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弐章 比良山の若天狗
十八
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その言葉と声は、ひどく断片的だった。まるでミステリーで使われる犯行声明文や予告状のように、あらゆる言葉を切り取って繋げたかのようなものだ。その声の中には、太郎のものも藍のものも含まれていた。
「たぶん、色々な言葉を真似して繋げてるんだ。自分の声で話すのが苦手なのかもしれない」
太郎がそう言ったのを機に、藍も治朗も、呼子の声に耳を傾けていた。
「『俺ら』『山』『すむ』……『怖い』『あやかし』『きた』……『逃げ』『た』」
「怖いあやかしか……それで山から逃げて、祭神のいないこの神社に隠れていたわけか」
治朗が呼子の言葉をまとめると、呼子はこくこくと頷いた。どうやら、言葉を使わない会話はできるらしい。
「それはわかったけど、だからってここに来た人間を脅かしちゃ駄目だよ。下手したらその筋の人間が来て祓われるよ。山彦もそうだけど、木を倒すとか危険だし」
「『違う』『俺』『や』『ら』『ない』」
呼子は、ぶんぶん頭を振っていた。
「あれはお前じゃないというのか。では誰が?」
「……」
そう問うと、呼子は急に黙り込んだ。考えているような、困っているような、迷っているような、そんな素振りだった。そして迷った末に絞り出した声は、微かなものだった。
「『わか』『ら』『ない』……『でも』『助け』『て』『くれた』」
「助けてくれたって……何から?」
「『人間』……『ここ』『来た』……『追い』『出す』……『手伝う』『して』『くれた』」
「……ああ、なるほど」
太郎の言葉は、そのまま藍と治朗も思ったことだった。
せっかく逃げ出して、ここで静かに暮らしていたというのに、先ほどの高校生たちが来て騒ぎ出した。また追い出されるのではないかと怯えた呼子は山彦を使って、彼らを追い払ったのだ。だがそのことで治朗が来てしまった。見るからに強い力を持った天狗である治朗にさらに怯えた呼子を助けるため、そのもう一体のあやかしか何かが木を倒した。経緯としては、そういうことらしい。
「治朗、もう一体は?」
「もう気配を感じません。おそらく、先ほどの騒ぎに乗じて姿をくらましたのでしょう」
「そうか……やっぱりご神木を倒すのは、やり過ぎだったかな」
「え!?」
「やれ」と言われてやった治朗はショックを受けていたが、太郎はかまわず呼子とにらめっこをしている。今後の処遇について、考えているらしい。
「さて、どうしようか。普通なら元のお山に返すんだけど、逃げてきたって言うからなぁ」
「うーん、絶対に悪さしないって言うなら、家で匿うってこともできるかもしれないですけど」
「藍、そんな滅多なことを言うもんじゃないよ。犬猫でも簡単には決められないんだから……」
太郎は珍しく窘めるようにそう言った。だが、呼子の方は藍の言葉を訊くやいなや、身をよじって太郎の戒めから逃れた。おとなしくなったと思って油断していたらしい太郎は驚きつつ、再び捕まえようとしたが……遅かった。
呼子は藍の腕にすとんと収まり、そして絆創膏を貼っていた手のひらにすんすん鼻を近づけた。昨日、猫に引っかかれた傷跡だ。思いのほか深く、少し強く押せばまた血がにじみ出た。その、にじみ出した血に、呼子はそっと舌を這わせた。
「あ!」
太郎と治朗が揃って声を上げると同時に、呼子がその鼻を藍にすり寄せた。急に懐いたようだ。一方の太郎は、唖然としている。
「藍……君、なんてこと……」
「へ? 私、何かしました?」
「眷属にしてしまったんだ。その呼子を」
「ケンゾク?」
「従者、配下、郎党……つまりは手下だよ」
「へ!?」
ぎょっとして腕の中の呼子を見ると、犬のような猿のような姿の奇妙な生き物は、満足げな顔で喉をゴロゴロ鳴らしていた。人間でいうところの、ドヤ顔というものだ。
「ゆ、油断した……まさか、こんなことになるとは……」
「え、何かまずいんですか? 私、食べられちゃうとか?」
「いや食べはしないけど……定期的に……を……」
太郎の言葉は途切れていった。そして、はっきりと言うより前に、ずるりと体ごと崩れ落ちていった。
「太郎さん!?」
「兄者!」
呼子のことは急に後回しになった。今は、倒れた太郎を家に連れ帰ること、それだけが急務となったのだった。
「たぶん、色々な言葉を真似して繋げてるんだ。自分の声で話すのが苦手なのかもしれない」
太郎がそう言ったのを機に、藍も治朗も、呼子の声に耳を傾けていた。
「『俺ら』『山』『すむ』……『怖い』『あやかし』『きた』……『逃げ』『た』」
「怖いあやかしか……それで山から逃げて、祭神のいないこの神社に隠れていたわけか」
治朗が呼子の言葉をまとめると、呼子はこくこくと頷いた。どうやら、言葉を使わない会話はできるらしい。
「それはわかったけど、だからってここに来た人間を脅かしちゃ駄目だよ。下手したらその筋の人間が来て祓われるよ。山彦もそうだけど、木を倒すとか危険だし」
「『違う』『俺』『や』『ら』『ない』」
呼子は、ぶんぶん頭を振っていた。
「あれはお前じゃないというのか。では誰が?」
「……」
そう問うと、呼子は急に黙り込んだ。考えているような、困っているような、迷っているような、そんな素振りだった。そして迷った末に絞り出した声は、微かなものだった。
「『わか』『ら』『ない』……『でも』『助け』『て』『くれた』」
「助けてくれたって……何から?」
「『人間』……『ここ』『来た』……『追い』『出す』……『手伝う』『して』『くれた』」
「……ああ、なるほど」
太郎の言葉は、そのまま藍と治朗も思ったことだった。
せっかく逃げ出して、ここで静かに暮らしていたというのに、先ほどの高校生たちが来て騒ぎ出した。また追い出されるのではないかと怯えた呼子は山彦を使って、彼らを追い払ったのだ。だがそのことで治朗が来てしまった。見るからに強い力を持った天狗である治朗にさらに怯えた呼子を助けるため、そのもう一体のあやかしか何かが木を倒した。経緯としては、そういうことらしい。
「治朗、もう一体は?」
「もう気配を感じません。おそらく、先ほどの騒ぎに乗じて姿をくらましたのでしょう」
「そうか……やっぱりご神木を倒すのは、やり過ぎだったかな」
「え!?」
「やれ」と言われてやった治朗はショックを受けていたが、太郎はかまわず呼子とにらめっこをしている。今後の処遇について、考えているらしい。
「さて、どうしようか。普通なら元のお山に返すんだけど、逃げてきたって言うからなぁ」
「うーん、絶対に悪さしないって言うなら、家で匿うってこともできるかもしれないですけど」
「藍、そんな滅多なことを言うもんじゃないよ。犬猫でも簡単には決められないんだから……」
太郎は珍しく窘めるようにそう言った。だが、呼子の方は藍の言葉を訊くやいなや、身をよじって太郎の戒めから逃れた。おとなしくなったと思って油断していたらしい太郎は驚きつつ、再び捕まえようとしたが……遅かった。
呼子は藍の腕にすとんと収まり、そして絆創膏を貼っていた手のひらにすんすん鼻を近づけた。昨日、猫に引っかかれた傷跡だ。思いのほか深く、少し強く押せばまた血がにじみ出た。その、にじみ出した血に、呼子はそっと舌を這わせた。
「あ!」
太郎と治朗が揃って声を上げると同時に、呼子がその鼻を藍にすり寄せた。急に懐いたようだ。一方の太郎は、唖然としている。
「藍……君、なんてこと……」
「へ? 私、何かしました?」
「眷属にしてしまったんだ。その呼子を」
「ケンゾク?」
「従者、配下、郎党……つまりは手下だよ」
「へ!?」
ぎょっとして腕の中の呼子を見ると、犬のような猿のような姿の奇妙な生き物は、満足げな顔で喉をゴロゴロ鳴らしていた。人間でいうところの、ドヤ顔というものだ。
「ゆ、油断した……まさか、こんなことになるとは……」
「え、何かまずいんですか? 私、食べられちゃうとか?」
「いや食べはしないけど……定期的に……を……」
太郎の言葉は途切れていった。そして、はっきりと言うより前に、ずるりと体ごと崩れ落ちていった。
「太郎さん!?」
「兄者!」
呼子のことは急に後回しになった。今は、倒れた太郎を家に連れ帰ること、それだけが急務となったのだった。
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