28 / 109
其の弐 指輪は待っている
十八
しおりを挟む
「……迷ってる?」
風見は頷くと、すぅっと、人差し指で天井を指した。いや、天井の先にあるものを。
「地下街……ですか?」
「そうや。この梅田界隈は昔は静かやったから、俺らみたいなあやかし者がよう住み着いとったんやけど、明治以降、急に賑やかになってしもてな。それで地下でこそこそしとってんけど、大きい戦争の後、なんと地下にあんな大きい街ができてしもて、俺らは出られへんようになってしもた」
「で、でも地下街だって閉鎖されてるわけじゃないですよ。ちゃんと地上への階段とか、駅への通路とか……」
「そこまで、たどり着かれへんのや」
初名の声を遮るように、風見の声が響く。初名は、自分が酷なことを言っているのだと、肌で感じ取った。
「昔から、俺らみたいな者はああいう迷路に迷わされてきた。迷わされて、閉じ込められてきたんや」
風見の声を聞いて、いつだったか、祖母から聞いた話を思い出した。
古くより、あやかしや怨霊はしばしば道に迷う。
曲がり角に、柱の陰に、行き止まりに……迷い込んでは、そこから出られなくなり、止め置かれるのだ。それを利用して怨霊を封じ込めるといったこともしばしば見られる。
法隆寺の中門然り、アメリカのウィンチェスター屋敷然り……と。
風見は頷いて、静かに告げた。
ここ梅田地下街もまた、明治時代の鉄道開通に始まり、戦後の復興に伴って開発されていく過程で複雑に入り組んだ構造になっていった。その迷路に人間たちはいまだに困惑することも多いが、あやかしたちはもっと困惑していた。
そうして地下から出られず、より地下奥に留まるほかない者が一人また一人と増えていき……この、『あやかし横丁』を形成したのだ。
「まぁ、長く生きとると色々あるっちゅうこっちゃ」
そう言う風見は、急にからっとした笑顔になっていた。それが何だか、物悲しかった。
また、何も言うべき言葉が見つからなかった。拳を握りしめて、唇を引き結んでいると、困ったように眉を下げた風見が、ぽんと頭を叩いた。
「そんな顔、お前がせんでもええ。俺らは俺らで、まぁ気ぃ良うやっとるんやで」
その時ようやく理解した。『あいつによろしく』と初名に言った、風見のあの言葉を。
風見は、あの時と同じように、微笑むことで答えていた。そして何も言わず、ただただ初名の頭を撫でまわしていた。
「……出られへんてことはな、変わらずここにおるってことでもあるんや」
初名の頭から手をどけた風見は、おおらかな、優しい空気を纏っていた。
「俺らは、いつでもここにおる。ここで、待ってるんや」
風見の言葉にうなずいた弥次郎が、その言を継いで呟いた。いつの間にやら、再び煙管に火をつけて、ゆるりと立ち上る煙を、じっと見つめていた。
「あの子は……和子はな、あの時泣いとったわ。どこにも行かれへん。でも帰りたくもない。どうすればええかわからへん、て言うてな。俺にできるのは、待っててやることだけやった」
弥次郎の視線が、ふいに手元の指輪に向いた。プラスチックの指輪は、重苦しいものをすべて取り払い、ただピカピカと光っていた。手元で、花が咲いているようだった。
風見は頷くと、すぅっと、人差し指で天井を指した。いや、天井の先にあるものを。
「地下街……ですか?」
「そうや。この梅田界隈は昔は静かやったから、俺らみたいなあやかし者がよう住み着いとったんやけど、明治以降、急に賑やかになってしもてな。それで地下でこそこそしとってんけど、大きい戦争の後、なんと地下にあんな大きい街ができてしもて、俺らは出られへんようになってしもた」
「で、でも地下街だって閉鎖されてるわけじゃないですよ。ちゃんと地上への階段とか、駅への通路とか……」
「そこまで、たどり着かれへんのや」
初名の声を遮るように、風見の声が響く。初名は、自分が酷なことを言っているのだと、肌で感じ取った。
「昔から、俺らみたいな者はああいう迷路に迷わされてきた。迷わされて、閉じ込められてきたんや」
風見の声を聞いて、いつだったか、祖母から聞いた話を思い出した。
古くより、あやかしや怨霊はしばしば道に迷う。
曲がり角に、柱の陰に、行き止まりに……迷い込んでは、そこから出られなくなり、止め置かれるのだ。それを利用して怨霊を封じ込めるといったこともしばしば見られる。
法隆寺の中門然り、アメリカのウィンチェスター屋敷然り……と。
風見は頷いて、静かに告げた。
ここ梅田地下街もまた、明治時代の鉄道開通に始まり、戦後の復興に伴って開発されていく過程で複雑に入り組んだ構造になっていった。その迷路に人間たちはいまだに困惑することも多いが、あやかしたちはもっと困惑していた。
そうして地下から出られず、より地下奥に留まるほかない者が一人また一人と増えていき……この、『あやかし横丁』を形成したのだ。
「まぁ、長く生きとると色々あるっちゅうこっちゃ」
そう言う風見は、急にからっとした笑顔になっていた。それが何だか、物悲しかった。
また、何も言うべき言葉が見つからなかった。拳を握りしめて、唇を引き結んでいると、困ったように眉を下げた風見が、ぽんと頭を叩いた。
「そんな顔、お前がせんでもええ。俺らは俺らで、まぁ気ぃ良うやっとるんやで」
その時ようやく理解した。『あいつによろしく』と初名に言った、風見のあの言葉を。
風見は、あの時と同じように、微笑むことで答えていた。そして何も言わず、ただただ初名の頭を撫でまわしていた。
「……出られへんてことはな、変わらずここにおるってことでもあるんや」
