86 / 109
其の伍 紡ぐ思い、解ける時間(とき)
二十二
しおりを挟む
初名も百花も揃って首をかしげると、風見は手にしていた針で、自分の指を突いた。突いた先から、宝石のような真っ赤な玉ができた。
風見は、それを百花に向けて振りかけた。
「風見さん、何を……」
その言葉の言い終わる前に、百花の体はするりと消えた。
あとにはただ、真っ赤な襦袢だけが残っていた。初名は、それをただただ掻き毟るように、抱きしめた。
「百花さん……!」
「おい、あんまり強く握るなや。ホンマに死んでまうぞ」
「ホンマにって何ですか……え?」
よく耳を澄ませると、足下でカサカサと音がした。その音は、百花の襦袢の裾から聞こえて、よく見たら中で何かが動いていた。そっと、裾から顔を覗かせたのは……
「く、蜘蛛!?」
それは、確かに蜘蛛だ。人の足の甲ほどの大きさほどもある、真っ黒な、だが原の崎が赤い、しなやかな動きを見せる蜘蛛だった。
「……え、もしかして……?」
風見は、にやりと笑って、その蜘蛛を手のひらにひょいと載せた。
「そう、百花や。力が弱っとって人の姿になられへんけどな。ゆっくりでも力を取り戻したら、またあの百花になれるんちゃうか」
「ほ、本当に……!?」
蜘蛛は、風見にぺこりと頭を下げ、次いで初名の方に向き直った。なんだか恥ずかしそうに、もじもじと動いている。
初名が指を近づけると、蜘蛛は、そっと触れた。
「ああ、百花さんだ……!」
触れた先から伝わってきたのは、初名の手を優しく握ってくれたあのぬくもりと同じだった。
今度は、別の涙があふれ出て座り込んでしまった初名を見て、風見は満足そうに笑った。
「辛いな、百花。お互いに大事に想う者ができたら、寿命でも簡単に死ぬわけにはいかんのやで」
蜘蛛……百花が、静かに頷いたように見えた。
ーーと、その時、店の外がにわかに騒がしくなった。
どうも横丁の面々が集まっていたらしい。だが、それにしても騒然としている。どうしたのかと思った矢先、勢いよく戸が開いた。
「百花おばちゃん!」
戸口には、女の子が立っていた。いや、年の頃は初名とほぼ同じだ。だが制服を着ていて、明らかに高校生の出で立ちだった。
その女の子を、外にいた面々……おもに弥次郎や辰三、ラウルたちが引き留めようとしている。
「絵美瑠、後にしなさい!」
「お父さんは黙ってて!」
そんな制止を振り払って、女の子はずんずん入ってきた。目には、じんわりと涙がにじんでいる。
(ああ、この子も百花さんが好きだったんだなぁ)
そう思い、初名は百花の前を空けた。
「おばちゃん! 嘘や! なんで蜘蛛になんかなってもうたん!? そやからお父さんにあげる血、ちょろまかすって言うたのに……!」
(お父さんにあげる血……ああ、そうか。ラウルさんの娘さん……)
女の子の泣き叫ぶ声を聞きながら、ぼんやりとその女の子の姿を見つめていた。室内は暗く、相手の顔はよく見えない。だが先ほど逆光の中で見た制服は、見覚えがある。それに、今聞こえるこの声も。
「……この制服って……甲西大付属高校……?」
間違いない。この制服は、初名の通う大学の付属校のものだった。
「甲西付属の、『絵美瑠』……って……」
名を呼ばれて、女の子は振り返った。その顔は、初名の知る人のものだった。
女の子も同じことを思ったらしい。二人揃って、驚きのあまり目を見開き、そして同時に呟いていた。
「小阪、初名さん?」
「都築……絵美瑠さん……!」
遅れて店に入ってきたラウルが、二人を見て唐突に言った。
「ああ、そうか。去年の大会の団体戦で対戦したのって、初名ちゃんやったんか、絵美瑠」
風見は、それを百花に向けて振りかけた。
「風見さん、何を……」
その言葉の言い終わる前に、百花の体はするりと消えた。
あとにはただ、真っ赤な襦袢だけが残っていた。初名は、それをただただ掻き毟るように、抱きしめた。
「百花さん……!」
「おい、あんまり強く握るなや。ホンマに死んでまうぞ」
「ホンマにって何ですか……え?」
よく耳を澄ませると、足下でカサカサと音がした。その音は、百花の襦袢の裾から聞こえて、よく見たら中で何かが動いていた。そっと、裾から顔を覗かせたのは……
「く、蜘蛛!?」
それは、確かに蜘蛛だ。人の足の甲ほどの大きさほどもある、真っ黒な、だが原の崎が赤い、しなやかな動きを見せる蜘蛛だった。
「……え、もしかして……?」
風見は、にやりと笑って、その蜘蛛を手のひらにひょいと載せた。
「そう、百花や。力が弱っとって人の姿になられへんけどな。ゆっくりでも力を取り戻したら、またあの百花になれるんちゃうか」
「ほ、本当に……!?」
蜘蛛は、風見にぺこりと頭を下げ、次いで初名の方に向き直った。なんだか恥ずかしそうに、もじもじと動いている。
初名が指を近づけると、蜘蛛は、そっと触れた。
「ああ、百花さんだ……!」
触れた先から伝わってきたのは、初名の手を優しく握ってくれたあのぬくもりと同じだった。
今度は、別の涙があふれ出て座り込んでしまった初名を見て、風見は満足そうに笑った。
「辛いな、百花。お互いに大事に想う者ができたら、寿命でも簡単に死ぬわけにはいかんのやで」
蜘蛛……百花が、静かに頷いたように見えた。
ーーと、その時、店の外がにわかに騒がしくなった。
どうも横丁の面々が集まっていたらしい。だが、それにしても騒然としている。どうしたのかと思った矢先、勢いよく戸が開いた。
「百花おばちゃん!」
戸口には、女の子が立っていた。いや、年の頃は初名とほぼ同じだ。だが制服を着ていて、明らかに高校生の出で立ちだった。
その女の子を、外にいた面々……おもに弥次郎や辰三、ラウルたちが引き留めようとしている。
「絵美瑠、後にしなさい!」
「お父さんは黙ってて!」
そんな制止を振り払って、女の子はずんずん入ってきた。目には、じんわりと涙がにじんでいる。
(ああ、この子も百花さんが好きだったんだなぁ)
そう思い、初名は百花の前を空けた。
「おばちゃん! 嘘や! なんで蜘蛛になんかなってもうたん!? そやからお父さんにあげる血、ちょろまかすって言うたのに……!」
(お父さんにあげる血……ああ、そうか。ラウルさんの娘さん……)
女の子の泣き叫ぶ声を聞きながら、ぼんやりとその女の子の姿を見つめていた。室内は暗く、相手の顔はよく見えない。だが先ほど逆光の中で見た制服は、見覚えがある。それに、今聞こえるこの声も。
「……この制服って……甲西大付属高校……?」
間違いない。この制服は、初名の通う大学の付属校のものだった。
「甲西付属の、『絵美瑠』……って……」
名を呼ばれて、女の子は振り返った。その顔は、初名の知る人のものだった。
女の子も同じことを思ったらしい。二人揃って、驚きのあまり目を見開き、そして同時に呟いていた。
「小阪、初名さん?」
「都築……絵美瑠さん……!」
遅れて店に入ってきたラウルが、二人を見て唐突に言った。
「ああ、そうか。去年の大会の団体戦で対戦したのって、初名ちゃんやったんか、絵美瑠」
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる