上 下
61 / 98
第二章 四品目 ころころ”パンダさん”

4 心配と束縛

しおりを挟む
 野保たちがタクシーで病院に行って数時間後。午後過ぎには帰ってきた。一人野保家で待っていた竹志は、心底ほっとした。
 検査の結果異常はなく、額を少し切っただけだったとのことだ。あれだけ泣き喚いていた天も、帰って来る頃にはけろっとしていたものだ。野保が「寿命が縮んだ……」と言っていたことは心配だが、今はもっと気にかかる人物がいる。
 奈々だ。
 話を聞けば、洗濯物を干そうとする奈々を追いかけて庭に出ようとして、天は転んだらしい。そのせいか、天が血を流して泣いている間の狼狽えようは尋常ではなかった。真っ青になって天を抱きしめて放さない。同時に全身震えて、なかなか立ち上がれなかった。
(天ちゃんのことだから、てっきりああいう怪我はしょっちゅうで、奈々ちゃんも対処になれてるもんだと思ってたけど……)
 病院から帰ってきたら、今度はずっと重い表情のままだった。自分の感じている空気に押し潰されるのではないかと思えるほどに。
 天がお昼ご飯を笑顔でモリモリ食べても、奈々の方はまったく箸が進んでいなかった。これでは、どちらが怪我をしたのかわからない。
 おまけに、元気がないだけではなかったのだ。
「天ちゃん、走り回らんといて。また転ぶで」
「窓に近づいたらあかん。また落ちるやろ」
「それは触ったらあかんて言うたやろ。怪我するで。おでこの傷みたいに、血出るねんで!」
 こんな声が、30分に一回は聞こえてくるようになってしまった。
 いつもなら自室で勉強をしているのだが、今日はずっと居間でノートを広げている。そして、常に天の動向に目を配っているのだった。
 そのため天は居間から出られなくなり、しかも居間の中でも動き回れなくなってしまったため、夕方となった今では退屈で死にそうという顔だった。
「タケちゃんのお手伝いしたい」
「泉さんはお仕事してるんやで。邪魔したらあかん」
 このように、とりつく島もない。
 あれだけ自由な気質の幼児が、こうも行動を制限されてしまうと、さすがに竹志も野保も気の毒に感じる。とはいえ、元気さゆえに怪我をしてしまったことも事実。少なくとも今日は、奈々の言葉に一理あると思わざるを得ないのだった。
 何でもかんでもダメと言われてしまって、すっかりむくれてしまった天に何かないものかと、野保が探していた。
「では天ちゃん、これを見るか?」
 野保が差し出したのは、液晶タブレットだ。ボタンを押すと、明るい画面が表示された。
「おじちゃん、そんな大事なもの……」
「いや、いい。前に使っていた型落ちのものだから。好きに使っていいよ」
 そう言われて、天の瞳は一気に輝きだした。
「ありがとう!」
「どういたしまして。使い方は、わかるか?」
「うーんと……」
 タッチパネルを触ってあれこれ表示させている天に、野保はゆったりと説明を始めた。砂漠に水が染み入るように、天はみるみる興味を向けていった。
 その様子を、奈々はなんだか複雑そうな顔で見つめていた。
「大丈夫。当分、あれがお気に入りになりそうだし、今のうちに勉強進めちゃいなよ」
「……はい」
 奈々が複雑そうな顔をしている気持ちは、竹志にはなんとなくわかる。
 この姉弟、二人とも、野保にはすんなり懐いている。一見、竹志や晶にべったりに見えるが、なんだかんだと二人の心を掌握しているのは野保なのだ。
 以前、この家に来たときはほとんど接点がなかったらしいのだが、話してみると穏やかで親切だからか、二人とも野保の言うことなら素直に聞くのだ。
 竹志にとっては、それが理解できると同時に、ちょっぴり複雑だったのだ。そして天に関することなら、奈々も同じ思いを抱いたようだ。
「まぁ……ああやって遊んでる間は怪我もないし、心配する必要ないから、ね?」
 怪我の心配がないというのが一番効いたのか、奈々は静かにノートに向き直ろうとした。その時――急に大きな音が聞こえた。
 天の鳴き声とはまったく違う。野保が慌ててタブレットのボタンを押すと、音は小さくなっていった。どうやら音量が大きくなったままだったらしい。
 竹志はその音に驚いていたが、奈々はもっと驚いていた。いや、硬直していた。
「奈々ちゃん、どうしたの?」
「いや、すまんすまん。びっくりさせたな。今、ちょっとストレージに入っていた古いファイルを見ていて……」
「これ、ねね!?」
 天は嬉々としてタブレットを奈々の前に持ってきた。そこに表示されていたのは、ハンディカメラかスマートフォンで撮影したらしい動画だった。どこかのコンサートホールらしき場所で、舞台の上にはライトに照らし出されたグランドピアノと、お姫様のようなドレスを着た可愛らしい女の子がいた。
 その面立ちは少し幼いが、すぐにわかった。
「本当だ。奈々ちゃんだ……」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!

ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、 1年以内に妊娠そして出産。 跡継ぎを産んで女主人以上の 役割を果たしていたし、 円満だと思っていた。 夫の本音を聞くまでは。 そして息子が他人に思えた。 いてもいなくてもいい存在?萎んだ花? 分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。 * 作り話です * 完結保証付き * 暇つぶしにどうぞ

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった

白雲八鈴
恋愛
 私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。  もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。  ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。 番外編 謎の少女強襲編  彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。  私が成した事への清算に行きましょう。 炎国への旅路編  望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。  え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー! *本編は完結済みです。 *誤字脱字は程々にあります。 *なろう様にも投稿させていただいております。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

夫を愛することはやめました。

杉本凪咲
恋愛
私はただ夫に好かれたかった。毎日多くの時間をかけて丹念に化粧を施し、豊富な教養も身につけた。しかし夫は私を愛することはなく、別の女性へと愛を向けた。夫と彼女の不倫現場を目撃した時、私は強いショックを受けて、自分が隣国の王女であった時の記憶が蘇る。それを知った夫は手のひらを返したように愛を囁くが、もう既に彼への愛は尽きていた。

思い出を売った女

志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。 それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。 浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。 浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。 全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。 ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。 あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。 R15は保険です 他サイトでも公開しています 表紙は写真ACより引用しました

離婚する両親のどちらと暮らすか……娘が選んだのは夫の方だった。

しゃーりん
恋愛
夫の愛人に子供ができた。夫は私と離婚して愛人と再婚したいという。 私たち夫婦には娘が1人。 愛人との再婚に娘は邪魔になるかもしれないと思い、自分と一緒に連れ出すつもりだった。 だけど娘が選んだのは夫の方だった。 失意のまま実家に戻り、再婚した私が数年後に耳にしたのは、娘が冷遇されているのではないかという話。 事実ならば娘を引き取りたいと思い、元夫の家を訪れた。 再び娘が選ぶのは父か母か?というお話です。

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。