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第3章 泥まみれの宝
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皆が鍋を囲っている場所から離れた場所に、大きな木があった。広く高く枝葉を広げたその木が作る木陰も大きく、その下にいれば確かに日差しから逃れることが出来た。
だけどレティシアは、日差しから逃げたいわけではなかった。レティシアにとっては、今日はむしろ肌寒い方なのだから。
それでもこうして皆から離してくれたことに、感謝していた。
「今日はこのまま帰ってはどうだ? ジャンはしばらく留まる。あの話題は、しばらく続くぞ」
「ありがとうございます。お気遣い頂いて……」
あの場にいた人物の中で、アベルとレオナールだけがレティシアの素性を知っている。
だからこそアベルは、あの話題がレティシアには酷だと、気付いてくれた。そのことが、レティシアの胸の内の痛みを幾分か和らげてくれた。
「……大丈夫です。家に戻っても、いずれは耳に入っていたでしょうから。むしろ……今まで私に知らせないようにしてくれていたのね」
王都で暮らしているはずのレティシアが、王都でのことを知らなかった。そのことも、情けなく思えた。
日中はほぼ『お出かけ』しているとはいえ、公の行事での事を今まで知らずにいたとは不覚だ。
(きっとネリーが、頑張ってくれたのね)
あの寝ぼすけの侍女に、心から感謝の念を抱いた。
そして今、あの話題から避けてくれたアベルにも、同様の感情を抱いた。
だがやんわり笑みを浮かべたレティシアを、アベルは何故か戸惑いの目で見ていた。
「その……やはり婚約者が違う女性と……という話など聞きたくはないだろう」
「は?」
アベルは、言いづらそうに言葉を選びながら言った。だが、レティシア自身でも驚くほどに、その指摘は的外れだった。
もう知っているから、なんていう理由ではなかった。
確かに苛立ってはいた。だがアネットに対して恨みや妬みといった感情を抱いたことは、不思議となかった。その気持ちの正体に、今ようやく気付いた。
「ああ、そうか。嫉妬じゃなくて、慢心ね……」
ため息が零れたら、何故だかそれにつられて心まで重くなった。
「私……今、気付きました。殿下が何と言おうと、あんな主張が通るはずがない。ガツンと言われて、悔しがりながら私に謝るに違いないって……そんなことを思っていたんだわ。あんなに大勢の前で貶められても、まだ自分の立場は最終的には揺らがないって思い込んでいたんです。嫌になるわ……」
「……お前は公爵令嬢で、次期聖女としてあれだけの資質を持っている。そう思っても不思議はない」
「でも、現実は正反対のことが起こっています。私は次期聖女の地位から転落。婚約も破棄。おまけに平民にその地位を奪われたとして評判も急降下……いっそ笑えるわ。私ったら、なんて間抜けなの……」
俯くレティシアの隣に、アベルはそろりと腰を下ろした。
「無理をしなくていい」
「え?」
「無理に立ち直らなくていい。向き合う必要もない。自分を貶める必要など、以ての外だ。ただあるがままにしていろ。そうすれば、霧のようにいつの間にか消えていく」
「……この、靄のかかった胸の内が、晴れますか?」
「ああ。今すぐとは、いかないがな」
アベルが静かに、だが力強く頷く。するとどうしたことか、胸にのしかかっていた重いものが、ほんの少し軽くなった気がした。重くてよろけていたところを、誰かがふわりと支えてくれた。
そんな気がした。
だけどレティシアは、日差しから逃げたいわけではなかった。レティシアにとっては、今日はむしろ肌寒い方なのだから。
それでもこうして皆から離してくれたことに、感謝していた。
「今日はこのまま帰ってはどうだ? ジャンはしばらく留まる。あの話題は、しばらく続くぞ」
「ありがとうございます。お気遣い頂いて……」
あの場にいた人物の中で、アベルとレオナールだけがレティシアの素性を知っている。
だからこそアベルは、あの話題がレティシアには酷だと、気付いてくれた。そのことが、レティシアの胸の内の痛みを幾分か和らげてくれた。
「……大丈夫です。家に戻っても、いずれは耳に入っていたでしょうから。むしろ……今まで私に知らせないようにしてくれていたのね」
王都で暮らしているはずのレティシアが、王都でのことを知らなかった。そのことも、情けなく思えた。
日中はほぼ『お出かけ』しているとはいえ、公の行事での事を今まで知らずにいたとは不覚だ。
(きっとネリーが、頑張ってくれたのね)
あの寝ぼすけの侍女に、心から感謝の念を抱いた。
そして今、あの話題から避けてくれたアベルにも、同様の感情を抱いた。
だがやんわり笑みを浮かべたレティシアを、アベルは何故か戸惑いの目で見ていた。
「その……やはり婚約者が違う女性と……という話など聞きたくはないだろう」
「は?」
アベルは、言いづらそうに言葉を選びながら言った。だが、レティシア自身でも驚くほどに、その指摘は的外れだった。
もう知っているから、なんていう理由ではなかった。
確かに苛立ってはいた。だがアネットに対して恨みや妬みといった感情を抱いたことは、不思議となかった。その気持ちの正体に、今ようやく気付いた。
「ああ、そうか。嫉妬じゃなくて、慢心ね……」
ため息が零れたら、何故だかそれにつられて心まで重くなった。
「私……今、気付きました。殿下が何と言おうと、あんな主張が通るはずがない。ガツンと言われて、悔しがりながら私に謝るに違いないって……そんなことを思っていたんだわ。あんなに大勢の前で貶められても、まだ自分の立場は最終的には揺らがないって思い込んでいたんです。嫌になるわ……」
「……お前は公爵令嬢で、次期聖女としてあれだけの資質を持っている。そう思っても不思議はない」
「でも、現実は正反対のことが起こっています。私は次期聖女の地位から転落。婚約も破棄。おまけに平民にその地位を奪われたとして評判も急降下……いっそ笑えるわ。私ったら、なんて間抜けなの……」
俯くレティシアの隣に、アベルはそろりと腰を下ろした。
「無理をしなくていい」
「え?」
「無理に立ち直らなくていい。向き合う必要もない。自分を貶める必要など、以ての外だ。ただあるがままにしていろ。そうすれば、霧のようにいつの間にか消えていく」
「……この、靄のかかった胸の内が、晴れますか?」
「ああ。今すぐとは、いかないがな」
アベルが静かに、だが力強く頷く。するとどうしたことか、胸にのしかかっていた重いものが、ほんの少し軽くなった気がした。重くてよろけていたところを、誰かがふわりと支えてくれた。
そんな気がした。
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