となりの天狗様

真鳥カノ

文字の大きさ
上 下
60 / 99
四章 鞍馬山の大天狗

しおりを挟む
 あたりは、真っ暗だった。
 ここがどこなのか、今がいつなのか、どうやってここに来たのか……何もわからなかった。
 藍は気がついたらここにいた。藍以外は、誰もいない。ひとりぼっちだった。
「誰かいませんか?」
 声は反響すること泣く、どこかに吸い込まれるように消えていく。だが手を伸ばすと、何かに当たった。それ以上の進行を阻む壁のような物が、藍の前に確かにある。
 コツコツと叩いてみると、音はしないが感触はある。
「レンガとか鉄ではないけど、堅くて厚い壁……もしかして結界?」
 太郎や治朗に聞いた結界についての情報と結びついた。見えないし認識しづらいが、確かにそこに在って、内と外を阻むもの。今目の前にあるものが、まさしくそうだ。
 正体に思い至ると少しほっとした。だが同時に、愕然とした。
「私、また閉じ込められた……? しかも今回はどうすれば……」
 前回は三郎が壊してくれたから出られたが、藍には同じことはできない。
 途方にくれる藍の耳に、微かな音が聞こえた。
「……ろ」
 何の物音もしない中で初めて聞こえた音だ。音がもう一度聞こえないか、藍は耳を澄ませてみた。
「信じろ」
 確かに聞こえた。それも、男性の声だ。自分の声の反響ではない。
「信じろ。向こう側にいると、信じろ」
 その声は、太郎のものとも治朗のものとも違った。だが、今は二人よりも遥かに藍の近くにいると確信できた。
 その声の主は、藍の前に立ちはだかる壁の向こうにいる。
「……この、向こうかな」
 藍がそう思って、見えない壁にそっと触れると、壁はぽろぽろと崩れ落ちていった。何もない真っ暗だと思っていたそこにぽっかり穴が空くと、向こう側には真っ赤な茜空が広がっていた。
 そして、そんな空に赤く染められて立つ、一人の青年がいた。
 見たことのある顔だ。
「そうだ。この前、夢で見た人……」
 藍の記憶と、目の前の人物が一致した。ひょろりと背の高い、黒い服装。黒にところどころ茶が混ざった髪。顔は俯いていて見えなかったが、その俯き加減があの時と同じだった。
「夢の中で見た人と対面してるって……正夢? それともまさか、これも夢?」
 首をかしげてあれこれ口にしていると、男性からため息が聞こえた。
「……夢だ」
 夢の中で夢だと言われるというのも奇妙な話だが、このおかしな状況の説明としては納得できる。
 うんうん頷いていると、男性は静かに手を差し出した。握手を求めている……わけではなさそうだ。
「よこせ」
「な、何をですか?」
「いいから、よこせ」
 男性の手が、暗闇の向こうから伸びてきた。振り払おうとした動きすら絡めとられて、腕を掴まれた。
 ねじ切られるような力ではなかったが、その戒めから逃れることができないほどに、強く重い力だった。
 その手の指から、普段感じない感触が走る。
 血がどくどく流れ出しているような、体温が失われていくような、全身にみなぎっていた力が奪われていくような……。逆に目の前の男性は、俯いていた顔が上向きになっていく。こちらを見る顔は血色もよく、視線がはっきりとしていた。
 こんな感覚には覚えがあった。
 太郎に気を吸われた時だ。
「もしかしてあなたも……えぇと、ガス欠?」
 ほんの一瞬視線を逸らした直後、再び男性の顔を見た時には、その姿は消えていた。腕には、痕こそ残ってはいないが、掴まれていた感触が残っている。
「おかしいな」
 そう呟いた瞬間、視界が急に光った。正確には、明るく眩しい光景が広がった。
 きょろきょろ見回すと、先程見えていた暗闇などどこにもなかった。窓から入る陽光で、部屋中が照らされている。
 同時に、やはりあの男性の姿も、見えなかった。
「……そうか、夢って言ってたっけ」
 ふと見ると、藍の手元には開いたままの教科書とノートがあった。昨夜、試験勉強をしながら寝てしまったのだ。
 その横に置いてある皿に載っていたものは……きれいに平らげてある。
(そういえば、向こうのお皿はどうなったんだろう)
 藍は、急にいそいそと制服に着がえて、皿を持って階下に降りていった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

妻のち愛人。

ひろか
恋愛
五つ下のエンリは、幼馴染から夫になった。 「ねーねー、ロナぁー」 甘えん坊なエンリは子供の頃から私の後をついてまわり、結婚してからも後をついてまわり、無いはずの尻尾をブンブン振るワンコのような夫。 そんな結婚生活が四ヶ月たった私の誕生日、目の前に突きつけられたのは離縁書だった。

母が田舎の実家に戻りますので、私もついて行くことになりました―鎮魂歌(レクイエム)は誰の為に―

吉野屋
キャラ文芸
 14歳の夏休みに、母が父と別れて田舎の実家に帰ると言ったのでついて帰った。見えなくてもいいものが見える主人公、麻美が体験する様々なお話。    完結しました。長い間読んで頂き、ありがとうございます。

ずぶ濡れで帰ったら彼氏が浮気してました

宵闇 月
恋愛
突然の雨にずぶ濡れになって帰ったら彼氏が知らない女の子とお風呂に入ってました。 ーーそれではお幸せに。 以前書いていたお話です。 投稿するか悩んでそのままにしていたお話ですが、折角書いたのでやはり投稿しようかと… 十話完結で既に書き終えてます。

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

処理中です...