと、あかん?」
「それを決めるのは奈々ちゃんなんだ。あの子が弾いてもいいと言えば、お願いしてみたらいい」
「……わかった」
天は、曖昧な表情で頷いた。おそらく、いつ聞けばいいのか、わからないのだろう。だが今は、当面聞いてはいけないということを理解できれば十分だった。
「ちゃんとごめんなさいして、ひいてって言わへんかったら……ねね、かえってくる?」
「ああ、きっとな」
天は、今度こそしっかりと頷いた。
小さな天が、初めて罪悪感に苛まれて、贖罪をしようとしている。ならば、その場に居合わせる大人である野保と竹志ができる限り助けてあげなければ。竹志はそう思った。
「よし、じゃあ今日の晩ご飯は奈々ちゃんの好きなものを作ろうか」
そう言うと、天の正面にしゃがんだ。
「天ちゃん、奈々ちゃんが好きなご飯、わかる?」
「すきなごはん?」
「うん。奈々ちゃんが、嬉しそうに食べてたもの。美味しいって言ってたもの。何かあるかな?」
天は少しだけうーんと唸ってから、何か思いついたように頷いた。そして、叫んだ。
「ころころの”パンダさん”!」
「……うん?」
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