72 / 109
其の伍 紡ぐ思い、解ける時間(とき)
八
しおりを挟む
「そうや、あんた……剣術習てるんか?」
「剣……術?」
その言葉にピンとこずにいる初名に、百花は鞄を指さして見せた。鞄からは、古くなったお守りがちらりと覗いていた。それに付いている、竹刀のストラップも。
「ああ……えぇと、剣道を少し……」
「へぇ、凄いなぁ。うちらが生きてた頃には考えられへんかったわ」
「いつ頃なんですか?」
「聞かんといて。びっくりさせてまうわ」
百花はクスクス笑いながらも、縫い物の手は止めない。初名と同時に縫い始めたというのに、もう倍以上先まで縫ってしまっていた。
慌てる初名の手を押さえて、ゆっくりで良いと言う。そして、のんびりさせるためなのか、再びゆったりと語り始めた。
「うちらの頃は剣術どころか武道やなんかは皆、男のもんやったわ。嗜む女は『女だてらに』とか『女のくせに』なんて必ず言われとったよ」
「そう……みたいですね」
初名はふと、弥次郎と約束を交わしていた和子の言葉を思い出した。女には手出しできるものではなかったと。
「ああ、気ぃ悪うせんといてな。妬んでるんとちゃうんよ。今は随分、自由になったんやなぁと思てね」
「自由ですか?」
百花は頷いた。
「あんたの話聞いてると、びっくりすることばっかりや。結婚しぃひんとか、男同士や女同士で結婚できるとか、女でも学業にいそしめるとか、男に混ざって働いてるとか……」
「まだまだみたいですけどね」
「そういう人がおるっていうことが、凄いことなんよ。うちらの生きとった時は、そういうのはこそこそやっとったんやから。剣術……剣道やったっけ? それだって、あんた、強いんちゃうの? 目録とか?」
「全然そんなんじゃ……二段です」
「すごいんちゃうの?」
実際の所、二段と目録の違いは初名にもよくわかっていない。
目録というのは、まだ段位が定められていなかった頃、各道場毎に決められていた階級だ。切紙、目録、印可、免許、皆伝、秘伝、口伝と上がっていく。流派によって変わるが。
一方の段位は、二段ならば一度も不合格にならなければ中学生の間にとれる。長く続けている者ならば、高校生の間に三段までとってしまう者もいる。
印可や三段以上となると、修行の成果だけでなく本人の才も関わってくるかもしれないが、二段や目録は、真面目に修行してきた証といった見方が出来る。
初名が謙遜するのも頷ける話だった。だが、百花は納得していなかった。
「二段が凄いかどうかやのうて、それだけ続けてることが凄いなぁて言うてるのに」
「でも……もう辞めましたし」
「え、辞めてしもたん? どこか怪我でもしたんか?」
「いいえ」
「ほな、なんで……」
百花の顔がぐんぐん近づいてくる。初名はその追求をどう躱そうか、そればかり考えていた。
「それは……痛っ」
考え事は、手先を鈍らせた。針の先は指先に深く刺さり、引き抜くと血玉を作っていた。
「大丈夫?」
百花はそう言うと、初名の手を取って、そっと血を拭った。もう血が出ないことを確認すると、戸棚から薬を出して塗ってくれた。
「ありがとうございます」
「ええよ。あんたのおばあちゃんで、こういうことは慣れとるから」
百花は、そう、悪戯っぽく笑った。
祖母もまた、こうして針仕事に失敗して、百花に手当をしてもらって……そして、上達したのだろうか。
「ごめんな、うちがいらんこと言うてしもたから。ちょっと気分転換しよか」
「え、何するんですか?」
「お客さんとこ、行くんよ」
そう言うと、百花は先ほどあっという間に縫い上げてしまった仕立物を風呂敷に包んで立ち上がった。
「お客さんとこに、頼まれとったもの届けて、琴ちゃんのとこで美味しいもの食べよか」
「は、はい!」
美味しいものよりも、気分転換よりも、本当のところは、初名は今の百花と出かけられることが嬉しかった。
誰よりも凜として美しい、ただの訪問着でも艶やかな出で立ちの百花と歩けることが、何よりも。
「剣……術?」
その言葉にピンとこずにいる初名に、百花は鞄を指さして見せた。鞄からは、古くなったお守りがちらりと覗いていた。それに付いている、竹刀のストラップも。
「ああ……えぇと、剣道を少し……」
「へぇ、凄いなぁ。うちらが生きてた頃には考えられへんかったわ」
「いつ頃なんですか?」
「聞かんといて。びっくりさせてまうわ」
百花はクスクス笑いながらも、縫い物の手は止めない。初名と同時に縫い始めたというのに、もう倍以上先まで縫ってしまっていた。
慌てる初名の手を押さえて、ゆっくりで良いと言う。そして、のんびりさせるためなのか、再びゆったりと語り始めた。
「うちらの頃は剣術どころか武道やなんかは皆、男のもんやったわ。嗜む女は『女だてらに』とか『女のくせに』なんて必ず言われとったよ」
「そう……みたいですね」
初名はふと、弥次郎と約束を交わしていた和子の言葉を思い出した。女には手出しできるものではなかったと。
「ああ、気ぃ悪うせんといてな。妬んでるんとちゃうんよ。今は随分、自由になったんやなぁと思てね」
「自由ですか?」
百花は頷いた。
「あんたの話聞いてると、びっくりすることばっかりや。結婚しぃひんとか、男同士や女同士で結婚できるとか、女でも学業にいそしめるとか、男に混ざって働いてるとか……」
「まだまだみたいですけどね」
「そういう人がおるっていうことが、凄いことなんよ。うちらの生きとった時は、そういうのはこそこそやっとったんやから。剣術……剣道やったっけ? それだって、あんた、強いんちゃうの? 目録とか?」
「全然そんなんじゃ……二段です」
「すごいんちゃうの?」
実際の所、二段と目録の違いは初名にもよくわかっていない。
目録というのは、まだ段位が定められていなかった頃、各道場毎に決められていた階級だ。切紙、目録、印可、免許、皆伝、秘伝、口伝と上がっていく。流派によって変わるが。
一方の段位は、二段ならば一度も不合格にならなければ中学生の間にとれる。長く続けている者ならば、高校生の間に三段までとってしまう者もいる。
印可や三段以上となると、修行の成果だけでなく本人の才も関わってくるかもしれないが、二段や目録は、真面目に修行してきた証といった見方が出来る。
初名が謙遜するのも頷ける話だった。だが、百花は納得していなかった。
「二段が凄いかどうかやのうて、それだけ続けてることが凄いなぁて言うてるのに」
「でも……もう辞めましたし」
「え、辞めてしもたん? どこか怪我でもしたんか?」
「いいえ」
「ほな、なんで……」
百花の顔がぐんぐん近づいてくる。初名はその追求をどう躱そうか、そればかり考えていた。
「それは……痛っ」
考え事は、手先を鈍らせた。針の先は指先に深く刺さり、引き抜くと血玉を作っていた。
「大丈夫?」
百花はそう言うと、初名の手を取って、そっと血を拭った。もう血が出ないことを確認すると、戸棚から薬を出して塗ってくれた。
「ありがとうございます」
「ええよ。あんたのおばあちゃんで、こういうことは慣れとるから」
百花は、そう、悪戯っぽく笑った。
祖母もまた、こうして針仕事に失敗して、百花に手当をしてもらって……そして、上達したのだろうか。
「ごめんな、うちがいらんこと言うてしもたから。ちょっと気分転換しよか」
「え、何するんですか?」
「お客さんとこ、行くんよ」
そう言うと、百花は先ほどあっという間に縫い上げてしまった仕立物を風呂敷に包んで立ち上がった。
「お客さんとこに、頼まれとったもの届けて、琴ちゃんのとこで美味しいもの食べよか」
「は、はい!」
美味しいものよりも、気分転換よりも、本当のところは、初名は今の百花と出かけられることが嬉しかった。
誰よりも凜として美しい、ただの訪問着でも艶やかな出で立ちの百花と歩けることが、何よりも。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
ブラックベリーの霊能学
猫宮乾
キャラ文芸
新南津市には、古くから名門とされる霊能力者の一族がいる。それが、玲瓏院一族で、その次男である大学生の僕(紬)は、「さすがは名だたる天才だ。除霊も完璧」と言われている、というお話。※周囲には天才霊能力者と誤解されている大学生の日常。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
(同級生+アイドル÷未成年)×オッサン≠いちゃらぶ
まみ夜
キャラ文芸
様々な分野の専門家、様々な年齢を集め、それぞれ一芸をもっている学生が講師も務めて教え合う教育特区の学園へ出向した五十歳オッサンが、十七歳現役アイドルと同級生に。
【ご注意ください】
※物語のキーワードとして、摂食障害が出てきます
※ヒロインの少女には、ストーカー気質があります
※主人公はいい年してるくせに、ぐちぐち悩みます
