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弐章 比良山の若天狗
二十
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「こいつ、いつの間に……!」
治朗が呼子の首根っこを掴んで引き離すと、呼子は急に元気をなくしてしまった。
「君の気を貰おうとしたんだろうね。まったく油断ならない」
太郎は小さく息をつくと、藍の腕を放して、布団に投げ出した。いや、力が抜けてほどけていった、と言うべきか。
「太郎さん、大丈夫ですか?」
「僕は大丈夫。君こそ気をつけて。今みたいに、ほいほい血を与えたらすぐ干からびるよ」
「ひ、干からびる!?」
「眷属として従えるには、気を与える必要がある。それには時々血を飲ませるのが一番手っ取り早いから。逆に言うと、君の血はこいつにとって気を大量に摂取できるごちそうなんだよ。匂いを嗅ぎ取ったらすぐに欲しがるよ」
「要するに、今、私はこの子の餌で、目の前でちらつかせてるような状態ってことですか?」
「そういうことかな。ほら、西洋の童話であったじゃない。家に帰る道の目印にパンをまいてたら鳥に食べられたって話。あんな感じだよ」
その話のどこをとって”あんな感じ”なのか。
藍は少し、いや大分違う気はしていたが、餌をばらまいているという点は理解できた。
「まぁ怪我を早く治せばいい話だよ」
「でも、治ったらどうしたらいいんですか? この子には餌?をあげなきゃいけないんですよね?」
「他にも方法はあるよ。ちょっと手を貸して」
「え」
さらりと言い放ち、藍の手をとろうとする太郎。藍はさっと一歩後じさった。
「な、なんでですか」
「ちょっとだけ……君を助けるために弱ってる体に鞭打って、挙げ句倒れてろくに動けなくなってる僕のささやかなお願いを、聞いてくれないかな」
体は動かないようだが口はよく動く……と、藍は思ったが黙っておいた。
太郎の言っていることは、治朗との会話を全部聞かれていたんじゃないかというくらい的を射ていて、藍の罪悪感に深く突き刺さる言葉だった。
藍は、しぶしぶ右手を差し出した。その手を、太郎の手のひらがそっと包んだ。
両手を握る手ははじめは弱々しかったが、どんどん力が強くこもっていった。まるで、弱っていた体が力を取り戻していくかのように。
感覚でそう思っていただけなのだが、太郎は膂力だけでなく、顔色までどんどん戻っていった。死人のような顔色から、朝気持ちよく目覚めた時のような、ほんのり朱に染まった顔色に。
「な、なに……? なんで急に元気に……!?」
一瞬で成せる技ではないことは、確かだ。
太郎は、つやつやした顔でにこやかに答えた。
「君の気をもらったんだよ」
「気?」
「生き物の体内に流れる生命エネルギーみたいなもの……って言ったら伝わるかな?」
「伝わるっていうか……まぁわかりましたけど、それを”貰う”ってどういうことですか?」
「言葉通り、つないだ手からちょっと分けて貰ったんだよ」
そういえば、このような会話をつい先日した。その時は学校の保健室で、太郎はあの日もいきなり倒れて、運ばれたのだった。そして運ばれた先で、気にしなくていいから手を握らせてほしいと、そう言われた。
そして実際に手をつないだら、太郎の顔色はどんどん元通りに戻っていった。
「あれって、そういうことだったんですか?」
「そういうことだよ。ごちそうさま」
太郎は、そう言って両手を合わせた。今更そんなことをされても困るし、食べ物扱いもそれはそれで腹が立つ。
「とまぁこんな感じで、その呼子にも毎日ちょっとずつ気をやればいいから」
「ちなみに、怠るとどうなるんですか?」
「さぁ? たぶん喰われる……とか?」
「く、喰われる!?」
ちらりと呼子の方を見ると、その目がぎらりと光ったように見えた。
「冗談だよ。まぁ一日一回撫でてやるくらいすれば大丈夫じゃないかな」
「はぁ……それなら、できそうかな」
藍は試しに、怪我をしていない左手を伸ばした。その手で、治朗につかまったままの呼子の頭をそっと撫でてやった。つかまってしょぼくれていた呼子は、まるで熱い風呂に入ったかのような、気持ちよさそうな表情を見せた。この感情に見合う言葉のストックがないのか、声は聞こえなかったが、潤ったのだということは伝わってくる。
「……いいみたいですね、これで」
「でしょ」
無自覚ではあるが、気を与えているということらしい。それでこれだけ藍に気持ちが傾いている様子ならば、もっと与えたであろう人はどうなるのか……ふと、そう思ってしまった。
治朗が呼子の首根っこを掴んで引き離すと、呼子は急に元気をなくしてしまった。
「君の気を貰おうとしたんだろうね。まったく油断ならない」
太郎は小さく息をつくと、藍の腕を放して、布団に投げ出した。いや、力が抜けてほどけていった、と言うべきか。
「太郎さん、大丈夫ですか?」
「僕は大丈夫。君こそ気をつけて。今みたいに、ほいほい血を与えたらすぐ干からびるよ」
「ひ、干からびる!?」
「眷属として従えるには、気を与える必要がある。それには時々血を飲ませるのが一番手っ取り早いから。逆に言うと、君の血はこいつにとって気を大量に摂取できるごちそうなんだよ。匂いを嗅ぎ取ったらすぐに欲しがるよ」
「要するに、今、私はこの子の餌で、目の前でちらつかせてるような状態ってことですか?」
「そういうことかな。ほら、西洋の童話であったじゃない。家に帰る道の目印にパンをまいてたら鳥に食べられたって話。あんな感じだよ」
その話のどこをとって”あんな感じ”なのか。
藍は少し、いや大分違う気はしていたが、餌をばらまいているという点は理解できた。
「まぁ怪我を早く治せばいい話だよ」
「でも、治ったらどうしたらいいんですか? この子には餌?をあげなきゃいけないんですよね?」
「他にも方法はあるよ。ちょっと手を貸して」
「え」
さらりと言い放ち、藍の手をとろうとする太郎。藍はさっと一歩後じさった。
「な、なんでですか」
「ちょっとだけ……君を助けるために弱ってる体に鞭打って、挙げ句倒れてろくに動けなくなってる僕のささやかなお願いを、聞いてくれないかな」
体は動かないようだが口はよく動く……と、藍は思ったが黙っておいた。
太郎の言っていることは、治朗との会話を全部聞かれていたんじゃないかというくらい的を射ていて、藍の罪悪感に深く突き刺さる言葉だった。
藍は、しぶしぶ右手を差し出した。その手を、太郎の手のひらがそっと包んだ。
両手を握る手ははじめは弱々しかったが、どんどん力が強くこもっていった。まるで、弱っていた体が力を取り戻していくかのように。
感覚でそう思っていただけなのだが、太郎は膂力だけでなく、顔色までどんどん戻っていった。死人のような顔色から、朝気持ちよく目覚めた時のような、ほんのり朱に染まった顔色に。
「な、なに……? なんで急に元気に……!?」
一瞬で成せる技ではないことは、確かだ。
太郎は、つやつやした顔でにこやかに答えた。
「君の気をもらったんだよ」
「気?」
「生き物の体内に流れる生命エネルギーみたいなもの……って言ったら伝わるかな?」
「伝わるっていうか……まぁわかりましたけど、それを”貰う”ってどういうことですか?」
「言葉通り、つないだ手からちょっと分けて貰ったんだよ」
そういえば、このような会話をつい先日した。その時は学校の保健室で、太郎はあの日もいきなり倒れて、運ばれたのだった。そして運ばれた先で、気にしなくていいから手を握らせてほしいと、そう言われた。
そして実際に手をつないだら、太郎の顔色はどんどん元通りに戻っていった。
「あれって、そういうことだったんですか?」
「そういうことだよ。ごちそうさま」
太郎は、そう言って両手を合わせた。今更そんなことをされても困るし、食べ物扱いもそれはそれで腹が立つ。
「とまぁこんな感じで、その呼子にも毎日ちょっとずつ気をやればいいから」
「ちなみに、怠るとどうなるんですか?」
「さぁ? たぶん喰われる……とか?」
「く、喰われる!?」
ちらりと呼子の方を見ると、その目がぎらりと光ったように見えた。
「冗談だよ。まぁ一日一回撫でてやるくらいすれば大丈夫じゃないかな」
「はぁ……それなら、できそうかな」
藍は試しに、怪我をしていない左手を伸ばした。その手で、治朗につかまったままの呼子の頭をそっと撫でてやった。つかまってしょぼくれていた呼子は、まるで熱い風呂に入ったかのような、気持ちよさそうな表情を見せた。この感情に見合う言葉のストックがないのか、声は聞こえなかったが、潤ったのだということは伝わってくる。
「……いいみたいですね、これで」
「でしょ」
無自覚ではあるが、気を与えているということらしい。それでこれだけ藍に気持ちが傾いている様子ならば、もっと与えたであろう人はどうなるのか……ふと、そう思ってしまった。
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