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其の弐 指輪は待っている

十六

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「……そうやな」
 弥次郎は、ただ、小さく頷いただけで何も言わなかった。
 だからだろうか、初名は思わず思いを口にしていた。
「あの……いいんですか? それだと……その……」
 夫の元に行くことを意味しないか、そう思ったのだ。あれだけ嫌っていた……いや、憎んでいたとすら言える相手の気持ちを受け取ることで、彼女の心が安らかになるのだろうか。赤の他人の余計なお世話ということは承知していたが、それでも聞かずにおれなかった。
 初名のそんな言葉に、和子はふわりと微笑んだ。
「ええのよ。よく考えたら、あんな酷い人、地獄行きに決まってるわ。あの世に行っても、きっと会わへん。綺麗なもんだけきっちりもろとくことにするわ」
「……逞しいな」
「あなたのおかげよ」
 和子が優しく微笑むのを見て、弥次郎は腰から下げたものを取り出した。時代劇などで見たことのある煙管きせる煙草たばこ入れだ。先端の雁首が鈍く光る。少しくすんだ様が、趣と歴史を感じさせる煙管だ。
 弥次郎は机の上に置いてあった煙草盆を引き寄せると、火をつけた。火皿に移った火種が、小さく詰めた煙草を真っ赤に染めていく。と同時に、真っ白な煙がふわりふわりと立ち上っていく。うっすらとした煙だというのに、何故かその白い姿がはっきりと見える。ゆらりゆらりと揺れながら、細く長く天井、その先まで続き、誰かを導こうとしているかのようだった。
「この向こうや。わかるか?」
「うん、わかる。ありがとうね、やじさん」
 和子は弥次郎に深く頭を下げた。そして、初名の方にも顔を向けた。
「ありがとうね、初名さん」
「そ、そんな。私は何も……」
 謙遜する初名に、和子は小さく首を振った。
「もし……もしも、また会えたら……私にも剣道、教えてくれはる?」
「も、もちろんです! 必ず……!」
 和子はにっこり、嬉しそうに笑った。夫のことを話して沈んだ顔をしていた彼女が、こんな顔を向けてくれた。初名も、胸の奥から熱くなるのが分かった。
「ほな、さよなら」
 弥次郎の両手を強く握りしめながらそう告げると、和子の姿はふんわりと透明に変わって、弥次郎が作った煙に溶けていった。
 そして、立ち上る煙と共に、彼らには見えない空へと向かっていった。
 煙がだんだんと細く薄くなって消え去ると、弥次郎は煙草盆に灰を落とした。カンという大きな音が、見送りが終わったと告げたようだった。
「あの人は……亡くなってたんですね」
 風見も弥次郎も、静かに頷いた。
 ふと机に残った指輪に目を向けると、プラチナの輝きは消え失せ、黒ずんで燃えカスのようになっていた。持って行ったのだと、初名にもわかった。
「無事に、行けたんでしょうか?」
「さぁな……俺にはわからん。ここに留まるしかできへん俺には、何もわからんわ」
 弥次郎は煙管をくるくる回すと、もう一度煙草を火皿に詰め始めた。新しく火をつけると、今度はすぐに、ふぅっと長く息を吐き出した。
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