第二巻(ホラー風味)は現在、更新休止中です。
続きが気になる方は、お気に入り登録をされると再開が通知されて便利かと思います。
表紙イラストはAI作成です。
(セミロング女性アイドルが彼氏の腕を抱く 茶色ブレザー制服 アニメ)
我が家の家庭内順位は姫、犬、おっさんの順の様だがおかしい俺は家主だぞそんなの絶対に認めないからそんな目で俺を見るな
ミドリ
キャラ文芸
【奨励賞受賞作品です】
少し昔の下北沢を舞台に繰り広げられるおっさんが妖の闘争に巻き込まれる現代ファンタジー。
次々と増える居候におっさんの財布はいつまで耐えられるのか。
姫様に喋る犬、白蛇にイケメンまで来てしまって部屋はもうぎゅうぎゅう。
笑いあり涙ありのほのぼの時折ドキドキ溺愛ストーリー。ただのおっさん、三種の神器を手にバトルだって体に鞭打って頑張ります。
なろう・ノベプラ・カクヨムにて掲載中
あやかし雑草カフェ社員寮 ~社長、離婚してくださいっ!~
菱沼あゆ
キャラ文芸
令和のはじめ。
めでたいはずの10連休を目前に仕事をクビになった、のどか。
同期と呑んだくれていたのだが、目を覚ますと、そこは見知らぬ会社のロビーで。
酔った弾みで、イケメンだが、ちょっと苦手な取引先の社長、成瀬貴弘とうっかり婚姻届を出してしまっていた。
休み明けまでは正式に受理されないと聞いたのどかは、10連休中になんとか婚姻届を撤回してもらおうと頑張る。
職だけでなく、住む場所も失っていたのどかに、貴弘は住まいを提供してくれるが、そこは草ぼうぼうの庭がある一軒家で。
おまけにイケメンのあやかしまで住んでいた。
庭にあふれる雑草を使い、雑草カフェをやろうと思うのどかだったが――。
すこやか食堂のゆかいな人々
山いい奈
ライト文芸
貧血体質で悩まされている、常盤みのり。
母親が栄養学の本を読みながらごはんを作ってくれているのを見て、みのりも興味を持った。
心を癒し、食べるもので健康になれる様な食堂を開きたい。それがみのりの目標になっていた。
短大で栄養学を学び、専門学校でお料理を学び、体調を見ながら日本料理店でのアルバイトに励み、お料理教室で技を鍛えて来た。
そしてみのりは、両親や幼なじみ、お料理教室の先生、テナントビルのオーナーの力を借りて、すこやか食堂をオープンする。
一癖も二癖もある周りの人々やお客さまに囲まれて、みのりは奮闘する。
やがて、それはみのりの家族の問題に繋がっていく。
じんわりと、だがほっこりと心暖まる物語。
妖狐な少女は気ままにバーチャルゲーム配信がしたい
じゃくまる
キャラ文芸
ボクの名前は夕霧暮葉。個人Vtuberの真白狐白をやってます。
普段は人とそんなに絡んだりしない人見知りな性格だけど、配信の時はビビりながらも色んなことに挑戦していくよ!
そんなボクは少しだけ人と違うところがあるんだ。
どんなところかというと、オタクなことと人見知りなこと、そして種族が狐の妖種である妖狐だということくらいかな。
うんそう。ボクはみんなが噂に聞くことがある妖種なんだよ。
これはそんなボクの日常と配信を描いた物語。
のんびりしたりドタバタしたり、少しドキドキしたり時々異世界に行ってみたり。
みんなが楽しめるかわからないけど、ボクなりにみんなに見せていっちゃうからよろしくね!
JOLENEジョリーン・鬼屋は人を許さない 『こわい』です。気を緩めると巻き込まれます。
尾駮アスマ(オブチアスマ おぶちあすま)
キャラ文芸
ホラー・ミステリー+ファンタジー作品です。残酷描写ありです。苦手な方は御注意ください。
完全フィクション作品です。
実在する個人・団体等とは一切関係ありません。
あらすじ
趣味で怪談を集めていた主人公は、ある取材で怪しい物件での出来事を知る。
そして、その建物について探り始める。
あぁそうさ下らねぇ文章で何が小説だ的なダラダラした展開が
要所要所の事件の連続で主人公は性格が変わって行くわ
だんだーん強くうぅううー・・・大変なことになりすすぅーあうあうっうー
めちゃくちゃなラストに向かって、是非よんでくだせぇ・・・・え、あうあう
読みやすいように、わざと行間を開けて執筆しています。
もしよければお気に入り登録・イイネ・感想など、よろしくお願いいたします。
大変励みになります。
ありがとうございます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる