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第二章 四品目 ころころ”パンダさん”
4 心配と束縛
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野保たちがタクシーで病院に行って数時間後。午後過ぎには帰ってきた。一人野保家で待っていた竹志は、心底ほっとした。
検査の結果異常はなく、額を少し切っただけだったとのことだ。あれだけ泣き喚いていた天も、帰って来る頃にはけろっとしていたものだ。野保が「寿命が縮んだ……」と言っていたことは心配だが、今はもっと気にかかる人物がいる。
奈々だ。
話を聞けば、洗濯物を干そうとする奈々を追いかけて庭に出ようとして、天は転んだらしい。そのせいか、天が血を流して泣いている間の狼狽えようは尋常ではなかった。真っ青になって天を抱きしめて放さない。同時に全身震えて、なかなか立ち上がれなかった。
(天ちゃんのことだから、てっきりああいう怪我はしょっちゅうで、奈々ちゃんも対処になれてるもんだと思ってたけど……)
病院から帰ってきたら、今度はずっと重い表情のままだった。自分の感じている空気に押し潰されるのではないかと思えるほどに。
天がお昼ご飯を笑顔でモリモリ食べても、奈々の方はまったく箸が進んでいなかった。これでは、どちらが怪我をしたのかわからない。
おまけに、元気がないだけではなかったのだ。
「天ちゃん、走り回らんといて。また転ぶで」
「窓に近づいたらあかん。また落ちるやろ」
「それは触ったらあかんて言うたやろ。怪我するで。おでこの傷みたいに、血出るねんで!」
こんな声が、30分に一回は聞こえてくるようになってしまった。
いつもなら自室で勉強をしているのだが、今日はずっと居間でノートを広げている。そして、常に天の動向に目を配っているのだった。
そのため天は居間から出られなくなり、しかも居間の中でも動き回れなくなってしまったため、夕方となった今では退屈で死にそうという顔だった。
「タケちゃんのお手伝いしたい」
「泉さんはお仕事してるんやで。邪魔したらあかん」
このように、とりつく島もない。
あれだけ自由な気質の幼児が、こうも行動を制限されてしまうと、さすがに竹志も野保も気の毒に感じる。とはいえ、元気さゆえに怪我をしてしまったことも事実。少なくとも今日は、奈々の言葉に一理あると思わざるを得ないのだった。
何でもかんでもダメと言われてしまって、すっかりむくれてしまった天に何かないものかと、野保が探していた。
「では天ちゃん、これを見るか?」
野保が差し出したのは、液晶タブレットだ。ボタンを押すと、明るい画面が表示された。
「おじちゃん、そんな大事なもの……」
「いや、いい。前に使っていた型落ちのものだから。好きに使っていいよ」
そう言われて、天の瞳は一気に輝きだした。
「ありがとう!」
「どういたしまして。使い方は、わかるか?」
「うーんと……」
タッチパネルを触ってあれこれ表示させている天に、野保はゆったりと説明を始めた。砂漠に水が染み入るように、天はみるみる興味を向けていった。
その様子を、奈々はなんだか複雑そうな顔で見つめていた。
「大丈夫。当分、あれがお気に入りになりそうだし、今のうちに勉強進めちゃいなよ」
「……はい」
奈々が複雑そうな顔をしている気持ちは、竹志にはなんとなくわかる。
この姉弟、二人とも、野保にはすんなり懐いている。一見、竹志や晶にべったりに見えるが、なんだかんだと二人の心を掌握しているのは野保なのだ。
以前、この家に来たときはほとんど接点がなかったらしいのだが、話してみると穏やかで親切だからか、二人とも野保の言うことなら素直に聞くのだ。
竹志にとっては、それが理解できると同時に、ちょっぴり複雑だったのだ。そして天に関することなら、奈々も同じ思いを抱いたようだ。
「まぁ……ああやって遊んでる間は怪我もないし、心配する必要ないから、ね?」
怪我の心配がないというのが一番効いたのか、奈々は静かにノートに向き直ろうとした。その時――急に大きな音が聞こえた。
天の鳴き声とはまったく違う。野保が慌ててタブレットのボタンを押すと、音は小さくなっていった。どうやら音量が大きくなったままだったらしい。
竹志はその音に驚いていたが、奈々はもっと驚いていた。いや、硬直していた。
「奈々ちゃん、どうしたの?」
「いや、すまんすまん。びっくりさせたな。今、ちょっとストレージに入っていた古いファイルを見ていて……」
「これ、ねね!?」
天は嬉々としてタブレットを奈々の前に持ってきた。そこに表示されていたのは、ハンディカメラかスマートフォンで撮影したらしい動画だった。どこかのコンサートホールらしき場所で、舞台の上にはライトに照らし出されたグランドピアノと、お姫様のようなドレスを着た可愛らしい女の子がいた。
その面立ちは少し幼いが、すぐにわかった。
「本当だ。奈々ちゃんだ……」
検査の結果異常はなく、額を少し切っただけだったとのことだ。あれだけ泣き喚いていた天も、帰って来る頃にはけろっとしていたものだ。野保が「寿命が縮んだ……」と言っていたことは心配だが、今はもっと気にかかる人物がいる。
奈々だ。
話を聞けば、洗濯物を干そうとする奈々を追いかけて庭に出ようとして、天は転んだらしい。そのせいか、天が血を流して泣いている間の狼狽えようは尋常ではなかった。真っ青になって天を抱きしめて放さない。同時に全身震えて、なかなか立ち上がれなかった。
(天ちゃんのことだから、てっきりああいう怪我はしょっちゅうで、奈々ちゃんも対処になれてるもんだと思ってたけど……)
病院から帰ってきたら、今度はずっと重い表情のままだった。自分の感じている空気に押し潰されるのではないかと思えるほどに。
天がお昼ご飯を笑顔でモリモリ食べても、奈々の方はまったく箸が進んでいなかった。これでは、どちらが怪我をしたのかわからない。
おまけに、元気がないだけではなかったのだ。
「天ちゃん、走り回らんといて。また転ぶで」
「窓に近づいたらあかん。また落ちるやろ」
「それは触ったらあかんて言うたやろ。怪我するで。おでこの傷みたいに、血出るねんで!」
こんな声が、30分に一回は聞こえてくるようになってしまった。
いつもなら自室で勉強をしているのだが、今日はずっと居間でノートを広げている。そして、常に天の動向に目を配っているのだった。
そのため天は居間から出られなくなり、しかも居間の中でも動き回れなくなってしまったため、夕方となった今では退屈で死にそうという顔だった。
「タケちゃんのお手伝いしたい」
「泉さんはお仕事してるんやで。邪魔したらあかん」
このように、とりつく島もない。
あれだけ自由な気質の幼児が、こうも行動を制限されてしまうと、さすがに竹志も野保も気の毒に感じる。とはいえ、元気さゆえに怪我をしてしまったことも事実。少なくとも今日は、奈々の言葉に一理あると思わざるを得ないのだった。
何でもかんでもダメと言われてしまって、すっかりむくれてしまった天に何かないものかと、野保が探していた。
「では天ちゃん、これを見るか?」
野保が差し出したのは、液晶タブレットだ。ボタンを押すと、明るい画面が表示された。
「おじちゃん、そんな大事なもの……」
「いや、いい。前に使っていた型落ちのものだから。好きに使っていいよ」
そう言われて、天の瞳は一気に輝きだした。
「ありがとう!」
「どういたしまして。使い方は、わかるか?」
「うーんと……」
タッチパネルを触ってあれこれ表示させている天に、野保はゆったりと説明を始めた。砂漠に水が染み入るように、天はみるみる興味を向けていった。
その様子を、奈々はなんだか複雑そうな顔で見つめていた。
「大丈夫。当分、あれがお気に入りになりそうだし、今のうちに勉強進めちゃいなよ」
「……はい」
奈々が複雑そうな顔をしている気持ちは、竹志にはなんとなくわかる。
この姉弟、二人とも、野保にはすんなり懐いている。一見、竹志や晶にべったりに見えるが、なんだかんだと二人の心を掌握しているのは野保なのだ。
以前、この家に来たときはほとんど接点がなかったらしいのだが、話してみると穏やかで親切だからか、二人とも野保の言うことなら素直に聞くのだ。
竹志にとっては、それが理解できると同時に、ちょっぴり複雑だったのだ。そして天に関することなら、奈々も同じ思いを抱いたようだ。
「まぁ……ああやって遊んでる間は怪我もないし、心配する必要ないから、ね?」
怪我の心配がないというのが一番効いたのか、奈々は静かにノートに向き直ろうとした。その時――急に大きな音が聞こえた。
天の鳴き声とはまったく違う。野保が慌ててタブレットのボタンを押すと、音は小さくなっていった。どうやら音量が大きくなったままだったらしい。
竹志はその音に驚いていたが、奈々はもっと驚いていた。いや、硬直していた。
「奈々ちゃん、どうしたの?」
「いや、すまんすまん。びっくりさせたな。今、ちょっとストレージに入っていた古いファイルを見ていて……」
「これ、ねね!?」
天は嬉々としてタブレットを奈々の前に持ってきた。そこに表示されていたのは、ハンディカメラかスマートフォンで撮影したらしい動画だった。どこかのコンサートホールらしき場所で、舞台の上にはライトに照らし出されたグランドピアノと、お姫様のようなドレスを着た可愛らしい女の子がいた。
その面立ちは少し幼いが、すぐにわかった。
「本当だ。奈々ちゃんだ……」
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