初名の頭から手をどけた風見は、おおらかな、優しい空気を纏っていた。
「俺らは、いつでもここにおる。ここで、待ってるんや」
風見の言葉にうなずいた弥次郎が、その言を継いで呟いた。いつの間にやら、再び煙管に火をつけて、ゆるりと立ち上る煙を、じっと見つめていた。
「あの子は……和子はな、あの時泣いとったわ。どこにも行かれへん。でも帰りたくもない。どうすればええかわからへん、て言うてな。俺にできるのは、待っててやることだけやった」
弥次郎の視線が、ふいに手元の指輪に向いた。プラスチックの指輪は、重苦しいものをすべて取り払い、ただピカピカと光っていた。手元で、花が咲いているようだった。
0
お気に入りに追加
16
あなたにおすすめの小説
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
神の居る島〜逃げた女子大生は見えないものを信じない〜
(旧32)光延ミトジ
キャラ文芸
月島一風(つきしまいちか)、ニ十歳、女子大生。
一か月ほど前から彼女のバイト先である喫茶店に、目を惹く男が足を運んでくるようになった。四十代半ばほどだと思われる彼は、大人の男性が読むファッション雑誌の“イケオジ”特集から抜け出してきたような風貌だ。そんな彼を意識しつつあった、ある日……。
「一風ちゃん、運命って信じる?」
彼はそう言って急激に距離をつめてきた。
男の名前は神々廻慈郎(ししばじろう)。彼は何故か、一風が捨てたはずの過去を知っていた。
「君は神の居る島で生まれ育ったんだろう?」
彼女の故郷、環音螺島(かんねらじま)、別名――神の居る島。
島民は、神を崇めている。怪異を恐れている。呪いを信じている。あやかしと共に在ると謳っている。島に住む人間は、目に見えない、フィクションのような世界に生きていた。
なんて不気味なのだろう。そんな島に生まれ、十五年も生きていたことが、一風はおぞましくて仕方がない。馬鹿げた祭事も、小学校で覚えさせられた祝詞も、環音螺島で身についた全てのものが、気持ち悪かった。
だから彼女は、過去を捨てて島を出た。そんな一風に、『探偵』を名乗った神々廻がある取引を持ち掛ける。
「閉鎖的な島に足を踏み入れるには、中の人間に招き入れてもらうのが一番なんだよ。僕をつれて行ってくれない? 渋くて格好いい、年上の婚約者として」
断ろうとした一風だが、続いた言葉に固まる。
「一緒に行ってくれるなら、君のお父さんの死の真相、教えてあげるよ」
――二十歳の夏、月島一風は神の居る島に戻ることにした。
(第6回キャラ文芸大賞で奨励賞をいただきました。応援してくださった方、ありがとうございました!)
推理小説家の今日の献立
東 万里央(あずま まりお)
キャラ文芸
永夢(えむ 24)は子どもっぽいことがコンプレックスの、出版社青雲館の小説編集者二年目。ある日大学時代から三年付き合った恋人・悠人に自然消滅を狙った形で振られてしまう。
その後悠人に新たな恋人ができたと知り、傷付いてバーで慣れない酒を飲んでいたのだが、途中質の悪い男にナンパされ絡まれた。危ういところを助けてくれたのは、なんと偶然同じバーで飲んでいた、担当の小説家・湊(みなと 34)。湊は嘔吐し、足取りの覚束ない永夢を連れ帰り、世話してくれた上にベッドに寝かせてくれた。
翌朝、永夢はいい香りで目が覚める。昨夜のことを思い出し、とんでもないことをしたと青ざめるのだが、香りに誘われそろそろとキッチンに向かう。そこでは湊が手作りの豚汁を温め、炊きたてのご飯をよそっていて?
「ちょうどよかった。朝食です。一度誰かに味見してもらいたかったんです」
ある理由から「普通に美味しいご飯」を作って食べたいイケメン小説家と、私生活ポンコツ女性編集者のほのぼのおうちご飯日記&時々恋愛。
.。*゚+.*.。 献立表 ゚+..。*゚+
第一話『豚汁』
第二話『小鮎の天ぷらと二種のかき揚げ』
第三話『みんな大好きなお弁当』
第四話『餡かけチャーハンと焼き餃子』
第五話『コンソメ仕立てのロールキャベツ』
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
未亡人クローディアが夫を亡くした理由
臣桜
キャラ文芸
老齢の辺境伯、バフェット伯が亡くなった。
しかしその若き未亡人クローディアは、夫が亡くなったばかりだというのに、喪服とは色ばかりの艶やかな姿をして、毎晩舞踏会でダンスに興じる。
うら若き未亡人はなぜ老齢の辺境伯に嫁いだのか。なぜ彼女は夫が亡くなったばかりだというのに、楽しげに振る舞っているのか。
クローディアには、夫が亡くなった理由を知らなければならない理由があった――。
※ 表紙はニジジャーニーで生成しました
あやかし憑き男子高生の身元引受人になりました
森原すみれ@薬膳おおかみ①②③刊行
キャラ文芸
【あやかし×謎解き×家族愛…ですよね?】
憎き実家からめでたく勘当され、単身「何でも屋」を営む、七々扇暁(ななおうぎあきら)、28歳。
そんなある日、甥を名乗る少年・千晶(ちあき)が現れる。
「ここに自分を置いてほしい」と懇願されるが、どうやらこの少年、ただの愛想の良い美少年ではないようで――?
あやかしと家族。心温まる絆のストーリー、連載開始です。
※ノベマ!、魔法のiらんど、小説家になろうに同作掲載しております
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる