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其の弐 指輪は待っている
九
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その入り口は、地下街に点在している。
駅改札へ続く道、ビルと通じる入り口、地上への階段……どこかへと通じる道の隣に、ぽっかりと口を開けているのだった。
だが場所の感覚がいまいちわからないという風見の主張に従い、初名は先日地上へ上がる時に通った旧泉の広場まで、風見と和子を案内した。そこならば、土地感覚のない初名でも何とかわかったのだ。どうして風見がわからないのかが、わからなかったが。
「えーと、この辺に……あったあった」
旧泉の広場付近にも出口は多くある。風見はそのうち、奥まった場所にある、隣接するビルとの通用口近くまで行った。すると、その通用口の隣の壁にぽっかりと穴が空いた。
一見すると風景に溶け込んでいるように見えるが、その穴を覗き込んでみると、少し違った。奥まった場所ゆえに薄暗いながらも、常に昼間のように照らす電灯のおかげで、地下街はいつでも明るい。それなのに、覗き込んだ穴の先は、そんな明かりをすべて遮断しているかのように真っ暗だ。その真っ暗な中に、かろうじて下へ向かう階段が見える。暗いからか、長いからか、行き着く先は見えない。
「ほれ、行くで」
行く先がわかったためか、風見は意気揚々と歩き出した。先陣を切り、真っ暗な階段を迷いなく下りていく。初名が暗がりへの恐怖と先日見た光景に対する恐れから、踏み込むのをためらっていると、その横をするりと抜けて和子が歩いて行った。恐怖心よりも、楽しみの方が勝っているように見え、まるで足元など見ていない。
初名はその腕をそっと掴んで、横に並んで歩き出した。
「あらまぁ……ありがとうねぇ」
真っ暗で、もはや和子の顔は至近距離でも見えなかったが、声だけは聞こえた。軽やかで弾むような声だった。
(そんなに、会いたかったんだ……)
先ほど、夫の話をしていた時の和子の声はどこか沈んでいた。今、こんなにも明るい声で語る彼女は素敵だと、初名は思った。
あの場所は怖いと思っていたが、彼女がこれほどまでに心躍らせるならば、一緒に行ってみるのも悪くないかもしれない。
そう思い、長い長い階段を一歩ずつ慎重に下りていく。ずっと歩いているはずなのに、不思議と疲れを感じなかった。思えば先日上った際も、そうだった。隣を歩く和子も、高齢のはずなのに息が乱れた様子を感じない。先ほど歩き回っていた時は、確かに疲れ果てていたようだったのに。
やっぱりここは、何か違う。理屈ではなく、実感した。
「着いたで」
風見の声が合図であるかのように、目の前に違う光景が広がった。真っ暗だった空間には、いつの間にかぼんやりと明かりが浮かんでいた。お祭りの境内のように、そこかしこに掲げられているぼんぼりの明かりなのだとわかった。
日の光は射しておらず、地下街のような大がかりな電灯もない。ただ建物の屋根付近に、ぽつぽつと明かりが灯っている。それが暗闇の中にいくつも浮かび、夕暮れのような情景を生み出していた。
階段の先は、ただただまっすぐに道が伸びており、その両側に店がずらりと並ぶ。そんな風景がずっと奥まで続いていた。どこまで続いているのかはわからない。ただ、これがいわゆる”横丁”と呼ばれる風景であることは、初名にもわかった。
ぼんぼりが、軒を連ねる店々を照らし出す。どの店も、看板やのれんを出していた。『人形屋 万』『仕立屋 艶』『おばんざい ことこと屋』等々……。
風見は、たくさん並ぶ店のうち、入り口から二軒目に位置する古びた佇まいの前に立った。木造の、古いすりガラスのはめられた引き戸になっており、店の前にはシンプルな無地ののれんがかかっていた。紺地に染められたのれんには、大きくこう書かれていた。
『古道具 やじや』と。
風見は遠慮する様子を少しも見せず、引き戸に手をかけた。
駅改札へ続く道、ビルと通じる入り口、地上への階段……どこかへと通じる道の隣に、ぽっかりと口を開けているのだった。
だが場所の感覚がいまいちわからないという風見の主張に従い、初名は先日地上へ上がる時に通った旧泉の広場まで、風見と和子を案内した。そこならば、土地感覚のない初名でも何とかわかったのだ。どうして風見がわからないのかが、わからなかったが。
「えーと、この辺に……あったあった」
旧泉の広場付近にも出口は多くある。風見はそのうち、奥まった場所にある、隣接するビルとの通用口近くまで行った。すると、その通用口の隣の壁にぽっかりと穴が空いた。
一見すると風景に溶け込んでいるように見えるが、その穴を覗き込んでみると、少し違った。奥まった場所ゆえに薄暗いながらも、常に昼間のように照らす電灯のおかげで、地下街はいつでも明るい。それなのに、覗き込んだ穴の先は、そんな明かりをすべて遮断しているかのように真っ暗だ。その真っ暗な中に、かろうじて下へ向かう階段が見える。暗いからか、長いからか、行き着く先は見えない。
「ほれ、行くで」
行く先がわかったためか、風見は意気揚々と歩き出した。先陣を切り、真っ暗な階段を迷いなく下りていく。初名が暗がりへの恐怖と先日見た光景に対する恐れから、踏み込むのをためらっていると、その横をするりと抜けて和子が歩いて行った。恐怖心よりも、楽しみの方が勝っているように見え、まるで足元など見ていない。
初名はその腕をそっと掴んで、横に並んで歩き出した。
「あらまぁ……ありがとうねぇ」
真っ暗で、もはや和子の顔は至近距離でも見えなかったが、声だけは聞こえた。軽やかで弾むような声だった。
(そんなに、会いたかったんだ……)
先ほど、夫の話をしていた時の和子の声はどこか沈んでいた。今、こんなにも明るい声で語る彼女は素敵だと、初名は思った。
あの場所は怖いと思っていたが、彼女がこれほどまでに心躍らせるならば、一緒に行ってみるのも悪くないかもしれない。
そう思い、長い長い階段を一歩ずつ慎重に下りていく。ずっと歩いているはずなのに、不思議と疲れを感じなかった。思えば先日上った際も、そうだった。隣を歩く和子も、高齢のはずなのに息が乱れた様子を感じない。先ほど歩き回っていた時は、確かに疲れ果てていたようだったのに。
やっぱりここは、何か違う。理屈ではなく、実感した。
「着いたで」
風見の声が合図であるかのように、目の前に違う光景が広がった。真っ暗だった空間には、いつの間にかぼんやりと明かりが浮かんでいた。お祭りの境内のように、そこかしこに掲げられているぼんぼりの明かりなのだとわかった。
日の光は射しておらず、地下街のような大がかりな電灯もない。ただ建物の屋根付近に、ぽつぽつと明かりが灯っている。それが暗闇の中にいくつも浮かび、夕暮れのような情景を生み出していた。
階段の先は、ただただまっすぐに道が伸びており、その両側に店がずらりと並ぶ。そんな風景がずっと奥まで続いていた。どこまで続いているのかはわからない。ただ、これがいわゆる”横丁”と呼ばれる風景であることは、初名にもわかった。
ぼんぼりが、軒を連ねる店々を照らし出す。どの店も、看板やのれんを出していた。『人形屋 万』『仕立屋 艶』『おばんざい ことこと屋』等々……。
風見は、たくさん並ぶ店のうち、入り口から二軒目に位置する古びた佇まいの前に立った。木造の、古いすりガラスのはめられた引き戸になっており、店の前にはシンプルな無地ののれんがかかっていた。紺地に染められたのれんには、大きくこう書かれていた。
『古道具 やじや』と。
風見は遠慮する様子を少しも見せず、引き戸に手をかけた。
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