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弐章 比良山の若天狗
六
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「何だと生意気な……! だいたい『太郎さん』だと? この方がどのような方か知って、そんな無礼な口をきくか!」
「知ってます。愛宕山の天狗で、今はうちの店子さんです! お料理も掃除も洗濯も全部完璧すぎて逆に腹が立つけど、すっごく助かってます。羨ましいでしょ」
「貴様……! 兄者にそんな奥向きのこと一切合切をやらせているのか!」
「やらせてない! やらなくていいって言ってるのにいつの間にか先回りされちゃってるの! 反対するなら、あなたから説得してよ! 私とお母さんの洗濯物はやらなくていいって。母屋……特に私の部屋は掃除しなくていいって。お弁当くらい自分で作るって!」
藍は、気づけばこれまで飲み込んでいた不満を次々に吐き出してしまっていた……。
「はい、そこまで」
怒号の応酬の間に、太郎の声が割って入った。静かな声に、藍も治朗も思わず声を引っ込めた。睨み合いは止んでいないが。
だが唐突に、相変わらずの鬼のような形相をする治朗のおでこに、太郎がチョップをかました。太郎はいつも通りのぼんやりした面持ちでありながら、視線だけは鋭く治朗を捉えていた。
「あ、兄者……?」
「治朗。無礼なのは君の方だよ。名前を呼ぶなだの、名を名乗れだの。他所様の土地に勝手に踏み込んでるんだから、礼儀をわきまえるのは君だ」
「そ、それは……」
視線だけでなく言葉まで鋭く抉ったらしい。治朗は塩を振られた青菜のようにしゅんと項垂れてしまった。
「も、申し訳……ない」
「藍、ごめんね。ちょっとかなり過激ではあるけど、これでも根は素直だし悪い子じゃないから、勘弁してあげて」
治朗は、太郎に叱られた悲しみと、藍に謝る悔しさが混ざり合った、これまた般若のような顔を向けた。太郎が一緒に頭を下げたものの、藍はいまいち受け入れる気になれずにいたのだった。
「それに藍も、聞き捨てならない言葉があったんだけど」
「はい?」
今度はあの鋭い視線が藍に向いた。思わず身を固くする藍に、太郎の顔がにじり寄って来る。
「藍……僕に腹を立ててるって本当?」
「……え」
そんなことを言っただろうかと記憶を巡らせている間にも、太郎の追及は続く。
「僕、藍たちの生活を心地よくするために誠心誠意努めたつもりだったけど……ダメだった?」
「う……!」
太郎の目には、じんわり涙が浮かんでいた。泣き叫ぶなり激高してくれるなりするなら対抗のしようもある。だがさめざめと泣かれては、もうどうしようもない。
しかも今回は、さらに危険な人物が傍に控えている。思わずそちらもちらりと覗き見ると、想像通りのことが起こっていた。
治朗が、拳をぷるぷる震わせて、目を真っ赤にして、不動明王のように炎を背に負い、再び藍を睨みつけていた。
「貴様……兄者を悲しませるんじゃない!」
どうやら、この話は収まりがつかなさそうだと思った藍は、お弁当を食べることをあきらめた。
「知ってます。愛宕山の天狗で、今はうちの店子さんです! お料理も掃除も洗濯も全部完璧すぎて逆に腹が立つけど、すっごく助かってます。羨ましいでしょ」
「貴様……! 兄者にそんな奥向きのこと一切合切をやらせているのか!」
「やらせてない! やらなくていいって言ってるのにいつの間にか先回りされちゃってるの! 反対するなら、あなたから説得してよ! 私とお母さんの洗濯物はやらなくていいって。母屋……特に私の部屋は掃除しなくていいって。お弁当くらい自分で作るって!」
藍は、気づけばこれまで飲み込んでいた不満を次々に吐き出してしまっていた……。
「はい、そこまで」
怒号の応酬の間に、太郎の声が割って入った。静かな声に、藍も治朗も思わず声を引っ込めた。睨み合いは止んでいないが。
だが唐突に、相変わらずの鬼のような形相をする治朗のおでこに、太郎がチョップをかました。太郎はいつも通りのぼんやりした面持ちでありながら、視線だけは鋭く治朗を捉えていた。
「あ、兄者……?」
「治朗。無礼なのは君の方だよ。名前を呼ぶなだの、名を名乗れだの。他所様の土地に勝手に踏み込んでるんだから、礼儀をわきまえるのは君だ」
「そ、それは……」
視線だけでなく言葉まで鋭く抉ったらしい。治朗は塩を振られた青菜のようにしゅんと項垂れてしまった。
「も、申し訳……ない」
「藍、ごめんね。ちょっとかなり過激ではあるけど、これでも根は素直だし悪い子じゃないから、勘弁してあげて」
治朗は、太郎に叱られた悲しみと、藍に謝る悔しさが混ざり合った、これまた般若のような顔を向けた。太郎が一緒に頭を下げたものの、藍はいまいち受け入れる気になれずにいたのだった。
「それに藍も、聞き捨てならない言葉があったんだけど」
「はい?」
今度はあの鋭い視線が藍に向いた。思わず身を固くする藍に、太郎の顔がにじり寄って来る。
「藍……僕に腹を立ててるって本当?」
「……え」
そんなことを言っただろうかと記憶を巡らせている間にも、太郎の追及は続く。
「僕、藍たちの生活を心地よくするために誠心誠意努めたつもりだったけど……ダメだった?」
「う……!」
太郎の目には、じんわり涙が浮かんでいた。泣き叫ぶなり激高してくれるなりするなら対抗のしようもある。だがさめざめと泣かれては、もうどうしようもない。
しかも今回は、さらに危険な人物が傍に控えている。思わずそちらもちらりと覗き見ると、想像通りのことが起こっていた。
治朗が、拳をぷるぷる震わせて、目を真っ赤にして、不動明王のように炎を背に負い、再び藍を睨みつけていた。
「貴様……兄者を悲しませるんじゃない!」
どうやら、この話は収まりがつかなさそうだと思った藍は、お弁当を食べることをあきらめた。
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