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其の伍 紡ぐ思い、解ける時間(とき)
十七
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「喰おうと……っておばあちゃんをですか……?」
百花は、神妙な面持ちのまま頷いた。
「最初は、なんや変わった子がおるなぁって思てただけなんやけどね……あんな純真そうな子、食べたら夢見が悪いやん。風見さんも何で連れてきたんやろか」
「……俺は、道案内してもろた礼に美味いもん食わしたっただけや」
どうやら祖母も初名も、同じ理由で風見と出会ったらしい。百花は、思い返しているのかクスクス笑っていた。
「覚えてるわぁ。そこの戸口のあたりに立って、遠慮しながら中をじぃっと見てるんよ。何か用事かって聞いたら、『お裁縫が上手で羨ましい』って言うんやわ。そんな人、上にかてぎょうさんいてはるやろうに、ねぇ?」
「それで……祖母にお裁縫を教えてくれたんですか?」
「ううん、最初は違た。じっと見られて、なんや面倒くさいから、お遣い頼んだんよ。体よく追っ払ったんやね。そやけど、次の日にはお願いしたもの全部揃えて来てくれてなぁ……さすがに悪いと思て、琴ちゃんのあんみつごちそうしたんよ。そしたら、ねぇ……」
「喜んでたんですね」
百花は、また頷いた。だが今度は、どこか嬉しそうだった。目の前にはない、いつかの光景を思い浮かべているようだった。
「美味しそうに食べてくれて、琴ちゃんも喜んでたわぁ。ほんで、なんであんなに熱心に見てたんか聞いてみたら、『私はものすごいド下手やから』って、今度はしゅんとして言うんよ。そやからつい、言うてしもてん。『うちが教えてあげよか』って」
「……それで……」
初名の知る祖母は、とても裁縫上手だった。初名や兄に手作りの浴衣を縫ってくれたこともあった。それらのルーツは、すべてこの横丁にあったのだ。
「楽しかったわ。上手にできる度に嬉しそうにしとったなぁ。なんや昔を思い出して、成人の晴れ着なんか作って……そうしたら、もっと喜んで……妹らと一緒におった頃みたいやと思た。それに、友達てこういう感じの人なんかな、とも思て……期待してしもた」
「期待、ですか?」
百花は、静かに瞬きだけしていた。初名の顔をじっと見つめて、口を開きかけては、閉じ手を繰り返した。
初名は、ただじっと待っていた。すると百花は、観念したように語り始めた。
「あんた、知ってる? 風見さんがここに連れてきた”客人”は、皆特別なんやって」
風見が、一瞬だけ、ちらりと振り返ったのが見えた。何かまずいことでもあるのかと思ったが、百花は構わずに続けていた。
「風見さんやうちらのことが見える人らいうんはな、外とここを繋ぐことができるらしいんよ」
「繋ぐ……ってどういうことですか?」
「繋ぐいうんは大袈裟かな。でも、うちらにとってはそれぐらいの意味を持つ。なにせ、うちら横丁の者を、外に連れ出すことができるんやから」
「……え!?」
以前、辰三が言っていた。地下街からは出られないと。そして出口付近まで行くことはできるが、何か急に霧がかったようになって前後不覚になる、その向こうへ行く理由すらわからなくなる、と。そうやって、この地下に住まうあやかしたちは迷宮に絡め捕られてきたのだ。
それを、覆すことが出来ると、百花は言った。
「ほ、本当なんですか?」
「ホンマよ。今までに何人か、連れ出してもろたあやかしがおったわ、だから……もしかしたら、うちもそうしてもらえるんちゃうかって、期待してしもたんよ」
「期待したら、いけないんですか?」
「自分ではすっかり諦めたつもりでおったからなぁ。それに、そんな風に考えるて何か嫌やってん。打算で近寄ったみたいやないの」
「……あの、じゃあ祖母は他の誰かを連れ出したんでしょうか?」
百花は頷いた。と同時に、けたけたと笑い始めた。それまでの悩ましい表情がうそのように。
「あの子、そのあたりのことはようわかってへんかったみたいでなぁ。地下街に迷い込んできてしもた迷子のあやかしを、あっさり外まで案内してあげたんよ。それで、うちがこっそり抱いてた期待は、おしまい」
「おしまいって、どうして?」
「一人の人間が外とここを繋げられるのは、たった一度だけなんよ」
「そんな、じゃあ……!」
「望みは潰えたってところやね」
今度は、苦笑いを浮かべていた。コロコロ変わる百花の表情の中でも、見るのが辛くなる顔だった。百花のそれは、無理に笑おうと努めているのがよくわかってしまうのだ。
「ええんよ、あの子らしいわ。むしろ、誇らしい。うちの友達はなんて素晴らしい子なんやろって思った……思おうとした。それやのに……」
ふと、百花の手が、小さく震えだしたことに気付いた。その震える手で、百花は顔を覆って俯いてしまった。
「ようやく自由になれるかもしれへんと思てた。小さい頃は貧乏、大人になったら廓、それから後はこの地下……うちは結局、どこかに閉じこもって好きな場所へは行かれへん星の下に生まれたんかと思たわ。そやからうちは、失望してしもたんや。もう、ここから出してくれへん梅子に。だから……」
初名は、その先を言わせて良いのか迷った。
風見も、ちらりと振り返っていた。
だが下を向いた百花には見えていない。百花は、意を決したように息を吸い込み、告げた。
「それが適わへんのやったら、喰ってしまおうかって、思ってしもた」
百花は、神妙な面持ちのまま頷いた。
「最初は、なんや変わった子がおるなぁって思てただけなんやけどね……あんな純真そうな子、食べたら夢見が悪いやん。風見さんも何で連れてきたんやろか」
「……俺は、道案内してもろた礼に美味いもん食わしたっただけや」
どうやら祖母も初名も、同じ理由で風見と出会ったらしい。百花は、思い返しているのかクスクス笑っていた。
「覚えてるわぁ。そこの戸口のあたりに立って、遠慮しながら中をじぃっと見てるんよ。何か用事かって聞いたら、『お裁縫が上手で羨ましい』って言うんやわ。そんな人、上にかてぎょうさんいてはるやろうに、ねぇ?」
「それで……祖母にお裁縫を教えてくれたんですか?」
「ううん、最初は違た。じっと見られて、なんや面倒くさいから、お遣い頼んだんよ。体よく追っ払ったんやね。そやけど、次の日にはお願いしたもの全部揃えて来てくれてなぁ……さすがに悪いと思て、琴ちゃんのあんみつごちそうしたんよ。そしたら、ねぇ……」
「喜んでたんですね」
百花は、また頷いた。だが今度は、どこか嬉しそうだった。目の前にはない、いつかの光景を思い浮かべているようだった。
「美味しそうに食べてくれて、琴ちゃんも喜んでたわぁ。ほんで、なんであんなに熱心に見てたんか聞いてみたら、『私はものすごいド下手やから』って、今度はしゅんとして言うんよ。そやからつい、言うてしもてん。『うちが教えてあげよか』って」
「……それで……」
初名の知る祖母は、とても裁縫上手だった。初名や兄に手作りの浴衣を縫ってくれたこともあった。それらのルーツは、すべてこの横丁にあったのだ。
「楽しかったわ。上手にできる度に嬉しそうにしとったなぁ。なんや昔を思い出して、成人の晴れ着なんか作って……そうしたら、もっと喜んで……妹らと一緒におった頃みたいやと思た。それに、友達てこういう感じの人なんかな、とも思て……期待してしもた」
「期待、ですか?」
百花は、静かに瞬きだけしていた。初名の顔をじっと見つめて、口を開きかけては、閉じ手を繰り返した。
初名は、ただじっと待っていた。すると百花は、観念したように語り始めた。
「あんた、知ってる? 風見さんがここに連れてきた”客人”は、皆特別なんやって」
風見が、一瞬だけ、ちらりと振り返ったのが見えた。何かまずいことでもあるのかと思ったが、百花は構わずに続けていた。
「風見さんやうちらのことが見える人らいうんはな、外とここを繋ぐことができるらしいんよ」
「繋ぐ……ってどういうことですか?」
「繋ぐいうんは大袈裟かな。でも、うちらにとってはそれぐらいの意味を持つ。なにせ、うちら横丁の者を、外に連れ出すことができるんやから」
「……え!?」
以前、辰三が言っていた。地下街からは出られないと。そして出口付近まで行くことはできるが、何か急に霧がかったようになって前後不覚になる、その向こうへ行く理由すらわからなくなる、と。そうやって、この地下に住まうあやかしたちは迷宮に絡め捕られてきたのだ。
それを、覆すことが出来ると、百花は言った。
「ほ、本当なんですか?」
「ホンマよ。今までに何人か、連れ出してもろたあやかしがおったわ、だから……もしかしたら、うちもそうしてもらえるんちゃうかって、期待してしもたんよ」
「期待したら、いけないんですか?」
「自分ではすっかり諦めたつもりでおったからなぁ。それに、そんな風に考えるて何か嫌やってん。打算で近寄ったみたいやないの」
「……あの、じゃあ祖母は他の誰かを連れ出したんでしょうか?」
百花は頷いた。と同時に、けたけたと笑い始めた。それまでの悩ましい表情がうそのように。
「あの子、そのあたりのことはようわかってへんかったみたいでなぁ。地下街に迷い込んできてしもた迷子のあやかしを、あっさり外まで案内してあげたんよ。それで、うちがこっそり抱いてた期待は、おしまい」
「おしまいって、どうして?」
「一人の人間が外とここを繋げられるのは、たった一度だけなんよ」
「そんな、じゃあ……!」
「望みは潰えたってところやね」
今度は、苦笑いを浮かべていた。コロコロ変わる百花の表情の中でも、見るのが辛くなる顔だった。百花のそれは、無理に笑おうと努めているのがよくわかってしまうのだ。
「ええんよ、あの子らしいわ。むしろ、誇らしい。うちの友達はなんて素晴らしい子なんやろって思った……思おうとした。それやのに……」
ふと、百花の手が、小さく震えだしたことに気付いた。その震える手で、百花は顔を覆って俯いてしまった。
「ようやく自由になれるかもしれへんと思てた。小さい頃は貧乏、大人になったら廓、それから後はこの地下……うちは結局、どこかに閉じこもって好きな場所へは行かれへん星の下に生まれたんかと思たわ。そやからうちは、失望してしもたんや。もう、ここから出してくれへん梅子に。だから……」
初名は、その先を言わせて良いのか迷った。
風見も、ちらりと振り返っていた。
だが下を向いた百花には見えていない。百花は、意を決したように息を吸い込み、告げた。
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