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第4章 祭りの前のひと仕事、ふた仕事

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 アベルがため息のように零した言葉は、レティシアの耳に、すんなりとは入ってこなかった。

「リュシアン殿下が死の淵を……それがエルネスト殿下の……えぇ?」

 何が何だか、わからない。

 リュシアンが高熱で苦しんでいた様は見ていて辛かったのは覚えている。だがそれが、命の危機に瀕するほど危険な状態だったとは知らなかった。

 しかもそこに、彼が慕っていたエルネスト王子の名が絡んでくるとは。

「本当なんですか? そんなこと、とても信じられません」
「まぁ、内々に処理されたからな。結果だけ見れば、王妃もリュシアン王子も快癒した。王妃が聖女の力を無くしたことは秘匿されたのだから、表向きにはちょっとした騒ぎが起こったというところだろうな」
「外国の賓客も招いた宴での騒ぎだったから、そうなったのですね。でないと外交問題に発展してしまうから」
「そうだ。客人の方は幸いにも翌日には快復したから、あとは王妃とリュシアン王子のみ。皆、これほど王妃と王子の快復を心から願ったことなどないだろうよ」
「……いったい誰に対する皮肉なのですか」

 どうしてか笑って語るアベルに、レティシアは苛立った。アベルは、肩を竦めて笑いを止めた。

「でも、それでどうしてエルネスト殿下が原因ということになるのですか?」
「……リュシアン王子は、エルネスト王子の功績を語っていたと言ったな。なら、何か聞いていたんじゃないか?」
「エルネスト殿下のことを、ですか?」

 古い記憶を思い巡らせてみる。
 もうどうでもいいと思って奥底にしまい込んでいた古びた記憶達だ。

 思い返せば、あの頃は楽しかった。リュシアンは、昔から素直で心根の優しい少年だった。ほんの少し自信が足りないだけで。

 だからこそ、自分のことよりも兄の功績を喜び、よくレティシアに聞かせていた。

『聞いてくれレティシア。兄上は、王立学院で主席らしいのだ』
『レティシア、凄いぞ。兄上が武術大会でも優勝なさったらしいのだ』
『聞いたか、レティシア。兄上は勉学が得意なだけではなく、何と新しい魔術の研究も立ち上げたそうだ。何でも……魔力を石に……とか、何とか。とにかく凄いんだ!』

 兄上が、兄上が、兄上が……顔を合わせれば、いつも必ず、その言葉を口にしていた。だが心の底から慕っての言葉だと伝わってきたから、不思議と不愉快ではなかった。

 だから、いつも笑って頷いて、耳を傾けていた。

『レティシア、兄上が凄いんだ。何でも……』

「……あ」

 そういえば、聞いた気がする。アベルの言葉と関係する『兄上』の話を。数ある兄上の話のうちの一つだったから、埋没してしまっていた。

 あれは大国からの使者が来訪すると、父や兄が浮き足立っていた頃の、少し前だった。いつものように教師からの課題に一緒に取り組んでいたら、いつものように話しかけてきて、そしていつも以上に興奮して語っていたことがあった。

『何でも、近々大国からの使者が来られるらしいのだが、その歓迎の宴を取り仕切る役を、兄上が仰せつかったらしいのだ! 父上からも重臣達からも、皆から期待を寄せられているのだ! 兄上はやはり凄いだろう!』

「――あ!」

 その宴に、レティシアも招待されていた。だが当日、熱を出してしまい欠席した。そして帰って来た父と母が、具合を悪くしていた。

 翌日、リュシアンはさらに容態が悪いと聞かされたのだった。

「殿下は、もともとよく熱を出されていたから、あの時もそうなのだとばかり……王妃様も……」
「公爵閣下が、お前の耳に入らないようにしたのだろう。いくら未来の王妃でも、そんな凄惨な事件を、まだ幼かったお前に知らせるのは忍びなかっただろうからな」
「そう……なのですね」
「まぁ、そんなわけでエルネスト王子は全ての責を負って死罪になった。表向きは病死とされてな。そして、兄のせいで死にかけた弟王子は、今もずっと兄を憎んでいるんだろうな」
 
 アベルの目が、どこか遠くを見ているように、ぼんやりしていた。

「アベル様、失礼ですが随分と詳しくご存じなのですね。一部の者しか知らないと仰っていたのに」
「まぁな」
「もしかして……エルネスト殿下と親交がおありだったのですか?」
「まぁ、そんなところだ」

 その言葉で、色々なことが符合した。

 レティシアがこの領地で広めたジャガイモの花を『忌々しい』と言ったことも、食べることを忌避していたことも、この領地の外での評判や最悪の場合の処罰までを懸念していたことも。

 あのジャガイモ……当時ポムドテールと呼ばれていた作物のせいで、アベルは色々なものを失ったのだ。
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