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五章 天狗様、奔る
六
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「藍はどこだ!」
バタバタと大きな足音が近づいてきたかと思うと、突然戸が開き、治朗が叫んだ。彼にしては珍しく焦った形相で、微かに息が切れている。
振り返った三郎は、首をかしげるばかりだった。それが余計に、治朗の焦りをかき立てた。
「どこって……厨じゃねえのか? 確かメシを作ってくれるって……」
「いないから訊いているんだ!」
すぐにカッとなるのが悪い癖だと散々窘められてきた治朗だが、今ばかりは、押さえられそうもない。
自分でも気配を探ってみたらしい三郎が、治朗の顔を見返す。その顔には、治朗と似た焦燥が浮かんでいた。
「どういうこった。さっきは確かに……ああ、いや……太郎に気をやろうとしてそっちに気をとられていたせいか。いなくなったことにすら気付かねぇとは、なんて不覚だ……!」
拳を握りしめる三郎を見る限り、今回は三郎の仕業ではないらしい。
では、いったいどこに行ったのか。
藍は無自覚らしいが、常人とは桁違いの気を体に秘めている。この家から学校ほどの距離ならば、何もしていなくともその気配を察知できてしまう。
ところが今は、何も感じない。
三郎がこの家に来たときと同じだ。まったく気配を見つけられない。今度もまた、誰かの結界に閉じ込められたか、それとも、治朗たちの手が及ばないほどの遠い場所へ行ってしまったのか。
「それほど時間は経ってないんだ。いきなり遠くへ、というのはさすがに無理だろう。飛んでいったのでもない限りな。だとすれば……」
「先日、僧正坊がこの家の中で藍を結界に閉じ込めたことがあったが……」
「僧正坊? 鞍馬の? 何でまた?」
「知るか、そんなこと! とにかく同じような状況である可能性が高いということだ」
治朗は、見るからに苛立っていた。そんな治朗に、三郎は気分を害することなく、どちらかと言うと、疑問の目を向けていた。
「なぁ、なんでそんなに焦ってんだ?」
「焦るに決まっているだろう! 行方不明なんだぞ」
「そんなに、心配か? 人間の娘のことが?」
「あ、当たり前だろう。あいつの身の安全は、兄者に頼まれていることなんだ」
「ふぅん……」
三郎は、肩をすくめて、それきり何も尋ねなかった。
「おい、そんなことよりも、今は……」
「治朗、落ち着いて」
そう、諭すように言ったのは、三郎ではなかった。治朗も三郎も、声の主の方へと同時に目を向けた。
そこには、静かな瞳が二つ、治朗たちに向けて光っていた。乱れたままの真っ黒な髪の奥から、二人を見据える太郎の瞳が。夜の闇でも光を失わない猛禽類のような鋭い光だった。
「兄者、目を覚まされたのですね」
「三郎、ありがとう」
「おぅ……いいってことよ」
「藍はたぶん、ここにはいない」
喜ぶ治朗も、照れる三郎も捨て置いて、太郎はただ静かに告げた。
「いない……学校にもいない、商店街にもいない、公園にも、神社にも、きっと駅にも、その向こうにも……」
「お前が落ち着け。何の根拠があって言ってるんだ」
「勘だよ、悪い?」
「悪くはねぇが……」
太郎は体を持ち上げてはいるが、目を伏せてそう言った。目を伏せたまま、あちこちに視線を向けているのがわかる。一つ一つ、藍の気配を探って、そしていないことに落胆しているのが、わかった。
落胆しているが、藍を見つけるために、冷静さを保とうと必死でいるのが、伝わってくるのだった。
バタバタと大きな足音が近づいてきたかと思うと、突然戸が開き、治朗が叫んだ。彼にしては珍しく焦った形相で、微かに息が切れている。
振り返った三郎は、首をかしげるばかりだった。それが余計に、治朗の焦りをかき立てた。
「どこって……厨じゃねえのか? 確かメシを作ってくれるって……」
「いないから訊いているんだ!」
すぐにカッとなるのが悪い癖だと散々窘められてきた治朗だが、今ばかりは、押さえられそうもない。
自分でも気配を探ってみたらしい三郎が、治朗の顔を見返す。その顔には、治朗と似た焦燥が浮かんでいた。
「どういうこった。さっきは確かに……ああ、いや……太郎に気をやろうとしてそっちに気をとられていたせいか。いなくなったことにすら気付かねぇとは、なんて不覚だ……!」
拳を握りしめる三郎を見る限り、今回は三郎の仕業ではないらしい。
では、いったいどこに行ったのか。
藍は無自覚らしいが、常人とは桁違いの気を体に秘めている。この家から学校ほどの距離ならば、何もしていなくともその気配を察知できてしまう。
ところが今は、何も感じない。
三郎がこの家に来たときと同じだ。まったく気配を見つけられない。今度もまた、誰かの結界に閉じ込められたか、それとも、治朗たちの手が及ばないほどの遠い場所へ行ってしまったのか。
「それほど時間は経ってないんだ。いきなり遠くへ、というのはさすがに無理だろう。飛んでいったのでもない限りな。だとすれば……」
「先日、僧正坊がこの家の中で藍を結界に閉じ込めたことがあったが……」
「僧正坊? 鞍馬の? 何でまた?」
「知るか、そんなこと! とにかく同じような状況である可能性が高いということだ」
治朗は、見るからに苛立っていた。そんな治朗に、三郎は気分を害することなく、どちらかと言うと、疑問の目を向けていた。
「なぁ、なんでそんなに焦ってんだ?」
「焦るに決まっているだろう! 行方不明なんだぞ」
「そんなに、心配か? 人間の娘のことが?」
「あ、当たり前だろう。あいつの身の安全は、兄者に頼まれていることなんだ」
「ふぅん……」
三郎は、肩をすくめて、それきり何も尋ねなかった。
「おい、そんなことよりも、今は……」
「治朗、落ち着いて」
そう、諭すように言ったのは、三郎ではなかった。治朗も三郎も、声の主の方へと同時に目を向けた。
そこには、静かな瞳が二つ、治朗たちに向けて光っていた。乱れたままの真っ黒な髪の奥から、二人を見据える太郎の瞳が。夜の闇でも光を失わない猛禽類のような鋭い光だった。
「兄者、目を覚まされたのですね」
「三郎、ありがとう」
「おぅ……いいってことよ」
「藍はたぶん、ここにはいない」
喜ぶ治朗も、照れる三郎も捨て置いて、太郎はただ静かに告げた。
「いない……学校にもいない、商店街にもいない、公園にも、神社にも、きっと駅にも、その向こうにも……」
「お前が落ち着け。何の根拠があって言ってるんだ」
「勘だよ、悪い?」
「悪くはねぇが……」
太郎は体を持ち上げてはいるが、目を伏せてそう言った。目を伏せたまま、あちこちに視線を向けているのがわかる。一つ一つ、藍の気配を探って、そしていないことに落胆しているのが、わかった。
落胆しているが、藍を見つけるために、冷静さを保とうと必死でいるのが、伝わってくるのだった。
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